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リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第一章 
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1 若山流音、十一歳

よろしくお願いします。


 学校の帰り道、少女ーー若山流音わかやまるのんの足取りは重かった。


 流音の長い黒髪は緩やかにウェーブし、艶やかな光を宿している。髪と同色の透き通った瞳は大きくぱっちりしており、雪のように白い肌には傷一つない。

 しかし「お人形さんみたい」と賞賛されるその顔は今は暗く沈んでいた。


 流音は小学五年生。今日は三学期の修了式だった。


 クラスメイトの笑顔が脳裏に蘇る。明日から春休みだ。家族旅行の計画を披露したり、友達と買い物に行く話をしたり、それがなくとも毎日家でのんびりできて幸せ……。

 和やかに浮かれた教室の中、流音だけが長期休暇を喜べなかった。


 ――三学期も、あまり学校行けなかったな……。


 流音は生まれつきの虚弱体質で、よく学校を休んでいた。

 原因は分からない。たびたびめまいや高熱に襲われるものの、脳にも臓器にも異常は見当たらないのだ。

 

 もう何度となく検査入院をしているが、どんな偉い先生も首を横に振った。

 大人になれば治るかもしれないし、原因がはっきりするかもしれない。

 そんな希望をチラつかせるだけだ。


 それがかえって流音に漠然とした不安を抱かせていた。

 もしかしたら大きくなっても治らないかもしれないし、悪化するかもしれないし、最悪、大人になれないのではないか。


 ――ママにもずっと迷惑かけちゃうのかな。


 両親は離婚しており、流音は母に女手一つで育てられている。

 母は大手の事務所で弁護士をしているため金銭的な不自由はない。しかし親子で過ごす時間は不足していた。


 流音には分かる。母は不満を顔に出さないが、心を痛めている。依頼人の一生に関わる大切な仕事にも、一人娘の看病にもかかりきりになれない。そのことを責めているのだ。


 ――わたしのせいで……。


 母が職場で肩身の狭い思いをしていることはなんとなく察していた。

 そもそも離婚の原因が体の弱い流音が生まれたからだ、という噂を耳にしたこともある……。

 

 ――ううん、病は気からっていうし、落ち込んじゃダメ! 誰のせいでもないもん!


 悲劇のヒロインぶるのはよくない。

 流音はぷるぷると頭を振って、落ち込みかけた心をやけくそ気味に立て直す。いつものことだ。


 春休みは、無理しない範囲で家事を手伝おう。

 六年生になったらなるべく体調を崩さず、学校に通おう。

 母に迷惑をかけないよう、心配されないよう、ちゃんとしなきゃ。

 良い子にならなきゃ。


 ――春休みもたくさんお勉強しよう。

 

 流音の体は他の子よりも弱いが、それを補ってあまりあるほどに知能が高かった。母譲りなのだろう。今の通っている私立の初等部もテストを受けたら、「学費無料でいいのでぜひ来てください」と言われたくらいだ。

 今までどれだけ学校を休んでも、勉強についていけずに落ちこぼれたことはない。

 それは流音にとって唯一の誇りだった。


 とはいえ、少々要領が悪い自覚はある。


 ――失敗したなぁ……。


 流音の足取りが重い理由は、精神的なものの他にもう一つあった。


 通学用のリュックの他に、両手に大きな荷物を抱えていた。ロッカーに残っていた学用品である。

 本来少しずつ持って帰るはずが、今週は早退が多かったからすっかり忘れていた。おかげで最終日に苦しむ羽目に陥っている。


 自分のアホさ加減に呆れる流音だった。


 ぎりぎり持てる量だ。こんなことで母に迎えに来てもらうわけにもいかない。

 幸い学校から家へは徒歩で十分もかからない。

 頑張ろう。流音は顔を上げて懸命に歩く。


 友達に見られるのが恥ずかしくて下校時間をずらしたせいか、通学路に人気はなかった。

 いつもの遊歩道をふらふらと危なっかしい足取りで進む。

 左右に植えられた桜は五分咲きで綺麗だったが、ゆっくり眺める余裕もない。


 ――ああ、めまいがする。また……。


 春風に体をなぶられ、ぞわっと悪寒が走った。

 この感じは良くない。家に帰ったらすぐに温かくして寝よう。


『――――』


 え、と流音は足を止めて周りを見渡す。人の声が聞こえたと思ったが、誰もいない。


 ――気にしちゃダメ! こういうのは無視!


 小さい頃からよくあった。

 普通の人には聞こえない音が聞こえ、見えないものが見えたりする。


 それを話したときの周囲の反応は大体決まっている。

 怯えたり、羨んだり、困り果てたり、失笑したり。


『あの子、周りの気を引きたくて、霊感少女を気取っているんだよ。カワイソー』


 友達だと思っていた子が陰でそう言っていたのを知って以降、周囲で変なことが起こってもスルーすることを固く誓った。


 耳鳴りか、気のせいか、どこかの家のテレビの音に違いない。


 流音は気を取り直して、再び歩き出す。


 しかし。


 いきなり地面がなくなった。階段を踏み外したときみたいに、全身が硬直する。


「きゃっ!」


 短い悲鳴を一つ漏らし、流音の体は落下した。

 冷風と温風が交互に体を通り抜けていき、息をするのも忘れた。


 ――死んじゃう! 死んじゃうー!


 怖くて目が開けられない。地面とぶつかる瞬間が早く来てほしいような、一生来てほしくないような、祈りの時間が続く。


「ふみゃ!」


 体感にして十秒ほどだろうか。

 流音はお尻から着地した。学校の荷物も一緒にどさりと落ちる。

 衝撃も痛みもほとんどない。ただ、心臓がどどどどと激しく脈打ち、今にも壊れてしまいそう。


『成功しました。しかし、幼い女の子とは……予想外です』


 声が響く。感情をどこかに置き忘れたような、抑揚のない若い男の声だった。

 流音は涙で滲んだ瞳を拭い、ゆっくりと目を開ける。


『こんにちは、転空者トラベラーさん』


 暗闇で光る赤い瞳。

 一人の少年が、無表情で流音を見下ろしていた。




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