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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第五章

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41 恋のためにできること

 夜、ライトアップされた中央広場の舞台に人々の視線が集まる。

 鮮やかな紙吹雪、万雷の拍手、夜気を寄せつけない熱の渦。

 ケテル一座の名前はこの三か月で町に広がり、多くのファンを作っていた。

 アッシュは前座のナイフ投げと、座長の剣舞の相手の一人を務めていた。あれから三か月しか経っていないのに、舞台を通して見ると背が伸びて、顔つきも精悍さを増しているように感じた。

 しなやかな筋肉でひらりと舞い、力強く剣戟を交わす。

 ほとんど歳の変わらない少年の勇姿に流音は息を飲む。


「うぅ……やっぱり素敵なの、アッシュくん」


 隣でハンカチを握りしめるスピカに、流音はそっと頷き返した。



 公演後、アッシュの元へ挨拶に行った。ちなみにユラは少し離れたところで待っている。


「アッシュ、お疲れ様。すごく楽しかったよ」


「あ、あの……素敵だったの」


「格好良かった!」


 流音とスピカとヴィヴィタの言葉にアッシュは照れ笑いを浮かべた。


「ありがとな。今までいろんな場所に行ったけど、こんなに旅立つのが惜しいのは初めてだ」


 アッシュは明日の早朝に町を発つ。これでお別れだ。

 流音とスピカは顔を見合わせ、頷き合った。

 スピカが緊張の面持ちで、三本の糸を編み込んだ灰色の紐を差し出す。先ほど露店で購入したものだ。


「ただの飾り紐なんだけど……わたしの世界ではミサンガって言うんだ」


「ミサンガ?」


 自分たちの手首を見せる。それぞれ黒とピンクの紐が結ばれていた。


「アクセサリーだよ。手首に結んでおいて、自然に切れると願いが叶うっていうジンクスがあるの。えっと……こういうのって、迷惑?」


 アッシュは噴き出した。


「本当に女っておまじないとかお揃いとか大好きだよな。……いいぜ。奴隷の腕輪なんかよりずっといい」


 アッシュが出した手首に、スピカがおっかなびっくりミサンガを結んだ。少しずらせば腕輪の陰に隠れるので目立ちにくいだろう。


「お願いは口にしない方が叶うから内緒ね」


「そうか。まぁ、オレの願いは今のところ一つしかねぇけどな。これでまた叶う確率が上がったわけだ」


 奴隷から平民へ。

 それがどれだけ大変なことか、流音には想像もつかない。しかしアッシュなら成し遂げるに違いなかった。

 アッシュは冒険譚の主人公のようだ。そんな彼の人生が劇的にならないはずがない。

 

 遠くで一座の人間がアッシュの名前を呼んだ。名残惜しいが、今度こそお別れだ。


「ばいばい、アッシュ」


「元気でな、ヴィヴィタ」


 ヴィヴィタはアッシュの肩に乗り、最後に撫でてもらっていた。

 それからアッシュはスピカに向き直る。


「スピカ、この国の言葉や勉強を教えてくれてありがとな。この前も言ったけど、お前はすげー奴だ。もっと自信持て。オレがどこにいても分かるくらい有名にだってなれると思うぜ。頑張れよ」


 スピカは感極まったように口元を押さえた。


「ルノン。あのとき何もできなくて悪かった」


「そんな……アッシュは」


 アッシュの真剣な表情に気圧されて、流音は続く言葉を呑み込んだ。金色の瞳に強い決意の光が宿っている。


「すげー悔しかったんだ。だから絶対強くなる。ダチを守れなかったくせに平気でいられる情けない男にはなりたくねぇ。今度盗賊に出くわしたら返り討ちにしてやるぜ。……元の世界に帰っても、たまにはオレのことも思い出してくれよ」


「うん。忘れないよ、絶対」


 最後にとびきり眩しい笑顔を見せて、アッシュは去って行った。

 その背が見えなくなるまで流音たちは見送る。

 

「ふぇ……っ」


 泣き崩れるスピカを支える。


「ルノンちゃん……ウチね、アッシュくんのこと……好きだったの。でも、何も言えなかったの……今は何もできないから」


 ぽろぽろと頬を滑り落ちていく涙を前に、流音はおろおろと狼狽えた。どんな言葉をかければいいのか分からない。

 しかしスピカは自ら涙を拭い、はっきりとした口調で告げた。


「ウチ、来年……高等学塾に行くの。もっとたくさんお勉強して、いつか、いつかウチが、アッシュくんのお願い叶えられるように……ウチじゃ無謀かもしれないけど、でも」


 そんなことない、と流音は首を横に振る。


「いつかニーニャカードで占いしたよね。あの時の結果覚えてる? わたしは当たると思う」


 スピカが引いたカードは〈力〉。

 意味は『勇気』『不屈』『長期的なチャレンジ』『穏やかに寄り添う』だ。

 

「ありがとう、ルノンちゃん。勇気をくれて、ありがとうなの。いつかウチにも他のお友達ができるかもしれないけど、一番のお友達はずっとルノンちゃんだって思っていてもいい?」


「うん、もちろんだよ……!」


 それから二人は通りがかる人の目も憚らず、抱き合って号泣した。


 




 翌日、午前は昨夜の余韻に浸りながら、アッシュの旅路の安全を祈る。

 午後になり、流音は屋根裏部屋でこっそり手紙をしたため始めた。

 好きな人のためにできることをやりたい。スピカを見てますますそう思うようになっていた。


「えっと……シーク・ティヴソン様ってこのつづりで合ってるかな……?」


 レジェンディア騎士団は民衆からの嘆願を広く受け入れるため、各王国の郵便局に専用のポストを設置している。家族から各地に派遣される各騎士宛の手紙はもちろん、ファンレターやクレームも届くらしい。


「『この前は、助けてくれてありがとうございました。わたしは研究のお手伝いが終わったら、故郷に帰ることになっています。その前にお会いできませんか? わたしの保護者のことで相談があります』……こんな感じ?」


 シークが読んでくれる保証も、返事をくれる保証もない。

 いっそ図書館での司書の女性との密会のことで脅そうかと頭をよぎったが、手紙はしっかり検閲されるようなのでやめておいた。恨みを買うと後々怖い。


 流音はユラとシークに仲直りをしてほしかった。確かにシークは曲者だが、根っからの悪人とは思えない。今後少しでもユラの孤独が和らぐならもう誰でもいい。


 ――シークって誰かに似てるんだよね……。


 爽やかで優しそうな外見を裏切る性格をしているところが、流音の知っている誰かを彷彿とさせる。そのせいか、「嫌な人だな」と思ってもなぜか嫌えないのだ。

 流音はユラのことも最初は大嫌いだった。だからシークとも話せば通じ合えるのではないかと期待してしまう。

 ユラにバレたら「余計なお世話です」と怒られるだろうが、それでも流音は諦めるつもりはなかった。

 

 あとレイア隊長への賛辞とお仕事頑張って下さいという言葉を継ぎ足し、手紙を完成させる。封筒に目立つようにヴィヴィタの似顔絵を描いておいた。これで興味を持ってくれるといいなと願いを込めて。

 手紙をこっそり投函し、返事を待つことにした。





 数日後の夜。

 今日の夕飯は夏野菜のカレーである。凪の市で散財してしまったので食費を浮かせる必要があった。異世界でもカレー文化があることに最初は驚いたが、やはり過去に召喚された転空者から伝承して広まったらしい。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」


「明日はパスタと絡めて、明後日はグラタンにするね」


「わぁい!」


 食後のデザートにリンゴ似の果物を食べ、二人と一匹はまったり過ごしていた。最近家の中の空気が柔らかく穏やかだ。流音は幸せでいっぱいだった。


「んあ?」


 最初に気づいたのはヴィヴィタだった。あらぬ虚空を見つめて首を傾げる。

 少し遅れてユラが立ち上がる。


「どうしたの?」


「誰かが結界に触れているようです。道に迷った旅人でしょうか。珍しいですね。ちょっと様子を見てきます」


 家を中心に張った結界に誰かが引かかったらしい。ユラが許可した人間と生物以外は絶対に通れないようになっている。迷惑な代物だが今のところ苦情はない。

 流音がこの家に住み始めてから来訪者がやってきたことは一度もなかった。ユラへの用事は大抵魔術で作られた疑似伝令鳥で済まされるらしい。


 ――もしかしてシーク?


 流音は慌てた。いきなり鉢合わせになったら大変だ。


「わたしも行く!」


「ダメです。危ない人かもしれません」


「で、でも」


 そのとき、轟音が森全体を揺るがせた。ガラス戸がびりびりと音を立て、今にも割れてしまいそうだった。


「……信じられません。結界が破られました。しかも力技で」


 ユラは焦った様子で家から飛び出した。流音とヴィヴィタも後に続く。

 強い夜風が流音をなぶる。

 盛りを過ぎた夏の夜には虫の声が聞こえてくるものだが、今夜の森は風でざわめくだけだった。全ての生物が息を殺し、来訪者の顔色を伺っているようだ。


 流音は目を見張る。

 全長二十メートル近い巨大なドラゴンが家の上空に浮かんでいた。濃紺の夜空にもくっきり浮かび上がるほどの漆黒の体。その黒の中で唯一の赤い瞳が流音たちをじっと見下ろす。

 黒竜は羽ばたきもせず、風の中でもぴたりと宙に静止している。


 ――不気味……。


 同じドラゴンでもヴィヴィタとはまるで違う。巨躯から放たれる圧迫感で呼吸をするのも苦しかった。怖い。全身に鳥肌が立つ。

 家から漏れ出る明かりのおかげで視界は把握できるが、心細くて堪らなかった。流音はユラの背に隠れて愕然と空を仰ぐ。

 ドラゴンの背から一人の少年が飛び降りた。


「……なんだ、やっぱり流音か。久しぶり。俺のこと覚えてる?」


「え?」


 知らない人の声だった。声変わりしている。あれから五年も経っているのだから無理もない。

 面影はある。髪も派手な金色のままだ。しかし背も伸び、顔つきや雰囲気もだいぶ変わっていた。何よりこの世界で遭遇するなんて信じられない。

 流音は半信半疑で問いかけた。


「もしかして、薫くん……?」


 不意の来訪者は薄ら笑いを浮かべた。




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