EpisodeⅠ‐Ⅶ
「説明してくれ、一体……何があった?」
閂を引いて扉を開けると、肩で呼吸をするアニィ・カプリが目の前に立っていた。あ、ちょっと色っぽい。
彼女はちょん、と背伸びして俺の部屋の奥を覗いた。既に亡霊の姿は消えていたが、どこか不安になり、彼女の視線を追うように自分の部屋を振り返ってしまう。
「エクサ様の部屋には居ないみたいですね?」
「……誰が?」
「……リーシャ様です」
「……なんで?」
「いえ、その……」と、エプロンの裾を両手でぎゅっと掴んで、口ごもるアニィ。
「まぁなんでもいいけど。とにかくさ、状況を説明して貰ってもいいか?」
「はい。私が調理場で朝食の準備をしていると、ふらりとレイ様がお見えになられまして、姫様を見かけなかったか? と訊かれました」
「んで?」
「今朝はまだ、リーシャ様と挨拶を交わしておりませんでしたので、正直に見ていませんと答えました。すると、レイ様は、王国ではいつも決まった時刻になると、リーシャ様の私室の前で待機しているのだそうです。それを知っているリーシャ様も、あまりレイ様を待たせないようにと、身支度を整えるよりも早く、起きるとすぐに扉を叩いて、レイ様に起床を知らせる。というのが二人の間に交わされた日課のようでして……」
「長いっ!! 三行で頼む!!」
「レイ様、不審に思ってリーシャ様の客室を訪れる。鍵掛かってない。リーシャ様居ない。私達パニック」
「おう、やればできるじゃんか」
よしよし、と頭を撫でてやろうとしたら、さっと距離を取られた。アニィは蔑むように目を細めて、ぼそりと呟く。
「……褒められている気がしません」
「ったく、そういうのなんて言うか知ってるか?」
「……私が、ですか?」
「そそっ、あのな、灰色幻想譚二十一巻によると、素直になれない女の子はツンドラって言うらしい」
「ツンドラですか……なんだか魔物みたいで嫌ですね」
「作中でそう呼ばれてる女の子はけっこう人気あるんだけどなぁ」
「あの……エクサ様、私はそのような雑談をしに……」
「わかってるって。とりあえず操舵室に向かおう……この飛空挺に一番詳しいのはシメオンだ」
「畏まりました」
操舵室へ向かう合間の短い道中。アニィは、レイも自分も飛空挺内部をあらかた捜し終えたのだと主張した。
もし二人が見落としていた何か、つまり、普通に捜しても見つからない――隠し通路や秘密の部屋などといった類の未知なるX――が存在するとすれば、前以ってアジーから事細かに飛空挺の説明を受けていたシメオンが知っている可能性は高い。
操舵室を訪ねるのは、シメオンとの約束を破るようで、ほんのわずかに後ろめたいが、リーシャ姫の行方が知れないという一大事の前では霞んでしまうのも正直な話だ。
飛空挺二階通路突きあたりに位置する操舵室は、やはり、施錠がされていた。
「おはよう、シメオン。ローか? ムーか? どちらでもいい。もし起きていたら、この扉を開けてくれないか?」
扉を叩いて、操舵室の主に呼びかけていると
「……んー……あー……」
と、ひどく気だるそうな反応が返ってきた。
「小人族ですら顎髭を抜いて数え始めそうな間延びした喋り方。これは、ムーだな?」
「エクサ様、あの、そのような言い方は……」
「……勇者様……? ……おはよー……さっきね……鳥が……」
「すまん、やっぱ面倒だから扉越しでいい。単語だけで答えてくれ。この飛空挺に……俺達が自力では見つけられなそうな部屋とかあるか?」
扉の奥からは、舵と連動して駆動する歯車の軋んだ音がひっきりなしに聞こえてきている。
「……植物園……僕達の飛行板ある……あとは……動力室……外と繋がってる……それから……仮眠室……この部屋の角……」
仮眠室も植物園も、出立前に聞かされていたから知っている。だが、動力室が外へと繋がっていることを示唆する発言には俺も首を捻った。
「トラムの王女が来ていないか?」一応、確かめておく。
「……王女様?、……なんで……?、この船に乗ってるの……?、みてない……けど」
「そうか、舵に集中してるとこ悪かった。この空の旅が快適なのは、お前らのお陰さ。感謝してるよ」
「……ん……」
シメオンとの問答を経て、俺達は動力室へ向かうことにした。
「エクサ様、植物園というのは?」
「あぁ、飛空挺の屋上だよ。ただ、あそこへは梯子でしか上がれないからな、後回しでいいと思う。怪しいのは動力室だ。そういえば、レイ達は何処をほっついてるんだ?」
「レイ様は、ちょうど食堂へいらしたエミール様と協力して甲板を見て回っている筈です」
「甲板って、大して探す場所もないだろうに」
「エミール様が――怪鳥に攫われちゃったのかも――と仰られて、それをなぜかレイ様が真に受けて甲板へ飛び出していったのです」
「……怪鳥、ね」
二階から地下一階へ向かうには、構造上、客室の並ぶ一階通路の床を踏まなければならない。一階まで駆け降り、くるりと向きをかえて、地下へ続く階段の先を見据えた瞬間。
「にゃかか、お二人さん、そんなに慌てて何処へ向かうにぃ?」
ちょうど部屋から出てきたらしきパールに呼び止められた。なにやら勘違いしていそうな嫌らしい笑みを浮かべている。
「リーシャ姫の姿が見当たらないんだ。パール……そうか、お前を頼ればよかったな。どうだ? 姫様の居場所……わからないか?」
「にゃあにゃ、おいら、昨日はべろんべろんだったにぃ、姫様の匂いはあまり覚えてないにゃあ」
「今はどうだよ……姫様の部屋に行ってみるか?」
「にゃっかかぁ!! おいら二日酔いだにゃあ!! 鈍っててなんもわからないにぃ」
「うわぁ……役立たねぇ……」
すぐ傍に控えるアニィも声に出していないだけ立派だが、やや引き攣っている頬から察するに、かつての英雄の落魄れた現在に幻滅しているのは間違いなさそうだ。
「うるさいのぉ、妾の眠りを妨げるでない」
と、今度は階段すぐ近くの客室が開き、眠たそうに目尻を擦るロゼが現れた。おこちゃま体型の彼女には、ここで等身大ぬいぐるみでも抱えて登場して欲しかったものだが、かなしいかな、現実は違い、ロゼが片手に抱えていたものは紐で縛り上げた肉の塊だった。
「あ、調理場から消えたと思ったら」と、アニィが素の反応を見せて、対するロゼは「ふふんっ」と鼻を鳴らした。ロゼの分かりやすい特徴である。彼女の不機嫌を表現するのは「ふんっ」で、上機嫌を表現しているのは「ふふんっ」なのだ。
「なかなか寝付けなかったのでな、ちょいと拝借させてもらったぞ」
「た、食べるのではないのですか?」
「にゃかか、ロゼの肉に対する信頼感は、よもや食糧の概念を超越してるにぃ」
「にくはいいぞぉ。いついかなるときであれ妾を裏切らぬ」
「アニィが困るだろうから、あとでちゃんと返しておけよ……って、お前らの相手してる場合じゃねーんだよ!! アニィ、行くぞっ!!」
「にゃにゃ、おいらもついていくにぃ」
「エクサぁ、つれないことを言うなよぉ、妾も、妾もっ」
「勝手にしろっ!!」
望まないパーティー加入で、奇しくも四人が縦一列に並ぶ形となった俺達は続々と地下一階へ降りていった。
飛空挺の最深部は、貯水槽を備え付けてある為か、上の階よりもずっと空気が湿っている。
上よりも狭い通路の壁面には、必要最低限の燭台が点々と並んでいるが、どれも蝋燭は付いておらず、地下の陰鬱な雰囲気に一役買うだけの装飾となっていた。
「この扉は?」と、先頭の俺が急に立ち止まったせいで、後ろの方から「ぎゃふん」とロゼの短い悲鳴が聞こえてきた。
降りてすぐ右隣りの扉を指差すと「そこは倉庫です。反対側は貯水槽などの置かれた設備室になっておりまして、突きあたりが……動力室となっております」と、アニィが口早に説明してくれた。
客間の通路などと比べて半分も続かない短い距離の先に、他の扉よりも明らかに頑丈そうな、鉄枠の扉が構えていた。
「鍵、掛かってるな」
「……そのようですね。シメオンのお二人が管理なさっているのでしょうか?」
「けひひ……どれ、妾に任せてみよ」
「おう、頼むぜ」
「いかがなさるおつもりですか?」
「まぁ、見てなって」
パールのまん丸いお腹を押しのけ、アニィのスカートの裾に顔面をはたかれ、俺の剣の鞘に「あいたっ」と額をぶつけながらも、なんとか先頭まで辿り着くロゼ。
彼女は鉄枠の扉を前にすると、小さな指の腹を扉に這わせて、静かに唱え始めた。
「そなたは何も恐れることはないのだ。妾はそなたの友人である。さぁ、友の来賓を拒む理由などなかろう。ただちに妾を歓迎せよ」
魔女ロゼンタ・グリムド・カー……彼女の唱える魔術は、この世界に広く普及する呪文とは根本的に型が異なる。
メリヴェールの魔女会にのみ語り継がれる独自の詠唱。彼女達は歌うように怪奇現象を起こすのだ。
鉄錆を擦り合わせたような開錠音が耳を劈いて後、一拍の間を置いてひとりでに開く扉。
「ふふんっ、妾の前に密室はありえぬのだ」
動力室への道が開かれたのを確かめて、ロゼは得意げな面持ちで俺達の方を振り返った。
「ほれ、エクサ、妾を誉めよ」
「えー」
「誉めてっ、誉めてっ」
「お前なんか寝起きのテンションだな」
「いいから誉めるのだっ」
手に負えない駄々っ子みたいになってきた。
「わーよくできましたー」
「たわけがっ!! そうではないわっ!!」
「にゃっかかか、乙女心の分からない勇者だにぃ」
「パール、そなたは黙っておれっ!!」
「にゃあ……いつの世も、太っちょの扱いはぞんざいにゃあ」
「そんなことありません。パール様はとても魅力的でございます」
「アニィ、お前まさか……デブ専っぐふぅ」
まさか、彼女に殴られるとは思ってもみなかったよ。しかも鳩尾かよ。
なんでかな……どんどんアニィの俺に対する扱いが勇者のそれからかけ離れていくのは……なんでかな。
扉の奥に――実際に目にするまで半信半疑であった――巨大な浮揚鉱石は鎮座していた。
昔、オールドパークを訪れた際に、現地の鉱夫達が稀少鉱石を女神に例えて賛美歌を合唱していたのが思い出される。
飛空挺を浮かす程の巨大な浮揚鉱石の迫力は、名状しがたい神秘を伴った鈍い輝きとなって、俺達を照らし出していた。
動力室の広さは、食堂を優に越えており、中央に鎮座する浮揚鉱石を支えるようにして、周囲には木造りの細い足場が組まれている。
そして、浮揚鉱石の遥か真下では、黒海が白いうねりを上げていた……つまり、飛空挺の底部がどういう仕組みなのか、水平方向にスライドし、結果、動力室は吹き抜け構造へと変わっていたのだ。
飛空挺の力強い鼓動を象徴するかのように室内を吹き荒ぶ風。
甲板と違って、日差しの庇護を受けられない動力室に吹き溜まる外気は、雪原に住まう竜が吐く息吹のようで、瞬く間に体温を奪っていく。
鉱石の剥落を防ぐ為か、表面には粘土状の膜が張られており、どうやら、その塗装が浮揚鉱石の発光をより鈍くさせているようだった。
発光の色合いは青みが非常に強く、目に害影響を及ぼしそうな毒々しいもので、照明器具として瑠璃聖石に及ばないのは、これが原因だと一目で分かるものだ。
はなれ屋敷が飛空挺を囲う鳥籠だったとするなら、この動力室は、浮揚鉱石を囲む檻のようでもある。
天井から壁面まで入り組んだ管に、どんな意味があるのかも分からない。
アジーが数年を捧げて完成させた開化の象徴。
飛空挺の心臓部は、他の部屋とはまるで異なる魔界の模様を成していた。
自分達を空へ導いてくれた奇跡の集大成。
その圧倒的な姿に気圧されてか、しばらく誰も口を開けなかった。
やがて、沈黙を破ったのは……
「あらあら? 御機嫌よう。皆様お揃いになって、なにやら楽しそうですわね」
俺でも、アニィでも、パールでも、ロゼでもなく、地下通路側から星屑を撒き散らしながら現れた……リーシャ姫、彼女であった。
――そこまでを読み終えたレイ・ナイトブランドは、自身の居ぬ間に起きた場面を想像で補おうとしているのか、突然、目を瞑って黙り込んでしまった。
飛空挺に選ばれた面々をじわじわと苛ませていくような重苦しい沈黙が続く。
食堂の壁に飾られた振り子時計が何度か震えた頃になって、耐えられなくなったアニィ・カプリが席を立ち掛けた。
そんな彼女を制するように、レイ・ナイトブランドは、はたと両目を見開き、
「申し訳ございませんでした……先を続けます」
囁く程の大きさの声で、滔々と続きを読み始めた。