44 うわごと
流音はユラを追いかけていた。
どんどん闇の深い方向に歩いていく彼を止めたくて、必死に足を動かす。
おかしい。どれだけ走っても距離が縮まるどころか開いていく。
「ユラ! 待って!」
やがて暗い霧の中でユラの背中を見失う。自分も闇の中に迷い込んでしまった。心細さに涙がこみあげてきて、流音は両手で顔を覆った。
ふと、温かい手の平が頭を撫でた。
期待をして顔を上げると、儚い微笑みを浮かべた薫が立っていた。
「言っただろ? 俺たちは神様に嫌われてるんだ。幸せになんかなれない」
はっとして飛び起きると、視界が揺らいだ。責め立てるような心臓の鼓動を必死に宥める。
「ルノン、大丈夫ですか?」
「ユラ……?」
ベッドの傍らにユラを見つけた。いつも通りの無表情の中にわずかに安堵の色を見つけて、流音は思わずすがりついた。
彼は恐々と受け止め、流音の背中をポンポンと叩く。
「怖い夢を見たんですか」
「うん……」
「もう大丈夫です。飲んでください」
ユラに差し出されたコップを受け取り、水をごくごくと一気に飲み干す。喉がからからに乾いていた。
「ここ、どこ?」
見覚えのない部屋だった。こぢんまりとして清潔な雰囲気だが、物がほとんどない。病室に似ていて少し嫌だった。
「安全な場所です。だからもう少し体を休めて下さい。まだ熱があります」
ユラに促され、流音は再び布団に潜りこむ。倦怠感にまとわりつかれ、頭が重かった。
「ユラ、眠るまで……手…………」
甘えるように差し出した手に冷たい手が重なった。それでようやく安心して、今度は夢さえ見ない深い眠りについた。
次に目が覚めたとき、室内には流音一人きりだった。頭がすっきりしていたこともあり、心細さはない。
部屋の隅に自分の荷物を見つけた。元の世界から持ってきた学用品の他、この世界で買ってもらった服や日用品がどさりと置かれている。
流音は思い立って荷物を漁った。
――どうして? ニーニャカードだけない……。
流音の私物のほとんどが集まっているのに、肝心のカードだけがどこにも入っていなかった。
キュリスはどうなったのだろう。急に大きな不安に襲われる。
「目が覚めたようだな」
ノックの後に扉が開き、凛とした立ち振る舞いの女性が入ってきた。レジェンディア騎士団のレイアだ。
「ルノンくん。もう体は平気か?」
なぜレイアがいるのか分からず、混乱しつつも流音は頷く。
「ふむ。もう熱は下がっているな。着替えるのか? ならば湯殿に案内しよう。少し汗を流した方がいい」
そこからほとんど質問を挟む間もなく、流音は共同と思われる広い風呂に案内され、入浴して着替え、部屋に戻って軽い食事まで一気にとった。
レイアと話すうちに、ここがレジェンディア騎士団のモノリス支部で、薫が来た夜から五日も時間が経過していることが分かった。そんな長い間眠っていたことに流音は驚く。
――あれからどうなったのかな……?
レイアが部下に呼ばれて慌ただしく退席してしまい、流音の疑問は宙ぶらりんになった。
「おはようございます」
「ルゥ目が覚めて良かった! おいら寂しかった!」
しばらくベッドに腰を掛けてぼんやりしていると、ユラとヴィヴィタが部屋にやってきた。ヴィヴィタは元気いっぱいに三回転の宙返りを見せ、流音の膝にぽふりと着地した。
「ヴィーたん……ユラも怪我ないの?」
苦しむ一人と一匹の姿を思い出し、目の端に涙が滲む。
「俺たちは大丈夫です。きみの方が大変でしたよ」
「うん! ずっとうなされてた! 心配した!」
「わたしももう大丈夫。心配してくれてありがとう。あ、あの……キュリスは? ニーニャカードはどこ?」
ユラは眉尻を下げた。
「そのことですが、すみません。騎士団に提出を求められて持って行かれてしまいました」
「そうなの? どうして?」
「どうしてと言われても、あのカードは不思議です。俺が調べたいくらいです」
ニーニャカードは流音が元の世界から持ってきたものだ。不思議な力などない。一枚百円で売っている子ども用のカードゲームにすぎない。
――でもあの時起こった不思議なこと、カードのせいだよね。
頭の中で響いた声は何だったのだろう。手元にない、しかも知らない人間に調べられていると思うと落ち着かない。後で返してもらえるというユラの言葉を信じ、カードのことは胸にしまった。
まず、言わなくてはいけないことがある。流音は勇気を振り絞って口を開く。
「ユラ……ごめんなさい」
「それは何に対する謝罪ですか?」
ユラもベッドに腰掛け、流音を試すように問いかけてきた。
「えっと……薫くんのこと。わたし、言葉を間違えちゃったみたい。怒らせてあんなことに……」
「彼についてはきみが謝ることはありません。非は全面的に向こうにあります。きみが反省すべきは、一人で燃える森に突っ込んでいったことだけです。命がいくつあっても足りません」
流音は言葉を詰まらせる。結果的に倒木でユラまで巻き込みそうになったのだ。しゅんと頭を垂れる。
「約束してください。もう一人で勝手に危ないところに行かないと」
「うん、約束する。ごめんなさい……あのとき、助けてくれてありがとう」
ユラは小さくため息を吐いた。
「結果的にルノンを助けたのはキュリスローザですが……俺も自分の行動に驚きました。あのときはほとんど何も考えていませんでした。それでも体が勝手に動いて庇うなんて、俺は相当きみのことを大切に思っているようです」
ユラの言葉に深い意味はないだろう。その証拠に眉間に小さな皺を寄せて首を傾げている。甘い感情などどこにもない。
そう言い聞かせてもにやけそうになる頬を流音は叩いた。不謹慎だ。笑っている場合ではない。
「ああ、そうです。俺も謝らなければなりません」
「何を?」
「きみの寝顔を見てしまいました。すみません」
面と向かってそんなことを言われ、顔が急激に熱くなる。
「寝言も聞いてしまいました」
「嘘!? な、なんて言ってた?」
突如訪れたピンチに流音は思い切り動揺する。隠してきた想いがバレてしまうかもしれない。
「聞き取れたのは『ユラ』、『ヴィーたん』、『キュリス』、『カオルくん』、『ママ』くらいです」
「そ、そう……」
「でも俺の名前が一番多かった気がします。どんな夢を見ていたんですか?」
顔を覗き込まれ、流音は崖の縁に追い詰められた気分だった。何か言って誤魔化さなきゃと思うのに上手い言い訳が出てこない。代わりに心臓が口から出てきそうだ。
そのとき、ノックの音が響いた。天の助けとばかりに流音は返事をする。
「無事に目が覚めたんだねぇ、お嬢さん。良かった良かった。まだ顔赤いけど大丈夫?」
場違いなほど爽やかなシークの微笑みに、流音はかろうじて頷きを返す。
「ご歓談中申し訳ないけど、うちのボスがお呼びだから来てくれる? ああ、そこの闇巣食いくんも一緒に」
案内される途中、シークがそっと流音に耳打ちをした。
「お嬢さん、ラブレターありがとう」
「……本当に読んでくれたの? ラブレターじゃないよ」
「つれないねぇ。まぁ、その件は後でゆっくり話そう。きみの保護者の視線がない場所で」
振り返るとユラがじっと流音たちを見ていた。その視線に込められた感情が何かは分からないが、いつも以上に冷たい目つきだった。
「はい、到着。うちのボスは多分デューアンサラトより怖いと思うけど、泣かないでね」
「え? レイアさんのことじゃないの?」
流音の問いには答えず、シークは意味深な笑みを浮かべて重厚な扉を開いた。




