EpisodeⅠ‐Ⅷ
「エクサぁ、そろそろ戻らぬかぁ? そのような所へ上がるなど正気とは思えぬぞー」
「にゃっかか、おいらもそろそろ限界だにぃ。この青い光も、おいらにゃ刺激が強過ぎるにゃあ」
「あのなぁ、だから、さき戻ってろって……大したことじゃないからよ」
動力室、その中央にて、格子状の木枠の檻に捕えられた浮揚鉱石は、依然として毒々しい青い発光を続けている。
俺は木枠に手足をひっかけよじ登ると、天井付近から鉱石の表面を注視していた。
先に説明した通り、浮揚鉱石の下には黒海が広がっている。絶えず、轟々と逆巻く暴風が、前髪を煽り、衣装の裾をはためかせている。
浮揚鉱石の近く、黒海と飛空挺の床との境界線には申し訳程度の手摺が備え付けられており、そこにロゼとパールの姿が見えている。厳密には、パールは数歩下がった位置で、耳をぺたんとたたんで、ずんぐりした腰を引かせている。
通路側から浮揚鉱石を回り込んだ反対側の壁に縄梯子が掛けられている。
この飛空挺は海面か柔らかい砂場への着陸を想定していると聞いていた。だとしたら、この開閉式の底面と縄梯子に説明がつかない。
緊急脱出経路とかだったりするのだろうか。操縦士の「外へ繋がってる」との発言は、たぶん、このからくりを意味していたのだろう。
そういえば、肝心のリーシャ姫に纏わる経緯が省かれているので、ここから先は自分で書き込んでおく。どうも、まだ冒険の書の扱い――記憶の選定――にはむらがあるみたいだ。
リーシャ姫は、なぜか通路側から見つかった。彼女を捜索するにあたって、アニィは飛空挺の内部を粗方探し終えていたのだと主張していた。そして、それはレイもだと。しかし、実際にリーシャ姫は通路から出てきたのだ。つまり、アニィとレイが二人揃って見落としていた部分があり、そこにリーシャ姫が居たのだろう。粗方は粗方である。或いは、姫様が息を潜めて隠れていた可能性もあるし、そもそも、操縦士も知らない未知なるXがどこかにある可能性だって否定できない。
それとも、俺の勘が外れただけで、彼女は植物園に上がっていたのかもしれない。ただ、植物園へ通じる梯子は、甲板から飛空挺の右翼へ続く細い足場の途中にあり、華奢な姫様が一人で挑むとは思えなかった。それに、甲板にはレイとエミールの姿があった筈だ。さすがに、彼等の目を盗んで再び飛空挺の中へ戻るなんて芸当は不可能だろう。それこそ、怪鳥の助けでも借りなければ。
リーシャ姫の表情に違和感は見当たらなかった。
彼女が強引に空の旅へ乗り込んだ目的は、もしかしたら……と勘繰ってしまうが、おそらく杞憂だろう。いや、そうであって欲しい、というのが本音だ。
昨夜は、パール、ロゼと共にトラム王国へ戻るべきではない、と結論付けたが、やはり、保身抜きにして考えると、この旅は続けるべきではないのだろうか。
操縦士には悪いが、もし、彼女の秘密が明らかになってしまうと……ローランド・ギフティの死が無駄になる。
もし……いや、これは穿ちすぎか。どうも、亡霊の戯言に耳を貸してから、思考が沈みがちだ。
蝋燭がかなり短くなってきた。ここで今日の日誌が途絶えると本末転倒だ。冒険の書に続きを委ねよう。
天井間際から浮揚鉱石を見渡してみても、表面を覆う粘土状の膜に抜かりはなさそうだった。
詳しい過程を聞かされた訳ではないが、アジー曰く、この巨大な浮揚鉱石を選鉱できたのは、鉱石そのものが持つ特殊な性質による部分が大きいのだとか。
浮揚鉱石は大小関わらず互いに強く引き合う磁力の様な性質を秘めており、いわゆる磁場が発生、干渉する範囲は、不思議なことに不気味の谷現象に見られるような曲線を描くものらしい。
不気味の谷現象とは、ロゼの故郷の魔女会が長年追い求める願望を拒む一つの問題の事で、いわゆる自動人形――魔女会の様式で呼ぶなら、ホムンクルス――の研究用語からきている。
これは、生み出される人形が、技術の進歩や、魔術の発展によって人の形に近付いていく過程で生じる逆転現象を意味する言葉だ。
完成系がある段階まで進むと、反って不完全さが目につくようになり、人の心理へ嫌悪感を与えるようになる。つまり、ほぼ似ているがどこかちょっとだけ異なる。この些細な違和感の地点を不気味の谷と呼ぶわけだ。
この谷を越えること。つまりは自動人形から不完全さを完全に払拭することが魔女会の悲願の一つだとロゼが話していた。
浮揚鉱石の磁場(便宜上、そう仮称しているだけだが)も、図面に起こした場合、この不気味の谷現象と近い形を取るらしい。
近すぎても遠すぎても磁力は発生せず、ある一定の距離感においてのみ、互いを強く引き合う。この、他の鉱石に類を見ない珍しい性質が、選鉱にて大いに役立ったそうだ。
その裏話をアジーの口から知らされていた俺は、杞憂だと思いながらも、動力室の浮揚鉱石に綻びがないか調べていたのだ。
なにかの拍子に浮揚鉱石の一部分が剥がれ落ちでもしたら、そのまま海へ落下し、その最中に飛空挺が引っ張られることが有り得る。
だが、そこはさすがのアジーだ。剥落を防ぐ為の粘土状の膜に不備は見当たらない。安心して動力室の床へ飛び降りた俺を、不機嫌そうな表情のロゼと、寒さか、或いは恐怖かで顔面蒼白となっているパールとが出迎えてくれた。
「それにしてもにゃあ、なんで、ここは風通しをよくしてるんだにぃ?」
「熱ではないか? 妾達がここを訪れてから浮揚鉱石は光りっぱなしよな、冷却する必要があるのかもしれぬ」
ロゼが己の推測の正しさを証明しようと、動力室の壁を這って浮揚鉱石まで伸びている鉄の管に触れ、次いで「ぎゃっ」と汚い悲鳴を上げた。
そんなこんなで、ロゼのドジっ子ぶりをいつでも思い出せるように記しておいて、動力室の話はおしまいとする。
いつの間にか昼食の時刻も近くなり、食堂へ戻ることにした俺達三人。
食堂では、一足早くリーシャ姫、レイ、エミールの三人が席についていた。
アニィは慌ただしく円卓と調理場を行き交っている。
「皆様も姫様の捜索に協力してくださったと聞いております。ご迷惑をお掛け致しました」
俺達が席に座るなり、レイが真顔で告げた。昨夜はきちんと整っていた頭髪も、風に煽られてかやや乱れている。
「怪鳥に攫われてなくてよかったよー」と、無垢な笑みを浮かべたエミールが言い、「あたくしは攫われてみたいのですわ」とリーシャ姫がなにやら不謹慎な事を言い始める。
と、ここで不意に蝋燭が燃え尽き、室内が暗闇へ還った。冒険の書へ向けていた魔力も途切れそうになったが、淡い光を伴ってひとりでに記されていく文面を確認し、俺は深く息を吐いた。
集中力が切れると同時に、眩暈と息苦しさに襲われる。
窓を開けて換気をしようと思い立った直後、
「な、なんだっ!?」
突然、飛空挺全体が大きく縦に揺れた。まるで、なにか巨大なものが上から圧し掛かったかのような揺れ方だ。
蝋燭が燃え尽きている所為で、室内は暗闇に包まれている。
扉の開く音がした。誰かが通路を駆け抜けていくような足音が続く。
頭上から誰かの甲高い悲鳴が聞こえた気がした。
そして、窓の傍に亡霊の姿を見つける。亡霊特有の青白い光を纏う彼は腹部に刺さっていた俺の剣を抜いて、一歩、こちらへ歩み寄ってきた。
その直後、窓の外を何かが横切り、亡霊も、その気配を覚ってか、背後の窓を振り返った。
窓の外には……空しかない。
俺と亡霊は二人揃って、窓の向こう側をねめつけた。
この瞬間、俺は理解した。
この旅は間違っていたのだ……飛空挺の目指す先に、新大陸など存在しない。
あるのは……空の檻に囚われて、どこにも逃げられない獲物を嘲笑う怪鳥の姿のみ。
今すぐにでも、皆へ伝えなければならない。
扉の方へ後退る俺を見て、亡霊が哄笑している。
飛空挺の揺れはもうとっくにおさまっている筈なのに、まるで重力に縛られたかのように足元が竦む。
目が暗闇に慣れてくると、窓の外には……。
レイ・ナイトブランドは文面の続きを探して、何度も何度も頁をめくりだす。
しばらくの間、彼が指で紙をつまむ音だけが、一同の耳に伝った。
やがて、分厚い本の裏表紙まで白紙続きであることを確かめ終えたレイは、彼が読み上げてきた冒険の書を静かに卓上へ寝かせた。
そして、長い、とても長い沈黙の果てに、レイは飛空挺の搭乗者達をゆっくりと見回して、とうとう口を動かした。
「以上が……エクサ・イシュノルア様の遺されました記述全文で御座います」
――To the next story "ominous bird"