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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第九章

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72 悔いなき一撃


 闇の粒子を纏った剣閃が音よりも早く瞬く。

 魔剣アラクレに乗っ取られたラムレットの動きは凄まじかった。百戦錬磨の騎士たちが悲鳴を上げる間もなく地に伏していく。


 シークは剣を引き抜き、鞘を放り投げる。そして肺一杯に空気を吸い込み、思い切り地を蹴った。ラムレットの首筋を狙い、彼の懐に飛び込む。

 体が動くまま全力。一切の躊躇なく、最初から殺すつもりで。


 剣と剣との接触が黒い火花を生んだ。


 渾身の一撃を軽々と受け止められても、シークは口元に笑みを絶やさない。互いを弾く反動を利用して間合いを開ける。

 この反射神経はラムレットのものか、はたまた魔剣アラクレが引き出したものか。どちらにせよ、一度の打ち合いでシークは実力差を把握した。


 ――やっばいなぁ。でも最高。


 グライよりもゼモンよりも強い。剣技はもちろん、魔力量が圧倒的だ。

 それでもシークは再び前に足を踏み出す。ラムレットも剣を向けてきた。


 唯一勝機があるとすれば、ラムレットの肉体が消耗している点だ。魔剣の魔力に浸食され、腕の肉が腐りかけている。激しい動きを続ければいずれ崩壊するに違いない。

 彼の頬は痩せこけ、瞳に生気はない。魔剣に憑依されてどれくらい経つのか知る由もないが、もう自我は残っていなさそうだ。血を求めて淡々と剣を振りかざすだけの人形に成り果てている。


「ははっ!」


 ラムレットの無表情に誰かの面影が重なり、シークはよりいっそう高揚した。

 次々と剣撃を繰り出すと、金属音が間を置かずに響く。一拍でも遅れたら命はない。

 シークは今にも腕が吹き飛ばされそうだが、ラムレットにはまだ余力があった。打ち合う度に攻撃が鋭さを増していく。


 シークは夢中で剣を振るった。楽しい。じりじりと自分の命の終わりが近づいているのが分かる。


 別に死にたいわけではない。

 だけど、退屈するくらいなら生きていても仕方がない。

 いつかの未来で「あのときに好き勝手やっておけばよかった」と後悔するのは御免だ。


 ――そう言えば、ユラは今の時代で救われないなら未来に行くんだっけ。

 

 激戦の最中、シークの脳裏に学院時代の思い出が甦った。これも一種の走馬灯だろうかと思うと余計に笑えてくる。






 シークはサイカ王国でも指折りの有力貴族の三男として生を受けた。

 三人目の男子ともなれば両親も慣れたもので、何もかもがすでに用意されていたし、望めば何でも手に入った。

 父の後は長男が継ぐ。次男はその補佐をする。手は足りていた。よってシークは貴族としての責務を強く課されることはなく、比較的のびのびと育てられた。

 ティヴソン家は王室からの信頼が厚く、代々受け継いできた領土内は平穏そのもので、領民からも慕われていた。他の貴族との軋轢も特にない。

 日々はつつがなく過ぎていく。

 しかし豊かで平穏が約束された暮らしなど、シークにとっては何の面白味もなかった。恵まれている自覚はあったが、圧倒的に何かが足りない。このままつまらない人間に染まってしまうような気がして漠然とした焦りに苛まれた。



 十三歳で家を出て、王都の魔術学院に入学した。レジェンディア同盟国内で最も権威のある学院であり、将来有望な若者が集う。その中でも十三歳での入学はかなり早い部類である。

 元々ティヴソン家は何をやっても優秀な血筋だった。学芸も武術も魔術もある程度のレベルまではすぐに到達できる。シークは必死に勉学に励むこともなく、持ち前の才能だけで入学まで漕ぎつけた。

 魔術の深淵に興味などない。とにかく親元を離れてみたかった。いろいろな人間を見たかった。


 そしてシークはユランザ・ファウストと出会った。


 闇巣食いの入学はこれまで例のないことだった。それもその年度では最年少の十歳での入学。嫌でも目に留まる。

 誰もが彼を避けた。貴族の子息令嬢の中には学院に抗議する者もいた。神聖なる学び舎に汚らわしい闇の申し子がいるは耐えられない。チェシャナ・マーチの論文が確かだとしても、闇巣食いが急激に進行し、他の者に感染しないとも限らないではないか。


 しかし学院側は、一度入学を認めた者を追い出すことはしなかった。サイカの先代王が闇巣食いを社会に受け入れることで生じる損益を冷静に分析したがっていた、といういきさつもある。


 学院の措置に納得のいかない生徒の中には過激な行動に出る者もいて、ユラを直接的な方法で排除しようとした。ようするにいじめだ。まぁ、ことごとく彼のでたらめな魔術と使い魔に返り討ちに遭っていたが。


 シークはしばらくユラを観察し、興味を持った。

 過酷な生い立ち、圧倒的な魔術の才能、子どもらしくない淡泊な態度。

 そのどれもが今まで出会った人物とは一線を画すものだった。最高に面白い。


「こんなところで一人で寂しくない?」


 校舎裏の日陰でパンをかじっていたユラにシークは声をかけた。


「寂しいという感情はよく分かりませんが、俺は一人ではありません。一人と一匹です」


 使い魔のレアドラゴンがユラの肩にだらんと乗っかり、寝息を立てていた。


「俺に何か用ですか?」


「用ってほどじゃないけど。闇巣食いとは話したことがなかったから、ちょっと興味があっただけ」


「そうですか。暇なんですね。羨ましいです」


 一瞬嫌味かと勘繰ったが、素直な感想らしい。苛立ったものの、当時のシークは年齢も社会的身分も下の子どもをいじめる趣味はなかった。


「きみは忙しいんだ?」


「はい。俺の魔術の基礎はほぼ独学です。文字の読み書きも不自由です。学院の授業についていくには、相応の努力が必要です」


 ユラの膝の上でテキストを開いていた。入学してまだ間もないのに、紙が変色してボロボロになっていた。どういう経緯でこんな有様になったのかは、説明されなくても分かる。

 

「僕よりも暇人がいるみたいだねぇ。買い換えないの?」


「かろうじて読めます。必要を感じません。それに、また同じことになったら最悪です」


 ユラの言葉には全く感情がこもっていなかった。さしてダメージを受けている風でもない。

 

「怒ってないんだ? 悔しくない?」


「腹を立てるだけ時間の無駄です。金も時間も労力も浪費したくありません」


「はは、ケチだねぇ。そんなんじゃ女の子にモテないんじゃない?」


「そうですね。モテません。興味ないです。それより、用がないのならどこかへ行ってくれませんか。邪魔です」


 言いながらすでにテキストに視線を落とし、パンの咀嚼を始めるユラ。

 さすがにカチンときた。ビビらせてやろうと貴族だと名乗ってみるが、ユラは「は? だから?」と言わんばかりの態度だった。


 それからシークは事あるごとにユラを構い倒した。闇巣食いのくせに生意気だ。同情する気も失せる。

 同時に妙な心地よさも感じた。同じ学び舎の同じ教室にいても、ユラはまるで違う世界の住人のように遠い。感情も感性も異なった別の生き物に遭遇したようで新鮮だった。

 退屈な日々が壊れて、視界が広がった気がしていた。


 だから、ユラから魔術の研究に没頭する理由を聞いたときは愕然とした。


「俺はこのままこの時代で生きていても、意味がありません。闇巣食いを治す、あるいは自分を封印して未来へ行く。そのために画期的な封印魔術を開発したいです」


 この時代で救われなければ自分を封印するなんて、思いもよらない言葉だった。

 まるで今がガラクタだと言われたような気分だった。

 いや、はっきりとそう言った。

 ユラは早々にこの世界に見切りをつけ、本当に遠い世界の住人になろうとしている。シークがそれなりに楽しんでいた日々は、彼にとって何の価値もないものだった。


 気づいたときには、シークはユラが卒論用に記録していた実験ノートを焼き捨てていた。

 ユラがどんな反応をするか確かめたかった。

 結果、ユラは初めて激昂し、魔術による決闘が行われた。

 お互いに手加減はしなかった。三年近くそばにいて、友人のような関係を気づいていたにもかかわらず、親の仇のように憎しみ合った。


 しかしあのときほど、高揚した出来事はない。

 生きるか死ぬかぎりぎりの命のやり取りの味を知り、シークは卒業後の進路をレジェンディア騎士団へ定めた。騎士を嫌うユラへのあてつけの意味もあった。


 一方で、シークは生まれて初めて自分に失望した。

 ひどくつまらないことに囚われていた。年下の闇巣食いの他愛のない妄言に苛立って、幼稚なことをしてしまった。入学当初にユラをいじめていた有象無象と同類にはなりたくないのに。


 何かに固執するのは疲れる。

 シークは自然とユラのことを忘れ、騎士団での任務に没頭していった。それでも命の危機に瀕する度に、「全然足りない」と渇きを覚えて鬱陶しかった。


 そんな中、流音と出会った。

 あのユラが大切にしている転空者の少女。

 衝動的に傷つけたくなったが、また自分に失望するのは嫌だ。


 それに、単純にユラと流音を眺めているのは愉快だった。

 二人ともお互いを大切に想っているのに、決して一緒にいる未来を選ぼうとしない。

 じれったいけど、どうなるのか楽しみでもあった。

 ユラはいつ自分の本心に気づくだろう。そして、流音の秘めた想い(周囲にはバレバレだが)を知ったらどうするのか。

 シークにとって流音の恋は良い余興だ。彼女の場合、たまに背中を押したり、諭したり、そうやってからかった方が面白い。よく怒って、すぐに泣くから。憂さ晴らしにはちょうどいい。






 ――まぁ、それすらもうどうでもいいや。


 ラムレットとの戦いは、かつてのユラとの決闘を超えるものだった。これ以上の瞬間は二度と訪れない。

 満足に呼吸をする間もなく動き続け、脳がくらくらした。一瞬が永遠のような長さに感じるのに、瞬きの後には自分が死んでしまうかもしれない。そう思うとゾクゾクする。


 体中の感覚が研ぎ澄まされ、周囲のことがいつもよりずっと鮮明に見えた。

 魔剣の次の動き、ラムレットの足運び、負傷者が運ばれていく様子、そして、空を横切る一匹のコウモリ。


 ザーザンが操るコウモリは、忍ぶようにユラと流音の元へ向かっていった。おそらく自分以外の誰も気づいていない。このままでは最終防衛ラインにいる騎士の誰かが操られ、術者に襲い掛かるだろう。


 ――ごめんね、お嬢さん。構ってられないよ。


 ラムレットと魔剣アラクレとの戦いに夢中だった。それ以上に大切なことなんて今のシークにはない。当初の予定通り己の享楽を優先させてもらう。

 コウモリのことは見なかったことにして、ラムレットの懐に深く踏み込もうとした瞬間、シークの脳裏に忌々しい幻影がよぎった。


『信じていたのに』


 ノートを燃やしたのがシークだと知ったとき、ユラがぽつりと呟いた言葉。


『信じてるから』


 つい先ほど、流音が念を押すように口にした言葉。

 この一歩を踏み出すことで失うものを思い知り、シークは戦慄した。


 ――くそ! あり得ない!


 判断は一瞬だった。シークは踏み込むのを止め、ラムレットにぶち当てるつもりで剣に込めていた魔力を、明後日の方向へ飛ばした。

 空にコウモリの断末魔が響くと同時に、熱の塊が肩に突き刺さった。数拍遅れてアラクレが歓喜の声を上げる。


 ――僕、馬鹿すぎない?


 自分でもなぜこのような行動をとったのか分からない。こんな終わり方は望んでいなかったはず。

 でも、不思議と後悔はしていなかった。これは好き勝手にやった結果だ。

 

「あああああああっ!」


 シークは最後の力を振り絞り、片手でアラクレの刃を握りしめ、もう片方の手で剣を横に薙いだ。

 ラムレットは腕を切り裂かれ、後ろに崩れる。シークはアラクレに貫かれたまま、地に膝をつく。大量の血が流れていき、おびただしい闇の気配に意識が一気に塗りつぶされた。


 

 


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