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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第八章

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64 灰になるまで

 めまぐるしく変わる状況の中、いきなり自分がモノリスの王子だと宣言され、アッシュはまず呆れた。


 ――親父……ついにボケたのか?


 そんな馬鹿な即興劇でこの場を切り抜けられるのだろうか。乗るべきかどうか一瞬迷ったが、王子の演技など無理だと諦めた。


 いや、そもそもゼモン――今の今まで座長の名前など知らなかった――は冗談やブラフをいう人間ではない。

 黒鉄のゼモンの名はアッシュでも聞いたことがある。四十年前、闇巣食いによる腐乱の魔術のテロ攻撃を、魔力を込めた剣一本で食い止めた兵士だ。

 確かに彼の剣技は旅芸人のそれを逸脱している。若い頃何をやっていたのだろうとずっと気になっていたが、教えてもらえなかったのだ。死んだはずの英雄ならば隠していたのも納得である。


 ――親父は本当に英雄なのか? なら、オレも? 


 十年前のモノリスのクーデターが原因で、直系王族は全て死んだ。前国王が後宮に火をつけたのだ。王妃も側室も王子も王女も全ての死亡が確認されているはず。

 兵団長を引退して後進の指導に当たっていたゼモンもその場に居合わせ、反乱勢の説得に応じず討ち取られたということになっている。

 戦場と化した王城で、幼い王子が逃げ延びられるものだろうか。まだ三歳くらいだ。アッシュは何も覚えていない。


 その場にいる全員の疑問に答えるように、ゼモンは語った。


 あのクーデターの日、ゼモンは部下の裏切りにより背中から斬られ、意識を取り戻したときには後宮は激しく炎上していた。命からがら王領地を抜け、山手に逃げ込んだ。そこで血まみれの近衛兵と出会ったという。


「彼は死に際に言った。『王妃様の命令でアシュレイド殿下とともに隠し通路から逃げたが、山賊に襲われて攫われてしまった。どうか王子を助けてほしい。彼はモノリスの最後の希望だ』と。儂は反乱勢に追い出された仲間と合流して行方を追い、三年前、オウマの辺境でアシュレイド様を見つけた」


 モノリス王が勝ち誇った笑みを浮かべる。


「馬鹿め! その汚らしい奴隷の子どもがアシュレイド殿下だと!? 何も証拠はないではないか。誰がそんな戯言を信じるのだ!」


「この金色の眼差しと白黒の髪色を見て、何も感じぬのか。国王陛下に生き写しだろう」


 側近の男性は唸ったが、モノリス王は断じて認めない姿勢を見せた。


「他人の空似に過ぎんわ! 大体王家のご遺体は全て確認した! 死者までも持ち出して侮辱する気か!」


 アッシュが不安からゼモンを見上げると、彼は眉間に皺を寄せた。何かを後悔しているような、苦しげな表情だった。





 

 アッシュは物心ついた頃にはもう奴隷だった。ゼモンに買われる前は、オウカ王国の製鉄所で鉄鉱石を運ぶ仕事をしていた。


 いつも炉の熱で干上がる寸前だった。汗も出てこない。実際、他の奴隷たちは地面にうずくまったり、ふらついて台車を横転させたり、最悪の場合は冷めていない鉄材に倒れ込み、悲惨なことになっていた。黒い煙と焼け焦げた臭いは今でも鮮明に思い出せる。

 足を止めれば容赦なく鞭で打たれ、腫れた部分は熱せられるとじくじくと痛む。だから水を与えられる休憩まで、のろのろと動き続けるしかない。


 言葉は罵声と仕事に関わることから覚えていった。名前は与えられず、番号で呼ばれた。主人からの扱いは家畜以下。端金で買った奴隷など使い捨てても構わないようだった。


 劣悪な環境でありながら、奴隷同士が結託することもなかった。そもそも喋る体力がない。大人たちの目は死んでいた。

 しかし、一人だけ目の色が違う青年がいた。彼は幼い子どもたちを大切にし、主人の虐待から庇いすらした。


「人間らしいことがしたい」

「自由が欲しい」

「もっとできることがたくさんあるはずだ」


 他の奴隷たちは相手にしなかったが、アッシュは青年の言葉に強く惹かれた。かっこいいと思った。

 口先だけではなかった青年は何度も脱走を試みては失敗し、最終的に処分された。アッシュは自由を求める代償に絶望するのと同時に、悔しくてたまらなくなった。


 それから数年が経つと、自属性が火だったこともあり、仕事場の熱さを克服したアッシュは自分より幼い奴隷を自然と守るようになった。仕事を多めに引き受け、体調に気を配り、ときにはなけなしの水と食事を譲りさえした。それでも熱さと暴力に耐えきれず、次々と死んでいく。その度にアッシュの心は焦げついていった。


 徐々に物思いに耽ることが増えた。

 外の世界には何があるのか。自由になるとどんな気持ちになるのか。ここ以外の場所ならみんな生きていけたのだろうか。そんなことばかり考えてしまう。


 十歳で初めて脱走を試み、無残に失敗した。厳罰牢に入れられ、激しい暴力を振るわれる。

 この痛みに見合うものが本当に外の世界にあるのだろうか。なかったらどうすればいい。苦痛と恐怖で心が折れかけた。

 そんなときだ。ゼモンが現れ、ボロボロのアッシュに問いかけた。


「そうまでして、何を望んだ?」


 アッシュは朦朧とした意識の中、迷わず答えた。


「自由」


 視界はぼやけて顔は見えなかったが、「なんの力もないくせに」と鼻で笑われたような気がした。そんなことは痛いほど知っている。

 欠片ほどの矜持が折れかけた心をつなぎとめた。


「笑うんじゃねぇ! オレは自由になって、人間になるんだっ! いつか絶対!」


 叫んで力尽きたアッシュが目を覚ましたとき、ゼモンに買い取られることになっていた。製鉄所の主人はかなりの大金を吹っかけていたが、即金で支払われ、アッシュを含めてみんなが驚いた。しかし買い取りの理由は教えてもらえない。


 もしかして自由にしてくれるのだろうか、という期待とは裏腹に、アッシュはケテル一座でこき使われることになる。

 それでも製鉄所での暮らしよりも何百倍もマシだった。


 まず飯をたくさん食べさせられた。旅をするには体力がいる。痩せ細った体で客の前には出せないとも言われた。

 名前も与えられた。アッシュは異国の言葉で「灰」という意味だという。黒と白の混ざる不思議な髪色から連想されたらしい。

 体調が万全になると、仕事を教えられた。家事、道具や衣装の管理、芸の訓練などなど、慣れないことばかりだったが、新しいことを知る度に喜びを覚えた。


 ゼモンだけは一貫して厳しかったが、一座の面々は気安かった。生意気だと軽く叩かれつつも可愛がられていたと思う。いろいろな話を教えてもらった。

 そう言えばモノリスの英雄やクーデターの話も一座の面々から聞いた。そのとき彼らがどんな表情をしていたか、しっかりと見ておくべきだった。


 旅を続けるうち、楽しいという気持ちを知った。自分が奴隷だということを忘れる瞬間さえあった。


 空は高く、風は気持ちいい。

 旅した先々の景色は鮮やかで、エネルギーに満ちていて、世界の広さに胸が躍る。

 舞台袖から見る人々の笑顔に幸せを感じ、ますます自由への憧れは募った。


 いつかこの奴隷の腕輪を外し、世界を隅々まで見に行きたい。

 みんなの笑顔の中に混ざりたい。


 そんなことを夢見ていたとき、メテルの町で流音とスピカに出会い、友達になった。各地で同じ年頃の子どもと話す機会はいくらでもあったが、ここまで親しくなったのは初めてだった。

 流音が転空者ということもあったと思う。彼女が住んでいた国には奴隷がいなかったらしく、最初はおっかなびっくりだったが、徐々に普通に接してくれるようになったからだ。

 その「普通」はアッシュにとっては「特別」だった。

 あんな風に笑いかけてくれる子は今までいなかった。


 流音を盗賊から守れなかったとき、アッシュの胸の奥で燻っていたものが爆発した。

 自分は弱い。何もない。助けに行く力もなければ資格もない。それを思い知らされた。いや、思い出した。製鉄所で死んでいった子ども達だって、自分に知恵や力があれば助けられたかもしれない。


 メテルの町を離れてからはゼモンに頼み込み、護身術や剣術を教えてもらった。もちろん日々の仕事をこなしながらなので体力的にはきつかったが、守れなかった悔しさを思い出せば耐えられた。


 数か月の努力などあってないようなもので、今のアッシュにできることはあまりにも少ない。

 だけどゼロではなかった。声を上げることはできる。



 だから今日、ここに来た。

 流音の大切な人――ユラを見殺しにはしない。

 何の罪もない奴隷を古の封印の生贄にはさせない。

 自分の身一つで邪魔をしてやる。

 考えていたのはそれだけだ。後の展望も、生き残るための奇策もない。


 事情を教えてくれた流音には悪いことをした。彼女は逃がそうとしてくれたのに、自ら処刑台に進むという真逆のことをしてしまった。でもこのまま目の前で過ぎていく出来事を流し、自分だけが生き残るなんてできるはずない。


 ここで死ぬとしても本望だ。何もできないより、何もやらないより、絶対にいい。

 そう思っていた。


 ――どうしてこんなことになっちまったんだろ?


 ゼモンや一座の仲間に守られ、驚くべき出生の秘密を告げられ、アッシュはただただ立ち尽くす。


 いや、まだ分からない。ただ前モノリス王に面影がある子どもを適当に拾って育てただけかもしれない。

 ゼモン達は現国王のガーヴェイに強い恨みがあるようだ。

 旅をしながら情報を集め、こうして糾弾する機会をずっと狙っていたのだろう。


 ――どちらにせよ、オレはずっと親父たちに騙されて、守られてきたんだな……。


 どうして教えてくれなかったのだろう。

 本物の王子ならもちろんのこと、偽物だったとしても話してくれればよかったのに。

 ゼモン達に大義があるのなら、いくらでも力になった。


 所詮、自分はゼモン達にとって道具にすぎなかったのだろうか。

 しかるべき時にモノリス王を追い詰めるためのカードとして隠していただけ。

 自分だけ何も知らされずのけ者にされ、無様に衆目に晒されている。

 ゼモン達を信じていいのか分からなくなる。


 奴隷扱いされるときよりも胸がもやもやした。

 この場で誰よりも説明を求めているのはアッシュだ。


 混乱を極める場の中で、最初に口を開いたのは――。



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