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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第九章

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75 降りかかる試練と選択


 流音とユラは薫に導かれ、怪しい建物の中を歩いた。

 魔力を封じる首輪をつけられ、魔術は使えない。以前つけられたものよりも頑丈で、腕力で無理矢理壊すことは難しそうだった。しかも建物のそこかしこに人の気配がして、流音たちの様子を伺っている。逃げられない。


「ここだ」


 案内された場所は座敷牢だった。鉄の錆びたような臭いが充満し、低い呻き声が響き、濃密な闇の気配が滓のように漂っている。

 

「シーク!」

 

 流音は牢の中を見て悲鳴を上げた。

 シークは太い鎖に全身を繋がれ、右手に魔剣アラクレを握りしめていた。目に生気はなく、荒い呼吸を繰り返している。目の前に流音とユラがいることにも気づいていないようだ。

 手と剣の接合部から肩口にかけ、服が裂けて肌が露わになっていた。血管が浮き上がり、皮膚が紫色に変色して痛ましい。流音にも彼が古の闇に浸食されているのが分かった。


「シークに何をしたの!?」


 薫は鼻で笑った。


「俺たちが直接何かをしたわけじゃない。そいつが魔剣の新しい宿主になったんだ。流音にとっては幸か不幸か微妙だろうけどな」


「ど、どういうこと?」


 薫はシークの肩口の傷を指差した。


「あの傷は致命傷だった。もしもアラクレが宿主に選ばなければとっくに死んでる。つまり、この男は魔剣によって生かされてるってこと。先に言っておくけど、お前の力で無理に古の闇を浄化したらショック死する可能性が高いってさ。俺の言葉が信じられないなら、試してみれば?」


「そんな……」


 ニーニャカードは没収されて今は手元にない。しかし首輪さえ外せればキュリスを呼び出すことはできる。

 苦しそうなシークを目の当たりにし、早く痛みを取り除いてあげたいと切に思った。


 ――でも……。


 もしも失敗したら。

 流音は恐ろしい想像に震えた。


「まぁ、時間の問題だけどな。魔剣に取りつかれたら肉体が腐っていってどっちみち死ぬ。少し寿命が延びただけさ。自我だってもうほとんど残ってない」


 薫は言う。

 魔剣アラクレは宿主の体を使い、たくさんの獲物を斬って血をすする。宿主は魔剣に支配され、体を酷使され続けるのだ。やがて宿主の体がぼろぼろになれば、魔剣は次の人間を探して憑依し、前の宿主は朽ちて死ぬだけだ。

 前の宿主――ラムレットの姿は流音も見た。信憑性のある話だった。


「じゃあどうすればいいの? このままじゃシークが――」


「奇跡を起こせるとしたら、それは神の子であるルナだけだ。ルナに服従すればいい。お前たちが天界への出立の手伝いを頑張れば、間に合うかもな」


 それはつまり「古の魔物を七体全て迅速に復活させ、たくさんの人々の魔力と命を奪う手伝いをしろ」ということだ。マジュルナが天界に行って女神に頼めば、シークのことも何とかなるかもしれないという。

 分かっている。

 そんなうまい話はない。シークの命を利用して、流音とユラを仲間に引き入れようとしているに違いない。大体マジュルナ達に協力すればシークだけではなくたくさんの人々が死んでしまう。絶対に協力なんてできない。


「そもそも、何でわたしたちを仲間にしようとするの?」


「ルナが優しいから……と言いたいところだけど、単純にお前たちの力が厄介で希少だからだ。殺すのはいつでもできるんだ。稀有な人材は生かして利用したい。ルナが天界に渡った後の世界がごたつくのは予想できるし」


「分かっていてどうして……」


「分からないことの方が多いさ。だから楽しみだ。この世界がぶっ壊れた後どうなるのか」


 薫の言葉に冗談の響きはなく、流音は歯噛みした。話にならない。






 数日間考える時間をやると言われ、流音とユラは軟禁された。シークのいた座敷牢とは別の部屋で、内側からドアが開くと建物全体に警報が鳴る魔術が施されているらしい。

 流音とユラは同じ部屋に入れられた。最近組織の人間が爆発的に増えていて空き部屋が減った、と薫は鼻で笑っていた。

 離れ離れにされなくて流音は心底安心したが、ユラの様子は心配だった。

 シークの変わり果てた姿を見てから一言も言葉を発せず、俯いて何かを考え込んでいる。

 ドアの前に見張りがいる気配はないが、流音は小声で問いかけた。


「ユラ、大丈夫?」


 ユラはゆっくりと顔を上げる。


「問題はありません。神子から精神攻撃のようなものを受けたようですが、後遺症もなさそうです。しかしまた対面するとどうなるか分かりません。対策が必要です」


「う、うん。それも大切だけど……シークのことは? どうすれば助けられるかな」


 ユラの端正な眉がピクリと動いた。


「……現状、有効な打開策は思いつきません。彼のためにできることは限られます」


 ユラは暗い声で呟いた。


「彼の性格上、魔物に自分の体を支配されるなんて耐えがたいことでしょう。死が避けられないのなら、いっそ……」


 言葉の続きを察し、流音は首を横に振る。


「嫌だ。そんなの絶対にイヤ」


「しかしこのままでは〈魔性の喚き〉に殺戮兵器として利用されるだけです」


「なら……わたしが一か八かでキュリスを呼び出して古の闇を浄化してもらう。魔剣が離れて傷が治れば助かるかもしれないもん」


 失敗すればシークは死んでしまう。

 だけど何もしないまま死を待つより、マジュルナに服従するより、ユラが直接手をかけるよりずっといい。シークが生存できる可能性がある限り、流音は恐怖に耐えて魔法を使う。


「きみがそんな重荷を背負うことはないです。あれはシークが招いた不幸です」


「でもわたしたちのことを助けたから、怪我をして魔剣に乗っ取られちゃったんだよ」


「人民を守るために命を賭けるのは、騎士としては当たり前のことです」


「どうしてそういうこと言うの? まるでシークのこと助けたくないみたいな」


「そんなわけないです」


 即答してから、ユラはバツが悪そうに視線を逸らした。


「俺だってシークに感謝はしています。貸しは作りたくありませんし、できるなら助けたい。ですが物事には優先順位があるんです。感情に振り回されるわけにはいきません」


「優先順位って?」


「俺にとって大切なことは、〈魔性の喚き〉の思惑通りにさせないことと、流音の安全を確保することです。シークのことは二の次にしなければならない。正直、殺して楽にしてやることすら難しいと思います。助けることはもっと難しい」


 ユラは躊躇いがちに流音の肩に手を置いた。


「分かって下さい。この状況では仕方がないんです。俺の言うことを聞いて従って下さい」


 返す言葉が見つからず、しかし頷くこともできず、流音は唇を噛みしめた。


 ユラの気持ちは嬉しいし、ユラの方が辛い思いをしているのは分かる。だけど流音はどうしても彼に友人を見捨ててほしくなかった。


「これからのことですが、選択肢は二つあります。ここから逃げ出すか、〈魔性の喚き〉の仲間になったふりをして情報を収集、あるいは妨害工作をする。どちらがより危険が少ないか、もう少し考えたいと思います。外部に連絡する方法を探すことも――」


 淡々とこれからの計画を話すユラ。

 むくむくと反発心が芽生え、流音やユラから離れて部屋の隅にうずくまった。話すべきことはまだたくさんあったけど、今はもう無理だった。冷静になれない。


 ――今もシークは痛い思いをしてるし、ヴィーたんたちもきっと心配してる……。


 焦りで心臓が爆発しそうだった。

 結局その日はお互いに口数少ないまま、夜を明かした。神子に会ったり、シークの現状を知ったり、思った以上に体も心も疲れていて、もやもやを抱えたままでもいつの間にか眠りに落ちていた。


 




 翌朝、部屋に薫が訪ねてきた。肩に小さくなったデューアンサラトを乗せている。


「流音、遊ぼうぜ」


「遊ばない」


 流音はぷいっとそっぽをむいた。気分は最悪だった。

 しかしそんな流音の様子を見て、薫は楽しそうに笑う。どういう神経をしているのだろう。本当に理解できない。


「つれないこと言うなよ。こんな部屋に閉じこもってても仕方ないだろ?」


「薫くんたちが閉じ込めてるんでしょ」


「だから外に出して散歩させてやるよ。この組織のこと、いろいろと教えてやるからさ」


 ユラが薫の前に立ち塞がった。


「そういう話なら俺が聞きます。ルノンに近づかないで下さい」


「は? 保護者気取り? あんた、自分の立場分かってる?」


 ユラと薫の間に冷たい火花が散った、ように流音には見えた。剣呑な雰囲気にどうすればいいのか分からなくなる。これ以上薫を怒らせたら、またひどいことが起こるかもしれない。


「おっとー、お取込み中失礼。悪いけど、きみたちに抵抗する権利はないよ」


 現われたのはウロトだった。

 空気をあえて読んでいないのか、間の抜けた口調で言う。


「小さなお嬢ちゃんはカオルとお散歩、闇巣食いのお兄さんは僕とディスカッションね。西の大陸の魔術のこと、ご教示願いたい」


 ウロトが何かを呟いて指をぱちんと鳴らすと、ユラの首輪に電気が走った。ユラは小さく声を上げて蹲る。


「ユラ!」


「大丈夫。ちょっと痺れちゃっただけだから。言うこと聞かないと、もっと強いのお見舞いするよ?」


「ウロトさん、ナイス」


 ユラに駆け寄ろうとした流音だったが、薫に強引に部屋の外に連れ出された。

 


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