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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第九章

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77 信頼

 その日の夜、流音たちは脱走を試みた。

 脱出のかせとなる魔力を封じる首輪だが、ユラは外す方法を見つけていた。


「この手の拘束具の術式のことをゆっくり解析する機会がありましたから。少し痛いかもしれませんが、原理的には可能なはずです」


 流音とユラは向かい合って両手を合わせ、お互いの魔力を探り合った。体内に閉じ込められている魔力だが、触れ合う距離なら感じ取ることができる。

 ぴったりと重なった魔力は徐々に大きく波打ち始める。


「行きます」


 共鳴し合った魔力の波が最高点に達しようとした瞬間、ユラが意図的にタイミングをずらした。すると、体中にぴしりと亀裂が入ったような衝撃が走った。高まった魔力が外に出ようと首輪に殺到したのだ。


「あ……取れた」


 二人の首輪は粉々になって床に落ちた。痛みは一瞬だったものの、とんでもなく危ないことをしたのではないかと首筋がひやりとした。


「ぼうっとしている時間はありません。行きますよ」


 ユラはすぐに詠唱に入った。


【親愛なる闇よ、応えよ。我らが姿を覆い、掻き消せ】


 体が鎧を纏ったかのようにずしりと重くなった。これは姿を見えなくするレベルβの闇魔術らしい。

 その状態のまま、続けてユラは扉を強引に魔術で粉砕した。建物に備え付けられていた警報ベルがけたたましい音で鳴り始めた。


【親愛なる闇よ、応えよ。我らの姿を映し、惑わせよ】


 二人の足元から影が飛び出していった。流音とユラの姿を模した偽物の立体映像だ。映像はシークのいる牢とは逆方向に向かわせ、追っ手を引きつける。流音たちの本当の姿は誰にも見えていない。しばらくは虚像に騙されてくれるだろう。


 ――ユラ、すごい……こんなこともできるんだ。


 一度しか行ったことのない座敷牢に向かい、ユラは迷いなく進んでいく。その姿に頼もしさを覚える流音だった。


 牢の前には見張りがいたが、それもユラが闇の魔術で眠らせてしまった。あっけないほど簡単に目的の場所に辿り着いた。

 しかしここからが本番だ。

 鉄格子の向こうにシークの姿を見つけ、流音は息を飲む。先日よりも憔悴しているのが見て取れる。


 ユラが姿を隠す魔術を解除し、牢の鉄格子を攻撃魔術で砕いた。続いて転移魔術の準備に入る。

 人間の転移魔術はレベルαの最上級魔術である。ユラは術式を知っているだけで実際に使ったことがないという。しかも魔力の量も属性も足りない。

 発動するかも、どこに転移するかも分からない。古の闇に染まった魔力を使う以上、追撃される可能性だってある。高度だけは頑張って調整するとユラは言っていたが、最悪の場合海の真ん中や魔物の巣に落ちることもあり得る。

 本当に一か八かだった。


 術式の構築に入る前、ユラは言う。


「ルノン。絶対に無理はしないで下さいね」


「ユラの方こそ」


「近づきすぎてはいけません。ルノンまで魔剣に取り込まれかねないですから」


 流音はユラと頷き合った後、まっすぐにシークを見据えた。


 ――絶対に助けるからね。一緒に西の大陸に帰る!


 心の限り祈りを捧げ、流音は呪文を唱えた。


【ニーニャの守護者よ、お出ましください】


 ふわりと水薔薇の香りとともに省エネモードのミニキュリスが現れた。〈力〉と〈王冠〉を除く五枚のニーニャカードも一緒に宙に浮かぶ。


「おお、ルノン。怪我はなかったかえ」


「わたしは大丈夫。心配かけてごめん。キュリス、お願い! シークを助けるのを手伝って!」


 キュリスは「むむぅ」と眉根を寄せた。


「なんと淀んだ闇の気か……血生臭いのう」


「古の闇を浄化して、シークから魔剣をはがしたいの。もちろん生きたまま」


 シークは今、封印魔術をかけられた鎖に繋がれている。鎖から解き放たれれば、血を求めて見境なく人を襲うだろうし、魔剣の魔力が転移魔術に悪影響を及ぼしかねない。つまり今この場で魔剣を切り離さなければ、シークを連れていくことはできないのだ。

 流音の懇願に対し、キュリスは苦々しい表情を見せた。


「浄化と治癒の両立は難しい。じゃが、ルノンの覚悟は伝わった。やれるだけのことはやろうぞ」


「お願い!」


 キュリスは人間大の大きさに戻った。そして纏っていた水色の光を広げ、シークと魔剣アラクレを包み込む。


「――っ!」


 絶叫したのはシークかアラクレか。どちらにも大きな負荷がかかっているようだった。あまりにも痛ましい叫びに流音は耳を塞ぎたくなった。


「シーク! 頑張って!」


 この声が届くかも分からない。それでもシークに残っているわずかな自我に必死に訴える。

 

 ――キュリスの力でも無理なら……。


 流音は宙に浮いたままのニーニャカードを手に取った。

 このカードにはいつも助けられてきた。流音自身はもちろん、ユラやヴィヴィタ、他の仲間たちのことも奇跡的に救ってくれた。

 ならば今度も、期待してしまう。


 守護者が目覚めていないカードはあと四枚。

〈オニキス〉、〈魔法の杖〉、〈剣〉、そして〈死神〉――。


 絵柄の髑髏に視線が吸い込まれ、どきりとした。死神がシークを連れて行ってしまわないだろうか。


 ――ううん! わたしは大丈夫だって信じる!


 嫌な予感を無理矢理振り払い、流音は顔を上げた。

 するとキュリスの浄化の光が徐々に強く瞬き始め、そして――。


 一陣の黒い風が流音の体を壁際に打ち付けた。強い衝撃に思わず咳き込む。


「ルノン!」


 ユラが慌てて駆け寄ってきて、流音を抱え起こした。


「やっぱりここにいた。流音、逃がさないぜ」


 薫が冷ややかな視線が突き刺さり、流音は凍りつく。見つかってしまった。どうやら彼の肩に乗った黒竜が起こした風圧で飛ばされたらしい。


 ――どうしよう。逃げ場がない。


 薫の後ろには性別も年齢層もバラバラの〈魔性の喚き〉の構成員たちが控えていた。共通点は目に憎悪の光が宿っていることだ。その中には闇巣食いの赤目も見受けられた。


「神子様の慈悲を蔑ろにするとはなんと罪深い」

「西の聖女は敵よ」

「許せない。自分たちだけ助かろうなんて」


 怨嗟の声にますます体が金縛りにあったように動かなくなる。ユラにくっついていても恐ろしかった。


「少しは分かったか? 俺の気持ち。いや、これくらいじゃダメだな。もっとひどい目に遭ってもらわないと」


 薫が笑うと、デューアンサラトが再び翼を羽ばたかせた。本来の姿ではないのに、おびただしい闇の魔力を発している。


「デュア、流音は殺すなよ。でもそっちの男はどうなってもいい。そうだ、もう一回燃やしてやるのもいいな」


 薫の言葉を心得たとばかりに、デューアンサラトが口から黒い炎を噴いた。

 かつて水薔薇の園を焼いた忌々しい炎だ。


「おぬしたちの好きにはさせぬ!」


 キュリスが前に出て、水の膜で流音たちを守った。闇の炎と浄化の水がぶつかり合い、激しい衝撃が牢を駆け巡った。

 がしゃん、と何かが壊れる音が聞こえ、次の瞬間には景色が様変わりしていた。

 壁と天井が崩れ、冷たい風が激しく砂ほこりを舞い上げる。建物が半壊し、気づけば流音たちは外に投げ出されていた。

 満天の星空に息を飲んだ。夜なのに仄かに積もった雪が光り、視界は思いのほか明るい。


「ルノン、無事ですか?」


「うん……ユラ!?」


 頭を切ったらしく、ユラの顔に血が垂れてきていた。


「これくらいなら平気です」


 とても平気そうには見えなかった。自分を庇ったせいでユラが怪我をした。そのことで流音の胸に動揺が広がる。


「ルノン、気を乱してはならぬ!」


 キュリスの声にはっと視線を巡らせると、白銀の世界に黒い湯気が立ち上っていた。てっきり薫とデューアンサラトかと思った。しかし彼らは瓦礫のそばで座り込んでいる。


「シーク!?」


 繋がれていた鎖から解き放たれた青年が、夜空を仰いで吼えた。

 シークは未だ癒えていない体で魔剣を振り回し、〈魔性の喚き〉の構成員たちを次々と斬り倒していった。鮮血が雪を染めていく。


「やめて!」


 流音の声は悲鳴にかき消されて届かなかった。

 しかし――。


「おやめなさい、アラクレちゃん。私のお願い聞いてね」


 その声であっさりとシークは動きを止める。

 建物の中から、神子マジュルナが現れた。後ろには苦笑いを浮かべるウロトの姿もあった。

 マジュルナは結界の外に出て苦しいのか、数度咳き込んだ。しかし、次の瞬間には残酷なほど艶美な微笑みを浮かべ、白魚のような指で流音たちを指差した。


「ふふ、アラクレちゃん。見て、美味しそうな血肉があるわ。私のおうちを壊した悪い子たちよ。殺すのはダメだけど、ちょっとだけなら味見していいわ」


 マジュルナを中心に異質な魔力の波動が周囲に広がった。構成員たちはすがるように彼女を見上げ、頭を垂れていた。

 シークは生気の抜け落ちた顔でマジュルナを見て、次いで流音とユラに視線を寄越した。彼は無表情のままだが、代わりに魔剣が金属の擦れるような不快な音を立てた。歓喜を現しているようだった。


 ――そんな、シーク……。


 シークが魔剣を携えてゆっくりと近づけてくる。彼が歩く雪の上には赤黒い血が垂れていた。


「ルノン、下がって目を閉じていてください。こうなったら仕方ありません」


 ユラがふらふらと立ち上がり、シークと向き合った。戦う、いや、殺し合うつもりだ。

 見たくない。だけど言われた通りに目を閉じることはできず、流音は固唾を飲んだ。


「残念です。シーク、きみのことは大嫌いでしたが、今はもう殺したいほど憎んではいません。それどころか憐れみを覚えます」


 シークが立ち止まった。ユラの言葉に反応したのか、ちょうどいい間合いに入ったからなのかは分からない。


「魔剣に憑依され、神子の傀儡となり、死を待つばかりの運命……可哀想です。いえ、もうきみは死んでいますか? シーク・ティヴソン。俺の言葉すら分からないのでしょうか? ならばこれで最後ですし、言っておきたいことがあります」


 ふらりと傾いたユラの体を流音は後ろから支えた。


「学院に在籍していた頃は、ありがとうございました。裏切られるまで、俺はずっときみを友達だと思っていました。人間の友達は初めてで、本当はとても嬉しかったです。何でも持っていて、本気を出せば何にだってなれるだろうきみのことが羨ましくて、恨めしかった。そして、そんな友達がいることが頼もしくて、誇らしかったんです」


 意外な言葉に流音は普通に驚き、シークすらわずかに身じろぎしたように見えた。


「ですが、今のきみには失望しました。無様で滑稽で、がっかりです。なんてザマですか。格好つけたがりなきみのことです。今の姿はとても恥ずかしいでしょう? 魔剣を破壊することはできなくとも、宿主を殺すくらいなら俺にもできます。昔の友へのせめてもの情けです」


 ユラが術式の構築を始めた。手に圧縮された炎の球が浮かぶ。シークは動かない。

 シークの様子を見て思った。まだ魔剣に意識を完全に取り込まれたわけではない。でなければ今頃ユラは真っ二つにされているはず。


「ユラ、やめて……シークはまだ」


 ユラはシークを見据えたまま、流音の声に反応を返さなかった。無視された。


 ――ユラの馬鹿! こんなのって……。


 流音は拳を握りしめた。こんな悲しい終わり方は嫌だ。絶対に嫌だ。


「もうやめてよ!」


 たまらず流音は二人の間に割って入った。今のシークの前に立つのは恐ろしく、恐怖と寒さで体が震えた。


「シーク! ユラに言われっぱなしなんてシークらしくないよ! 目を覚まして!」


 流音は必死に懇願し、それに応えるようにキュリスが再びシークを水色の光で包み込む。しかし目に見えない壁に阻まれているようで、先ほどよりも力が届かない。薫が鼻で笑った。


「無駄だ。今、魔剣はルナの支配下にある。諦めろ」


「やだ! 諦めない!」


 マジュルナもくすくすとくすぐったい声をあげた。


「聞き分けのない子ね。わがままばかり言うなんて」


「あなたに言われたくない! わたしは絶対に嫌だもん! 何もせずに大切な人たちを失いたくない! あなたたちに奪わせない!」


「まぁ、ひどいこと言うのね。でも今のルノンがどれだけ頑張っても、何にもできないわ。残念」


 悔しいことにマジュルナの言うとおりだった。

 キュリスの力はシークに届かない。それどころか、ずっと動きを止めていたシークが魔剣を振り上げた。


「ルノン!」


 ユラが再びルノンを庇う態勢に入ったが、この距離で避けられるはずもなかった。

 絶望に心が沈んでいく。それでも流音は愚直にシークを見上げ続けた。


           ************


 うるさいな、とシークは苦々しい気分になった。

 ぼんやりとした意識の外側で、見知った者たちが口々に好き勝手述べている。

 ここまで凄まじい苛立ちを感じるのは生まれて初めてかもしれない。

 ユラの同情と煽りにも腹が立ったが、流音の馬鹿さ加減にもうんざりした。


 シークは少女の黒い瞳を見下ろし、思わず舌打ちをする。


 ――そんな目で見ないでよ。まるで僕が悪者みたいじゃん。


 魔剣と神子、二つの支配になす術もない。唯一自分を救ってくれそうな青白い光には手が届きそうもなく、諦めの境地にいた。

 シークはもう疲れ果てていた。この状況で何かできるなんて期待しないでほしい。


 ――僕は英雄でも勇者でもないんだ。なのに……。


 恐怖、悔恨、絶望、悲哀、あらゆる感情に揺れる流音の瞳。

 その中で最も強い意志の光にシークの心はざわついた。


 信じられなくなったら負けだとでも言いたげなその瞳。

 シークに向けられた強い信頼。


 ふと思う。

 自分は誰かを信じたことがない。

 ユラのように未来の同士を信じて己の身を封印しようとすることも、流音のように剣の前に身を晒して訴えることも、シークには絶対できなかった。したいとも思わない。全くもって理解できない。


 だからこそ「裏切りたくないな」と思った。

 今、流音から寄せられる想いは当たり前のものではない。手軽に得られるものではないのだ。

 シークの心中に大きな変化が生まれていた。それは『進化』ともいえる変わり様だった。


 ――本当に滑稽だねぇ。

 

 自分は騎士だ。子どもたちが憧れてやまない正義の味方である。これ以上無様な姿は晒せない。

 

 ――お嬢さん。それとユラ。二人の悪い見本にはなりたくないかな。


 それに、これ以上お子様に馬鹿にされるのはやっぱり腹が立つ。

 なけなしの根性――自分にそんなものがあるのか定かではないが――を振り絞り、シークは全力で魔剣に抗った。

 今、簡単に命を投げ出すわけにはいかない。諦めるわけにはいかなかった。

 流音はまだシークを一心に見上げている。


「っつ……!」


 肩に負った傷を自らの手で握りしめる。肉を抉る痛みに危うくわずかに残った意識すら飛びかけた。


 そのとき、やけに鮮明な声が脳裏に響いた。


【――ニーニャの守護者よ】




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