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リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第一章 
2/97

2 誘拐されました

 流音は目を見張る。


 人形みたいに美しい少年だった。


 歳は十六、七歳くらいだろうか。近所の高校生と同じくらい。

 声を聴いていなければ女性と見間違うほど中性的な容姿だ。


 肩まで伸びた赤茶色の髪が顔の右半分を不自然に隠している。

 どうしてだろうという疑問はすぐに解けた。赤い瞳のせいで目立たなかったが、右目の下に三センチほどの傷が垣間見えた。

 こう思っては失礼かもしれないが、その痛々しい傷が少年の唯一の人間らしい部分だった。それ以外のパーツは整いすぎていて、どこか造り物めいている。


 ――こ、コスプレイヤーさん……?


 少年は丈の長い黒いコートを羽織っていた。ローブと言い換えてもいい。日常ではまず見かけない服装だが、少年には不思議と似合っている。

 漫画やゲームのキャラクターがそのまま目の前に立っている感じで、現実感がない。


 ――ここ、どこなの?


 先ほどまで桜の木の下を歩いていたのに、いつの間にか土壁に囲まれた薄暗い場所にいる。少年の足元に置かれているランプの光で何とか周囲を確認できた。


 ――穴に落ちて地下に……? ううん、そんなんじゃないよね?


 呆然と周りを見渡す。

 流音が座り込んでいる地面には、線が走っていた。

 大きな円の中に納まるように星が描かれ、アルファベットに似た文字がびっしりと書き込まれている。その中央で、流音は座り込んでいた。

 星マークの尖がった部分には、花や剣、動物の頭蓋骨のようなものが置かれている。


 ――えっと……もしかして、魔法陣? なんかの儀式?


 漫画やアニメでしか見たことがないものが、足の下に広がっていた。

 流音ははっと気づく。

 よく見ると魔法陣の色が赤黒い。鉄の匂いもする。

 多分、血液だ。


 流音は慌てて立ち上がり、制服のスカートを払った。手に赤色が付着し、泣きそうになる。

 目の前の少年は、それを黙って見ている。


「この人誰!? 吸血鬼? 悪魔? ここは魔界? それとも地獄? わたし、もしかして本当に死んじゃったの!?」


 もう限界だった。涙混じりの声で叫ぶ。


『いえ、俺は魔術師です。ここはただの洞窟。そしてきみは生きています』


「ひっ」


 目の前の少年は口を動かしていない。その声は流音の頭の中に響いてきた。


『驚かせてすみません。俺も驚いています』


 わなわな震える流音とは違い、少年の表情は一ミリも動いていない。とても信じられなかった。


『〈心話〉は疲れるので、先に〈洗礼〉をさせて下さい。話はそれからです』


 何の躊躇いもなく、少年は自らの親指を噛んだ。血がすーっと白い肌に零れ落ちる。

 そして、その血に濡れた指を近づけてきた。

 流音はイヤイヤと首を振り、後ずさる。


『〈洗礼〉を受けないと、損をするのはきみです。言葉が通じません』


「な、何それ……何を言ってるの?」


『分かりませんか? 本当に困りました。随分知能の低い人間を呼び出してしまったようですね』


 頭の中で声が聞こえる原理も、少年の言っていることもさっぱり分からないが、馬鹿にされていることは何となく理解した。


『まぁ、いいです。その方が扱いやすい面もあるでしょう。きみの名前を教えて下さい』

 

 知らない人に個人情報を教えてはいけません、と母にも学校の先生にもきつく言われている。流音はその教えに従い、口を閉ざした。


『名乗らないなら、適当に……面倒ですね。一号と呼ぶことにしましょう』


「イヤ!」


 反射的に叫んでいた。


『イヤ、という名前ですか?』


 本気なのか、とぼけているのか、少年の無表情からは何も読み取れない。

 流音は渋々答えた。一号と呼ばれるのはとても不愉快だ。


「若山、流音」


『ワカヤマ・ルノン……ファーストネームはどちらです?』


「……流音」


 少年は頷き、素早く腕を伸ばして流音の肩を掴んだ。

 恐怖で身が竦んで動けなかった。

 少年の血濡れの親指が、左の耳たぶ、右の耳たぶ、喉元の順に軽く触れていく。


「――――」


 初めて少年が自らの口で言葉を紡いだ。が、何を言っているのか流音には分からない。めちゃくちゃな外国語に聞こえる。

 混乱する流音を見て、少年がぱちぱちとまばたきをした。


【大いなる英知よ。この地を踏む新たな生命――ルノンに、言霊の加護を与えたまえ】


 頭に呪文が響いた瞬間、全身が光に包まれた。

 光がとても温かかく優しかったので、流音は悲鳴をあげずにいられた。


「ルノン、俺の言葉は分かりますか?」


 光が萎むと、少年はポケットから包帯を取り出し、親指に巻きつけ始めた。流音はおずおずと頷く。彼の言葉が日本語として聞こえたのだ。

 少し考え、流音は恐々と口を開く。


「あなたは、誰?」


「俺はユランザ・ファウストと言います。ユラと呼んでください。先ほども言ったとおり、魔術師です」


 日本人ではないことにまず驚き、彼の職業に改めて仰天する。


「ま、魔術師って、魔法使いみたいなもの?」


「似て非なるものです」

 

 嘘だ、とすぐに思った。

 サンタの正体を幼稚園児のときに見破っていた流音である。魔術も魔法も実際には存在しないものだと知っていた。

 

 しかし、頭に響いた声や、体を満たした光が何かのトリックだとも思えない。突然この洞窟にワープしたことも、魔術でも使われないと説明できない気がする。


 さらに都合の悪いことに気づいた。

 先ほどまで赤く輝いていたユラの瞳が、今は深い緑色に変わっている。一瞬で目の色が変わるなんて、普通ではあり得ない。


 ――本物!? 信じられないけど、でも……。


 流音は完全に混乱していた。


「魔術師なんて、そんなの……」


「きみのいた世界では存在しませんか? それとも絶滅していますか?」


「世界?」


 ユラはゆっくりと告げた。


「ここは、きみのいた世界とは別の世界……きみにとっては異世界です」


 異世界。

 そのワードに流音は呆気にとられる。


「えっと……どうして? なんでわたし、ここにいるの?」


「俺が連れてきたからです。召喚魔術で」


 この状況を的確に表す言葉を流音は見つけた。


「誘拐?」


「そうですね。きみからすれば、俺は誘拐犯といって差し支えありません」

 

 少年はあっさり認める。


「な、何が目的なの? わたしのこと、どうするの?」


「そう警戒しないで下さい。むやみに子どもを傷つける研究はしていません。そんな趣味もありません。話すと長くなります。家で説明しましょう。ここは空気が悪いです」


 指摘されると、途端に血生臭さが増した気がした。

 家についていくなんてとんでもないが、この場所にとどまるのも嫌だ。


 ――魔術師とか、異世界とか、意味分かんないけど、とりあえず落ち着こう……。


 十一歳とは思えないほど賢くてしっかりしている、とご近所で評判の流音である。

 誘拐犯が相手でも立派に対応しようと意気込む。


 流音は控えめにユラを見上げた。

 彼の顔からは何の感情も感じ取れない。敵意や悪意もだ。

 目の色が深緑に変わってからは、不思議と怖くなかった。

 歳がそう離れていないせいもあるかもしれない。流音がテレビドラマで見た「誘拐犯」はもっと大人で、嫌な笑顔を浮かべていた。


 ――今のところ、手荒なことはされなさそう、かな?


 ユラを信用するわけにもいかないが、今は黙って従おうと流音は決める。抵抗したらいきなりキレるかもしれないし、何か事を起こすなら周りに他の人間がいるときにすべきだ。

 自分の判断に満足して流音は頷いた。


「きみは身なりがいいのに、こんなに荷物を運んで……貴族の家でメイド見習いでもしていたのですか?」


 ユラの言葉に流音は自らの服装を見下ろす。

 小学校指定の、ワンピースタイプの濃紺の制服だ。胸元に大きな赤いリボンがあるが、全体的に上品で大人しいデザインである。

 この世界のメイドはこういう服を着ているのだろうか。そもそも流音は喫茶店で働くコスプレ的なメイドしか知らない。

 貴族の屋敷で働く本物のメイドさん。少しだけ見てみたい。

 

 ――て、何考えてるの、わたし。メイドさんのことなんて今はどうでもいいのに。


 好奇心で思考があらぬ方向へ向くのは流音の悪い癖――というか数少ない子どもらしい部分であった。


 ユラがランプと地面に落ちていた流音の荷物を持ち上げ、先に歩き始める。

 自分で持つ、と言う間もなかった。流音は通学用のリュックを背負い直し、その背を追いかける。


 洞窟は緩やかにカーブしていた。

 少し歩いただけで光が差しこみ、流音は出口で目を細める。


 外は深い森だった。瑞々しい空気に、思わず深呼吸してしまう。

 空は高く、紫がかった青が広がっていた。森には幹がくねった木々が生い茂り、毒々しい色の花が咲き乱れ、見上げるほど大きなキノコが群生している。


 ――童話の中に迷い込んだみたい……悪い魔女に会いそう。


 気候は穏やかだった。寒くも暑くもないし、湿気も気にならない。

 

「この先です」


 ユラは獣道を進む。

 こんな場所ではぐれるわけにはいかない。流音は恐る恐る後に続く。


「そうだ、体調はどうですか? 気持ち悪かったり、頭が痛んだりしませんか?」


「え……だ、大丈夫」


 そう言えばさっきまで具合が悪かったのに、今は健康そのものだ。羽が生えたように体が軽い。不思議だ。


 ――びっくりしすぎて治ったのかも……。


 その可能性は大いにあった。

 流音は未だにこの状況をまるで把握できていない。


 森の中には目を疑うものが溢れていた。

 赤と青のマーブル模様のリンゴ、自分の顔と同じ大きさの蜘蛛、人間のように腹を抱えて笑う猿……。

 驚きすぎて言葉も出てこない。

 ユラを質問攻めにしたいが、考えることがいっぱいでちっともまとまらない。


 ――本当に異世界なんだ……どうしよう。


 きょろきょろと忙しく首を動かしていたせいで、足元への意識が散漫になっていた。


「はわっ」


 わずかなくぼみに足を取られ、流音は盛大に転んだ。

 手の平と膝が痛い。そして何より、視線が痛い。


「…………大丈夫ですか?」

 

 ちっとも大丈夫ではなかった。恥ずかしくて死にそうになる。が、いつまでも地面に引っ付いているわけにもいかず、流音は涙をこらえて立ち上がった。幸い、手も膝も赤くなっただけでケガはない。


 ユラは助け起こそうという素振りを一切見せなかった。義務のように大丈夫か問いかけるだけ。


 ――この人……キライ。


 転んだのは自分の不注意だが、この状況に陥れたのは間違いなくユラだ。

 恨むのは筋違い、ということもないだろう。


 流音に睨まれても、ユラは涼しい顔を崩さなかった。



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