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空の檻  作者: えんじゅ
Prologue  ulterior motive
1/9

Prologue

 野鳥の囀りだけが耳に届く、窓から覗く外がすっかりと晴れ渡った昼下がり。

 トラム王国第一王女リーシャ・トラム・ランベルジュは、優美な弧を描く曲木を巧みに組み合わせたロッキングチェアに座って、灰色幻想譚を読み耽っていた。

 単色の灰の背表紙で埋め尽くされた本棚が一角を占める自室の窓際にリーシャ姫の姿がある。

 この椅子にもたれかかって読書に没頭するのは、彼女にとって何にも代え難い至福の一時だった。

 やがて、リーシャ姫は膝の上に今しがた読み終えた灰色幻想譚の百二巻を伏せて呟く。

 

「まさか、配管工のおじさまが助けにいらすなんて」


 攫われた姫様を助けにくるのは勇者様だとばかり思っていましたわ。とリーシャ姫は感嘆の息を零し、そして、口元に豊かな髭を蓄え、真っ赤な帽子に青いつなぎ姿の太っちょとして語られた配管工を彼女独自の理想へ美化しては、淡い妄想を膨らませて瞳を潤ませた。

 覆面作家である所のシャオムが世に放った灰色幻想譚は、巻毎に主役が異なる、いわゆる群集劇の作風を取っている。

 舞台となる世界は、作中にて━━灰色の無機質な建物が横行しており、まるで檻のようである━━と語られており、愛読家(ファン)の間では、作中の用語を引用して【灰色界(セメント)】の名で通じていた。

 先日に刊行されたばかりの百二巻では、主役は先述した通り配管工の男性であったが、六十六巻以降の再登場となる変身する探偵(リーシャ姫は彼が特にお気に入り)にも活躍の場が与えられていたのだ。

 変身ベルト、と名付けられた摩訶不思議道具により仮面姿のヒーローへと変身する探偵、彼の個性は灰色幻想譚の中でも取り分けて目立ち、リーシャ姫にとっても理想の殿方像にまで昇華されていた。

 いつかトラム王国に何かしらの脅威が迫り、第一王女としての自分にも何かしらの危機が迫ったとき、きっと何かしらの方法で窮地を知ったヒーローが助けに来てくれる。などと御都合主義な甘い妄想を抱くようになって早数年経つが、実現することは決してなく、されど淡い期待は色褪せずに心の奥に秘められたままであった。

 国の王でもある父親が彼女の不祥な妄想を知れば、ただちに部屋から本棚を取り除くかもしれないこの危険な妄想は、しかしながら、ある意味でリーシャ姫の後悔に基づいている。

 トラム王国は四年前、確かな脅威に晒されていた。当時、リーシャ姫は齢十二であり、まだ行動力も妄想力も足りていなかった。

 彼女は立ち上がって百二巻を棚の収めるべき箇所へ収めると、等身大の姿見の前で片方の手を腰にあて、残る手の人差し指を鏡へ向かってビシッと突きつけ、彼女の大好きな変身する探偵の決め台詞を言い放つ。

  

「さぁ、貴方の罪を数えなさい!!」


 柔らかで、聞く者の耳に障りなくすっと沁み入る綺麗な声音だ。

 果たして攫われる姫様でありたいのか、救いにやってくる殿方になりたいのか、端から見れば判断に困る物真似であるが、とかくリーシャ姫が灰色幻想譚をこよなく愛していることだけは、はっきりと伝わってくる。

 ポーズを決めたまま硬直している鏡の向こうの自分は、頬を薄っすらと赤らめていた。

 トラム王家に遺伝する透き通った白肌は、血色を通してぼんやりと淡い桃色を灯していて、見る者に絶品の菓子を目前にした時に似た欲望をかきたてるものだ。

 また母方のランベルジュの血筋から引き継いだ琥珀色の頭髪は、まるで金銀糸を織り込んだかのような煌きを常に振り撒いていた。

 頭髪よりも増して鮮やかで、瞬きの度に星屑が飛散する金色の双眸は、トラム王国屈指の人形師が完成させた稀代のドールにも勝って美しい。

 第一王女に相応しき風采を備えたリーシャ姫であるが、微かに覗かせる勝気な目つきや、誇大化する妄想癖(ヒロイズム)から、真に淑やかであるとは言い難い。

 なによりも問題視する部分を挙げるとすれば、リーシャ姫は灰色幻想譚に登場する変身する探偵や配管工のおじさまのような人物達が織り成す物語に強く憧れてしまっていた。

 

「罪、ですか。ええと、そうですね……幾つか思い当たる節はありますが、まずは一つ白状致します。姫様、申し訳ございません……ノックを忘れておりました」

「まぁ!! レイったら、いつからそこにいらしたの?」


 予想だにしてなかった返答に驚き、慌てて姿勢を取り繕うリーシャ姫。彼女の飾り気のないロングスカートがさらさらと擦れた音を立てる。


「姫様がこう、鏡に指を突きつけてですね……」

「やっ、もう結構ですわ。レイ、貴方の気配を押し殺す癖はどうにかなりませんの?」


 粛々と状況を話し出すレイを制して、リーシャ姫は愛らしく首を傾げる。


「以後、気をつけます」

「あたくしがその言葉を聞くのは何度目になるのかしら……まぁいいわ。今更レイに隠す必要もありませんから。ただ、その、くれぐれもお父様とお母様には内密に……」

「えぇ、存じておりますとも。私はいつだって姫様の味方で御座います」


 慇懃(いんぎん)たる口調で告げるレイ。しかし、内密にという部分に関して言えばお互い様なのである。幾らリーシャ姫の専属従者だからといって、王女の私室に男性が無断で立ち入って許される筈がないのだ。

 これは二人の信頼関係、もといリーシャ姫の命令から許される行為であることを彼はよく理解していた。


 レイ・ナイトブランドがトラム王国第一王女ことリーシャ・トラム・ランベルジュの専属従者になった経緯はやや複雑であり、これも四年前に王国を襲った脅威まで時間を遡らねばならない。

 日に焼けた小麦色の肌に、光の薄い青紫の瞳。癖のない黒髪は額を覆い尽くすほど伸びていて、彼の銀縁の眼鏡まで幾らか差しかかっている。

 表情や語調の変化に乏しく、時折、主であるところのリーシャ姫に対しても及ぶ毒舌が玉に瑕だが、それ以外に目立った悪癖のない、今は素直で、雑事もそつなくこなせる青年だ。

 リーシャ姫の一存で黒尽くめの燕尾服を着付けており、背筋を真っ直ぐに伸ばした立ち姿はリーシャ姫よりも頭一つ分高く、彼女はレイと会話するとき上目遣いになってしまうのが僅かばかり不服だったりもした。

 レイは一切の音を立てず、部屋の外からティーワゴンを押して戻ると、リーシャ姫のお気に入りであるロッキングチェアの傍まで寄せた。


「糖蜜パイです。紅茶はメリヴェールより届いた春摘(ファーストフラッシュ)の茶葉をご用意致しました」

「あら、あちらではもう茶摘みの時期ですのね。メリヴェールの茶葉はええと、なんでしたか」

「スノウフラワです」

「ありがと。でもね、今日はもう本を読むつもりはないの。ねぇ、レイ。それよりも飛空挺の話は聞けた?」

 尋ねながら、リーシャ姫は部屋の中央に構える丸テーブルの付近に並ぶ椅子の一つへ腰を落ち着けた。

「……完成したと聞きました」

 レイは手慣れた様子で紅茶を淹れつつ答える。

「まぁ本当なの!? ではアジルヒム老はいよいよもって彼等を招集するのですね」

「そうかと思われます」

 眼前に差し出された紅茶に角砂糖を一つ、二つと落としながら、リーシャ姫の声が熱を帯びていく。

「あぁ、とても素敵なお話だわ。かつてアジルヒム老と共にこの大陸を駆け巡り、あたくし達のこのトラム王国をも救ってくれた五人の英雄。勇者エクサ・イシュノルア、魔女ロゼンタ・グリムド・カー、剣士パールに槍使いフラン・ミクシリア、そして魔術師アジルヒム・オルトレツィス。彼等が一同に会し、再び心躍る冒険譚が始まるというのですね!!」

「まだ全員が招集に応じると決まった訳ではございせんが……アジルヒム老は此度の飛空挺に只ならぬ熱意を込めていましたから、それ相応の精鋭を揃えたいのでしょう」

「伝説には伝説を持って挑む、という魂胆なのですわね……あぁ、あたくしも連れて行って頂けないものかしら」

 糖蜜パイの上品な甘さにうっとりしつつ、リーシャ姫は普段よりも増して甘い声で呟いた。

「姫様、それは、しかしですね……空の旅は姫様の想像しているようなものでは……」

「もちろん、わかっていますわ。お父様は新大陸の噂を確かめたいと常々仰っていました。その為には海か空を渡らねばなりません。ですが、黒海の波は常に荒れており、勇ある航海者達を尽く沈めています。一方で空もまた……唯一の生還者であるシメオン双子の証言によれば、おぞましい怪鳥が巣食っており、突破は至難の業であること……ですから、お父様は双子の証言を基に初の飛空挺開発に望んだのです。そう、怪鳥伝説を打ち破り、新大陸への架け橋を繋ぐ為にですわっ!!」

「人が空を飛ぶ驚くべき時代が訪れて間もないというのに……アジルヒム老による飛空挺の開発は画期的なものであります。ですが、だからこそ未知数の危険性と隣り合わせでもあり、今回の飛行に安全性はほとんど約束されていないのだと言い換えることができます」

「レイは心配症なのよ。灰色幻想譚では空を飛ぶ鉄の鳥に何十人もの人間が乗り込むでしょ?」

「飛行機の事ですか、姫様、あれは……ファンタジーに過ぎません」

 レイは、リーシャ姫の影響で多少なりとも灰色幻想譚に目を通していた。彼女みたいに全巻を読む気には到底なれないが、リーシャ姫が度々熱弁する変身する探偵が登場する巻だけは網羅していた。

「ファンタジーがいつまでもファンタジーのままである筈がありませんわ」

「だとよいのですが」

「もう、レイったら、信じていないのでしょう?」

「信じろと仰る方が無理難題だと思いますが……ですが、私も姫様の見据える先を一緒に見守りたいとは思っております」

「レイったら、まるでプロポーズみたいだわ。聞いているこっちが恥ずかしくなります」

 言って、リーシャ姫は頬の赤みを隠す様に手の平を添えた。

「まさか、従者である私が国の王女様にプロポーズなど、夢にも願いませんよ」

「そのような言い方をしなくても……」

 どこか寂しげに睫毛を陰らすリーシャ姫の様子に気付いてか気付かずか、レイは無表情のまま、脇道に逸れ始めていた話の筋を修正する。

「それでですね、どうやら例のシメオン双子が飛空挺の操縦士に抜擢されたようです」

「素敵だわ、こうも役者が揃えば、どんなにスリリングな旅になろうと、勇者様達は必ず新大陸に辿りつけますわね」

「しかしながら、小型飛行船と飛空挺では操縦の勝手がまるで違うとも聞いております」

「動力に浮揚鉱石(グラビニウム)を利用するのでしょ?」

 根本的にリーシャ姫は書物を読み漁るのが好きで、灰色幻想譚に限らず、例えば━━英雄の一人にも数えられる剣士パールに代表される猫人族の生誕の謎に迫る論文であったり、現在の主流である小型飛行船の浮力を担うヘリウムガスの産出に纏わる自伝小説まで、彼女の知的好奇心は広く及んでいた。

「さすがです。えぇ、アジルヒム老は昨年、最南端のオールドパークで初めて採掘された浮揚鉱石の性質に目を付け、飛空挺の動力源とする為の研究に精を出しておいででした」

「浮揚鉱石は性質がとても繊細で、飛空挺のような大型のものを浮かすだけの大きさの鉱石を選鉱で入手するのは不可能だとも聞いているわ」

 レイはわざとらしく指の腹で眼鏡を押し上げて一呼吸挟むと、これに答えた。

「選鉱方法の露呈には最大限の気を配っているようで情報は一切得られませんでした。ただ、飛空挺の内部に巨大な浮揚鉱石を組み込めているのは事実です」

「かつての英雄を王国専属魔術師にお招きできた恩恵は充分にあった。というわけですね」

「アジルヒム老もこれにてようやく肩の荷が下り、お酒を美味しく飲めるお気持でしょう」

「もののついでに瑠璃聖石(ラピスラズリ)の照明も実用化して貰えないものかしら?」 

 トラム王国で現在の主流となっている照明は蝋燭(ろうそく)とアルコールランプの二種類だ。ただし、トラム王国近辺で伐採されるココノキの木蝋は酸素燃焼が著しく激しいため密室における長時間の燃焼に向かない。また、アルコールランプは燃料となるメチルアルコールが、葡萄酒や蜂蜜酒よりも格安で入手できた為、一部の酒飲みの間で流行し、後に多くの失明者を生み出してしまった。結果、一般層への流通には厳しい規制が掛けられている。

 それらの解決策としてアジルヒム老が国の専門家達と共同で開発しているのが、自然発光する藍輝石を含有する瑠璃聖石を利用する照明だった。ただし、瑠璃聖石を継続的に発光させる手段は、いまだ魔術刻印しか見つかっておらず、魔術道具の枠を抜け出せていないのが現状だ。

「姫様、それはさすがに酷というものでしょう」

 開発の難航具合を知るレイはアジルヒム老を労わる言葉を選ぶ。

「冗談よ。ねぇ、レイ、あたくしお願いがありますの」

「謹んでお断り申し上げます」

「まだ何も申してませんわ!!」

「姫様との付き合いもかれこれ四年になります。私には姫様が口に出さずとも、目論見が手に取るようにわかります」

「そうかしら? なら、あててみせて」

「飛空挺の搭乗員に加わりたいのでしょう?」

「……えぇ、その通りですわ」

 唇を尖らせて小声で答えるリーシャ姫に対して、レイはやや声を強める。

「どうかご自分の立場を弁えください。第一王女たる姫様がお戻りにならなければ王がどれほど深く悲しむことか姫様にも想像はつきましょう?」

「勿論ですわ。でも、あたくし決めましたの。このまま大陸各地の文献を読み漁っただけで大人になってしまっても、きっと理解ある統治者にはなれませんわ。どんな形になろうと、いずれ国の未来を担う立場になる運命が定められているのでしたら、若い内に積極的に動いて見識を広めたいと願うのは間違いでしょうか?」

「……素晴らしい考え方だと思います。それでも、飛空挺の旅に同行することには反対です」

「そうですか……残念ですわ。では、あたくしは一人寂しく飛空挺に潜入しなければなりませんのね」

 たっぷりと間を置いて、儚げな表情で紅茶に口をつけるリーシャ姫。

「それは少々、意地悪が過ぎますよ。つまり、はなから私に拒否は認められていないのですね」

 ティーワゴンの傍に立ち控えたまま、窓の外に垣間見える中庭を見つめていたレイは、あくまで無表情のまま答えた。

「あら、そのようなつもりで言ったわけではありませんわ」

「前言撤回致します。姫様をお守りするため、どこまでもお供させて頂きます」

 言って、紅茶のおかわりを注ぐレイ。

「まぁ、なんて嬉しい言葉。レイ、感謝します」

「……心にもないことを」

 リーシャ姫はレイの男性にしては些か小奇麗すぎる両手に自分の手を重ねると、彼を見上げて微笑んだ。

「そんな、酷いわ。あたくし、レイが傍に居るだけで本当に心強いのよ」

「ありがたきお言葉です」

 レイは糖蜜パイを切り分けると断って、姫の手を遠ざけた。

「はぁ、英雄の皆様にお会いできるのが楽しみできっと夜も眠れませんわ。空の旅はあたくしにも灰色幻想譚のようなロマンスをもたらしてくれるでしょうか」

「自ら率先して怪鳥に攫われたりはしないでくださいよ」

 口に出してすぐに、レイは己の軽率な発言を内心で悔やんだ。

「そうですわっ!! 攫われないのでしたら、あたくし自ら攫われに赴けばいいのです。必ず勇者様が助けにいらしてくれますわ」

「……これは失言でした。なんともまぁ、はた迷惑な動機ですね」

 しかし、レイの溜息交じりの一言は彼女まで届かず、当のリーシャ姫はというと情緒溢れる空の旅にお得意の妄想を絡め、両の瞳をぱちくりさせては、きらきらと星屑を散らせていた。



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