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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第三章 

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24 ユラ、孤独を感じない夜

ユラ視点です。

 ガラスをこつんと叩く音で、術式に没頭していたユラの意識は引き上げられた。現実に戻ってきた反動で脳が揺れる。


 窓辺に白い鳥が佇んでいた。

 窓を開けると、鳥はユラの手の中に吸い込まれて紙の束になる。

 マテリアル魔術高等学会の会報だ。毎月発表される論文の概要や評価に関する連絡である。開発中の魔術が誰かに先を越されて発表されていないかは常に気になる。最新の情報には目を通す必要があった。

 ユラは嘆息する。三次元術式に関する論文はないが、いくつか心惹かれるタイトルがあった。


「きゃああ!」


 狭い家に物音と悲鳴がこだました。

 ユラは様子を見に行くかたっぷり十秒迷い、仕方なく立ち上がる。

 研究室からダイニングへ、といってもカーテンで仕切られているだけなので、すぐに向こう側の状態は把握できた。


 小さな同居人が尻餅をついてひっくり返っていた。床に散らばったクッションや毛布、ぎしぎし揺れる縄梯子から察するに、屋根裏部屋から落ちたらしい。


「……大丈夫ですか?」


 流音は顔を真っ赤にして俯いた。


「だ、大丈夫。抱えて降りたら踏み外しちゃっただけ……ユラのお布団もついでに洗濯しようか?」


「まだいいです。あまり使ってないので」


「寝てないってこと?」


 非難めいた視線に沈黙で答える。

 今までのユラの生活は不規則だった。

 頭の回転が鈍くなったら食べ、集中が乱れたら眠る。

 朝と夜の概念はなく、時間を自由に使うことは彼なりの贅沢だった。


 流音を召喚して以来、食事だけは決まった時間に取るようになった。十一歳にこちらの生活に合わせろという方が酷だし、食事を用意してもらえるのはありがたい。家事の手間がなくなったのは、ものぐさなユラにとって非常に喜ばしいことだった。


 ――本当に、良い子を召喚しました。


 都合が良い、という意味も含む。


 流音はユラの持ち物だが、その関係は主従ではない。にも拘らず、流音は積極的に家事を買って出てくれるし、今は研究にも協力的だ。自分から進んでやった方が合理的だと理解しているのだろう。


 今までの人生、周りは常に年上の人間ばかりでユラは自分より幼い子どもと接する機会を持たなかった。ゆえに比べる対象は当時の自分しかいないが、流音はかなりできた子どもだと思われる。

 魔術に置いては比類ない才能を持っていたユラだが、それ以外の事柄には疎く、向上心の欠片も持ち合わせていない。何事に対しても常に前向きな流音には度々驚かされた。


 流音は友達を作るのもうまい。

 その最たる例がキュリスローザだろう。この森の精霊はユラの前には現れない。


 以前流音は言っていた。

「元の世界でもね、もっと小さい頃は精霊さんが見えてた気がする。でもそういうの見えるのはおかしいって言われて、見えないふりをしていたの。悪いことしちゃったかな」


 流音がいた世界は魔力濃度が薄い。精霊の存在もこの世界よりずっと希薄だろう。それでも感じ取れていたのなら、それは才能に他ならない。


 ――本当に不思議な子です。


 自分と同じ魔力の波形を持つ少女。

 鏡のような存在のはずなのにまるで似ていない。


 最初のうちこそ泣き出して煩わしいと思ったものだ。今は頭を切り替えたのか、流音は次第に落ち着き、物事に柔軟に取り組んでいる。その環境への適応力と集中力にはユラも舌を巻く。

 たまに、今みたいな運動神経の悪さを露呈するようなドジを踏むが。


 何にせよ、流音との生活に不満はない。むしろ感謝しているくらいだ。

 だから最低限の自由と人権は尊重したいと思い、凪の市に出たいという願いも条件付きで認めた。


 ユラは自分が信じられなかった。

 あまりに流音が根を詰めるものだから、つい手伝ってお小遣いまであげてしまった。凪の市からひと月以上経った今でも、あのときの感情を説明できない。自分に小さい者に対する庇護欲の類があるとは思えないのだが……。


「ユラ? どうしたの?」


 宝石のような黒い瞳が訝しげにユラを見上げていた。


「いえ……俺は今日、町の書店に行きます。きみは」


「わたしも行く」


「俺はすぐ帰りますよ」


「え、でも、もうそろそろ食材が尽きそうだし、照明用の魔沃石も予備がなくなっちゃったもん。買い物しなきゃ」


「……仕方ありませんね」


 いつの間にかユラよりも家のことを把握している流音。お使いを頼まれるよりは、手分けした方がいい。

 二人は狩りに出かけたヴィヴィタの帰りを待って、メテルの町へ向かうことにした。






 かさばる食材の買い出しは後にして、ユラは書店、流音は魔沃石屋に向かうことになった。


「おいら、ルゥと一緒にいる」


 ヴィヴィタが迷うことなく流音の肩に乗った。防犯の観点からもそれは的確な判断だが、ほんの少しだけユラの胸はざわついた。


 ヴィヴィタたち竜族には絶対属性――生涯にわたって属性の変化がないという特徴があった。いずれ闇属性の染まり、周囲にまで影響を及ぼす闇巣食いのユラにとって、絶対属性のヴィヴィタはかけがえのない使い魔なのである。


 最近研究にかまけて全く面倒を見ていなかった。流音の方に懐くのは当たり前だ。

 なんとなく気落ちしつつ、ユラは書店に足を踏み入れた。


「すみません。取り寄せをお願いしたいのですが」


 書店の店主はユラの声に無言で頷き、そっけなく注文用紙を渡す。

 いつものことだ。常連客となって半年が経ち、これでも態度は軟化した方だった。最初のうちは舌打ちや無視をされていた。

 今朝の会報で気になった論文が掲載された専門雑誌の名を書き、店主が確認している間、ユラは何気なく書棚を眺める。


「……?」

 

 棚の陰から視線を感じた。流音と同じ年頃の少女が息を詰めている。 

 二人の目が合った瞬間、時が凍りついた。

 ユラは直感的に「スピカちゃん」だと思った。流音の話によく出てくる少女と特徴が合致している。そして向こうもおそらくユラのことを聞いて知っているのだろう。

 

 ――声をかけた方がいいんでしょうか。


 考えてみたが、何と声をかければよいのか分からない。

 流音が町に来ていることを教えるべきだろうか。しかしその前に挨拶をしなければならない。それはとても面倒な気がした。


 ユラの視線はやがてスピカが抱えている本に吸い込まれる。

 タイトルは、“奴隷の解放とその後”。


「難しい本を読むんですね。感心します」


 思わず漏らした感想にスピカは小さな悲鳴を上げ、本を一瞬で棚に戻して逃げ出してしまった。

 何が悪かったのかと考え、おそらく声をかけてはいけなかったのだと気づく。失敗した。


「お客さん……取り寄せに十日くらいかかるけど、いいかね?」


 店主の低い声にユラは頷く。

 注文書の控えをもらって立ち去ろうとしたとき、店主が一冊の冊子を差し出してきた。無料で配布しているメテルのタウン誌だった。

 こんなものを渡されたことは初めてだったので、ユラは眉をひそめる。


「これは?」


「最新号。あの転空者の子に」


 言われて思い出す。この雑誌を流音が愛読していて、よく分からない言葉を聞いてくるのだ。


「はぁ、どうも」


 ユラが受け取ると、気難しい店主はそっぽ向いて棚の整頓を始めた。






 流音たちと合流し、商店街の生鮮市場を歩く。食材選びは流音に任せ、ユラは入り口で待っていようと思ったのだが、あえなく却下された。


「ユラの食べたいもの教えて。最近献立が浮かばないから」


「何でもいいですよ。食べられれば」


「その言い方、失礼すぎる……」


 気が楽になるだろうと気を遣ったつもりの言葉なのに、流音には睨まれてしまった。仕方なく荷物持ちを引き受けて黙るユラだった。


「あらぁルノンちゃん、いらっしゃい。今日は一角マグロがお買い得よ」


「本当ですか? 美味しそう……じゃあ三切れ下さい」 


「まいどあり。カラス貝をおまけしとくわね。ヴィヴィタちゃん、アラ食べる?」


「わーい!」


 その親しげな様子にユラは呆然と立ち尽くした。


 ――ルノン……本当にすごい子ですね。


 このモノリス王国の民は転空者には好意的だ。救済した人間を虐げることに矛盾を感じるからだ。身勝手な行動さえしなければ、受け入れられるのも早い。

 しかしそれでも闇巣食いのそばにいる限り、普通は冷遇されてしまうはずだ。凪の市以来、女性に顔を覚えられてよくしてもらっているとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。


「ちょっと、あんた」


 魚屋の夫人がユラに胡乱な目を向けた。


「ルノンちゃんに苦労ばっかりかけさせてないだろうね? いくら若くてもあんたが保護者なんだから、しゃんとしなさいよ!」


 背中を強く叩かれ、ユラは何年かぶりに冷や汗をかいた。

 それから行く先々の店で流音は可愛がられ、ユラは牽制めいた言葉を囁かれた。


 この変化、ユラからすれば違和感しかない。

 これまで町の人間にはほとんど避けられ、無視されてきたのだ。若者の中には同情的視線を向ける者もいたが、近づいてくる者はいなかった。


「ルノン、もしかして俺のことを周りに話していますか?」


「え? うーん……」


 流音の目が泳ぐ。こういうところはまだ子どもだ。流音は迂闊な言葉は口にしないが、表情をまるで隠せていない。

 

「わ、悪口は言ってないよ? 嘘も言ってない」


「……そうですか。ならいいです。でも俺を擁護するとルノンが危ない目に遭います。気をつけて下さい」


「えっと、心配してくれてるの?」


 ユラと流音は同時に首を傾げた。


 ――心配? 俺が?


 確かに自分のせいで誰かが傷つくのは気分のいいことではなかった。流音のような小さな子どもならなおさらだ。

 ユラが取り留めのない考えを声に出そうとしたとき、ぽつり、と水滴が落ちた。

 にわか雨が話を中断した。






 夜、研究室で流音がもじもじと枕を抱きしめる。


「……本当にいいの?」


「構いません。今夜も眠らないつもりだったので」

 

 干しっぱなしの流音の毛布やマットが雨風で汚れてしまったため、ベッドを貸すことになった。

 流音は小さな声で謝って布団の中に入る。ヴィヴィタは枕元で既にすやすやと寝息を立てていた。


「あ、あの、寝顔見ないでね。絶対だよ」


「分かりました」


 女の子という生き物はどうでもいいことを気にする。

 部屋の明かりを消し、ユラは机の上にランプを載せる。


「ユラ、視力悪くならない?」


「……大丈夫です。早く寝て下さい」


「う。おやすみ」


「おやすみなさい」


 夜の静寂の中に、一人と一匹の寝息を感じる。

 ユラはほんの少し口元を緩めて、手元の紙を引き寄せてペンを走らせた。


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