40 お祭りへ
「ルノン……目を閉じて、体の力を抜いて下さい」
「う、うん」
見渡す限り人気のない荒野。
流音はユラと向かい合い、お互いの両手の平を重ねた。ユラの手は相変わらず凍てついているのかと思うほど冷たい。それに引き替え流音の体温はどんどん上がっていく。
――は、恥ずかしい……。
手にじんわり汗が滲むのが分かる。今すぐ離してしまいたかったが、動揺を悟られたくない。
「俺の方にゆっくり魔力を注いでください。……なんだかひどく精神が乱れていませんか?」
「き、気のせいだよっ」
気のせい、気のせい。自分にも強く言い聞かせ、流音は深呼吸をして集中を取り戻す。
「では、術式を構築します。一定のペースでお願いします」
ついに魔術球の実験が始まった。
先日町役場で改めて魔力鑑定を行い、結果は「水属性:魔力総合値3900」で、数値の伸び以外に特に異常はなかった。不思議な白い魔力については分からずじまいだったが、実験には支障ないとユラは判断した。
意識を傾けると、ぼんやりと球形の術式を感じ取れる。道筋は一本だ。流音はただ魔力を注ぎ、線をなぞっていくだけでいい。水属性の青い魔力もユラの領域に入った途端に自動的に変換され、金色の光を帯びていく。
しかし、呼吸をするたびに線がぶれる。魔力を注ぐスピードも徐々に速くなってしまう。
「大丈夫です、ルノン。焦らなくていいです。俺の魔力を意識してください」
淡々とした声音は冷静で頼もしかった。
流音はユラが構築した術式、その道標を感じ取る。その瞬間、同じ波動を持つ二つの魔力が重なり、流れが一段とスムーズになった。
やがて術式に魔力がなみなみと充填され、ユラの手がそっと離れた。
【万象の牢、閉じよ】
魔力が世界と激しく摩擦し、一気に内側に集束していった。
地面に置かれていた魔術書が鋭い音ともに煙を上げる。この本が今回の封印魔術の対象物である。開いた人の魔力を吸って、幻を浮かび上がらせる不思議な本だ。
ユラが魔術書を拾い上げ、ページを開こうと力を加える。
「えっと……どう?」
「一応成功したようですね。いえ、ちょっと緩いでしょうか……?」
魔術書は糊で引っ付いたように開かない。しかしよく見ると紙が歪んでおり、器用な魔術師ならそこから魔力を注入して封印を破れるらしい。
「完璧には程遠いですが、初めてにしては上出来でしょう」
「わたし、下手だった?」
「そうですね。ぎこちないです。でも後半はコツを掴めていました。次回はもっとうまくできるはずです。俺も術式の修正点を見つけたので、また後日試してみましょう。今日のところはお疲れ様でした」
流音は脱力した。大量の魔力を一気に消費したので体が気怠い。大失敗すると爆発すると脅されていたので、緊張もかなりのものだった。
「良かった……。ねぇユラ、ちゃんとできたから、約束守ってくれる?」
ユラは目を閉じて嘆息した。
「仕方ありませんね」
「えへへ、ありがとう。明日の凪の市、すっごく楽しみ」
流音が微笑みかけると、眉間にしわを寄せていたユラの表情が和らいだ。
実験が上手く行ったら一緒に凪の市に行ってほしい。
三か月越しの悲願は達成できそうだ。
最初ユラは渋っていた。
祭りに行きたくない。だからと言って、大勢の人でごった返す場所に流音とヴィヴィタだけで行かせるのは心もとない。盗賊の一件以来、ユラは過保護になっている。
危ないから行くなと言われたが、それは承知できなかった。
どうしても凪の市に行きたい理由が流音にはあったのだ。
「オレ達さ、今度の凪の市の舞台が終わったら、他国に移るんだ」
盗賊事件の後、流音は外出を控えていて、先日久しぶりに図書館でスピカとアッシュに会った。そのときにアッシュからそう告げられた。
「急だね……」
「ああ、オレもちょっとびっくりしたけど、元々親父たちはこの国が好きじゃねぇんだ。物騒だしな。昔の知り合いからの頼みごとのついでに巡業に来ただけなんだ。この前その用事も終わったらしい」
いつかお別れが来ることは分かっていたが、唐突すぎた。スピカはショックを受けて泣いてしまったし、流音も黙り込む。
「そんな顔するんじゃねぇよ。いつか奴隷から解放されたらこの町に来る。生きてりゃまた会える。な?」
アッシュは快活に笑ったが、女子二人は愛想笑いもできなかった。
流音は迷いに迷った末、口を開いた。
「実はわたし、ユラの研究が完成したら元の世界に帰るの。だから、もうアッシュには会えないと思う。スピカちゃんともあと数か月でお別れしなきゃいけない。……黙っていてごめんなさい」
今度はアッシュも驚き、スピカはさらに悲しんだ。
「そっか……オレは故郷も親も知らねぇから、逆によく分かるぜ。帰れるならそりゃ帰るよな。良かったじゃねぇか。体も治るなら何の問題もねぇ。元気でな、ルノン」
最終的にアッシュは優しく笑いかけてくれた。
一方スピカは流音に抱きついてずっと嗚咽を漏らしていた。
「ウチ、寂しいの。やっと、やっと素敵なお友達ができたのに……こんなの……」
「ごめんね。……わたしも、スピカちゃんのこと素敵な友達だって思ってる。他にもそう思う人いっぱいいるよ」
そんなことない、とスピカは首を横に振る。
「ルノンの言うとおりだ。スピカは物知りだし、面倒見良いし、すげー良い奴だ。言っちゃ悪いが、こんな町に閉じこもってるのは勿体ないぜ。魔術学院か高等学塾に行け。そうすりゃダチなんかいくらでもできる」
「で、でも、ウチには、そんな勇気ないの……」
「そんなもん根性でなんとかしろ!」
アッシュに背中を叩かれ、スピカは体を硬直させる。少々乱暴な気がしたが、その激励はしっかり届いたようだ。スピカは涙を拭いて震えながら頷いた。
アッシュの最後の晴れ姿を目に焼きつけるため、流音は凪の市に向かう。
寂しいけれど、「観に来るなら辛気臭い顔はするなよ」と釘を刺されている。だから流音は心から祭りを楽しむことにした。
「どうですか? 気づかれていませんか?」
「大丈夫」
祭りの喧騒を歩くユラを見上げ、流音は笑いをこらえた。
楽しい催しに闇巣食いが来ていたら盛り下がるという持論から、ユラは変装をして正体を隠していた。
魔術を施した薬で髪を黒く染め、ポニーテールに。目の下の傷も肌色の湿布で覆い、眼鏡をしているから分かりにくいだろう。服装も魔術師だと激しく主張する黒いコートをやめて、流音が選んだラフな装いだ。ワインレッドのシャツにジーンズという、現代日本でもおかしくない格好だが、ユラが着るとおかしさしかない。
――でも、ちょっと可愛いかも……。
小学生が思うのも変だが、十七歳らしさが垣間見えて微笑ましい。「食事が規則正しくなったおかげで少し肉が付きました」と言いつつ、ちっともそんな風に見えない線の細い体つきは恨めしいが。
「やはり髪の色をルノンに合わせたのが正解でしたね。きっと兄妹にしか見えません。何だか感慨深いです。妹ができたようで嬉しく思います」
「う……そう。わたしも嬉しいヨ」
いつか言われるかもと覚悟をしていたものの、兄妹認定は流音にとってあまり面白くなかった。しかし「この世界の家族」と言い出したのは自分なので文句は言えない。
――恋人になろうなんて、全然思ってないけど……妹かぁ。
嫌がっていた割りにユラは祭りも流音との兄妹ごっこも気に入ったらしい。
複雑な気持ちには違いないが、ユラが少し楽しそうなので流音の胸はきゅんきゅん跳ねていた。
「ルゥ、お腹減ったー。おいら串焼きか丼もの食べたい」
ヴィヴィタは流音の服のフードに収まっていた。首筋をすりすりされ、流音は小さく悲鳴を上げる。
「わ、分かった。スピカちゃんとの待ち合わせまでまだ時間があるから、屋台の方行こう。ユ……じゃなくてお兄ちゃん」
「お兄ちゃん……」
「道端で感動しないで。恥ずかしい」
食事時ということもあって、屋台の辺りは混み合っていた。ユラについていこうとして、流音はピンボールのように人々に弾かれる。
「どこまで流されていくんですか。掴まってください」
藁にすがる思いでユラの手を取ると、そのままぎゅっと握りしめられた。
「このまま行きましょう。人攫いがいると危ないですから」
「うん」
赤くなった顔を見られないよう、流音はユラにぴたりとくっつき、俯いて歩く。
その後、流音が照れ隠しと自棄で「お兄ちゃん」と連呼していたら、ユラの財布の紐が緩くなり、美味しいものをたくさん買ってくれた。




