16 図書館の乙女
翌日、流音はヴィヴィタと一緒に町の香油店を訪れていた。
水薔薇オイルを買い取ってもらえないか相談するためだ。
しかし――。
「うちでは買い取れん。今すぐ店から出ていけ。営業妨害しやがって」
年老いた店主は眉間に深いしわを寄せ、にべもなく言い放った。
いくら子ども相手だからって許されない対応だ。流音は憤慨する。
「どうしてですか? 水薔薇に価値がないの?」
「そんなわけあるか。それとこれとは話が別だ。闇巣食いのところの子どもなんかが店におったら、他の客が寄り付かん」
しっしっと追い払うように手を振られた。
「な、なんでぇ?」
店主は流音に背を向ける。もう一言も口を利かんと言わんばかりだ。
「ルゥ、焼こうか?」
ヴィヴィタらしくない不穏な言葉だった。店主の背中がびくっと動く。
慌てて店の奥から青年が出てきた。
「ごめんね。ドラゴンさん、頼むから店も父さんも焼かないでくれ。ほら、父さんも、子ども相手に大人げないよ」
「知ったことか。うちは闇巣食いの関係者とは取引せん」
店主の息子らしき青年は息を吐き、流音に申し訳ないと頭を下げた。この人は話が通じそうだ、と流音は判断した。じっと説明を求める視線を送ると、青年は腰をかがめる。
「お嬢さんは転空者だよね?」
「知ってるんですか?」
「噂になっているからね。その様子じゃ、町のことはほとんど知らないのかな? 実は、ほんの半年前までこの町は盗賊のカモにされていたんだ。その頭領が闇巣食いだった。それを追い払ってくれたのはユランザさんなのに、感謝するどころか一緒くたにしていてね。ほら、年寄りは頭が固いから」
「ふん、それだけじゃない。昔から闇巣食いの連中にはろくな奴がおらん。四十年前の〈腐乱の三日間〉だって奴らのせいで起こったんだぞ。俺も親父もえらい目に遭ったわ」
「はいはい。その話は耳にタコができるほど聞いたよ」
処置なし、といったように青年は肩をすくめる。店主はなおも吐き捨てるように言った。
「さっさと遠くに行ってくれりゃいいのに居座りやがって。盗賊を倒したのも俺たちに恩を着せるためだろうよ。そのうち本性を現す。たく、迷惑な野郎だぜ。俺たちにまで赤目がうつったらどうしてくれるんだ。……嬢ちゃんは大丈夫なんだろうな?」
ぎろりと、射抜くような視線が流音に突き刺さる。
「父さん、何度も説明しただろ。闇巣食いはそう簡単にうつらないよ。教科書にだって載ってることだ」
「俺たちの時代の教科書にゃあ載ってなかったがね」
「そりゃそれが分かったのはほんの数年前だからさ」
青年がどんなに言葉をつくしても、店主は納得しなかった。これが頑固親父というやつだろうか。
流音はむぅっと頬を膨らませた。
――確かにユラは性格にいろいろ問題あるけど、ここまでひどいこと言われるほど悪い人じゃない……と思うのに!
ユラのことも闇巣食いのこともイマイチよく分かっていない流音には、具体的な反論の仕様がなかった。
「ごめんね、お嬢さん。さっき聞こえたけど、水薔薇オイルの買取りだっけ? やっぱりうちでは無理だよ。他の店も断ると思うなぁ。ユランザさんのことは関係なく、不可能なんだ」
「? どうしてですか?」
青年曰く、水薔薇は人間が栽培することができない大変希少な植物だ。オイル一滴で金の粒と同等の価値があるという。それゆえに流通させても一般人には手が出せない。メテルのような小さな町では需要がないので、店側も迂闊に買い取れないという。
「買ってくれるのは貴族様くらいだろうけど、一時期水薔薇オイルの偽物が横行していてね。今ではよほど信用がないと買ってもらえないんだ。ツテのない僕らには扱えないよ。鑑定してもらうのもお金がかかるしね」
流音は唸る。難しい問題だ。
本来の値段をつけたら、高すぎて町の人は買えない。
安値をつけても、偽物だと思われて相手にしてもらえない。
貴族相手の商売をするには信用が足りない。
「そうなんですか……」
「お嬢さんは森で見つけたのかな? ダメだよ、勝手に摘んできちゃ。水の精霊姫様を怒らせたら、町が水難に見舞われるかもしれない。だからどんなに価値があっても、この辺りの商人は誰も水薔薇を商品として扱わないんだ。暗黙のルールってことだね」
その精霊姫のキュリスローザに頼まれて売ろうとしている、と言うのはやめておくことにした。話がこじれそうだ。
流音は肩を落として香油店を出た。
まさか価値がありすぎて売れないとは思わなかった。
「当てが外れちゃったな……」
「ルゥ、元気出して」
ヴィヴィタの言葉に頷き、流音は顔を上げる。まだ諦めるのは早い。他に方法がないか考えてみなければ。
「ところでヴィーたん。闇巣食いってなんなの?」
「ユラみたいな人間のこと。闇属性になっちゃう人」
「確かユラは火属性から闇属性に変わったんだっけ。それの何がいけないの?」
「おいらには分かんない。人間は細かいこと気にする」
ヴィヴィタに聞いてもこれ以上は分からなさそうだった。
気になった流音は図書館に駆け足で向かった。
図書館の入口で流音は足を止める。
この前助けてくれたカチューシャの少女と行き会ったのだ。流音と目が合っただけで、少女の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「あの……この前はありがとう」
分厚い本をぎゅっと抱きしめ、少女はぷるぷると首を振る。流音も人見知りをする方だが、目の前の彼女ほどではない。
しかし、今にも逃げ出したそうにしているのに、少女はもじもじしてこの場に留まっている。何か言いたいことがあるのかもしれない。
――ここはわたしが頑張らないと。
彼女にもう一度会いたいと流音は思っていた。この世界の同じ年頃の女の子と話してみたかったのだ。
流音は思い切って口を開いた。彼女の緊張が伝染したように頬が強張る。
「わ、わたしね、流音っていうの。もしよかったら、お名前教えてくれる?」
「すっ」
「す?」
「……………………スピカ」
今にも消え入りそうな声だったが、何とか聞き取れた。
流音はほっとして笑みを浮かべる。
「スピカちゃん、よろしくね」
「う、うん。ルノンちゃん……よろしくなの」
スピカは顔を真っ赤にしてはにかんだ。
少女二人の間に照れくさい空気が流れる。通りがかる大人たちが微笑ましげな視線を向けるほどの初々しさだった。
「おいら、ヴィヴィタ! ヴィーたんでもいいよ!」
ヴィヴィタが元気よく挨拶すると、スピカは「ひぃっ」と身を縮こまらせた。随分と臆病で気の弱い子のようだった。
図書館の誰もいない学習室で、流音はスピカとお話しした。
同い年で読書好きという共通点からすぐに仲良くなれた。最初は緊張していたスピカも、次第にいろいろ話してくれるようになった。
「ウチね、ルノンちゃんのこと、お姉ちゃんに聞いてたの」
「お姉ちゃん?」
「役場で働いてるの。転空者の女の子が町の近くに住むことになったから、見かけたら親切にしてあげなさいって……」
スピカはペルネの妹だった。二人はこの町の長の娘らしい。
「あ、でも、お姉ちゃんに言われたからじゃなくてね、ウチ、ルノンちゃんと仲良くなりたいと思って……や、優しそうだから」
持っていた本で顔を隠し、恥ずかしそうにするスピカ。
「ウチ、こんなだから、お友達あんまりいないの。男の子にはからかわれるし……一人で本読むの好きだからいいけど、でも、もうこの図書館の本は全部読んじゃって退屈で……」
「え、全部?」
それほど大きくはないとはいえ、蔵書は一万冊近くあるはずだ。それを読破しているというスピカに流音は素直に尊敬の視線を向けた。
「スピカちゃん、すごい。頭良いんだね」
「あ、で、でもね、全部理解してるわけじゃないの。難しい本はただ眺めてるだけ……」
「それでもすごいよ。だって、この前の本も、すぐに場所や内容を思い出して選んでくれたんでしょう? 普通できないと思う。こういうの確か、生き字引っていうんだよね」
スピカは恐縮してしきりに首を横に振った。
流音は思い切ってスピカに相談してみることにした。
「ねぇ、スピカちゃん。闇巣食いってどういうものなのか分かる?」
「闇巣食い……ユランザさんのこと?」
「そう。なんかあんまりいい言葉じゃないみたいだから、本人には尋ねにくくて」
聞けばユラは淡々と教えてくれそうだけど、おそらく簡単に流せるような内容ではない。流音の方が気まずい思いをしそうで嫌だった。
スピカはおろおろと視線を彷徨わせる。多分転空者の流音にも分かるように言葉を探してくれているのだ。
流音がじっと待っているとスピカは目を閉じ、この世界の歴史を滔々と紡ぎ始めた。
「大昔、楽園の時代と呼ばれていた頃。女神様たちがまだ地上におられ、人々が争うことを知る前のことです。楽園の終焉は唐突に訪れました。十三体の闇の魔物が異世界からこの世界に渡ってきたのです――」




