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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第九章

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71 戦乱の中で

 毒花グラビュリアにぎりぎりまで近づき、流音とユラは向かい合って手の平を合わせる。

 周囲一帯には無属性の魔沃石などが配置されていた。魔力を反響させ、増幅させるための供物である。さらに、二人と供物から一定に離れた場所に騎士や魔術師が控え、封印の儀式を見守っていた。


 今日のユラの手は冷たくない。いや、流音の手が緊張で冷え、同じ温度になっていた。


「大丈夫です」


 ユラが緊張をほぐすように流音の手を優しく握りしめた。


「ルノン、周りで何が起こっても集中を乱さないで下さい。みんなが守ってくれます。俺たちは術を成功させることだけを考えましょう」


「……うん」


 心臓の鼓動は高鳴るばかりだったけど、流音の胸の不安はどこかへ行ってしまった。離れ離れを経験したせいか、ユラと触れ合っているだけでとても心強く感じる。

 頷き合った後、ユラが深く息を吸い込み、目を閉じた。続いて流音も目を瞑る。


「では、始めます」


 ユラが生み出す球形の術式。

 おびただしい数の文字と複雑な紋章が絡み合い、一つの解を目指して弧を描いていく。


 流音には何一つ理解できないものの、感覚を埋め尽くしていく世界は美しかった。

 ユラの描いていく線を追い、流音の魔力で色を付ける。丁寧にしっかりと、コップからコップへ水を移し替えるように魔力を傾けていく。


 額から汗が滑り落ちた。


「っ!」


 遠くから濃密な闇の気配が近づいてくる。毒花のものではない。

 たまらず目を開けると、空の果てに黒い影が見えた。


 黒竜デューアンサラト、凶獣メリッサブル、悪魔皇帝ザーザン。


 三体の登場で空気が一気に淀み、肌が粟立った。

 それぞれの恐ろしさを知っている流音は竦み上がったものの、よろめく体をユラの手が引き寄せた。


 ――怖くないっ! 大丈夫!


 流音は歯を食いしばり、魔力注入に意識を集中させた。


        ************


 薫はデューアンサラトの背から地上を見下ろし、ため息を吐いた。

 毒花グラビュリアの再封印を妨害しにきたはいいが、騎士、兵士、魔術師などなど千を越える精鋭の気配に辟易とした。メリッサブルがある程度命令を聞くようになり、新たにザーザンを仲間に加えた今、負ける要素も敵への恐れもこれっぽっちもない。この数の人間を殲滅するのがただただ面倒だった。


「……行ってこい」


 メリッサブルとザーザンが、地上に向かって急降下した。デューアンサラトが出番をねだるように一声鳴いたが、薫はそっと背中を撫でて宥めた。聞き分けてくれたらしく、黒竜は地上からの魔術攻撃を避けられる距離の宙に静止した。


「良い子だ。お前は十分働いたから少し休みな」


 最近は他の大陸から北の大陸への進軍も止み、海上警備を他の仲間に任せられるようになったものの、〈魔性の喚き〉の主戦力である古の魔物をあまり一点に集中させたくない。封印の儀式をさっさとぶち壊し、マジュルナの元に帰還する。

 とはいえ薫にとってこの戦いに何の楽しみもないというわけでもない。


 ――さぁ、流音はどこにいる?


 古の魔物の一撃であっけなく死なれては面白くない。むしろ死なれては困るのだ。

 目の前で屈服させ、泣かせたい。この前メーリンで見た流音の泣き顔は最高だった。


「ああ、そうだ。あんたは行っても良いぜ。そろそろ血に飢えているだろ?」


 薫はドラゴンの背にいるもう一つの人影に話しかけた。返事はなかった。


        ************


 伝説の怪物の登場に騎士たちがざわめいたのは数秒だった。

 メリッサブルとザーザンの接近に緊張が高まり、誰もが息を飲んだ。


「第一部隊、天盾陣を展開! 第二、第三部隊は剣を掲げよ! 七つ星と宝剣の下、術者を守護せよ!」


 グライの鋭い声とともに最前線の騎士たちが結界を張った。短時間ながら強力な威力を持つ最新の術式である。特筆すべきは、内側からの攻撃なら結界を突き抜ける点だろう。


【我が剣に激烈なる風の先導を!】


 騎士たちの剣から色とりどりの魔術が放たれていく。古の魔物たちは結界に阻まれ、狙い撃ちされている。

 凶獣メリッサブルは騎士たちの決死の攻撃を鬱陶しそうに振り払っていた。まるで自身にまとわりついた小虫に苛立っているかのようだ。

 一方、悪魔皇帝ザーザンは攻撃をその身に受けても微動だにせず、地上を見下ろす。獲物を物色しているように見える。


 ――あんまり効いてないみたいだねぇ。これは結界が破られるのも時間の問題かな。


 シークを含むレイア隊は攻撃部隊から離れた場所――術者を守る最終防衛ラインの中にいた。

 流音とユラからは莫大な魔力が迸っている。同じ波動の魔力が重なり、増長し、複雑な術式が構築されていく。十代としてはあり得ない魔力量だが、まだ人間の範囲内である。賞賛すべきなのは二人の集中力だろう。


 ――ユラはともかく、お嬢さんは立派だねぇ。大したものだよ。


 この状況で心を務めて落ち着かせ、魔力の注入に意識を没頭させている。怖いだろうに、逃げ出す素振りは少しも見せない。

 まだ幼い転空者の少女の奮闘に、騎士も兵士も魔術師も感服していた。隣の騎士などは「絶対に守るぞ」とばかりに拳を握りしめている。


 ここにいる者はみんな命懸けだ。

 国のため、王のため、民のため。

 家族、友人、恋人、あるいは自分自身のため。

 毒花を封印して他の古の魔物を追い返す。可能ならば討伐する。

 悪しき侵略者から世界を守る。

 彼らの瞳には熱い決意の光が宿っていた。もしも結界が突破されたら、迷うことなくその身を以て術者の盾になるつもりだろう。


 ――棒立ちで殺されるなんて僕はごめんだけど。


 シークは周りとの温度差に苦笑する。

 攻撃が自分に向かってきたら、高確率で自分は避けるだろう。例え後ろに流音やユラがいて、今まさに同盟国全土の命運がかかった魔術が展開されているとしてもだ。

 戦場から逃げるつもりはない。しかしどうせ死ぬなら特攻して一撃を与えたい。真っ向から力をぶつけ合いたい。


『お前はいざというとき人を守ることよりも、己の享楽を優先するだろう。恐怖がないのは結構だが、命の賭けどころを間違うのなら騎士としては失格だ』


 先日、モノリスの英雄ゼモンと剣で試合をした後、そう咎められた。


 ――失格で結構だよ。自分の命は自分の楽しみのためにとってあるんだから。


 ぎりぎりの命のやり取りは最高だ。血が踊り、体温が上がり、神経が焼き切れそうになる。そうして敵を討ち取った瞬間の爽快感は言葉では言い表せない。

 シークは他の騎士とは違い、信念も野望もなく、ただ戦いを楽しむために騎士団に入った。


 さて、今回の戦いでは楽しめるだろうか。

 誰もが険しい表情をしている中、シークは上空の魔物を見て頬を緩めた。

 できればデューアンサラトやメリッサブルのような魔獣よりも、人型のザーザンと戦ってみたい。

 先のメリメロスの一件では意識がなくて見逃したが、ザーザンとグライ、ゼモンの戦いは圧巻だったらしい。後で話を聞いて羨ましくてたまらなかった。


 こっちに来い、というシークの念が届いたのか、ザーザンがその剛腕で槍を垂直に振り下ろした。凄まじい魔力の圧により、結界が大きくブレ、一部に穴が開く。

 黒一色の皇帝がゆっくりと結界内に降り立ち、マントを翻した。黒いコウモリの群れが発生する。続いてメリッサブルも穴から結界に入ろうと飛んできた。


「てめぇの好きにさせるかよ!」


「我輩がお相手しよう!」


 その声とともに金色の光が弾けた。

 不思議な王冠を被った少年――アシュレイド王子がザーザンの前に立ちはだかる。その両脇には剣を構えたゼモンとグライの姿もある。上空では、突如現れた巨大な獅子がメリッサブルに体当たりして結界への侵入を防いでいた。


「れ、レグちゃん! 頑張ってなの……っ!」


 スピカの上ずった声援を受け、獅子がにやりと笑った。そして猛然と黒い獣に突進していく。

 アシュレイド王子もスピカも流音の不思議な魔法の影響を受け、規格外の能力を発揮している。


 ――残念。僕の付け入る隙はなさそうだ。


 ザーザンと使い魔のコウモリを、アシュレイド王子とグライとゼモンたちが迎え撃つ。

 メリッサブルにはスピカの使役するレグが当たり、遠距離攻撃を得意とする魔術師たちが援護射撃をする。

 騎士たちは結界の修復を行い、上空に残る黒竜への警戒を強めた。ユラの使い魔のヴィヴィタも元の姿に戻り、上空を睨み付けている。


 戦いは拮抗しつつあった。

 グラビュリアの封印にはもう少し時間がかかるだろう。封印が終わっても敵が帰投するとは限らないが、味方の士気は上がる。もしかしたら他の魔物も討ち取れるかもしれない。


 つまらないなぁ、とシークが嘆息した瞬間だった。

 黒竜の背から一つの影が飛び降りた。


 ――あれは、人間?


 長い黒髪の少年が、手にした大剣を思い切り振り下ろした。

 切っ先が触れた瞬間、結界が綺麗に真っ二つに割れる。濃厚な闇の一撃により土煙が上がった。


 かなりの高さから落ちたにもかかわらず、少年は静かに着地する。そして彼は息つく暇もなく動揺した騎士たちの間を駆け抜けた。

 一閃。

 目にも止まらぬ少年の剣圧で騎士たちの体が宙を舞う。

 直後、血の雨が降った。


「っく!」


 金属が擦れるような不快な音が響いた。それは血の匂いに対する魔物の歓喜の叫びである。

 シークは顔をしかめつつも、胸の高鳴りを感じた。

 血に狂乱したのは現れた少年ではない。彼が手にする黒く禍々しい大剣だった。


 魔剣アラクレ。


 南の大陸サウバードに封印されているはずの古の魔物。

 選んだ猛者の生気を吸い取り、周囲一帯の生物を狩り尽くす呪われた剣だ。


 ――てことは、彼は南の大陸に現れたっていう千年に一人の勇者様かな?


 シークはぼんやりと報告書を思い出す。勇者の名はラムレット。髪の色や年齢など、見た目の特徴は酷似している。どうやら封印を守っていた勇者が魔剣に憑依され、敵方に取り込まれたらしい。


 ――そんなことは、どうでもいいか……。


 騎士団の仲間が――と言っても顔も名前も覚えてないが――次々と血祭りにあげられている。戦列が乱れ、騎士たちは恐慌状態に陥りかけていた。


「ここは、黙って見過ごしちゃダメだよねぇ」


 持ち場を離れる言い訳を済ませ、シークは剣の柄に手をかけた。



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