表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第六章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/98

53 純白の神子

 空は氷のような冷ややかな白だった。


 来宮きのみや薫は寒さを堪えながら石階段を上っていった。

 風景は幼い頃に放り込まれた古寺の裏山に似ていたが、内包する空気はまるで異なっている。

 清らかなのに不気味。

 ここは、薫が本来生まれつくべきだった世界。そしてこの先には自分を真の意味で救済してくれた人がいる。

 にもかかわらず、足取りは重かった。知らず知らず深いため息を吐く。


「デュアは早く神子様に会いたい?」


 古の怪物は高い声で「くぅくぅ」鳴いた。

 尋ねておいてなんだが、肯定か否定か判断できない。


 薫の肩には小さく変身した黒竜デューアンサラトが乗っていた。

 首は細長く、翼は華奢。瞳は血よりもずっと鮮やかな赤で、体は光を反射しない純粋な黒一色。

 薫は彼以外のドラゴンをほとんど見たことがないが、この世で一番美しい竜だと確信していた。


 神子に「この子たちの中で誰についていきたい?」と尋ねられたとき、デューアンサラトは即座に薫の肩に止まった。それから行動を共にするようになり、だんだんと愛着が沸いてきた。誰かに自分を望まれたことは生まれて初めてだったので、素直に嬉しかったのだ。

 それに、世界を滅ぼせるほどの力を持つ怪物に選ばれたという優越感もある。

 神様に嫌われて、怪物に愛される。それは公平な気がした。


 階段を上りきった先には古びた神殿があった。

 前衛的な形の建物だった。丸く平らな屋根を形の異なる柱がアンバランスに支えている。元は濃い紫色で塗り固められていた壁は風化し、毒々しいマダラ模様を形成していた。

 世界中の闇はここから生まれてくるのではないかと思うほど陰鬱としており、まともな神経をしている人間なら絶対に近づかないだろう。


 薫はぽっかりと空いた暗い入り口に足を踏み入れる。

 かつてこの大陸を救ったという聖女の石像が枯れたツタにまとわりつかれ、絞殺された遺体のように横たわっていたが、それもまたいで先に進んだ。


 いくつもの飾り布の幕を潜り抜ける。

 一つ一つが結界になっており、中心にいる人物を封じ込めている。

 否、守っていると言った方がいいのかもしれない。

 この世界の不浄は彼女の体には毒でしかない。隔絶された空間に身を置き、穢れないように自ら閉じこもっているのだ。


「カオル。待っていたわ!」


 鈴の音のような声が薫を迎えた。


 神殿の最奥の間に純白の少女がいた。髪も肌も瞳も白い。真珠のような輝きを宿している。唯一の色味は淡い桜色の唇くらいだろう。彼女は身にまとうドレスも清純な白を選んでいた。

 もう幾度となく会っているのに、会うたびに感動を覚えるくらい目の前の少女は美しかった。


「あなたがいなくて退屈だったのよ」


 柔らかいカーペットの上で、大きなクッションに体を沈めるようにもたれかかり、可憐な笑みを浮かべる少女。

 世間は彼女を“悪しき魔女”と呼んだ。

 しかし薫たちは“救済の神子”と呼ぶ。


 マジュルナ・ペルルはねだるように手を伸ばした。その手を取り、薫は恭しく頭を下げる。


「神子様……ただいま戻りました」


「おかえりなさい、カオル。もう、神子様とは呼ばないでと言ったでしょう? カオルにはルナって呼んでほしい。敬語も嫌よ」


 拗ねて頬を膨らませる様は十六歳の少女にしては幼い仕草だったが、麗しい容姿をもってすれば違和感はない。


「……分かった。ルナ、体調は?」


「良好よ。ふふ、カオルの顔を見たら、頭痛も吹き飛んでしまったわ。二人きりになれるように、人払いをしておいたから安心して」


 長い髪をいじり、恥らうように頬を染めるマジュルナにカオルは苦々しい笑みを返す。

 彼女の男を有頂天にさせるような言動は、誰に対してもふりまかれているものだ。だから真に受けたりはしない。

 良く言えば博愛主義者、少し悪く言えば八方美人。


 ――まぁ、ようするに天然のビッチ……。


 初めて会ったときの薫のマジュルナへの評価は最悪だった。〈魔性の喚き〉に対するものも同様だ。

 なんだこの組織は。世界を革命する、踏みにじられてきた者たちを救済する、と謳っておきながら、幹部たちはいかにマジュルナの気を引くかを競い合っているだけではないか。

 神子の役に立ちたい。誉められたい。寵愛を独り占めしたい。

 そのために非道を行う狂気の組織だ。


 北の大陸ノーディック全域を支配していたトゥルムル帝国の皇帝さえ、今ではマジュルナの傀儡だ。〈魔性の喚き〉に貢献するため、民に重税を課して厳しく取り立てている。

 若い愛人に貢ぐみっともない中年親父を見ているようで、薫はいたたまれなくなった。


 何かの魔術、いや、魔法が働いているのだろう。

 生き物を魅了し、洗脳する力をマジュルナは持っている。

 でなければ、古の魔物が大人しく手に堕ちるわけがない。ただのカリスマ性という言葉では片付けられない。


「カオルはつれないわね。私と二人きりなのに、嬉しくない?」


「いや、嬉しい。顔に出にくいだけ」


 薫もまた、マジュルナに魅了されている一人だった。

 自分の半分はマジュルナへの愛でできていると思う。彼女のためなら何でもできる。彼女一人が笑い、世界中の全てが嘆き悲しむことになっても構わない。

 心は完全に掌握されていた。抵抗するつもりがないからか、頭はわりと冷静だった。


 ――この人のそばにいれば俺の願いが叶う。なら、どうなってもいい。


 昔から薫には激しい破滅願望があった。

 自分の残りの半分は、劣等感と他人への醜い嫉妬でできている。爆弾のような感情だった。

 誰にも忘れられないような死に方をしたい。自分より優れたもの、恵まれたものを巻き込んでやりたい。


 その点、マジュルナの側近になることは薫の願望成就にうってつけだった。


 マジュルナは大真面目に世界を変革しようとしている。

 言っていることは全て本音で、やっていることも全て本心からのこと。

 節操なくにふりまいているように見える愛想も本当に天然で、男どもを惑わして操ろうという気はさらさらない。

 彼女は本気で自分を慕う全員を愛していて、「私のために争わないで」と真顔で口にする。


 薫は時々マジュルナのことが恐ろしくてたまらなくなる。

 彼女は悪気や悪意を持っていない。変革のために罪のない人々が死んでいくことに、全く心を痛めていない。

 仲間が死んだときでさえ、墓前では涙を流さず「私のためにありがとう」とにこにこと微笑むだけ。


『私のやることは正義。そのための犠牲になれるなら喜ばしいことのはず。みんなが喜ぶなら、私も嬉しいわ』


 純粋無垢なのにとことん壊れた精神の持ち主なのだ。マジュルナのそばにいれば劇的な破滅は約束されている。改心することはあり得ないだろう。

 甘っちょろい少年漫画に出てくる「実は良い奴でした」「最後には分かりあえました」という悪役よりもずっといい。


「デュアちゃん、おいで。良い子ね」

 

 黒竜がマジュルナの膝に乗った。白魚のような指にくすぐられ、嬉しそうにしている。


「メリッサちゃんは私以外に懐いてくれないの。ウロト先生も手を焼いているわ。薫はどうだった?」


「ああ、さっき俺も会ってきたけど、危うく腕をもがれそうになった。あれだけ凶暴だと使い物にならないんじゃないか?」


 先月封印から解き放ったばかりの凶獣メリッサブルは、気性の荒い魔物だった。北の大陸まで連れてきたものの、結界魔術の専門家のウロトがいなければ大人しくさせることも難しい。命令を与えて他の封印遺跡を襲わせる戦力にはできない。

 一方、堕天使フェルンは今のところ寝ているかマジュルナにべったりくっつくかだ。マジュルナの護衛を務めているつもりらしい。マジュルナもフェルンを気に入っていて、そばに置いておきたいようなので、これも戦力には数えられない。


 なら、デューアンサラトに襲撃させればいいのだが、このところ北の大陸を目指して各大陸から戦艦が続々とやってきている。マジュルナを狙う者たちだ。

 それを海上で撃退するのに忙しく、他の大陸まで出られない。遺跡の守りに各大陸の有力魔術師が出張ってきており、次の封印を解くのに苦労していた。


「私が直々に出向ければいいんだけど。いいかげん人間たちに付き合うのも飽きてきたわ。私が出ればすぐに終わるのに」


「それはダメだ。結界から出ればルナが穢れてしまう」


 マジュルナは深々と息を吐いた。


「そうね。あまり外に出たくない。私が穢れてしまったら、お母様に会っても分からなくなってしまうかもしれない。それは困るわ。……ねぇ、カオル」


「ん?」


「責任を取ってね。あなたがいけないのよ? もう少しデュアのことは秘密にしておこうと思っていたのに、勝手に暴れたから少し計画が狂ってしまったわ。各大陸に封印防衛の準備をさせる時間を与えてしまって……みんながあなたに怒っているの、なだめるの大変なんだから」


「ああ、それは……悪かった」


 去年の秋、薫は昔なじみの少女を仲間に迎えに西の大陸に行った。組織末端の盗賊が起こした事件に巻き込まれた転空者、その特徴を聞いてピンと来たのだ。


 若山流音。黒髪と黒目の可愛らしい少女。


 同じ世界、同じ国から召喚された知り合いと、この世界で行き会うとは奇妙な縁だった。

 流音と過ごした夏の記憶は薫の人生の中でも、割合美しく楽しいものだったので、できればこちら側に引き入れたかった。死ぬ確率を少しでも下げてやりたかったし、流音の魔力が高いことは知っていたので十分戦力になると踏んでいた。


 だけど、ダメだった。

 流音は仲間じゃない。痛みを分かち合えない。

 愛されていると分かる幸せな顔をしていた。マジュルナと違って、本当に良い子だということも分かった。健全でまっとうな成長をしていた。

 そう感じるともうダメだった。壊さずにはいられなかった。泣かせたくて仕方がなかった。

 同時に自分が間違っていることを突き付けられて、ひどく動揺した。みっともなく泣いてしまったことを思い出し、薫は眉間にしわを寄せる。


「例の子のことを考えてるのね。怖い顔してる。妬いちゃうわ」


「ルナ、俺は」


「いいのよ。カオルの心を乱すような存在なら、私も興味がある。お人形さんみたいに可愛い子なんでしょう? 私も好きよ。お人形遊び」


 マジュルナの両手が愛おしそうに薫の頬を包み込んだ。


「それに、デュアちゃんの炎を浄化した力……あなた以上に特別な力を持っているのかしら、その子」

 

 何気なく呟かれた言葉に、薫の全身がカッとなった。

 マジュルナに興味を持たれ、自分と比べられている。流音に対する嫉妬の炎がまたくすぶり始めていた。


「ルナ……分かった。計画を狂わせた責任を取って、封印を一つ取ってくる。メリッサブルを貸してくれ」


 薫が後ろ暗い苛立ちを隠して微笑み、詳しい作戦を話すと、マジュルナは顔を輝かせた。


「素敵! きっと上手くいくわ! これでまたお母様と再会できる日が近づくのね! 欲しいものが全て手に入る!」


 カオル大好き、とマジュルナに抱きつかれた。


 彼女の母は別の世界にいる。

 楽園時代の地上を去った女神の一柱だという。


 マジュルナは女神がこの世界に落とした、まごうことなき神の子だった。


 自分を愛してくれる唯一無二の神を抱きしめ、薫は泥沼に落ちていくような喜びを感じていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ