34 因果は巡る
ユラはヴィヴィタの背に乗り、上空から周囲を探した。
魔力の残滓でも盗賊の足跡でもいい。何か手がかりがないか、必死に目を凝らし、魔力感知を展開し続ける。
心臓がじくじくと痛み、胃に穴が開きそうだった。
流音の魔力を感じない。つまり、彼女はもう……。
――いえ、あり得ません。すぐに殺すつもりなら連れ去りはしないでしょう。
王政の乱れを機に犯罪件数は年々増えているが、検挙率は横ばいだ。国やレジェンディア騎士団の追跡をかいくぐる魔術が犯罪組織に流布している。どこかでそんな記事を読んだ。
きっと何らかの方法で流音の魔力を一時的に消しているのだ。
ユラは自分に強く言い聞かせる。
必ず見つけて助け出す。
例え仮初でも、家族を失うのは嫌だ。
「っ!」
そのとき、唐突に気づいた。
自分も盗賊と同じことをしている。
流音の本物の家族が今どんな気持ちなのか。
この世界に来たばかりの流音がどれだけ怖い思いをしていたか。
――俺は……そんなことも分からないんですね。
親と離れて森を彷徨い、何年も囚われたことがある。そのとき確かに恐怖や心細さを感じていたはずなのに、同じ思いを流音にさせて平然としていた。
戦慄した。全身から血が干上がってめまいを起こし、思わずヴィヴィタから落ちそうになる。
しっかりしなくてはとぐっと心臓を押さえる。今は懺悔をしている場合ではない。
とにかく今は流音を助けることに集中しようと心を定める。
ふと、風に混じった違和感に気づく。
「ヴィヴィタ、降りて下さい!」
地上に降り、ユラはブーツが泥で汚れるのも構わず駆けた。
濁った水たまりに白い泡の塊が浮かんでいた。触れてみるとぱちん連鎖的に弾け、ほのかに瑞々しい香りがした。
「かすかですが、ルノンの魔力です」
流音は石鹸の合成魔術でしるべを残したのだろう。魔力を外に放出せずにどうやったのか見当もつかないが、間違いない。
「ルゥどこ!?」
ユラは村の位置から盗賊たちの逃走した方角を割り出す。これだけ手の込んだ追跡を防ぐ術を使っている。さらに迂回や遠回りで追跡者を攪乱するだろうか。……するかもしれない。
ユラはとりあえず進む。
水たまりの上にまた泡の塊が浮かんでいた。真っ直ぐ等間隔に。
このままの道で合っている。そう言われている気がして、ユラとヴィヴィタは先を急いだ。
やがて湿った森に辿り着く。地面は沼との区別がつかないほどぬかるんでおり、足跡もすぐに溶けて消えた。一歩踏み間違えれば、底なしの汚泥の中に落ちていきそうである。泡のしるべも吸い込まれたのか途切れてしまっていた。
この天然の罠は、盗賊団のねぐらにふさわしい。
「この先です」
隠しようもないほど森の雰囲気は異常だった。生物の気配がまるでなく、物音一つしない。不気味な空気が横たわっている。
【旋風の哀、ここに】
ユラはそよ風で森の葉を揺らす。しかしある一点から先の枝葉の動きが弱くなった。境の線が引かれている。
「何かある?」
「ええ、広域結界が張られていますね。……盗賊のくせに生意気です」
ユラは結界や封印魔術の専門家だから見破ることができるが、本来この森に張り巡らされた結界は簡単に見つけられるものではない。協会認定の魔術師でも引っかかるだろう。
結界の持続を助ける魔沃石が境目に残っていた。石の表面に術式の一部が刻まれている。
ユラはすぐに結界の構造を分析した。
結界があると知らずに足を踏み入れればすぐに弾きだされ、内部の人間に侵入者の存在が伝わる仕組みだ。二年前に考案されたロナウス式波及構造結界だった。
「ですが、所詮素人さんですね。この術式の利点を理解していないようです」
ユラはすぐに術式の不備を見つけた。魔力が足りないのか、オリジナルの結界を簡略化している。それでも見事な術式だが、突破することも可能だった。
「おいらのブレスで木端微塵にする?」
「いえ……敵が何人いるか分かりませんし、人質もいます。冷静に、慎重に行きましょう」
ユラはまず連絡用の魔術を使った。
村に到着しているだろうメテルの警備隊や、高位の魔術師に届くSOSサインを鳥に模して飛ばす。盗賊の中に魔力感知できる者がいるかもしれないので、かなり術式を重ねがけして偽装した。
負傷した右腕と頭の奥がじぃんと痺れる。
今日は魔力を使いすぎていた。まだ余力はあるものの、度重なる術式の行使で脳も疲弊している。
このまま応援を待った方がいいかもしれない。一人と一匹では何かあったときに対応できない。
しかし今にも流音がひどい目に遭っているのではないかと思うと、気が逸って仕方がない。ヴィヴィタに冷静になれと諭しながら、ユラ自身も頭を冷やす必要を感じた。
迷いながら、ポケットの赤いリボンに触れた。
覚悟はすぐに決まる。
「……俺が潜入して中の様子を見てきます。ヴィヴィタはここで――」
「ヤダ! おいらも行く! ルゥもユラも心配!」
「大丈夫です。ピンチになったら呼びます。お願いします、ヴィヴィタ」
涙目のドラゴンの頭をそっと撫でる。
ユラは正式な戦闘訓練をほとんど受けていないが、頭でっかちと揶揄される学会所属の魔術師の中では戦える方だ。
幼少期は魔境の森で息を殺して過ごし、軟禁中は犯罪者たちから武勇伝を聞き、魔術学院時代には友人だった男の訓練に付き合って無茶な模擬戦をしていた。
勘も心得も経験もある。
【親愛なる闇よ、応えよ。我が姿を覆い、掻き消せ】
レベルβの闇魔術だ。周囲の人間から知覚されなくなる漆黒ベールを纏う。
かなりの魔力を消費し、鉛がのしかかっているかのごとく体が重くなる。
ユラは歯を食いしばって結界の術式に小さな穴をあけ、音もなく潜り抜けた。




