18 素敵な提案
翌日、流音とスピカは再び図書館に集まった。
「凪の市?」
流音が聞き返すと、スピカははにかんでチラシを広げて説明してくれた。
凪の市とは、メテルの町で三か月に一度開かれる市場である。
売り物は食品から服、骨董品、薬草など多岐にわたる。
人気ブランドが限定商品を並べたり、有名レストランが庶民向けの屋台を出したり、この市でしか手に入らないものも多い。
他の町からも客が集まり、旅芸人も興行に来る。凪の市が開かれる二日間はたいそう町が賑わうらしい。
ようするにお祭りだ。
半年前まで盗賊のせいで規模を縮小していたが、二週間後の凪の市はかつてと同じように盛大に催される。
「この西の広場ではね、流れの商人さんや町民さんでも出店できるの。本当はもう募集を閉め切っちゃったけど、パパにお願いしたら隅の方でならルノンちゃんも出店していいって」
フリーマーケットみたいなものかな、と流音は想像する。
確かにそういう気軽な場所で水薔薇オイルを売れたら、いろいろな人に見てもらえそう。値段も売り方も自分で決められるので安心だ。
やってみたい、と直感的に思った。楽しそうだ。
「すごく嬉しいけど、いいの? スピカちゃんのパパって町長さんだよね? こういうの、職権らんよーって言うんじゃ」
迷惑ではないかと流音が尋ねると、スピカは神妙に告げた。
「コネは有効に使うべきなの。悪いことに使わなければいいの」
「そ、そっか」
でもね、とスピカが申し訳なさそうに言う。
「出店するには条件が三つあるの」
その日の夜、研究室で計算に没頭するユラを、流音は仕切りのカーテン越しにじっと見つめた。ちなみにヴィヴィタは森へ狩りに行っていて不在だ。
スピカが出した三つの条件のうち、二つを達成するにはユラの協力が必要不可欠だった。
――うう、声をかけたい。研究の邪魔はなるべくしたくないけど、でも……。
迷っている間にどんどん時間が経つ。
流音は母親にすら上手に甘えられなかった。言いたいこともなかなか言えない。ユラ相手のお願いならなおさらだ。
「……さっきから何ですか? 気が散ります」
根負けしたようにユラがため息を吐いた。
「気づいてたの?」
「はい。少し前に」
だったらもっと早く声をかけてくれればいいのに、と言おうとしてやめた。お互い様だった。
流音は勇気を振り絞る。
「た、大切なお話があるの。だからちょっと休憩して。お茶淹れるから」
返事を聞く前に、流音は台所でお茶の用意を始めた。
交渉は場を整えた者が有利。これも母から学んだことだ。
数分後、ダイニングでユラとお茶を飲みながら、流音はキュリスの依頼と凪の市に出たい旨を説明した。
「それで、わたしが出店するにはユラのサインと、参加料の200モニカと容器代が必要で……利益が出たらちゃんと返すから、だから……」
流音は口ごもる。甘みのあるお茶を出したはずなのに、ユラが苦虫を噛み潰したような顔をしたからだ。
「そうきましたか。お菓子やおもちゃをねだられるよりはいいですが」
「う、子ども扱い……」
「きみは子どもです。だから俺の許可が必要なんです。それで、市で水薔薇オイルを売って採算は取れるのですか?」
流音はスピカと一生懸命作成した用紙――企画書をユラに見せた。ただお願いするだけではケチなユラが了承しないと踏んで、あらかじめ用意しておいた。
「……なるほど。女性の心理はよく分かりませんが、よいアイディアだと思います。見積もりにも説得力がありますね」
「本当? じゃあ――」
「ですが、商品がいただけません。きみたちの案では水薔薇オイルを少量ずつ、低価格で売るというものですね。客層を考えるとそれしかありませんが、その分多くの人に買ってもらわなければ大した利益にはなりません。凪の市の二日間で売り切れるでしょうか」
流音は言い返せなかった。市の様子を知らないため、どれくらいの客が足を止めてくれるのか分からない。売り子が子どもだと見向きもされない可能性だってある。
「もしかして、原価がゼロだから売れ残ってもいいと思っていますか?」
「そ、そんなこと思ってないもん!」
キュリスにとっては身を削るようなものだ。例年より多く芽をつけられたから余力があるというだけなのだ。
――あれ? キュリスにとってはダイエットみたいなもの? ……じゃなくて!
流音は首を振る。思考があらぬ方向へ行きかけた。
キュリスの水薔薇オイルは、香りも効果も素晴らしい。商品の質さえ良ければ必ず売れると流音は信じていた。
「もし売れ残っちゃったら次の市で売るのは? リピーターさんがいるかもしれないし」
「オイルは数か月で酸化してしまいます。劣化した商品を売るんですか?」
そうだった。扱いが難しいから、量り売りもやめようということになったのだ。少しずつ瓶詰めし、密封して売る。そうしなければ、せっかくのオイルの香りも飛んでしまう。
考えが甘かった。
流音は押し黙り、ユラを納得させる方法がないか必死で模索する。
キュリスのためにも、協力してくれるスピカのためにも、どうしても諦めたくない。
ユラがぽつりと呟いた。
「……石鹸にしてください。それも固形の」
「石鹸?」
「ええ。多少材料費はかかりますが、その方が長持ちします。商品一個あたりの水薔薇オイルも少なくて済みますから、品数も確保できます。包装も簡単です」
たしかにあらゆる面でオイルよりも固形石鹸のほうが売りやすい。
ぱぁっと目の前が開けて明るくなったような気がした。
「そっか……ユラは合成魔術で石鹸を作れるんだったね。ありがとう。とても素敵なアイディア!」
「お礼を言うのは構いませんが、俺は基本的に手伝いませんよ。ルノン、石鹸はきみが作るんです」
「え」
「明日渡すつもりでしたが……」
ユラは立ち上がり、研究室から細長い箱を持ってきた。
箱の中には白銀の木の枝が入っていた。先端にのみ金色の葉が数枚残っている。
自然界では――少なくとも流音がいた世界では見かけない色合いの枝だった。
「これ、もしかして魔法の杖?」
「そのような認識で合っています。魔術の初心者が使う補助具ですよ。俺が魔術学院に入学したときに支給されたものですが、きみにも使えるはずです。こういうものがあることをすっかり失念していました」
俺には必要ありませんでしたから、とさらっと自慢するユラ。
流音は恐る恐る杖を手に取った。
最初はガラスに触れているような手触りだったが、徐々に手になじみ、杖自体が温かくなってきた。魔力が通っているのが分かる。
「それでだいぶ魔力の操作がしやすくなるはずです。明日からこれで特訓してみて下さい。操作が上手くできたら次は合成魔術に挑戦です。材料と術式は俺が用意しますので――」
「ちょ、ちょっと待って。凪の市は二週間後なんだよ。それまでに合成魔術を覚えられるの?」
「きみの努力とやる気次第です。もちろん無理はいけません。限界が来たと思ったら止めます。そのときは市への出店は諦めて下さい」
「そんなぁ……無茶だよ。魔力操作だって全然できないのに」
流音が恨めしい視線を向けると、ユラは薄く微笑んだ。
「発想を転換して下さい。石鹸の合成魔術に成功するということは、何もかもがうまくいくということです。魔術の修業も進みますし、俺から凪の市への出店許可を得られますし、キュリスローザの願いも叶えられます。必要なお金も貸しましょう」
その言葉は流音の心を動かすには十分だった。
杖をぎゅっと握りしめる。
――うん、やれるだけやってみよう。
なんだかユラに上手く丸め込まれた気もするが、流音は心を決めた。
こうして凪の市へ向けて怒涛の二週間が始まった。




