67 ユラの罪
メリメロスで起こった歴史的事件から一週間が経った。
ユラは流音たちとともにモノリスに帰ってきた。城に賓客として招かれ、怪我の治療などを受けて療養している。
ユラの処刑は取りやめになった。というよりもモノリス王ガーヴェイの失脚により冤罪の証拠が次々と出てきたため、晴れて無罪放免である。
ガーヴェイはすぐに息を引き取った。それと同時に、彼の腹心たちは憑き物が落ちたように正気に戻り、これまでの悪行を洗いざらい白状した。
ゼモンやイティアの証言通りだった。ガーヴェイは偽りだらけの大義を掲げてクーデターを実行し、ロッカ帝国と通じて同盟国に対する様々な裏切り行為をしていたらしい。
十年前のクーデターの真実は、すでに民に流布している。
なにせ多くの人々が、ガーヴェイが悪魔皇帝ザーザンを吐き出す姿を目撃したのだ。十年にもわたり古の魔物に一国の王が操られていたという事実は同盟国全土を震撼させたが、新たに現れた正統の王を盛り立てることで何とか平静を取り戻しつつあった。
アッシュ――アシュレイド王子の存在は今や民衆の希望となっている。
旅芸人の奴隷から亡き父の汚名をそそいで王へ。しかもモノリス建国神話を再現し、女神の祝福を受けた少年。
この劇的なサクセスストーリーは、民衆の好奇心を強く刺激した。みんな彼に夢中である。
これで光救いの聖女として名を広めはじめた流音と友人関係だと知られたら、ますます人々の注目を引きそうだ。幸いそれはまだバレていない。
暗い話題しかなかった昨今、アシュレイド王子の話は久しぶりの嬉しいニュースである。人々が浮かれるのも無理はない。
しかしユラは冷静だった。
大きな目で見れば、事態はより深刻な方に向かっている。
未だに毒花は封印されていないし、悪魔皇帝を取り逃がしてしまった。今頃〈魔性の喚き〉の手に堕ちている可能性が高い。
そしてユラも諸々の騒動の間に地属性の魔術を失ってしまった。
――気に入りません。
今回、ユラと流音は囮として使われた。レジェンディア騎士団の内部にいる〈魔性の喚き〉のスパイを炙り出すため、二人を引き離して様子を見たようだ。
敵組織の幹部とみられるあの少年――薫は流音にひどく執着している。彼女の守りが手薄になれば接触を試みるだろうし、その行方を掴もうとスパイが動く。
グライ・ストラウスは一部の信頼する部下――レイア・マルケスなどにスパイの動向を探らせていた。例えばシークが流した情報に踊らされ、怪しげな動きを見せた者を処断するなどといった方法で。
おかげで騎士団は内部の腐敗を一掃できた。ついでにガーヴェイに与する帝国側のスパイまで釣れたらしい。
しかしユラと流音はかなり損な役回りをさせられた。
グライ曰く、処刑される寸前に上手く中断させるつもりだったらしいが、ユラは公衆の面前で何度も鞭を打たれた。流音も攫われる寸前だったし、心労が重なって一週間経った今も高熱にうなされている。
「よくも騙してくれましたね」
全てを知ったユラは、城の廊下で出会い頭にシークに殴りかかったが、躱されてしまった。まだ全快していないことを差し引いても、やはり現役の騎士の反射神経には敵わないようだ。口惜しい。
「そんなに怒るなよ。らしくない。いろいろと誤算もあったけど、結果的には何とかなったでしょ」
「ルノンに何かあったらどうするつもりだったんです?」
「十中八九殺されないと踏んでの計画だったさ。あの子はそこまで馬鹿じゃないから御しやすい。幸運にも恵まれている。どちらかと言えば、ユラの方が間抜けで不運だったよねぇ」
反論できないのが悔しかった。
嘲笑を浮かべたまま、シークが慰めるようにユラの肩を叩いた。
「まぁでも、褒めてあげるよ。やっぱりユラは追い詰められると本領を発揮するタイプだねぇ。何あの魔術の威力。高等術式の構築スピードなら大陸でも十本の指に入ると思うよ。いやぁすごいすごい」
「きみに誉められても全く嬉しくありません」
手を振り払うと、シークはけらけらと笑った。
「あぁ、そう。可愛くないなぁ。とにかくユラの価値は証明された。近々、学会の全面協力の下で封印の実験をするんだって? ゆっくりできるのは今だけだし、僕に喧嘩を売る暇があったらお嬢さんのところにいてあげなよ」
言われるまでもない。これから流音の食事を取りに行くところだ。
シークと話していても鬱屈が溜まる一方だ。ユラは彼を睨み付け、早足でその場を後にした。
城の厨房で病人食を受け取って部屋に戻る途中、中庭で奇妙な魔力の動きを感じた。
力の出所を確認に行くと、庭の木の陰に小さなライオンがのんびり寝そべっていた。
「げ。見つかったか」
「こ、こんにちはなの」
木陰にはアッシュとスピカの姿もあった。二人の挙動はものすごく怪しい。
「何をしているんです?」
彼は怒気を剥き出しにして拳を振り上げた。
「息抜きだ! やること多すぎて死ぬ! まだ読み書きすらまともにできねぇのに次々小難しい書類持ってきやがって! 人事だの即位式だの面倒くせぇ! 分かるか! あと食事くらい好きに食わせろ! マナーなんて二の次でいいじゃねぇか! 今は宝玉を造る練習を優先的にさせろ!」
彼は苛立ったままハンバーガーを貪った。包み紙から推測するに、王都でスピカが買ってきてもらったのだろう。城の食事は彼の口に合わないのかもしれない。
「……ていう愚痴をスピカに聞いてもらってたんだよ。格好悪いだろ、笑え」
「笑えません。大変そうですね。頑張って下さい」
心がこもってねぇ、とアッシュは半眼になった。あの日からまだ一週間しか経っていないのに、少し痩せた気がする。
彼を取り巻く環境は激変した。決めることも覚えることも山のようにあるだろう。城内の雰囲気は昼夜問わず慌ただしい。
やる気があって志が高い分、今のアッシュはできないことの多さに辟易としているのかもしれない。
しかし、彼には多くの味方がいる。ユラは城壁の陰に視線を向けた。
ケテル一座の面々が城仕えに戻り、いろいろとフォローしていると聞いた。この息抜きも黙認されているらしい。本人は気づいていないようだが。
とにかくストレスをため込まず、発散しているようなのでしばらく心配はいらないだろう。
「はぁ、そろそろ戻るか……スピカ、ありがとな。ちょっと気が楽になった」
「ううん。あ、アッシュくん、あの、ウチに手伝えることがあったら、また言ってほしいの。何でも力になるの」
「ああ。頼りにしてるぜ。だからもう敬語使ったり、変な遠慮はすんなよな!」
アッシュが屈託なく笑うと、スピカの頬がぽっと赤く染まった。ライオンがのっそりと顔を上げ、「罪である」と小さく呟く。
「そうだ、ユランザさん。オレが無属性の宝玉を造れるようになったら、すぐ実験だろ? この分なら、あと一週間くらいしたらできると思う」
「そうですか。それは凄まじい才能です」
今の今まで自属性の魔力操作すらまともに訓練してこなかった人間が、たった一週間で無属性の魔沃石を精製するなんてあり得ないことだ。これがモノリス王家の血を引く者の力なのだろうか。
「いや、自力では無理なんだけどな。あの王冠を載せてると、すげー簡単に魔力を操れるんだよ。本当、何なんだろうな、あのカード」
それはユラもぜひ知りたい謎である。
キュリスとスピカに続き、アッシュまでニーニャカードに選ばれて力を得た。
戦力が増えるのは心強いが、少々面白くない。どのような基準で選ばれているのか。どうして流音の一番そばにいる自分は力に目覚めないのだろう。歯がゆい。
「もう少しだけ待っててくれ。それまではルノンのそばを離れんなよ」
シークに続き、王子にまで言われてしまった。今度は素直に頷き、ユラは食事のトレイを持って部屋に向かった。
流音とユラは同じ部屋を与えられていた。王城というだけあって寝泊まりできる部屋も数えきれないくらいあるのだが、あえての同室である。
『ユラ、もう離れたくない……いなくならないで』
流音が意識を失う前の言葉を受けて、アッシュが気を回した。彼女の目覚めたときに安心できるように、極力そばにいろとのことだ。
この一週間、流音はたまに目を覚ますものの、ほとんどの時間を眠って過ごしている。
ちなみに見張りを頼んだヴィヴィタはユラのベッドですやすやと寝ている。一週間つきっきりなので無理もない。ユラは小さくため息をこぼした。
ベッドサイドの椅子に腰かけ、流音の寝顔をまじまじと眺める。
――見ていて飽きません。不思議です。
意識が朦朧とした状態での「もう離れたくない」の一言は強烈だった。誰かに必要とされるのは心地いい。その優越感と充足感は凄まじいものだった。
チェシャナが魔術学会に訴えかけたことで、近々同盟国中の高名な魔術師たちを招き、魔術球による封印実験が行われることとなった。一度お披露目して、改善点や問題点などを議論するのだ。
術式そのものは完成しており、今は流音の回復とアッシュの宝玉の精製を待っている段階なのだが、まだ準備できることはある。
しかし今は流音のそばにいたい。離れたくないのはユラも同じだった。
ユラは恐る恐る手を伸ばし、薄紅に染まった頬にそっと触れた。まだ熱は下がっていないようだ。
「……ん」
流音が身じろぎしてゆっくりと目を開けた。
「起こしてしまいましたね。すみません」
流音は何か喋ろうとして、こほんこほんと咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」
小さな体を支えて起き上がるのを手伝ってやると、流音は喉元を押さえた。その顔は苦しげに歪んでいる。
「もしかして、喉が痛くて声が出ないんですか?」
こくこくと涙目で頷く流音に水を差し出す。水を嚥下するのも辛いのか、少ししかコップの水量は減らない。
どうやら流音は体力の低下に伴い、のどの風邪を引いてしまったらしい。
流音の辛そうな様子に、ユラは柄にもなく狼狽えた。城の医師を呼びに行くという簡単な発想が頭から抜けてしまうほどに。
「あ、ああ、そうです。食事をもらってきていて……これなら」
主食はリゾットだが、デザートもつけてもらっていた。すりおろした鈴リンゴに蜂蜜をあえたもので、消化にも喉にも優しいはずだ。
ユラがリンゴをスプーンで少しすくって差し出すと、流音は硬直した。視線だけはおろおろと落ち着きなく泳ぐ。
「ルノン、動くのも億劫でしょう? 食べさせてあげます」
「っ!」
流音が声にならない悲鳴を上げた、ように見えた。小さな手が宙を彷徨う。何を訴えているのだろう。ユラには分からない。
ユラが黙って顔にスプーンと近づけると、観念したのか流音は口を小さく開ける。ユラは甲斐甲斐しくスプーンを運んでいく。
「美味しいですか?」
嬉しそうに小さく頷く流音。ユラも安堵で肩の力が抜けた。
――ああ、やっぱり可愛いです。小動物のようです。
ほんの数日別れただけで、ユラの中の流音に対する庇護欲は倍増していた。ものすごく愛でたい。
流音はちょっと離れた隙に聖女やメイドになってしまう子だ。おまけに風邪まで引いている。いろいろな意味で目が離せないな、とユラは改めて思った。
流音からすれば、ユラはちょっと離れている間に処刑されそうになった男なのだが、自分のことには考えが及ばなかった。
デザートを食べ終えると、礼なのか流音はぺこりと頭を下げた。思わず頭を撫でまわしたくなったが、嫌がられたらショックなのでこらえた。
「あ、薬……というか医者を呼んできましょう。すみません。待っていてください」
ユラが立ち上がると、流音が服の裾を掴んだ。
熱で潤んだ瞳に見つめられ、ユラはどぎまぎした。勘違いでなければ「行かないで」と目が言っている。
「すぐに戻りますから」
しょんぼりして手を離す流音に、ユラは心が思うままに告げた。
「許してください。俺は早くきみの可愛い声が聞きたいんです」
その瞬間、流音は枕に突っ伏した。耳まで真っ赤で、苦しそうに胸を押さえて悶えている。
「ルノン!?」
ユラは慌てて医者を呼びに走ったのだった。




