10 救済のとき
「手続きは滞りなく済みましたか?」
待合所で大人しく座っていた流音は顔を上げる。迎えにきたユラに無言で頷き、ペルネに持たされた証書を手渡した。
「確かに。では買い物に行きましょう。きみの持ち物を今日で一通り揃えます」
「……ヴィーたんは?」
「一度荷物を家に運んでもらっています。すぐに戻ってきますよ」
「そう」
町役場を出て、流音たちは商店街を目指した。
「……気のせいでしょうか。死にそうになっていませんか」
珍しくユラが流音の変化に気づく。それもそのはずで、流音の声も表情も露骨に沈んでいた。取り繕う余裕もない。
「お腹が減りましたか? ああ、それともお腹が痛いですか? だから無理して食べなくていいと――」
「違うっ」
鋭い否定にユラは面食ったように瞬きをした。
『あなたは救済されたのですよ』
痛いのはお腹ではない。ペルネから聞いた話がつかえて、胸が苦しかった。
「ルノン。どうしました? 言わないと分かりません」
黙って首を横に振ると、ユラはそれ以上追及しようとはしなかった。流音は自分のつま先を見て歩く。
――わたし、わたしは……いらない子なの?
じわりと目の端に滲む涙を拭った拍子に外灯にぶつかって、流音はその場に尻餅をつく。
道行く人が驚いたが、声をかけてくる者はいなかった。ユラがそばにいたからかもしれない。
「……大丈夫ですか? きみはよく転びますね」
ユラも流音を見下ろすだけだった。心なしか呆れているように見える。
その顔を見て、堰が切れた。
流音の瞳から涙がこぼれる。
「ふ……うぅっ」
恥ずかしかった。
大勢の前で転んでしまったことも、声を上げて泣いていることも、二日連続でユラに泣き顔を見られていることも。
「ルノン? 本当に一体どうして――」
「ゆ、ユラ……わたし、いらない子なの? 世界の〈不適合者〉って本当?」
ユラは頬を掻く。
「ああ、聞いたんですか。それでそんなに……納得です」
あっさりと認め、流音の目線に合わせて腰を折る。
「こんなところで話すことではないです。移動しましょう。ほら」
不躾に差し出された手とユラの無表情を三往復ほど見返した後、流音はなんとか涙を拭いてその手を取った。
ユラの手は、血が通ってないんじゃないかと思うほど冷たかった。
だけど遠慮がちに握られた手が悪いものには感じず、流音はその手を頼りに立ち上がった。
手を引かれて歩き、やがて町の広場に辿り着く。
商人が露店を開いている場所から離れ、流音とユラは花壇の縁に腰かける。
通行人はユラから顔を背けて遠回りをしていくので、謀らずしも話し合いに最適な空間になっていた。
「転空者と救済のことを聞いたんですよね?」
疑問形で話を切り出したユラに、流音は鼻水をすすりながら答えた。
「うん……ペルネさんが言ってたの。時空を移動できるのはその世界に合っていない人……生まれる世界を間違えた〈不適合者〉だけだって」
異世界は無数に存在する。
魔術が発達した世界、科学が発展した世界、人類が他の生物に虐げられている世界、そもそも人類が絶滅した世界……。
流音は科学の世界で生まれた。しかし、その体には本来あるはずのない魔力が宿り、世界に上手く適合できていなかった。
〈不適合者〉を本来あるべき世界へ召喚して適合させる。
それは世界にとっても、〈不適合者〉にとっても救済になる。
だから罪には問われない。それがこの世界の考え方である。
――わたしは、あの世界の子じゃなかった。間違えて生まれてきた……。
母の元に生まれてきてはいけなかった。
それが悲しかった。
「ずっと病気だと思っていたけど……本当は世界に適合できていなかっただけなんだよね?」
「おそらくそうでしょうね」
生まれつきの虚弱体質は、魔力のない世界で魔力を持って生まれてきたことで引き起こされていた。
その証拠にこの世界に来てから体が嘘みたいに軽い。
流音の意思とは関係なく、本当の世界に来られて喜んでいるみたいだった。
ユラは小さくため息を吐いた。
「本来〈不適合者〉は生まれた世界を害します。この世界でもそうです。ごくまれに魔力をまったく持たない子どもが生まれてきます。その子どもは自然界の魔力の流れを遮り、周囲に不和をもたらすのです。雨が降らなくなったり、植物が育たなくなったりします。しかし、きみの場合は少し違いました。世界ではなく自分自身を蝕んでいた」
レアケースです、とユラは呟く。
流音はぎゅっと手を握りしめ、奥歯を噛みしめた。また泣いてしまいそうだった。
「どうしてその話、教えてくれなかったの?」
「あのときは眠かったので」
ひどい、と流音が睨み付けると、ユラは小さく微笑んだ。
「それに『これは救済です』なんて話して、恩着せがましくするつもりはありませんでした。俺はあくまでも自分の研究の都合できみを召喚したんです」
自己中なユラの言い分に、流音はあまり傷つかなかった。
同情されるよりはいい。
「ルノンは自分が〈不適合者〉だと知ってなお、元の世界に帰りたいですか?」
この魔術が溢れた世界が、本来自分のいるべき世界。
それは分かっている。
――でも、わたしは……。
母の顔、祖父母の顔、友達の顔、やりたかったこと、やり残したこと、様々なものが脳裏を埋め尽くす。
「やっぱり、帰ってもいいなら帰りたい……」
「そうですか。ではこれまで通り、体を治して帰る前提で研究を進めましょう」
その言葉に流音は顔を上げる。
「いいの? 元の世界に迷惑かけないかな?」
「大丈夫です。今度はこちらの世界で〈不適合者〉となるようにすれば、送還魔術も問題ないでしょう。魔力機関を破壊するか封印すればいいのです。そうすれば元の世界でも他の人間と変わらず生きられます。理論上は可能です」
「本当? 絶対に約束守ってくれる?」
「見くびってもらっては困ります。理論が組めるのに諦めるなんて魔術師の名折れです」
自信に満ちた言葉に流音は安堵した。
ユラが全て上手くいくようにしてくれる。調整してくれる。
お礼を言わなきゃ。そう思って流音は口を開きかける。
「ですが、きみのことは後回しです。先に俺の研究を完成させなくてはなりません。今日だって貴重な時間を浪費しています。早く買い物を済ませましょう」
「……分かってるもん」
流音はむぅっと口を尖らせた。
お礼を言う気が失せた。面白くない。
「面倒なので、もう泣かないで下さい」
ダメ押しの一言に、流音は目尻に残っていた涙を慌てて拭く。
――そんないい方しなくてもいいのに!
素直に感謝を示したいのにさせてくれない。ユラが悪い。やっぱりキライだ。
文句を言ってやろうかな、と思う。
流音は誰とも喧嘩をしたことがなかった。でもユラになら遠慮なく言いたいことが言える気がする。これは悪口ではない。ユラのためでもある。
そう意気込んで拳を握りしめた途端、ユラが淡々と告げた。
「きみはいらない子ではありません。俺が必要としています。自分の価値を陥れて、泣く必要などありません」
それは思いも寄らない言葉だった。
流音は文句を全て飲み込み、そして。
「……あ、ありがとう」
気づいたら、お礼が口から出ていた。
ユラのことだから単純に研究のために必要というだけで、特別な意図を潜ませたわけではないだろう。
それでも誰かに必要とされることは今の流音にとって一番嬉しいことだった。
宝物をもらった気分になる。
「? 礼を言われる筋合いはありません」
「い、いいの。今のはお礼を言わないといけないの。それより買い物! 買い物に行く!」
なんだか急に恥ずかしくなり、流音はユラを急かした。
その瞬間から流音はユラを疑うことをやめた。
ことさら嫌いと思うこともなくなった。




