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空の檻  作者: えんじゅ
EpisodeⅠ logbook
4/9

EpisodeⅠ‐Ⅲ

 豊穣の月、第三木祀の日。


 とにかく頭が痛む朝だった。

 前日の朝よりも更に鈍く重くなった足を奮い立たせて食堂へ向かうと、使用人のアニィが既に朝食の支度を始めており、予期せぬ俺の到来と、俺の顔色の悪さに大きく驚いた。

 よほど酷い顔をしていたのか、アニィはすぐさま冷えた水を持ってきてくれて、数分も経たぬ間にキュウリのサンドイッチとピクルス、それに林檎のコンポートを用意してくれた。

 

「エクサ様、具合はいかがですか?」

「あーありがと。お陰で大分楽になったよ」

 彼女は躊躇いがちに沈黙を挟んでから、おずおずと尋ねてきた。

「あのままパール様と夜通し飲んでおられたのですか?」

「たぶんなぁ」

「出立式はお昼からの予定となっております。今からでもお休みになられては? よろしければエクサ様の部屋まで手を貸しますが」

「いいよいいよ。それより、ロゼはみえたか?」

「いえ、まだのようです。メリヴェールは大陸の北端、召集された中でも最も遠い地だと聞いております」

「それもあるか」

「……?」

「いや、あいつ、基本的にずぼらだからさ」

 なんて俺に言われれば、あいつはきっとむきになって反論してくるに違いない。

 早くからかってやりたいなぁとぼんやり考えていたら、その沈黙をどう誤解したのかアニィがあまり感情のこもらない声で言った。

「信頼されているのですね」

「ん?」

「ロゼ様の人柄をしらない私にしてみれば、到着の遅れは心配を大きくするばかり。ですが、エクサ様の言葉には、不安からくる響きが一つも御座いません」

「まぁ、そういうことにしとくか」

 言葉の続きを期待しているのか、黙したままこちらを見つめているアニィへ、俺は違う問い掛けを向けることにした。

「それはそうと、アニィ」

「なんで御座いましょう?」

「おまえさ、今の生活……どう思ってるんだ?」

「それは……どういう意味ですか?」

 微かに、彼女の声に嫌悪感が含まれる。

「いや、悪い。変な意味じゃないんだ……ただ、アジーってさ、研究に没頭していると、周りが見えなくなるというか、そういう部分があるだろ?」

「エクサ様が仰りたいことは理解致しました。えぇ、そうですね、確かにアジー様は身の回りの事に無頓着になりがちですが、私としてはかえってやり甲斐となるものです。それに、元々……私は路頭を彷徨っていた身。拾われた恩を返すことができ、こうして慎ましい日々を送れるだけ十分で御座います。これ以上を望むことは不謹慎だとさえ考えております」

「そうか……変な事を聞いて悪かったな」

「いえ、私も……アジー様の大切な友人に対して、不必要な詮索を致しました。どうかお許しください」

「だから、そう畏まらなくっていいって言ってんのに」

「職業病ですので」

「まぁ、あんま口煩いとも思われたくねーし、もう言わないよ」

 言われて、アニィは控えめに微笑んだ。

「お優しいエクサ様、心遣いとても嬉しく御座います」

「さいですか」


「にゃにゃ、おいらの妹の求愛を拒んでおいて、人様の使用人を口説く勇者がいるにぃ?」

「あのなぁ、そんなんじゃねーって……つか、いつから聞いてたんだよっ!?」

「おまえさ、今の生活」「やめてっ!!」

 やたら渋い声で数分前の俺の台詞を真似るパールを制して、着席を勧める。

 パールは器用に尻尾をくねらせて、俺の隣にどかんと座った。アニィは気配を殺して、いつのまにか調理場へ戻っていた。

「にゃぁー、頭がぐらぐらするにぃ、こんにゃんで空なんて飛んじまったら、おいら、見送る人々に昨日食べたやつをお見舞いしそうだにぃ」

「甲板に出てくるな。いいな? 絶対だぞ」

「にゃあにゃぁ」

「なぁ、昨日話したかも知れないけど、あの子、エミールだったか? どんな印象だった?」

「……可愛いらしいじゃないかにぃ?」

「いや、まぁ、確かに……ちんまくて可愛いってのは、俺達にとっちゃ新鮮だよなぁ」

「アジーもロゼも、ちっちゃい癖に可愛げはとんとないからにぁあ」

「ロゼは可愛いだろ、いい加減にしろ!!」

「……おまえさんはからかうのが好きなだけだにぃ」

「否定はしない」

「……けどにゃ、あの子供……おいら達に嘘をついてるにぃ」

「うん? そりゃ直感か?」

「だにゃあ。けど、間違いないにぃ」

 パールが直感だと話すとき、その裏には直感を超えた何かが潜んでいる場合が多い。

 これは推測でしかないが、猫人族には独特の嗅覚が備わっており、人の心の動きを見抜くのに長けているのではないかと考えている。 

「ふぅん……でもまぁ、嘘の一つや二つぐらい誰でも心当たりあるだろうし、自分でこんなこと言うのもあれだが、俺達を前にして随分と緊張してる様子だったからな、なんていうんだ? その、咄嗟に見栄をはった程度のものなんじゃないか?」

「にゃあ、確かに匂いとしては、そういう類に近かったにぃ。でも、あれは、おいら達と会う前から、それこそ、この旅に加わると決まった時点で嘘をつくと前以って決めていたような、乱れの少ないものだったにぃ。その場凌ぎとは違うと思うにゃあ」

 エミール・コフィンロードは、アジーの推薦枠での参加だ。

 そうなるとアジーはエミールの嘘を知ってて黙認しているのか、それともあいつも俺達と同様に騙されているのか。そこが気懸りになる。

「賢者……なんて通り名に聞き覚えはあるか?」

「にゃいにぁあ、でも、元々、おいらの里にゃあ外の情報なんて滅多に流れてこないにぃ」

「それもそうか」

 情報に疎いという面で言えば、人里を避けた旅を続けてきた俺にも言えることだ。

 エミール・コフィンロードの嘘についての議論は、アニィが再び軽食を持って現れたことで打ち止めとなった。




 出立式と銘打って行われた国ぐるみのセレモニーは、それはもう盛大な模様を成していたらしい。後々、エミールから聞いただけだが。


 気さくな王の人柄もあってか、今日は日がな城の庭園も開放されており、鮮やかな田園を行き交う人の姿も絶えなかったのだとか。いや、聞いた話によると。

 約束の時刻には国民総出となって飛空挺の出立を見送る予定になっていた。 

 トラム王や、その一人娘であるリーシャ姫、それに飛空挺の開発責任者であるアジーや操縦士として抜粋された双子の片割れロー・シメオン、それからアジーの代理であるエミールなどが城下町まで繰り出す中、人ごみの苦手な俺はパールと一緒に、飛空挺の中に用意された各々の私室まで先に荷物を運ぼうと、飛空挺の内部を探索することにしていた。

 飛空挺の歪曲した船艇や船尾などは、鳥籠から伸びた木枠で支えるようにして半ば宙に浮いた状態で管理されていた。実際、空の旅の果てに新大陸へ到着した際は、海面か柔らかい砂場などへの着陸を想定しているらしい。

 仮設された足場から甲板へ渡ると、足場が僅かに軋んだ音を立てた。

「大丈夫なんだかにぃ?」

 尻尾をぺたんと床に垂らしながら、つま先立ちになって足音を忍ばせるパール。その様を笑いながら、俺は飛空挺の内部へと続く巨大な開き戸を見据える。

 飛空挺(ノイエヴェル)の間取りは、一世紀前に流行したココ風といえば聞こえはいい、やや古風な様式を取っており、甲板から扉を抜けると、まずは船内のおよそ半分を占める巨大な食堂(ホール)が出迎えてくれた。

 中央には必要以上に大きな円卓と、それに付随した椅子が幾つか並んでいる。

 奥にはたぶん客間へ繋がると思われる扉が確認でき、また、角には調理場と使用人室が併設されている。

 がらりと物静かなホールを抜けると、古風……もとい絢爛とした内観も一変し、こじんまりとして薄暗い通路が視界に広がる。 

 俺の部屋はどうやら通路奥の右側で、隣はロゼ、向かいはエミールとなっていた。で、ロゼの向かいがパールで、手前側の二室は空室だ。

 それぞれの扉の前には、割り当てられた人物の名がミミズの這った書体で記されており、これはアジー自ら書き起こしたものだろう。

 一度、パールと離れ、一人で客間へ入ると、ろくに観察もせず、荷物をざっくばらんに投げ捨てて、再びパールと合流した。

 通路奥、地下、二階へそれぞれ通ずる階段は、脇に燭台があつらえてあるが今はその機能も果たされておらず、外の明かりの届かない室内は純然たる闇を孕んでいる。

 飛空挺の二階に該当する通路は、右に遊戯室、左に書斎、喫煙室の順に並んでおり、突きあたりは操舵室となっていた。

 シメオン双子が不在であるためか操舵室は施錠されている。


「お、みるにゃあ、ルーレット、テーブルゲーム、ビリヤードなんてものもあるにぃ。これにゃら退屈する心配はなさそうだにぁあ。アジーも気がきくにぃ」


 甲板で足を竦ませていたパールも、すっかりと調子を取り戻して、むしろ、興奮した声を上げている。

 パールの背中を追うように遊戯室へ入ると、客間三部屋からホールまでは及ぶであろう細長い間取りいっぱいに娯楽が広がっていた。

 ここは両開きの窓が等間隔に設けられていることもあって、いくらか明かりが入り込んでいる。

 天井にはホールと同様のシャンデリアが吊るされており、他の部屋と同じように、進歩が難航している瑠璃聖石が取り付けてある。

 

 書斎は通路側の壁面をずらりと本棚が埋めており、こちらも等間隔に窓が設けてあり、幾らかの光が差していた。

 また藤の机には読書灯の燭台が付随しており、暗闇を遠ざける趣向が施されている。

 書斎から扉続きで行き来できる喫煙室には、簡易的な貯蔵庫も据えられており、わざわざ階段を介せずとも、酒類や軽食を用意できるようになっていた。 

 

「にゃにゃ、エクサ。もうそろそろ出立の本式が始まるんじゃないかにぃ? さすがのおいら達も顔を出さないと不義理というものだにぃ」

「だなぁ。しかし、ロゼはまだ姿を見せないのか……城下町で食べ歩きでもしてるのかね」

「にゃかか、あの食いしん坊ならありえるにぃ」


 なんて暢気に談話しながら甲板へ戻った俺達の前に、ようやくあいつは姿を現した。


「その品のない笑い声……やはり、エクサとパールかよぉ」


「お前にだけは言われたくねー」

「にゃあにゃぁ、ロゼ、元気そうだにぃ?」

「けひひ、妾のこれはキャラ作りだからなぁ。多めにみてくれよぉ、むろん、妾は元気よ」


 闘牛に挑むかのような紅の出で立ち。真っ赤なローブに真っ赤な頭巾を被り、裾から覗く足元も朱色のタイツで統一されている。 

 その紅を際立てる白銀の髪は毛先が酷く傷んでおり、頭巾の下から垂れている頭髪は葉を散らせた枝のように乱れている。

 作りものと言われても納得できてしまう青白い肌、衣装よりも増して鮮やかな深紅の瞳。

 身長はアジーよりも小さく、エミールに近い。蒼さが際立つエミールと並び立てばとても目に悪そうだ

 俺やパール、アジー、フランと共に長く旅を共にしてきたメリヴェールの魔女、ロゼンタ・グリムド・カーは、荷物を全て預けた使用人を背後に控えさせた状態で、甲板へとんっと飛び降りた。

 片手にはこんがりと焼けた鳥の足を握っている。

 彼女は肉好きというか……基本、肉しか食べない。しかもほぼ四六時中食べようとする。けど、体躯はまるで成長しない。四年経っても、起伏もなくちんまいままだ。


「ふむ、これが噂の飛空挺かよ。老いぼれの最後の作品にしちゃあ上出来というものだ」

 肉を一齧りして、頬を膨らませながら呟くロゼ。

「あいっかわらず可愛げねーなぁおまえ。そんなおこちゃまはこうだっ!!」

 そんな彼女へ、俺はいきおいよく飛び掛かる。

「こ、これ、エクサ、やめろよぉ!! ぱ、パール、妾を助けよっ!!」

「にゃっかかか、それはフランの役目だにぃ」

「言われてみればフランが居らぬではないかっ!! あやつはどうし……むぐ、ふごっ!!」

 俺の抱擁を受けて、じたばたともがくロゼに、パールが答える。

「あいつは辞退だにぃよ」

 人形のように小柄で軽いロゼを持ち上げては、もう一度、さっきよりもぎゅっと力強く抱き締めた。

 いやー公然とセクハラできる相手が居るって素晴らしいね。

「うぬぬ……またもや汚された。エクサよ、そなたは妾の純潔をなんだと思っておるのか?」」

「お前のものは俺のもの」

「そなた、それでも勇者か!?」

「おうよ!! こんなんでも勇者だっ!!」

「公然猥褻勇者め、楽には死ねぬぞ」

「俺は今をときめく勇者なんでな」

「ふんっ」


 その時、屋敷の外から火薬の爆発する音が轟いた。 


「お、出立式も始まるみたいだな」

「いそぐにぃ」

「そなた、妾の荷物は、妾の部屋まで頼むぞ」

 押し黙ったまま荷物を抱えている使用人へ一方的に告げると、ロゼが先頭をきって甲板から離れていく。


 彼女の後を追うように、パールと俺が続いた。

 去り際、微かな視線を感じて飛空挺の方を振り返ると、ロゼの手荷物を預かっている眼鏡の使用人が、俺達からすっと顔を背けた。

「嫌われてるみたいだにぃ」

 前を歩くパールがぽつりともらした一言が、出立式の最中でも頭の中から離れなかった。


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