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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第二章 

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21/98

21 凪の市

 紫がかった青空は雲一つない快晴。日差しは柔らかく、風も穏やかだ。

 凪の市当日。

 メテルの町は清々しい朝を迎えていた。


 西広場の一番奥まった場所が流音のスペースだった。正直いって立地はあまり良くない。隣は質の悪い魔沃石を並べた店だ。店主の老人は流音と目が合うとにかっと笑ってくれたので、悪い人ではなさそうだ。


「ついにこの日が来たの……!」


「頑張ろう!」


「えいえいおー!」


 スピカの声に流音とヴィヴィタが答える。

 木箱の上にテーブルクロスを敷き、その上に石鹸を少し積む。

 目立つ位置に額縁も飾った。キュリスローザの精霊紋と、それが本物だと証明する町長のサインだ。これで偽物だと疑われる心配はない。


「極めつけはこれ」


 流音は少量の水薔薇オイルが入った瓶の蓋を開けた。華やかな香りが辺りに広がる。人の嗅覚に訴えて誘う作戦だ。


「間に合ったようですね。良い香り」


「ひゃうっ、お姉ちゃん」


 朝一番、ペルネが店に顔を出した。役場の人間として見回りをしているようだった。

 ペルネはからかうように妹を見下ろした。


「スピカ。あなた、そんなことで売り子なんてできるの?」


「うぅ……る、ルノンちゃんと一緒なら」


「ルノンさんが休憩で席を外したら一人になるのよ?」


「ひぇ!」


 流音の背中に隠れて震えるスピカ。


「大丈夫! おいらが一緒にいる!」


「あ、ありがと……ヴィヴィタちゃん。すごく頼もしいの」


 ヴィヴィタの言葉に、スピカは涙を浮かべて感激していた。この一人と一匹もだいぶ打ち解けている。


「全くこの子ったら……また休憩時間に買いに来ますね。一つ取り置きお願いします」


 ペルネはウインクを残して去っていった。

 ほどなくして市の開始を告げる鐘の音が町全体に響き渡る。


「いらっしゃいませー」

「安いよ安いよ!」

「いいものあるよ! 掘り出し物だよ!」


 広場に活発な声が行き交い始め、流音とスピカは委縮する。緊張で声が出ない。


 ――ダメ。怖気づいたら誰も足を止めてくれない。


 恥ずかしいけど、今日までの努力を無駄にする方が嫌だ。流音は拳を握りしめ、思い切って声を張り上げた。


「み、水薔薇オイル入りの特製石鹸はいかがですかー? 凪の市限定ですよー!」


 子どもの高い声はよく通った。女性二人組が足を止める。好奇心と疑心が混じった瞳が石鹸に向けられる。たちまちスピカが流音の後ろに隠れた。


「えー、水薔薇オイルの石鹸? 本物?」


「はい! キュリス姫の恵みです。とっておきの日にオススメですよ」


 流音はキュリスの精霊紋と町長のサインを掲げ、にっこりと笑う。二人組は売り子二人の肌と髪の艶を見て目の色を変えた。スピカにも試してもらうためにと前日にヴィヴィタに届けてもらっていた。効果の説得力は抜群だろう。


「ほ、欲しい。でも大きさの割に高くない? これじゃ一週間ももたないよ」


「何言ってんの。本物ならかなり安いよ。水薔薇の商品がこんな風に小売りされることってないだろうし。特別な日に使う用なんでしょ」


 流音たちの店では、小さめ石鹸に50モニカの値をつけてある。これは一般的な大きさの石鹸と同じ値段だ。スピカ曰く、もっと高値を付けてもいいらしいけど、水薔薇オイルは無料でキュリスにもらったので、あまり吹っかけるのは良心が咎めた。


 悩む二人組に流音は商品よりさらに小さな包みを手渡した。飴玉のような見た目だが、中身は石鹸の欠片だ。


「あの、お試しにどうぞ」


「え? くれるの?」


「合成魔術で変な形にできちゃったものなんですけど、品質には問題ありません。買ってから肌に合わなかったら大変です。使ってみて感想を聞かせて下さい」


 失敗作を試供品にして無駄をなくす作戦である。実は結構な量の失敗作を出していたのだ。流音はぬかりなく利用することにした。

 試供品を受け取り、二人組は喜んで去って行った。使ってみて良かったらすぐ買いに来るそうだ。


「も、もったいないの……失敗作も安値で売ればいいのに」


「ううん、無料お試しも大切なことだよ。女の人の美容に関する訴訟ってすごいお金が動くってママが言ってたもん」


 高価なものを売るのだから信用は大切だ。

 その後も水薔薇の香りや流音の呼び込み、ヴィヴィタの可愛さに足を止める者に積極的に営業をかけた。スピカは終始もじもじしていたが、流音のサポートを務めてくれた。

 

「一つ下さい」


 初めて売れたときは思わずスピカと抱き合った。商売の楽しさを噛みしめる流音だった。


 昼頃、さすがにお腹が空いてきたので、ユラにもらったお金で軽食を買い、二人と一匹で店番をしながら食べた。柔らかいパンの中にチーズに似たとろとろの物体が入っている。噛むたびにじゅわりと味がしみだしてきて、飲み込むのを惜しむように完食した。


「美味しかった……幸せ」


 スピカのオススメに間違いはなかった。

 流音はふと思いつき、ヴィヴィタに声をかける。


「ヴィーたん、あの……これユラに届けてあげたいんだけど、行ってくれる?」


「いいよ! ユラきっと喜ぶ!」


 新たに買ったパンを袋に三個詰めて、ヴィヴィタに配達を頼んだ。ユラにもらったお金なのだから、彼に還元しないと申し訳ない。代わりに作業をしてくれたお礼は改めてしようと思っている。


 ――ユラ、今頃どうしてるかな?


 流音は今朝の出来事を思い出して赤面した。

 感極まったとはいえ、思い切り抱きついてしまった。変な風に思われてないだろうか。今日帰ったらどんな顔をすればいい。


 ――きっとユラのことだから全然気にしてないと思うけど。


 それはそれでなんだか面白くない。流音ばかりが動揺するのは不公平な気がする。

 もうひと月以上も一緒に暮らしているのに、まだユラのことが分からない。

 闇巣食いの話も本人とはできていない。今までどういう風に生きてきたのか、どんな気持ちで封印魔術の研究をしているのか、知りたいことは山ほどあった。


 いつの間にか流音はユラのことを理解したいと思っていた。

 

 ――ちょっと優しくされただけなのに……。


 今までユラから優しさを感じたことがなかった分、効果は絶大だった。

 本当は優しい人なのかな、優しい人だったらいいな、と妙な期待をしてしまう。胸がちくちくと痛い。それが何故なのか流音には分からなかった。

 賑やかな祭りの様子をぼんやりと眺め、流音はため息を吐いた。

 家で一人で研究を続けるユラの姿が頭から離れない。

 

 

「ほほう、水薔薇オイルの石鹸? これは珍しい。お嬢ちゃんたちが売ってるのかい?」


 一人の中年男性が露店に足早に近づいてきた。商品を興味津々に見つめる。年配の男性客は初めてだったので流音は少し怯む。


「は、はい。いかがですか?」


「そうだなぁ。故郷の妻と娘たちのお土産に良さそうだ。五つもらおう」


「あ、ありがとうございます」


 五つも同時に売れるのは初めてだった。流音は素直に喜ぶ。

 男は財布を取り出し、額を叩いた。


「しまったぁ。モニカ硬貨がもうなかった。お嬢ちゃん、これで支払わせてくれないか?」


 見たことのない銀貨に流音は目を瞬かせる。

 モノリス王国で使われているのはモニカ硬貨と、同盟内で流通しているレジカ硬貨だけだ。そのどちらとも違う銀貨だった。


「すぐ町を発たないといけないんだ。両替屋に行く時間がない。心配はいらないよ。これはサイカ王国の記念硬貨でね。一枚で270モニカくらいの価値があるんだ。おつりはいらないから頼むよ」


 流音はスピカを振り返る。


「え? え? どうしよう、スピカちゃん」


「ウチも見たことないお金……」


 物知りなスピカが知らないというのは怪しかった。しかし男性は本当に申し訳なさそうに眉を下げており、演技をしているようには見えない。


「でも、やっぱり」


「頼むよ、お嬢ちゃん。娘たちを喜ばせたいんだ。なぁ? いいだろ? 20モニカも得するんだ。悪い話じゃない」


 男が台に手をつき、必死に食い下がる。徐々に大きくなっていく声と、血走った目に恐怖を感じた。時間がないという割に男は粘り、しまいには流音の手を取って無理矢理銀貨を握らせようとしてきた。

 困ります、と言いやろうとしたとき、


「やめな」


 一人の少年が男の腕を強引に流音から引き剥がした。

 獅子のように鋭い眼光に流音も男も息を飲む。


「ガキを偽金で騙そうなんざ、みっともないぜ」




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