32 忍び寄る危機
しばらくシリアス展開が続きます。
川の氾濫が収まり、歓喜に沸く村。
流音とユラは堤防の補強工事の様子をぼんやりと眺めていた。手伝うことはないかと尋ねたが、「服を汚しちまったら悪い」という理由で断られた。
今日は町にお出かけだったので流音は少しおしゃれしていた。場違いだったと恥ずかしくなる。
「すみません、魔術師さん! ちょっといいですかね?」
一台の魔道二輪車を引いた男がやってきた。
その男性は腰を低くして、地平線の彼方に霞む峠を指差した。
男性は旅人で昨日までこの村で雨宿りをしていたらしい。今日一雨来る前に峠を越えようとしたが、土砂崩れで道が塞がっており、仕方なく引き返してきたという。
「お疲れのところ申し訳ないんだけど、何とかしてもらえませんかね?」
「……はぁ。地形を変えうる土木系の魔術は、行政からの正式な依頼がないと使えません」
「そこを何とか! 妹の結婚式までに町に帰りたいんですぅ!」
男性は地面に額をつける勢いで頭を下げた。必死さがひしひしと伝わってきて、流音はユラの袖を引っ張る。
「助けてあげられないの?」
「この調子で頼まれごとを引き受け続けたらキリがないです」
その言葉には「面倒くさい」という感情がほんのり滲んでいた。せっかくすごい魔術師だと見直したのに台無しだった。
「峠の道が埋まってるって? そりゃ困る」
男性の大声に村人たちも騒ぎだし、ユラを取り囲み始めた。結局視線の重圧に負け、ユラは渋々頷く。
「仕方ありません。学会魔術師の評判を貶めるわけにもいかないですね。ルノンはここで待っていてくれますか? さすがに土砂崩れの現場は危ないです。友達と一緒なら心細くないでしょう」
「う、うん。分かった」
ユラは単身ヴィヴィタに乗って、峠に向かっていった。ちょうど補強工事も終わり、戻ってきたアッシュと一緒に村の納屋でユラの帰りを待つことにした。
遠くからかすかに地鳴りのような音が聞こえる気がした。ユラが魔術を使っているのかもしれないが、さすがに距離が空きすぎて魔力を感じられない。
流音はリボンを弄びながら、深いため息を吐いた。
「心配か?」
アッシュが苦笑する。
ずっと峠の方を見つめていたのがバレていた。流音はもじもじと頷く。
「うん。ユラは平気そうだったけど、すごい魔力使ってたもん。疲れてるんじゃないかと思って」
「ああ、うん……たしか、に……?」
突然アッシュの体が傾き、がくりとその場に伏した。
流音が声も出せずに驚いていると、他の軒先にいた人々も次々と倒れていった。村のあちこちから短い悲鳴と物々しい音が響き始める。
「え? なに、どうして? アッシュ、しっかりして!」
流音が混乱で泣きそうになっていると、通りに人影がぞろぞろと現れた。助けを求めようと顔を上げた途端、心臓が凍りつく。
「あ? なんだ、このガキ。睡眠魔術が効いてねぇぞ」
「生意気な。そうとう強い魔力の持ち主ってことか」
「じゃあそいつじゃね? 転空者のガキ。……攫え」
村人とは雰囲気の異なる男たち。粗野で凶悪な言動に流音は息を飲む。視界の端で、家々を好き勝手に荒らしているのが見えた。
――も、もしかして、盗賊?
流音は男たちに強引に腕を引かれる。
「やっ、何するの!?」
「暴れんじゃねぇ! 殺すぞ!」
怒号に身が竦む。盗賊たちはナイフや剣を持っていた。なす術もなく肩に担ぎあげられる。
「ま、待ちやがれ。ルノンを離せ……!」
衝撃で男がよろける。
アッシュが体当たりしてきたのだ。彼の唇からは血がこぼれ、足取りはふらふらと危うい。
盗賊が舌打ちをし、思い切りアッシュのお腹を蹴りあげた。
小さな体を九の字に曲げ、彼はその場に膝をつく。それでもなお流音に手を伸ばそうとする。
「アッシュ!」
流音も身をじたばたとよじって抵抗したが、無駄だった。アッシュは顔を殴られ、今度こそ気を失ってしまった。
「てめぇも大人しくしやがれ!」
「うっ」
他の盗賊に頭を鷲掴みにされて乱暴に揺らされる。
はらりと髪からリボンがほどけた。
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ユラは峠に到着し、自らの足で道を辿る。空中から土砂崩れが起こっている場所が見つからなかったからだ。木立に隠れているのかもしれない。
「おかしいですね」
確かに長雨のせいで地盤が緩んでいるようだったが、崩れ落ちるほどでもない。この辺りの地属性は安定している。
わずかな違和感に眉をひそめたときだった。爆発音が連鎖して響き、地面が大きく揺れた。
「ユラ危ない!」
その声に頭上を仰ぐ。大きな岩がユラに向かって落ちてきていた。術式を構築する間もない。
【うぃんどっ!】
ヴィヴィタの咆哮とともに緑色の風の渦が発生し、大岩を吹き飛ばした。衝撃でユラもその場にひっくり返り、無防備の体に岩の破片を浴びた。
「っく!」
右腕に鋭い痛みが走る。尖った瓦礫が服ごと皮膚を切り裂いて転がっていった。
ユラは痛みをこらえて素早く立ち上がり、砂埃に咳き込みながら道の脇の林に転がり込む。周囲には火薬の匂いが漂っていた。岩の崩落は人為的なものとみて間違いない。
しばらく息をひそめていたが、追撃はないようだった。人が出てくる気配もない。
「ユラ、大丈夫? ごめんおいら、手加減できなくて」
「いえ、助かりました」
ヴィヴィタの頭を撫でる。彼が助けてくれなかったら、今頃大岩に潰されていた。
「俺を狙ったんでしょうか……」
腕の止血をしながらユラは考える。
身に覚えがないとは言えない。闇巣食いを排斥しようとする団体はいくつもある。直近では盗賊団を一つメテルの町から追い払った。壊滅させたわけではないので、残党が恨みを抱いていて狙ってきてもおかしくない。
――まずいですね。
この峠に導いたことが罠なら、先ほどの魔動二輪の旅人もグルということだ。彼は村に残っているはずだ。
「ルゥが心配!」
「ええ、村に戻りましょう」
嫌な予感が首元にひやりと忍び寄っていた。




