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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第四章 

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31 魔術師のお仕事

 この国の気候の変化は穏やかだった。

 春夏秋冬の概念はあり、元の世界と同じように八の月は夏だ。

 しかし流音が知っている日本の夏の暑さと比べると、なんてことはない。長袖よりも半袖を着た方が快適だな、というレベルである。


 肌が感じる湿気は少ないものの、雨は多くなった。森の葉を叩く雨音と、ユラがペンを走らせる音を聞きながら、流音はうとうとと舟をこぎ出していた。読んでいた本からはすでに意識が脱落している。


「……できました」


 淡泊な声に目をこすって顔を上げる。

 ユラが心なしか満足げに、球の模型を眺めていた。


「できたって……魔術球の術式? 計算終わったの?」


「はい。大まかな作業は終わりました。微調整は実験をしながらしていきます」


 一気に眠気は吹き飛び、流音は拳を握りしめる。


「つ、ついにわたしの魔力を使うときが来たんだね。さっそく実験する?」


「いえ……まずは町の役場に行って、もう一度きみの魔力鑑定を行いましょう。この世界に来たばかりの頃と比べて、数値が変動している可能性があります。調整の目安にします」


「んー、確かに、ちょっとだけ魔力が増えた気がする」


 流音は記憶を辿る。キュリスにも以前、「まだこの世界に体が馴染んでいないから魔力が上手く使えないのだ」と指摘されたことがあった。


 ユラは球の模型を置き、ふらふらとベッドに倒れ込んだ。


「とりあえず、今日はもう寝ます……町には明日行きましょう。雨ですし……」


 流音が返事をする前に、ユラは夢の世界へ旅立っていった。無防備な寝顔をこっそりとのぞき、小さく「お疲れ様。おやすみ」と呟いた。



 翌日、灰色の雲が空を覆い隠していた。

 また雨が降りそうな気配はあったが、今のところ傘を差さずに済んでいた。


 町でユラと一緒にいても、前ほど露骨に避けられたりしない。それが嬉しくて流音の足取りは軽かった。

 水が溜まった場所を避けながら、スキップ混じりに歩く。髪が揺れると同時に、お気に入りの赤いリボンが視界の端にちらついた。最近、お出かけする日はいつも髪を二つに縛っている流音だった。


「転びますよ」


「だいじょう、きゃっ」


「……お約束です」


 濡れた路面に足を滑らせた流音だったが、寸前のところでユラに背中を支えられ、尻餅をつかずに済んだ。


「あ、ありがとう……」


 どういたしましてとユラは答える。


 ――来たばかりの頃は、わたしが転んでも放っておかれてたのに……。


 助け起こしてもくれなかったのが、今では転ぶ前に助けてくれる。格段の進歩に流音はますます嬉しくなる。

 自分の羽で飛んでいたヴィヴィタがちょこんと流音の頭に乗った。


「ルゥ、気をつけて。心配」


「うん、ごめんね」


「そうだ! ユラと手をつなげば安全!」


 ヴィヴィタの提案に流音はドキッとした。あわあわしながらユラを見上げる。


「目の前で何度も転ばれるくらいなら、つなぎますけど?」


「い、いい。今からすっごく気をつけるから。もう手をつなぐ歳じゃないもん」


「そうですね。しっかり歩いてください」


 それから町役場に着くまで緊張は解けなかった。



「あら、ユランザ様とルノン様、ヴィヴィタ様。今日はどうされました?」


 ペルネがにこやかに迎えてくれた。

 もう一度魔力鑑定をさせてほしい旨を伝えると、用意をするからと待合室へ案内された。


「どれくらい魔力上がったかなぁ」


「なぜわくわくしているんですか? きみの場合、元の世界に帰るときには魔力を封じなければならないのに」 


「そ、そうだけど、でも――」


「すみません、ユランザ様。少し別件でお時間よろしいでしょうか」


 反論の言葉を探していると、ペルネが慌てた様子でやってきた。隣には冷や汗をかいた男性を連れている。他の役人らしい。


「何ですか?」


「じ、実は近くの農村から支援要請がありまして……昨日までの長雨でキャンサ川が氾濫して、畑が水没しそうらしいんです。それで、そのぅ」


 男性が額の汗をハンカチでぬぐう。


「話は分かりました。俺の魔術で解決できないか見に行ってみます。村と川の地形が分かる地図をください」


 男性はほっとしたように息を吐き、ペルネとともに準備に戻った。

 魔術師はこういう風に頼られるものなのか、と流音は尊敬の眼差しをユラに送る。


「? 連れて行ってほしいんですか?」


「う。そんなこと思ってなかったもん。……でも、行っちゃダメ? 水害ならわたしも手伝えるかも」


 水のコントロールはだいぶ得意になってきたのだ。自信がある。


「……そうですね。どれくらい時間がかかるか分かりませんし、絶対に俺かヴィヴィタのそばにいると約束できるなら」


 流音は力強く頷く。



 ヴィヴィタに乗ると、目的の村までは十五分足らずで到着した。

 濁った水が川のカーブで堰を越え、漏れ出していた。村の男たちが畑を守るように土嚢を積み上げているが、このままでは長く持ちそうもない。水の勢いの方がずっと勝っている。


 安全な場所で地上に降り立ち、ユラは村人たちに近づく。


「すみません。メテルの町役場から依頼されてきました。俺は学会所属の魔術師ですが――」


 村の偉い人と話している間、流音はきょろきょろと周りを見回す。みんな泥だらけで疲れ切った顔をしていた。


「ルノン!?」


 アッシュがスコップを片手に目を丸くして立っていた。そばには見覚えのあるケテル一座の面々もいる。


「アッシュ、何やってるの?」


「見りゃ分かるだろ。ここの村に巡業に来たら、大変そうだから手伝ってんだ」


 流音もここに来た経緯を説明した。


「ふぅん。あの人が例のβ級魔術師か。はぁ、舞台で花形できそうな面してんだな」


「そう? ユラはたしかに綺麗だけど、舞台では映えないと思う」


 愛想どころか表情がほとんどない。


 ユラは村人から話を聞き終えると、地図を指差していろいろと指示を出し始めた。この地点まで退避してください、と聞こえた。

 

「ルノンもです。俺の邪魔にならないところに行ってください」


「むぅ。分かった」


 流音はヴィヴィタやアッシュとともに、村の端にまで移動した。村人たちも好奇に満ちた瞳でユラを見つめる。


 ――ユラが闇巣食いだってバレないよね……。


 畑を背にして川の方を向いているので、ユラが魔術を使って赤目になっても分からないはずだ。せっかく人助けをするのに、後味が悪いことになったら嫌だった。


 みんなが固唾を飲んで見守る。

 風に乗ってユラの詠唱の声がかすかに聞こえてきた。


【土塊は我が傀儡、濁水は怨敵。跳ねて盛り立て、潰して戻れ】


 流音は肌でユラの魔力を感じた。

 自分と同じ波動だからか、魔力の流れが手に取るように分かる。


 地属性と水属性が一つの術式の中に混ざり合い、編み込まれ、巨大になっていく。


【大地の鳴動、水流の悲鳴、屈強なる壁となり現出せよ】


 魔術が発動すると同時に地面が大きく揺れた。


 流音は近くの木につかまり、ひっくり返らずに済んだ。


「すげー!」


 あちこちから歓声が上がる。

 みるみるうちに川の水が押し戻されていき、土が抉れるように盛り上がって堤防となった。

 膨大な魔力の圧で固められた土壁。


 流音の身の内にある何倍もの魔力量を放出したにもかかわらず、ユラはいつも通りの無表情で村を振り返った。

 深緑の瞳に流音は安堵する。


「しばらくはこれで大丈夫だと思いますが、補強が必要です。それは人力で慎重にお願いします。雨が降ると崩れる危険があるので、迅速に」


 村の男たちは奇跡のような光景に興奮し、先ほどまでの疲れが嘘のように働き始めた。アッシュもその列に加わりにいく。 


 ――ユラって、本当にすごい魔術師だったんだ……。


 そんなことを改めて実感する流音だった。




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