35 闇の返礼
※残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。
流音が連れて来られたのは、森の中にある石を積み上げて造った建物だった。まるで古代遺跡のようだ。
随分長い間放置されていたらしく、ところどころ苔が張り付いていた。壁の隙間から水が滴り、内部は氷室のように冷え切っている。照明代わりに松明が焚かれていても肌寒く感じた。
「騒ぐなよ」
流音は村の娘たちと広間の隅に転がされた。歩くときに足の拘束は外されたが、手は背中の側で縛られたままだ。娘たちも眠ったまま手枷をつけられている。
盗賊たちは首尾を話し合い、お互いを労いながら食事を始めた。音が反響しやすく、笑い声がびりびりと鼓膜を揺らす。盗賊は二十人以上いて、全員が武器を持っているようだった。
――ユラ、気づいてくれたかな……?
冷たい床に座り込み、流音は息を整える。
首輪から感じる圧迫感のせいで体調がどんどん悪化していく。また、杖も使わずこっそり合成魔術を行使したことで神経がすり減っていた。
実はユラから簡単な攻撃魔術を習い始めていたが、使わなかった。極限状態で上手に発動させる自信も、人を傷つける覚悟もなかった。使わなくて正解だったと思う。下手に抵抗すればどんな目に遭うのか分からない。小手先の魔術でこの盗賊たちに勝てるとは思えなかった。
ほどなくして三人の娘が順番に目を覚ました。
動揺する彼女たちに流音は小声で状況を説明した。
一人が泣き出し、他の二人が宥める。「こんな小さい子が我慢しているんだから」という彼女たちの声も湿り気を含んでいた。
広間に一人の男が入ってきた途端、盗賊たちは一斉に口をつぐんで背筋を伸ばした。
「お頭、どうです? なかなか上玉揃いっすよ」
お頭と呼ばれたのは三十代半ばくらいの無精ひげの男だった。娘たちの顔を値踏みするように眺め、テレビで観た悪者そのものの笑みを浮かべる。
「今回は実入りが多かったようだな。綺麗なまま売らなくてもいいか」
お頭の言葉に他の盗賊が舌なめずりをした。流音は悪寒に震え、娘たちは悲鳴を上げる。
「どの女にするかクジでもして決めろ。俺はガキ以外ならどれでもいい」
「あ、このガキが例の転空者っす。あの赤茶髪の魔術師が連れてた」
お頭が流音を見て鼻で笑った。
「はっ、恨むなら、てめーのご主人様を恨むんだな。あの陰気なガキのせいで親父は捕まって仲間もだいぶやられた。だが、これで溜飲が下がるってもんだ」
哄笑が上がる。
つまり彼らは数か月前にメテルの町を食い物にし、ユラに追い払われた盗賊団の残党らしい。仲間の敵討ちのためにユラのことを調べ、流音を攫うことで復讐とした。
なんて勝手なことを、と流音は腹を立てた。
彼らの方こそユラを恨むのは筋違いである。最初に悪事を働いたのは盗賊たちの方だ。しかも堂々とユラに仕返すのではなく、卑怯な手を使い、流音を攫って喜んでいる。
汚い。何もかもが許せない。
――この人たち、きっとユラが怖いんだ。
男たちがにやにやしながら娘たちに手を伸ばそうとした。流音は咄嗟に叫ぶ。
「もうすぐユラが助けに来てくれるもん! この場所のこと、魔術で伝えたから!」
声は波となって広間に響き、盗賊たちに動揺が広がった。お頭は眉間にしわを寄せ、流音を見下す。
「こ、これ以上罪を重ねないで。わたしたちを傷つけずに解放してくれたら、ユラに追いかけないように頼むから、だから……」
早く逃げた方がいい、と暗に盗賊たちに薦める。それで盗賊たちを取り逃がすことになっても、娘たちが痛めつけられるよりはずっといい。流音はそう思った。
「へぇ……」
お頭がにやりと笑った瞬間、茶色だった瞳が赤く光った。
――闇巣食い……!?
そう認識するや否や、黒い影が現れ、流音は吹き飛ばされた。
頬に鋭い痛みが走り、口の中に血の味が広がる。魔力で平手打ちをされたようなものだ。あまりの痛みに呼吸もできない。
「俺たちは別に奴が怖かったわけじゃねぇ。この世界から闇巣食いを減らすのが本意じゃなかったから、殺さないよう手加減してやったんだよ」
流音はぶるぶると身を震わせて小さくなる。もう涙をこらえるのは無理だった。
「だが、こんなガキに馬鹿にされて黙ってられねぇな。奴が来るってんなら返り討ちにしてやろうじゃねぇか」
「で、でも、お頭」
「奴は手負いで魔力もだいぶ消費してる。それに俺たちには神子様から授かった術がある。β級魔術師が来ようが騎士団が来ようが、負けるわけがねぇ!」
見張りを厳重にしろ、結界に異変がないか確かめろ。お頭が次々と指示を飛ばす。流音はそれをぼうっと聞いていた。涙が伝い、腫れた頬がじくりと痛んだ。
「おら、てめーはこっちに来い。さっきまでの威勢はどうした? え?」
乱暴に腕を掴まれ、流音は広間の中央に引きずられる。
「奴が来た瞬間、思わず動きが止まるような姿にしてやる。焼きゴテを用意しろ!」
「いいんですかい? お頭、こいつは神子様に売る約束じゃ」
「ちゃんと引き渡すさ。魔力機関さえ無事ならいいんだろ? 多少売値が下がっちまうかもしれねぇが、構わねぇさ」
お頭は泣きじゃくる流音を見下ろして言った。
「この世界ではな、逃亡や罪を犯した奴隷の背中に焼印をつける。焼印持ちになると、いくら金を積んでももう平民にはなれない。一生奴隷のままだ。悲惨だろう? 闇巣食いも同じだ。一度堕ちたら日の当たる道には戻れねぇ。永遠に救われない」
背中側で縛られていた手を解放され、流音は下っ端たちの腕力でうつぶせに床に押さえつけられた。
「だが、神子様は言った。闇の時代の再来によって世界はぶっ壊れる。そうすりゃオレたちも救われる。てめーも仲間にしてやるよ! 奴隷に堕ちて苦汁を舐めて、救われる日を指折り数えて待ってな!」
鉄の判が松明の炎に晒され、どろりとした赤い光が視界の端に映る。今からあれを背中に押し付けられるのだと思うと、流音はじっとしていられなかった。
「離して! 嫌!」
流音の悲鳴と盗賊たちの笑い声がこだまする。
――ユラ、助けて!
その願いに応えるかのように、松明の炎が一斉に消えた。
「奴か!? 結界はどうなってる!?」
真っ暗闇の中、鉄の判だけがぼんやりと周囲を照らす。
風の渦が流音を中心に外に向かって吹き荒れ、そばにいた男たちが残らず排除された。短い悲鳴と物音が断続的に聞こえる。
「ルノン。無事ですか」
抑揚のない声がすぐ近くで聞こえた。
「ユラ……!?」
ユラが握りしめていた拳を開くと、無数の赤い弾丸が松明の台に飛び込んだ。炎が盛んに上がり、広間に明かりが戻る。
――助けに来てくれた!
抱き起こされて顔を上げると、ユラが目を見開いた。そして床に膝をついて流音の頬に冷たい手をあてがう。殴られたところだ。きっとひどく腫れているのだろう。羞恥心はもちろんあったが、今は彼の表情の方がずっと気になった。
ユラは手で顔を押さえ、小刻みに肩を揺らした。
笑っている。声を殺してくつくつと。
尋常ではない様子に、広間は異様な空気に支配される。
「ユラ……?」
流音は不安になって彼の服を遠慮がちに引っ張る。
「すみません。もう、笑うしかなくて……怒りが限界を越えました」
流音は愕然とした。
――そうか。ユラは怒るとこんな風に笑うんだ。
ひどく遠い出来事のように感じた。
ユラの人形のような顔に人間らしい表情が浮かんでいるのに、現実味がないなんておかしな話だ。
ユラは流音を抱えて立ち上がる。
取り囲んでいた盗賊たちは武器を構えたが、誰一人飛びかかってくる者はいなかった。ユラから漏れる濃密な闇の魔力が無数の棘となり、盗賊たちの動きを縫い付けているようだ。
ユラの瞳が血の色に輝く。
「ルノン、目を閉じていてくれませんか? きみの目が汚れてしまいます」
流音は身じろぎひとつできなかった。その残酷で清々しい微笑みから目を逸らすことすらできない。
やがてユラの手がそっと流音の両目を覆い、音しか聞こえなくなる。
「こんな気持ちになったのはとても久しぶりです。いえ、初めてかもしれません。驚きです。礼をしなければいけませんね。あいにく魔力の残りが少ないので、十のうち二の力でお相手しましょう。それでも盗賊ごときにはもったいないくらいだと思いますが」
穏やかな声とは不釣り合いな禍々しい魔力の奔流を感じ、流音はぎゅっとユラにしがみついた。
【光に見放されし哀れな獣よ。血液一滴残さず、沈め】
闇の気配が俊敏に蠢いた。
盗賊たちの断末魔、命が呑み込まれていく音、何かが爆発したような振動……。
どこから魔力があふれてくるのか、どんどん闇の気配は濃くなっていく。流音はあまりの恐怖にがくがくと震えた。
――こんなの……嫌!
もうやめてと小さく呟く。ユラには届かない。
盗賊たちには何の憐れみもない。当然の報いだと思う。だけどこのままではユラまで闇に飲み込まれて消えてしまう。そんな気がした。
――止めなきゃ。
積乱雲のようにもくもくと気持ちが発達していき、心に雷を落とした。魔力を封じていた首輪が震え出し、青と白の光が漏れ始める。
「ユラ! やめて!」
流音が感情のまま叫ぶのと同時に、首輪が粉々に砕け落ちた。
その瞬間、ユラと流音の魔力がぴったりと重なりあい、眩い光を放つ。お互いの魔力が対になって消滅していった。
ロウソクの火を吹き消したように周囲から力の圧が消え、二人はもつれてその場に座り込む。
闇の気配が去り、わぁっと泣き声を上げて流音はユラの首に抱きついた。
「……ルノン? どうしたんです?」
「もうやめてっ。怖いのヤダ。ユラが暗い方に行くの、嫌なの!」
壊れ物を触るように、恐々とユラの手が流音の背中を撫でた。
「そんなに怖がらせてしまいましたか。すみません。もうしません。大丈夫です……」
流音が涙を拭って見つめると、深緑色の瞳がひどく狼狽していた。ユラは泣き出す寸前のような情けない表情をしていて、もうどこにも怒りはない。
――お礼を言わなきゃ。
助けてくれてありがとう。もう怖くない。
そう言おうと口を開きかけたとき、ユラの背後で赤い光が瞬いた。盗賊のお頭が恐ろしい形相で剣を振りそうとしていた。
あっ、と流音が息を漏らした瞬間、血の花が散る。
「……やぁ、縁があるねぇ。可愛いお嬢さん」
お頭は血を吐いて崩れ落ちる。
白刃を手に、爽やかな笑みを浮かべた騎士が立っていた。
 




