3.選択肢
アンの部屋は意味を無くし暗がりを帯びている。そんな扉を摩りながら豹牙は居た堪れない気持ちで押しつぶされていた。
「ほらスポンサーからのご褒美が来ているわよ!」Jの声に部屋は活気付く訳でもなく、オフェンダー達の疲れは溜まっていく一方だった。
何とか生き延びたケイトリンはソファーに寝そべり目を閉ざす。1日中ジェフリーと共に過ごした緊張感から解放されるも頭痛に悩まされる。
そんな彼女を気にかけるハリーは純粋な気持ちだった。
「君なら大丈夫だと思ってたよ…」ケイトリンの手を優しく握ってやると応えるように彼女は握り返す。それが嬉しく少年は顔が和らいだ。
「皆に逢いたくて仕方がなかった…」弱々しいケイトリンの声は震えており、彼女がどんなに心細い思いをしていたのか察するとハリーの心も張り裂けそうになる。
「次は独りにさせない、絶対に」
この共同生活に絆が生まれつつある中、それがどんなに危険な事かJは恐れていた。しかし彼等に助言をしたところで自分に何の得もないと分かれば口を重く閉ざす。
「ほら!アンタ達の投票結果が出たわよ!やっぱり人気者はジェフリーね」
Jはパネルを指差し大喜びだったがジェフリーは満更でもなさそうに鼻を鳴らす。
1位はジェフリー、そして2位はセリーナ。思わぬ結果に自身も驚いているようで、セリーナは唇を噛み締める。
「もう辛気臭いわね!もっと喜んだらどうなの?」ブーブー文句を零すJはセリーナの尻を叩くも彼女は不機嫌そうに顔を背ける。
するとJは床に腰を下ろす豹牙に目が留まり、彼の元へと近寄った。
「アンタは相変わらずのようね…」隣に並ぶように座り込むJを横目に青年はアンの部屋を指差す。
「どんどん仲間が減って行くんだ…、喜ぶなんてお門違いだろ?」涙声な青年はやり切れない様子で暗闇に覆われていた。
「先ず仲間って考えている時点でアンタは間違っているわよ。よく考えてみなさい?このゲームの趣旨を」
諭そうとするJを豹牙は睨みつけるが涙が頬を伝っていく。
「アンタの人気はガタ落ち。何故かわかる?」
「わかってる!」
「いいえ、わかっていない!最後の1人が生き残る為にアンタ達は駆り出されたの、その為に観客達は大金を注ぎ込んでる。助け合っていたらアンタの立場はどんどん危うくなるわよ!」
「それが俺のやり方なんだよ!立場が危うくなろうが俺には知ったこっちゃない」豹牙の言葉をJだけでなく誰もが理解出来ずにいた。ハリーやケイトリン、エドワードにセリーナ全員が青年の言葉を耳にしても彼の望みは危険性の高さを物語っている。
そして何よりもレッドはこの青年がこのゲームを脅かす存在であると考えていた。
パネルを見つめながら指差す姿に役員達も同意の眼差しだった。
「次はこの青年を潰しに掛かろう、どんなゲームになろうとも構わん」その言葉にマーディスターことメイソンは恐怖を抱く。彼を怒らせれば簡単に消されるだろう、と察したのだ。
Jが出て行った後、独りの豹牙の隣に腰を下ろす青年がいた。アンとチームを組んだレオンだ。物静かな青年は整った顔立ちをしていたがどこか欠けているような印象を受ける。隠し持っていたタバコを1本口に運ぶレオンは豹牙に目を向けながら笑う。
「あんた変わった男だよな」
低い声音は声変わりを終えたばかりのようでまだあどけなさを残す。
カラスのような黒髪は首あたりまで伸びており、目障りなのか何度も耳にかき上げる癖が付いていた。
「俺にとったら変わってんのはお前らだ」豹牙は自分の生きている世界がまるで知らない土地のようで未だに驚かされることばかりだった。
「1本吸う?」タバコを差し出すレオンから豹牙は迷いつつもタバコを受け取ると彼は慣れた手つきでライターの火を付ける。
「はっきり言って俺もこのゲームは反対だ」
タバコを口に当てながら話すレオンはカメラを気にかけ口ごもりながらもそう語りかける。漸く彼の意図が見えてきた豹牙は彼と同じようにタバコを咥える真似をしては口を開いた。
「…ここにいる全員と生きてここを脱出したいと思ってる」豹牙の言葉を伺いながら頷くレオンは静かに煙を吐く。
「あの英国紳士なら手を貸してくれると思うぜ?」
「シーモアが?」
目を丸くさせる豹牙はハリーと話しているエドワードに目を向けた。確かに他の連中とは何かが違うと思っていた。しかし…
「何故そう思う?」
「この間あのギルバートと話しているところを聞いたんだ。あの男はSISって組織の人間らしい」
「SIS?聞いたことないな…」ぼそりと呟く豹牙にレオンは二度見をする。
「聞いたことがないって…、あんた本当に何も知らないんだな」
呆れるレオンはタバコを吹かしながらも笑い出し、その様子に豹牙は苛ついたのか舌打ちをしていた。
「英国の諜報員だぜ、何でそんな奴がここに居るのか不思議に思うだろう?」
ニヤつくレオンはまじまじとエドワードを見つめる。そこで豹牙もレオンの策略からかエドワードに疑問を抱き始める。
「その諜報員が罪を犯してこの青年刑務所に入れられただけの話じゃないのか?」
「わかってないな、彼奴の経歴にはこれっぽっちもSISについて書かれてないんだぜ?」
「じゃあ何故セリーナは知っていたんだ?彼がSISの人間だと」
「ここには天才ハッカーが居たのを忘れたか?」ハリーを指差すレオンに豹牙は頭を抱える。
「訳がわからない…」
混乱する豹牙にレオンは続けた。
「何故自分の経歴を偽装しこの青年刑務所に入り、このゲームに参加している訳がわからないよな」意味深なレオンの言葉から連想される疑心に豹牙は震え出す。
もし自分の考えている通りなら何故彼は行動に出ない?
謎は謎を生むだけで豹牙には納得のいく答えが必要だった。
1週間後に控えた舞台までにそれぞれは身体を鍛え上げていく。
そんな彼等を壁際に立ち、蔑む眼差しで見守るエドワードの隣で豹牙は同じように壁に寄りかかる。何か言いたげな青年の様子にエドワードは溜息を吐いた。
「一体何の用だ…」
「それは俺が聞きたい」
豹牙の意図が読めずに歯痒い気持ちになる。
「何の為にこのゲームに参加してる?」
「何の為にって…、お前と同じだと思うが?」探り合う2人の青年をレオンは面白そうに眺めていた。
「お前と話す気はない」
危険を察したエドワードは逃げるように豹牙から離れていく。明白にならない彼の言動に限界を感じていた。
それぞれ部屋に通され衣装に身を包む。Jは豹牙に着物を着せてやりながら深い溜息を零した。
「この間はごめんなさいね、アンタの事が心配でついキツいことを言っちゃったの」
「分かってる…」
シルバーの袖に腕を通しながら豹牙は頷くとJは彼の顔を包み込む。
「ひとつ聞いて、今日のインタビューでアンタの好感度を上げられる可能性がある」
「好感度を上げてサポーターを獲得だろ?」
豹牙にJは安堵したように笑った。そして髪を綺麗に整えてやると手を差し伸べる。
「これだけは言わせて、私はアンタに賭けてるの」その言葉が嬉しくつい笑みを零す豹牙はJの手を握りしめた。
Jに連れられて控え室へと向かうと既に何人かはインタビューを終えていた。
そしてまさにエドワードがインタビューを受けているところだった。
『君はこの中でも1位に顔が良い。顔以外に女性陣を虜にする秘訣を教えてくれないかね?』マーディスターの問いに観客達は高笑いの声を上げる。
『私には何の術もありません。ただ今日を生き抜くだけです』
エドワードの笑みは何かを隠しているようで、そのミステリアスな雰囲気に女性達は興奮に声を漏らす。
『君の上品な仕草はやはり生まれ故郷に関係しているのではないかと噂が広まっているが、実際はどうなのか教えて欲しい』
マーディスターの尋問にエドワードの顔付きが変わるが、一瞬にして作り笑いを浮かべる。
『やはり育った環境は大きいでしょう』当たり障りのない返答だったが観客には十分だった。
引き続きハリーが顔を出す。
愛嬌のある彼の笑みに観客達は引き込まれていった。
『このインモータルズゲームで君はあるテクニックを駆使してるね』
『そのお陰で何とか今まで生き残れているね』お茶目に笑うハリーは観客の心を掴む術を知っていた。世の中の情報を誰よりも得る才能が彼にはあったのだ。
『ハリー、君はここに来る前何をしていたか観客の皆さんに教えてあげて』
『僕は政府機関にハッキングして一時期制御不能にさせたんだ』
『政府を敵に?』わざとらしいマーディスターにハリーは嬉しそうに頷く。
『あぁ、最高だった』
無邪気に笑うハリーに観客達は拍手を送りマーディスターは彼に最後の問いを投げかける。
『このゲームに勝ち残る自信は?』その問いにハリーは親指を立て自信を示す。
『自信無きゃやってらんないでしょ』
湧き上がる会場にマーディスターは満足そうだったり
彼に続いてセリーナの顔がパネルに映る。マーディスターのエスコートを受けながら漆黒のイブニングドレスを見せつける彼女は慣れた様子だった。
『君は今回のゲームで人気を博したようだね。恐らくスポンサーも増えたんじゃないか?』
『ええ、生き残れる確率が上がったかも』自信ありげな彼女の会話は観客の関心が集まる。
『強気なロシアン美人に男性は目がない』
マーディスターの言葉にセリーナは顔を引き攣らせるとマーディスターは更に過去を探る。
『ここに来る前はバレエダンサーだったとか』マイクを傾けるマーディスターにセリーナは鼻を鳴らす。
『だから舞台に立つのは好き』
観客を見渡すセリーナにマーディスターは笑顔を見せる。
『でもここに立ったのは何やら言いたいことがあるとか』
『ええ、ちょっとこのゲームに腹を立ててる』
『腹を立ててる?何故?』
『私はアンタらの見せ物なんかじゃない、こんなゲームxxx!!糞食らえ!』
放送禁止用語が炸裂するとマーディスターは頭を抱えセリーナは強制退場させられるも誇らしげで、彼女と目が合った豹牙も笑みを浮かべていた。
Jにこってり絞られているセリーナを他所に自分の番が回ってくる緊張に豹牙は腕を組む。そこへ不敵に笑いながらやって来るレオンはまるで他人事のようだった。
「見たかよ、テレビであんな発言できる勇気には恐れ入ったぜ」
「あぁ、あんな女他にはいないだろうな」
豹牙はセリーナに目を向けると彼女はウィンクをするとそれが合図のように青年は舞台に向かった。
最後のオフェンダーということで観客達は最高の拍手の中を歩く豹牙は眩暈を覚える。
『ーッ!』マーディスターの声が鈍って聞こえ豹牙の顔は強張る。
『は?』
『どうやら緊張しているみたいだね』
マーディスターの笑いに釣られ観客達も一斉に笑い出す。
『君はどのオフェンダー達の中でも異様な空気を放っているね、その意味わかる?』
『彼等の中に居てもそう感じる時がある』豹牙の率直な意見にマーディスターは興味が湧いていた。
『今回は共同生活が強いられているのもあり自然と仲間意識が芽生えるだろうね。でもそれは危険な賭けでもある』
『殺しに長けているオフェンダーも中にはいるが、俺たちのようなオフェンダーはチーム戦が必要不可欠なんだ』
『だろうね、視聴者からは君は“狼のリーダー”って名前を付けられているのも事実。つまりは弱虫っていうレッテルを貼られている』マーディスターは彼が自ら破滅に導くように計ったが、豹牙は意外にも冷静さを保った。
『そう思われても仕方がない。だけど最後まで狼らしく戦かい抜く、それがサムライ魂だ』
その言葉に惹きつけられたのは紛れもなく観客達だった。拍手喝采が起きた会場内でマーディスターの顔色が変わっていく。
インタビューを終えたオフェンダー達が豹牙の後ろに並ぶと観客はスタンディングオベーションが行われた。豹牙はケイトリンの隣に立つと彼女は彼の手を優しく握る。
そして1列に並ぶオフェンダー達は連鎖するようにどんどん手を結んでいき、ジェフリーも驚いたようだったがレオンと手を繋ぐ。ひとつになったようなオフェンダー達に観客達の心は更に奪われ盛り上がりは最高潮に達していた。
収録を終えたマーディスターの元にレッドは笑みを浮かべてやって来る。
「今回のシリーズは今までの中でも1番に盛り上がっていたように思えた」
「…ありがとうございます」
深々と頭を下げるマーディスターにレッドは咳払いをしながら彼の肩に手を置く。
「だがあの日本人はこのゲームを脅かす存在だろう。彼を見て囚人達が希望を持てば恐ろしい事が起きる。奴等には希望がないことを与えねばならん」
「希望ですか…?」恐る恐る尋ねるマーディスターにレッドは髭をなぞって見せる。
「希望ほど残酷なものはない。次のゲームで彼をチームから離脱するように仕向けろ」
「…御意」
レッドの命令には逆らえない。そして何よりも失態は出来ないとマーディスターは冷や汗をかいた。それから早足で向かう先はゲームプロデュースを担当する役員達の部屋だった。
レッドからの命令を口頭で説明する中で、1人の役員であるシェイル・ミュラーは気難しい表情を浮かべる。白髪交じりの長い髪を結び直し真っ赤な唇を窄めるその仕草は機嫌を損ねた合図でもある。
「このゲームの目的は殺し合い、それなのに1人の青年を優先して殺せと仰るのですか?」
ハスキーな声には威厳がありマーディスターは頭が上がらなかった。
「これは本部長の命令でありまして。チームを組ませればこのゲームに支障が出るとか」
「そういう事なら少し趣向を変えた方が視聴者も納得するかもしれませんね」シェイルの頭痛を抑えるように額に手を置く仕草はもう何年も見てきた。決して楽ではないこの仕事を熟す事が出来るのは彼女だからかもしれない。
控え室では賭けられた順位が発表されていた。
相変わらず高人気なジェフリーはビールを片手に満足そうな顔をしており、このゲームが楽勝であると悟っていた。
そして2位に就いたのは何とエドワードであり彼の人気はあのインタビューで得たものだった。冷静で知的な青年に多額の掛け金が注ぎ込まれたのだ。
3位に転落したセリーナは不服そうにしていたが、それでも彼女の人気は高い方だと豹牙は感じた。
「あのインタビューでの発言にしては人気があるよな」豹牙の台詞にセリーナは笑いながらもウォッカをグラスに注ぐ。
「でももう2度とテレビの前では発言できないかもね」
ウォッカを呑み干す彼女はその事を悔やんでいるようには見えなかった。意外な人物がこのゲームに刃を向けたことは豹牙には有難いもので、きっと彼女は自分と手を組むしか手段が無くなるだろうと分かっていた。
「それで次のゲームも手を組む?」自信ありげに尋ねる豹牙だったが彼女は吹き出し笑う。
「私が生き残る為にアンタなんかと手を組むはずないじゃない」
当たり前と言い切るセリーナは肩を竦め青年の前から姿を消しジェフリーの隣に腰を下ろす。
思わぬ展開に呆然とする豹牙はただ立ち尽くしていた。
ゲーム当日、不穏な空気を感じながらもウェアに身を纏う豹牙はいつに無く不安気だった。
信用出来る人間は限られている。
ハリーとケイトリンとは続行して共に行動することを約束したが奇数で動くのは何かと危険を招く可能性があると、何故かその時は感じていた。
コロシアムに立ち観客の声援を受けるオフェンダー達は監視員に腕時計を装着される。そして自分達の持ち場に着くと一人一人に妙な薬を打ち付けた。
『今シリーズ3回目の今日、ここに9名のオフェンダーが立っています!これは過去最多の記録です!!』マーディスターの司会に会場内は盛り上がる。
『それで今回のゲームは趣向を少し変更しました。と言うのも、先ほどこの中の5名にはある毒薬を打ち込みました。もって2時間、彼等の命を救うのは何と残りの4名!…えぇ、人数が足りないでしょう。1名は確実に命を落とします』
マーディスターは笑みを浮かべてオフェンダー達を見つめた。
どんどんと腕がドス黒い色に変色していくのは不運にも選ばれた事実を物語っており、その5人とはドリュー、ツバサ、セリーナ、ケイトリン、豹牙だった。
思わぬ展開に全員が混乱している中、マーディスターは説明を施していく。
『救えるのは4人の腕時計に装着された薬のみ。しかし決して彼等を救わなくてはならないというゲームではありません!制限時間は2時間、生き延びた者が勝者となります』
それを合図にゲートが開かれ皆が懸命に走り出す。
雪が降り積もる森の中は足取りを重くさせ鈍らせる。悴んだ足は次第に感覚を失いオフェンダー達の正気を奪っていく。
『あぁ言い忘れました。先ほどの打ち込んだ毒はどんどんと聴覚を失って行きます。連絡を取り合うのも敵を見つけるのも困難でしょうね』
コロシアムに響くマーディスターの高笑いがオフェンダー達に不安感を与え、死の恐怖が目前まで迫っていた。
雪山を登りきった豹牙だったが雪に足を滑らせ転がり落ちていく。容赦なく背中を打ち付けるも豹牙は立ち上がり駆けていった。すると幸運にもハリーと出会すことが出来たのだ。
「ヒョーガ、ここに居たのか!」
嬉しそうなハリーは早速解毒を行おうとするも豹牙は拒む。
「俺はいい、ケイトリンを頼んだ…!」必死な豹牙の顔付きにハリーはしどろもどろになる。
しかし直ぐに頷き彼女を探しに歩いていく友人の背中を見届けた豹牙はエドワードを探しに歩く。
残り時間はあと30分を切っていた。
耳から血が溢れ出てきたセリーナは軽いショックを引き起こす。
生き残る為には彼等の救いが必要になるとは考えても居なかったからだ。決して友達付き合いが得意ではなかった自分を恨んでいると、神は救いの手を差し出す。
彼女の目の前にはジェフリーが立っていたのだ。
顔を見合わすと彼はすぐにセリーナの元へと駆け寄った。
「毒が回ってるみたいだな」そう言って腕を掴み上げるジェフリーをセリーナは安心したように見守るが、ふとジェフリーは動きを止める。
「何してんの、早く助けてよ…」震える声でセリーナは必死に命乞いをするも、その様子がジェフリーには喜劇のようで腹を抱えて笑う。
「お前が死んだところで困る奴なんかいねぇだろう」
嘲笑うジェフリーは彼女の目の前で腕時計を外すと踏み潰し、そのまま姿を消した。粉々になる時計を手にしたセリーナは悔しさから声を漏らすも、ほぼ絶叫に近かった。
刻々と時間が迫っていき降り始めた雪が吹雪となりオフェンダー達を襲う。
雪に倒れ伏しているセリーナを見かけた豹牙は名前を呼ぶが、彼女は顔を伏せたままで異変を感じ取った豹牙は駆け寄った。
彼女の肩を掴むと驚くように目を見開いたセリーナの顔が目の前にあり、涙で塗れた顔は人生の残酷さを表す。
「まだ望みはある!」
そう語りかけるも彼女の耳には届いて居らず、何かを話す彼女の声もまた豹牙には届いて居なかった。
後ろを指差すセリーナの視線を追った豹牙の鼻先で何かが通り過ぎる一瞬が見え、それが一体何だったのか理解すると彼等の恐怖を更に強める。セリーナに引き寄せられ豹牙は間一髪逃れることが出来たが、2人の目の前には2頭の大狼がギロリと鋭い眼光で睨み切っていた。
咄嗟に逃げ出す2人を大狼達は一目散に後を追う。
無音の中を走る2人は迫る危険を感覚で察しなければならない立場に追い込まれ、ただ足を走らせるしかなかった。
気が付けば豹牙はセリーナと逸れていた。それは何時だったのか、ふと時計に目を向けると残り時間はあと5分もなかった。
視界が緩み地面に倒れ伏す豹牙だったが誰かに支えられるような感触が伝う。隣に顔を向けると其処にはレオンの顔があった。
「俺が居て助かったな」
余裕な笑みを浮かべるレオンに豹牙は首を横に振る。
「彼女を助けてやってくれ!」そう叫ぶ豹牙にレオンは目を細め、ただ何も聞かなかったように解毒剤を打ち込んだ。
「止せっ…!」
震える青年の腕を取りレオンは立ち上がると雪道を歩いていった。
シンシンと降り積もる雪の中でセリーナは絶望と孤独に苛まれていた。
周囲には誰も居らず、ただ銀世界に独りぼっちとなった森を駆け上がる。時計の数字がどんどんと減っていき、もう既に秒数へと変わっていた。
18...17...16...15...
死のカウントダウンが目前に迫りセリーナは泣きじゃくりながらもただ只管に走っていった。
7...6...5...4...
無意識にカウントしてしまっている自分に腹を立てていたセリーナは最期に見る景色は雪であり、まるで祖国を思い出させるようだった。
すると目の前から手を突き出し走ってくる男の姿が見えるとセリーナも必死にその手を求めた。
そして時計の針が0になった瞬間に大砲の轟きが森中に響き渡る。ゲーム終了の音だ。
誰が生きているのか皆が気になるところで、誰よりもその結末を楽しみに待っていたのはレッド本人だったが生存者の顔写真がパネルに映し出されると彼の本性が露わになる。
机を蹴り上げ雄叫びを上げるレッドに役員達は恐れ目を逸らした。
倒れ伏していたセリーナだったが次第に回復していく聴覚に安堵の溜息を零した。そして手を差し出してくれた男が意外な人物であることに目を丸くさせる。
「命拾いしたな」
微笑むエドワードにセリーナは静かに涙を拭うも悔しさから涙が込み上げていた。
「何で助けてくれたの?」
「借りはしっかりと返す主義なんだ」髪をかき上げながら答えるエドワードにセリーナは不服そうだった。
「…これでアンタに助けられるの、2回目になる」
そう話すセリーナだったがエドワードは何の話かサッパリ分からない状態だった。
「2回目…何の話をしているんだ?」
「何でアンタがSISの人間だって知ってたと思う?」笑いながら立ち上がるセリーナにエドワードは顔を渋らせる。やはりこの女は何かを握っているに違いない。次の言葉を待ちながらもエドワードは静かに彼女の後を追う。
「アンタは覚えてないだろうけど私は覚えてる。まさにアレクセイ・モロゾフに臓器を売買されるところだったから」
背を向けて話すセリーナの後ろでエドワードは驚き立ち竦む。モロゾフ…、その名は悪名高い。
そしてエドワードがSISに勤めて初めての任務に就き、大物を捕らえた場面をフラッシュバックするように思い返す。
「あの時の…」そう口を開くと彼女はいつもの笑みを浮かべ人差し指を彼の唇に当てる。お互いの息遣いを感じなから顔を近づけるセリーナの鼻先が触れると2人は唇を重ね合わせた。
その光景を目の当たりにした誰もが息を呑んだ。そしてレッドが何よりも恐れていた事態が発生したのだ。
オフェンダーの中に見えない何かが生まれている。
革命が起きるのも時間の問題だ、そう考えざるを得なかった。
無事に生き残ったオフェンダーがコロシアムに立つ。周りを見渡した豹牙はセリーナの姿を見つけ心が飛び跳ねるようだった。
彼の視線に気が付いたセリーナも気まずそうではあったが、口角を上げてお互いに生き残った喜びを噛み締めた。
そんな彼等を他所にシェイルは本部の廊下を歩いていた。何年もこの廊下を歩いて来たが、こんなにも重っ苦しい空気を吸う日が来るとは思わなかった。
そしてある部屋へ通されると、そこに待ち構えていたのはレッドただ1人。
「本部長…」不安げな彼女の声を嘲笑いを隠すようにレッドは顔を俯かせるが、すぐに無表情になり彼女の顔を見つめた。
「今回のゲームは大変盛り上がったようだ」そう話すレッドだったが決して満足をしていないのだろう、シェイルは長年の経験から気が付いていた。
「今回はしくじりましたが…、次は必ず」と言いかけたシェイルの眉間にポッカリと穴が開く。
煙が出る拳銃を握ったレッドは高々に笑い上げ、そして冷静さを取り戻すために髭をなぞる。
後ろに倒れるシェイルは目をまん丸く開き暫く痙攣していたが、彼女の目は反転していった。
「私は次という言葉が嫌いなんだ」
広がっていく血を拭き取っていたレッドの元に呼び出されたマーディスターが部屋へとやってくると、思わぬ光景に固まる。
「一体何事です…」
横たわるシェイルを見つめながら尋ねるマーディスターにレッドは悔やむ素振りで涙ぐんでいた。
「彼女は自分の失態に耐え切れず、自ら命を絶ったんだ」
鼻を啜り去って行くレッドの背中をマーディスターは恐れていた事が起きてしまったのだと実感する。
シェイル・ミュラーは自殺をする人間ではない。忠実なカトリック教徒であるからだ。
後始末をさせられる中、レッドの心にない言葉が頭の中でぐるりぐるりとリピートされると彼の精神が崩壊していく音が聞こえた。
ゲームを終えたオフェンダー達は控え室に戻る。
そんな中、ソファーに寄りかかっているジェフリーをセリーナが襲いかかった。
「この腐れきったブタ野郎!」
殴りかかるセリーナをエドワードが必死に抑えるもジェフリーは腹を抱えて笑っていた。
「こんな女、助けるなんて頭イカれてんだろ」相変わらず余裕ある表情を保つジェフリーにセリーナは唾を吐きかけていた。
部屋が騒がしいのにも関わらず、今回のゲームで命を落としたドリューとツバサを偲ぶ豹牙の姿にオフェンダー達の関心が集う。
ライバルであるが同じ人間として想う彼の誠実さに心動かされていた。
そんな一方でハリーはある情報を掴んでいた。
「なぁ今回のゲームおかしな点が多いと思わないか?」そう尋ねるハリーにケイトリンやエドワードは頷いていた。
「明らかに誰かを陥れるゲームだったわよね」
ケイトリンの言う通り、仕組まれているゲームだとすれば一体誰が狙われているのか?
その答えはもう出ている。
このゲームを脅かす者、それは出雲豹牙しかいない。