14 しょんぼりとびっくり
食料の調達のため、流音は度々メテルの町を訪れるようになった。
ヴィヴィタが一緒なら心配ないということでユラはいない。
ユラは今、寝食を忘れるほど術式の計算に没頭している。流音が家事のほとんどをしているせいか、前より研究に打ち込む時間が長くなったとヴィヴィタは言う。
――わたしもヴィーたんみたいにユラを甘やかしてるのかな?
しかし話を聞く限り、ユラの研究は立派でこの世界に必要なものに思える。流音も家に帰るため、早く研究を進めてほしいと願っていた。だから甘やかしているというより、応援していると言った方がしっくりくる。
――応援……誘拐犯を応援? まぁ、いっか。
深く考えるのはやめた。
流音自身も自分のやることに集中したかった。
「ヴィーたん、今日はお買い物の前に行きたいところがあるの」
「どこ?」
「図書館」
それは町役場の近くにあった。
流音がいた世界の市立図書館よりもずっと小さい。
ユラ曰く、「何の面白味もない場所」らしい。しかしユラが心惹かれるような本はなくとも、この世界に来たばかりの流音には魅力的な場所に見える。
書架を見上げ、流音は唸る。
「うーん、やっぱりこの世界の言葉が読めないと無理かなぁ……」
流音は首を傾げる。どこに何の本があるのかさっぱり分からなかった。そもそも目的の本が見つかっても、翻訳の魔術がかかっていないと流音には読めない。
「ルゥ、なに調べたい? 魔力操作の本?」
「それは教本があるからいいの。……髪のお手入れの魔術について書かれた本ってないかな。この際、魔術じゃなくてもいいけど」
流音は肩にかかった髪を握りしめる。
何もしないままキューティクルを見殺しになんてできない。
「おいらも人間の言葉あんまり分からない。誰かに聞いてみる?」
「そうだね。ちょっと恥ずかしいけど……」
カウンターに行ってみたが、司書の男性は他の利用者と話し込んでいた。長くなりそうだ。
今日のところは諦めて、後日ユラに恥を忍んで聞いてみよう、と流音が思いかけたとき、肩を控えめに叩かれた。
流音と同じ年頃の女の子が、顔を真っ赤にして立っていた。ブラウンの瞳にうるうると涙を溜めている。
肩までの淡いピンクの髪に花飾りのついたカチューシャをした可愛いらしい子だ。
彼女は流音の前に一冊の本を差し出す。
「えっと……これ、わたしに?」
ぶんぶん、と何度も頷く少女。流音が本を受け取ると、彼女は脱兎のごとく走り去った。流音が声をかける間もない。
「あ、これ髪の本かも」
パラパラとめくると、女性が髪のお手入れをしているような挿絵があった。しかも翻訳魔術のマークがついており、流音でも読める。
カチューシャの少女は流音とヴィヴィタの会話を聞いて、本を探してくれたようだった。
「どうして逃げちゃったのかな?」
流音はヴィヴィタと顔を見合わせる。結論は出なかった。
魔力操作の特訓を始めて二週間が経った頃、流音はユラに成果を見せた。
桶の中でくるくる回る水。ちょっと頑張れば跳ねさせることもできる。
魔力を出し尽くしてふらふらになる流音を見て、ユラはわざとらしく瞬きをした。
「ルノン、きみはすごいです。水属性の魔力が森に満ちていましたので、熱心に練習していると感心していたのですが、まさか……」
誉められた、と流音は拳を握りしめる。
ユラは苦々しく呟いた。
「まさかここまで下手くそだとは、驚きです」
「え?」
「きみは大量の魔力のほとんどを水に注げず、外に逃がしています」
うそ、と流音は愕然と自分の手と桶の水を見る。
「百あるうちの一も注げていません。膨大な魔力の圧で水面を撫でているだけです。きみの魔力量なら十注ぐだけで噴水を起こすことも、宙に浮かせることもできるはずですが……どうしてもっと早く俺に相談してこなかったんですか?」
「だ、だって……」
口を開こうとするが、何を言っても言い訳になるような気がして流音は黙る。
「ヴィヴィタもです。一緒にいたのにどうして気づかないんですか。頑張ってる、とだけ報告されて放っておいた俺も悪いですけど」
「ルゥ、ごめん。おいら、できてると思ってた」
しゅんと首を下げるヴィヴィタを見て、流音の心は激しく痛んだ。
「ヴィーたんは悪くないよ……ユラのせいでもない……」
しばらくユラからぎこちない指導を受けたが、ちっとも改善しなかった。
「仕方ないですね。特訓は中止です。対策を講じます」
「え、ううん、待って。もっと練習して――」
「ダメです。このまま続けても意味がありません。それに、相当体に負担をかけていたようですし、しばらく休んでください」
ユラはいつもの淡々とした口調で言う
ショックだった。
体調を気遣って言ってくれた言葉も、今の流音にはぴしゃりと拒絶されたように聞こえた。
流音は屋根裏部屋に閉じこもり、枕に顔を埋めてうだうだ過ごした。
この二週間の努力が文字通り水泡に帰した。
虚しい。やるせない。自分自身を許せない。
料理のことはユラに聞いても仕方ないけど、魔術のことは聞けばよかった。できなかったら相談しろと言われていたのだ。頑張り方を間違えてしまった。
流音は泣かなかった。ただ「あー」と気が抜けたような声が漏れる。
「……こうしていても仕方ないよね」
図書館で借りた本はもう読んでしまった。
美髪になるオイルの合成魔術が載っていた。ユラにそれとなく聞いたところ、材料を揃えると結構な金額になるそうで、断念せざるを得なかった。
傷む髪を見るとますます気が滅入る。
何かして気を紛らわせたい。鬱憤を放出したい。
――ニーニャカード? ううん、今は占う気分じゃない。
流音はあることを思いつき、自分の荷物を漁る。この世界に来てから一度も使っていないものを手にし、部屋を抜け出した。
ユラの家から歩いて三分ほどのところに、小さな泉があった。
透き通った水がこんこんとわき出ている。流音が毎日水を汲みに来ている場所だ。
泉に半ば浸かるようにして珍しい植物が生えていた。
水色の薔薇だ。
今が開花時期なのか、泉の縁を飾るように無数に咲き誇っていた。
木漏れ日がスポットライトのように当たり、花弁に滴った雫がきらきらと光る。
ガラス細工のような繊細な美しさだ。
この幻想的な風景が流音は大好きだった。ヴィヴィタの次に癒される。
流音がいた世界では、青色の薔薇は自然界に存在しないものだ。人類が人工的に生み出したことから、「不可能」「奇跡」「夢は叶う」などの花言葉が与えられている。
――良い匂い。
気品ある薔薇の甘い空気を吸い込み、流音はリコーダーを唇に当てた。
歌うのは苦手だけど、楽器の演奏は好きだ。たまに無性にリコーダーを吹きたくなる。
流音は好きなアニメ映画の曲を吹き始めた。
周りには誰もいない。ユラ達まで聞こえることもないだろう。
流音は夢中でメロディを奏でた。
魔力の修行でたまったストレスを思い切り発散する。
――気持ちいい……。
楽譜がないのでうろ覚えの箇所はアレンジして好きに吹いた。
自由って素晴らしい。
とりあえず満足して吹き口から唇を離す。
すると、ぱしゃぱしゃとした水音が拍手のように鳴り響いた。
「へ?」
流音は目を見張る。
見たことのない生き物たちが泉の中に現れていた。流音の膝くらいの背丈しかない小人、手ビレで頬杖をつく魚、ぴょこぴょこと跳ねて踊るカエル、などなど。
――生き物って言っていいのかな?
彼らの体はみんな透き通っていて、空気や水に溶け込んでいる。
ユラから何となく聞いていた。この森には魔物の他にも精霊や妖精が暮らしている。ただ、人間に姿を見せることはないらしい。
嘘つき、と流音は胸中でユラを罵る。
カエルが跳ねるのをやめ、水音が鳴りを潜める。彼らはじっと流音を見つめた。
――う。どうしよう……。
怖くはなかった。精霊たちの視線は好意的で、何かをしようという気配はない。
ただ、この沈黙は気まずい。
「演奏は終わりのようじゃのう。残念じゃ」
鈴を転がすような声にどきりとした。
一人の女性が水際に腰かけ、流音に艶やかな微笑を見せた。
水色の髪と瞳を持ち、肌の白もやや青みがかかっている。
女性は服ではなく、茨を身にまとっていた。露わになっている体のラインがあまりに色っぽくて、流音は咄嗟に目を背ける。
「わらわは水薔薇の精霊姫、キュリスローザ。最近この森を水の気で潤してくれたのはそなたかの?」




