13 高まれ魔力
料理だけではなく、流音は魔力の修行も始めていた。
「先に魔術の基本と俺の研究について話しておきましょう」
ユラの言葉に頷き、流音はメモ帳を開いた。
そもそも魔術とは、魔力によって引き起こされる現象――いわゆる“魔法”を誰にでも使えるようにしようと研究したのが発祥である。
魔法を簡略化して誰にでも何度でも実現できるようにする。
あるいは複雑化し、より細かく大きな効果を得られるようにする。
それが魔術。
人間が生み出した究極の技術である。
「料理に例えて言えば、レシピを作ることが俺たち研究畑の魔術師です。魔術のレシピのことを一般に術式と呼びます」
簡単節約料理、高級料理、そしてまだ誰も食べたことのない新作料理。
それらのレシピを作り出し、文明を発展させていくのがユラの仕事だという。
――料理に例えちゃうと、ユラがすごい魔術師に思えなくなっちゃう。
あの甘いスープは人間向きの味ではなかった。ならユラの考案する魔術も同じではないか。
「ルノン、失礼なことを考えていませんか?」
流音は首をプルプルと振る。不信感が顔に出ていたようだ。危ない。
「で、きみに手伝ってもらう研究というのは、三次元術式の実現です」
「三次元……立体ってことだよね?」
3Dの映画を観たことがあるのでなんとなくイメージは分かる。
ユラは円形の魔術円――魔法陣のことをこの世界ではそう呼ぶ――が書かれた紙と、地球儀のような球体の模型を取り出した。
「従来の魔術は二次元、すなわち平面の円のみの術式でした。しかし俺は魔術球という三次元、すなわち立体の術式を生み出します。球にすることで、従来よりも強力で複雑な魔術の行使が可能になります。これは世界初の試みです」
ユラの持っている球体模型には、びっしりと文字が書かれている。
たしかに紙に書いた魔術円と比べ、圧倒的に文字数が多い。
流音は思い出す。小学校の算数の授業でも立体の問題で躓く子が多かった。
図工の授業でも紙に描いた猫より、粘土で作った猫の方が似てなかった。
「えっと……そんなすごそうなことできるの?」
「できるようにします。ですが、俺一人では術式構築で手一杯で魔力注入に失敗しそうなのです。だから同じ魔力を持つきみに手伝ってもらいます」
魔術を発動させるには、頭の中で構築した術式に魔力を注がなければならない。
その魔力を注ぐ役を流音がするらしい。
「魔力の波形さえ合っていれば、構築と注入が別人でも問題はありません」
今後、一人、あるいは魔力の波形が違う人間同士でも発動できるように改良するつもりだが、実験段階の今はとにかく成功率を上げたいし、同じ魔力でデータを取りたいらしい。
「えっと、具体的にはどういう効果がある魔術にするの?」
「封印魔術です。魔術球の特性上、内側に向かう力が強くなります。古の魔物への封印が近年になって綻び始めているので、完成すれば必ず役に立ちます」
古の魔物のことは非常に気になるが、流音にはそれ以上に気になることがあった。
「そういうのって、悪用されたりしないの? 人を傷つけるような魔術にならない?」
ノーベルの伝記を読んだことがある流音は心配だった。
ユラは珍しく頬を緩め、優しげな眼差しを流音に向ける。
「良いところに気がつきますね。偉いです。……ですが、心配はいりません。攻撃用の魔術ならば魔術円で十分です。魔術球のような複雑で非効率的な術式が生きるのは、繊細な作用を長期的に維持する封印、結界系の魔術くらいでしょう。使える人間も限られると思います」
流音はユラの言葉を噛み砕いて反芻し、どうやら大丈夫そうだと理解する。
「でも難しそうだね。わたしにできるかな」
「そうですね。魔力を一定の速度で大量に注ぎ続けるには集中力が必要です。なので、今日から特訓です。まずは水と戯れて魔力の感覚を掴んで下さい」
ユラは魔術教本の該当ページを指差した。
流音の魔力は水属性なので水と共鳴しやすい。
まずは水に魔力を注ぎ込んで動かせるようにする。
魔術の基本中の基本、自属性魔力の操作特訓である。
「何かコツはある?」
「すみません。俺は最初からできたので、役立ちそうなアドバイスはできません」
「……自慢?」
「とりあえず一人で頑張ってみて下さい。全然できなかったら相談しに来て下さい。そのときは何か考えます」
そもそも直接指導する気がさらさらないようだった。ユラもまだ実験の準備が整っていないらしい。
そうして流音は特訓、ユラは術式構築の細かい計算にそれぞれ集中する日々が始まった。
水を汲んだ桶を地面に置き、流音は意識を集中させる。
胸の真ん中がぽかぽかと温かくなる。その熱を全身にゆっくり広げていき、やがて体の枠から飛び出させ、桶に注ぎこむ。
多分、この熱が魔力だ。
「ていっ」
「やぁ!」
「これでどうだ!」
教本に書いてあった通り、水をかき乱すイメージで魔力を動かす。
そんなことを百回以上繰り返し、「もうヤダ、恥ずかしい」と思い始めた頃――。
ぴちゃり、と水面がわずかに動いた。
「ルゥ、やった!」
そばで見守っていたヴィヴィタが飛び跳ねた。
「できた? できたの?」
流音は力尽きてその場に座り込む。この世界に来てから初めてめまいを覚えた。
――めちゃくちゃ疲れる……。
水をちょっと動かすだけでこの様である。先は長そうだ。
――ううん! 薫くんのためにも魔力の扱い方はちゃんと勉強しなきゃ。それにすぐにできるわけないもん。
自分の力で一から地道にコツコツ頑張れ。
それがニーニャカードの占い結果だったことを思い出す。まさにこのことを指していたに違いない。
それから流音は頑張った。
水と戯れる。
そのために洗濯や皿洗いなどの水仕事も積極的にこなした。
断じてユラに尽くしたわけではない。
学校に通って向こうの世界の勉強ができない分、家事を積極的に身につけることにしたのだ。どちらの世界でも基本は同じ、だと思う。
「うー」
修業を始めて数日が経った。
ようやく桶の中でゆっくり渦を作れるくらいになった。
魔力を使うとひどく消耗して、体から力が抜ける。
「ルゥ、無理はよくない」
ヴィヴィタが潤んだ瞳で流音を見上げた。心配してくれているのだ。
「大丈夫。わたしね、今まで我慢したことはあったけど、こんなに頑張ったことってなかったの。だからちょっと楽しい」
料理も洗濯も魔力の修行も、やった分だけ結果が出る。
面倒や疲労も今は苦にならなかった。
とはいえ、倒れてもいけないので適当に切り上げて、流音とヴィヴィタは夕飯の準備の前に風呂でまったりすることにした。
最初は明るいうちにお風呂に入るのは変な感じがしたけど、もう慣れてしまった。
「ざっぱーん!」
「もうヴィーたん。お湯跳んだー」
湯船でヴィヴィタが羽をパタパタさせて遊泳している。気持ちよさそうだった。
ヴィヴィタはお風呂が好き、というよりも泳ぐのが好きで入浴しているという。
ドラゴンの体は強い魔力が宿った鱗でコーティングされており、汚れや菌を寄せつけない。本当は入浴で身を清める必要はないらしい。
ちなみに脱衣所や洗い場、風呂を囲む塀は、どうしても必要だと小一時間訴えてユラに造ってもらった。切り出した石版の上に柔らかいツタのマットを敷き、周囲に葉の多い低木を植えてある。魔術を使ってちょいちょいと仕上げたとは思えない出来だ。
――本当はシャンプーとコンディショナーもほしいけど……我慢。
この世界にそれらがないわけではない。
ユラが買ってくれなかった。
「森の中に人工物をまき散らすわけにはいきません。水脈が汚染されたら大変です。というわけで自然由来の石鹸です。俺が合成魔術で作りました。水で分解されるので安心です」
「う……変な匂い」
その石鹸は漢方薬みたいな苦そうな匂いがした。
「これでもだいぶ改良しました。俺も匂いには敏感ですから」
というわけで、ユラ自作の石鹸で髪も体も一緒くたに洗わなければならなかった。
この匂いは嫌いだが、体に残りにくいのでなんとか耐えられる。
――自慢の髪が……。
流音の髪はもう少しで腰まで届きそうなほど長く、緩やかなウェーブがかかっているため絡まりやすかった。
櫛で解きながら慎重に洗っても、日に日に艶がなくなっている気がした。
いっそボロボロになる前に切ってしまおうかとも思ったが、髪には魔力がたまりやすいので魔術師は長髪が多いという。
それを聞くともったいない気がした。流音もユラの影響で貧乏性になってしまった。
――髪に艶を取り戻す魔術、ないかな……。
今度調べてみよう、と流音はひそかに決意した。




