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リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第一章 
3/97

3 ユラの要求

 ほどなくしてユラが足を止めた。

 町まで歩くのかと思ったが、ユラの家は森の中にぽつんと建っていた。周囲に他の人間の気配はない。


 三角の尖がった屋根が特徴的の小さな家だ。

 外から見たところ教室ほどの広さしかなく、一階建て。

 メルヘンチックで可愛いと思ってしまい、慌てて流音は頭を振る。油断は禁物だ。


 家の脇には、水瓶が置かれている。ユラはそこからひしゃくで水を汲んで、ポケットから取り出した布きれを濡らした。そしておもむろに流音の耳に触れる。


「やっ、何するの」


「俺の血で汚れています。気にならないのなら、いいですが」


「……じ、自分で拭く」


 すっかり忘れていた。流音は念入りに両耳と喉元を拭った。制服にはついていないようだ。ついでに泥だらけで黒くなっていた手を冷水で洗う。


「どうぞ」

 

 ユラが家の扉を開ける。

 抵抗はあったが、この不思議な森の中を逃げ回る気にはなれない。流音は覚悟を決めた。

 お邪魔します、と断るのもおかしいと思いつつも、一応小さく呟いてから足を踏み入れた。


 家の中は、カーテンで二つに仕切られているだけの簡素な間取りだった。

 一方はキッチンとダイニング。もう一方には理科室にあるような器具が並んだ台と、粗末なベッドが置かれている。研究室兼、寝室のようだ。

 どちらの部屋も物で溢れかえり、散らかっていた。そこにさらに流音の荷物が置かれる。


 案外普通の家だったので流音は安心した。生き物のはく製が吊るされてもいないし、鍋でゲテ物を煮詰めてもいない。


「座ってください」


 ダイニングテーブルは小さく、椅子は二脚しかない。が、一方の椅子には本が積まれていた。流音は空いている方の席につく。


「お茶は……今は苦いものしかありませんね。きみの口に合うとは思えません。水で我慢してください」


 悪びれもせず、ユラはグラスをテーブルに置き、埃をかぶっていたビンから水を注いだ。

 とても飲む気にはなれない。


 本を適当に片付け、ユラが正面の椅子に腰かける。そして疲れを滲ませ、深いため息を吐いた。


 ――ため息を吐きたいのはわたしの方なのに……。


 流音はだんだん腹が立ってきた。


「せ、説明を……どうしてわたしを異世界に呼んだの?」


「俺の研究の手伝いをしてほしいからです」


「研究?」


 ユラは頷く。


「俺はマテリアル魔術高等学会に所属しています。簡単に言えば、締め切りまでに魔術に関する論文を提出して、出来が良ければお金がもらえるという組織です」


 ようするに研究職に就いているのだろう。

 ユラはどう見ても十代の若者だ。

 もしかしたらこの世界の人間は見た目が若いのかもしれない。それとも十代で生計を立てるのが、この世界の常識なのだろうか。今の流音には判断できない。


「次の研究のテーマや理論は大体できているのですが、俺一人では検証できない内容です。そこで、きみを召喚して手伝ってもらうことにしたのです。もちろん誰でもいいというわけではありません。今度の研究では、俺と同じ魔力を持つ人間が必要なのです」

 

 ユラは言う。

 この世界の人間は大なり小なり魔力を持っている。

 しかし魔力には波形があり、人それぞれ違う。同じ波形を持つ人間はめったにいない。


 指紋やDNAみたいなものだろうか、と流音は想像した。


「わたしとあなたの魔力は同じものなの? ていうか……わたしにも魔力があるの?」


「はい。それは間違いありません」


 何だか信じられなかった。


「でもわたし、魔術なんて使えないよ?」


「知識がなければ何もできません。それに大抵の魔術は、個体の魔力と世界の魔力の摩擦で起きます。きみのいた世界は魔力濃度が異様に低かったのでしょう。個体が強い魔力を持っていても、対応する世界が弱ければ力は正しく発揮されません。暴発するだけです」


「う、えっと?」


 ユラの言葉が難しくて分からない。


「とりあえず、俺の研究のためにきみの魔力が必要なんです。危険や苦痛はありません。協力してください」

 

 どうしてユラが流音を召喚したのか、その理由は分かった。

 しかし納得はできない。


「そんなの、困る。いきなり知らない世界に連れて来られて、よく分からない研究に協力しろなんて……おかしいよ」


「よく分からない研究というのは聞き捨てなりませんが……まぁ、いいです。きみに拒否権はないですよ。気は進みませんが、自主的に協力してもらえないなら、強制的に命令をきかせるだけです。意味、分かりますか?」


 流音は息を飲んだ。


「ぼ、暴力を振るうの……?」


「いえ。さすがに子どもを虐待したくないです。でも、閉じ込めて命令を聞くまで食事を与えなければ、同じことでしょうか」


 淡々と紡がれる言葉が恐ろしかった。

 今すぐこの家から逃げ出したい。どうしてのこのこついてきてしまったのだろうと、数分前の自分を叱りつけたくなった。


「俺としても、そんな面倒なことはしたくありません。自主的に協力してもらえると大変助かります」


 流音は荒ぶる心臓を押さえ、呼吸を整えた。

 ちゃんと考えなきゃ。

 自分の命がかかっている。


「その……これは、犯罪じゃないの? 攫ってきた子どもを脅して作った論文が認められるって、おかしいと思う。この世界の法律はどうなってるの?」


「法律的には問題ありません。確かに召喚魔術を禁じる国もありますが、この国では認められています。それどころか、転空者の所有権は召喚魔術を行使した者にあります。つまりきみは法的に俺の物です」


 転空者、というのは流音のような異世界人のことらしい。が、そんなことはどうでもよかった。


「そ、そんなの絶対おかしい! なんて世界なの!」


「そうですか? まぁ、理屈は分かりますけど」


 机の上で頬づえをつき、ユラは告げる。


「教えておきましょう。この世界にもごくわずかですが、俺と同じ波形の魔力を持つ人間はいます。しかしその人間を探し出して、協力を頼もうとは思いません。単純に俺は嫌われ者なのです。見返りを十分に用意しても、断る人がほとんどだと思います」


 こんな勝手な振る舞いをしていたら嫌われるのも当たり前だ、と流音は呆れる。


「それにこの世界の人間を攫って、命令を聞かせることはできません。それは犯罪になってしまいます。だから、しがらみのない異世界からきみを連れてきたんです」


 ひどい話だった。

 この世界では転空者に人権がなく、実験に協力させるのに都合が良い。だから攫ってきた。

 ユラは悪びれもせずそう言っている。


「先に行っておきますが、一旦協力するふりをして、隙を突いて逃げても無駄です。俺は魔力感知ができます。誰かに助けを求めて保護されても、俺が権利を主張すれば返してもらえますから」


 ひそかに考えていた作戦を看破され、流音は口ごもる。


「というか、きみみたいに器量の良い子が一人でウロウロしていたら、あっという間に攫われてしまいます。下手をすれば奴隷商に売られますよ。この辺りはあまり治安が良くないです」


 奴隷、という言葉に流音は凍りつく。


 その様子を意味が分かっていないと勘違いしたのか、ユラはこの世界の奴隷について淡々と語った。

 奴隷が何をさせられるか、どんな生活をしているか、オブラートに包むことなくショッキングな事実を明らかにしていく。平均寿命や多い死因についても細かい数字を出して説明されたが、もう流音の耳には入ってこなかった。


「そうなるのは嫌でしょう? 素直に俺に協力するのが、きみにとって最も安全な選択です。分かってもらえましたか?」


 頷くことも、首を横に振ることもできなかった。

 しつこく返答を要求するユラに対し、流音は静かに嗚咽を漏らす。

 ぽろぽろと頬を滑り落ちる涙を見て、ユラが初めてわずかに焦りの色を見せた。


「……困りました。泣かせるつもりはなかったんですが。どうすれば泣き止んでくれますか?」


 そんなこと聞くな、とぴしゃりと怒鳴りつけたかった。しかし流音の口からは弱々しい声しか出てこない。


「おうちに……帰りたい……ママっ」


 脳裏に忙しい母の姿が浮かぶ。

 このまま帰らなければ、また迷惑をかけるだろう。もう母を困らせたくない。


 ――あれ、本当にそうなのかな……?


 むしろこのまま帰らない方が、母のためかもしれない。病気持ちの娘というお荷物がいなくなれば、大好きな仕事に専念できる。

 少しだけ悲しんで、その後は流音を忘れるために仕事に打ち込む。そんな母の姿が目に浮かんだ。

 ますます涙が止まらなくなる。


 ――しっかりしなきゃ。泣いたってどうにもならないのに……。


 流音は必死に涙を拭った。

 しかし、溢れ出る不安や恐怖はどうにもならない。次から次へと涙がこぼれ、頬を濡らし続けた。


「……家に帰りたい、ですか。その気持ちはまるで理解できませんが、いいですよ」


 ユラは小さくため息を吐いた。


「か、帰して……くれるの?」


「はい。送還魔術の方が面倒なのですが、仕方ありません。研究が終わったら、帰してあげます」


「えー……」


 今すぐ帰せと目で訴えかけると、ユラは肩をすくめた。


「先ほども言いましたが、別に見返りを渡すのが惜しいとは思っていません。他に望みはありますか? 相応の対価を払いましょう」

 

 その言葉で、流音の涙は止まった。

 相手は異世界の魔術師だ。現代日本で叶わない望みでも何とかしてくれるかもしれない。


「わたしの体を治して!」




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