◇偽りの領地①
急がばまわれ?
怒りや憎悪、悲しみや苦しみ。
それらの負の感情は何も生み出さない。
否、それらはやがて争いや破滅を引き起こす種となる・・・。
領主館には予定より三日早い、七日で到着した。
その途中で思わぬ『拾いモノ』はしたが、それはそれとして、自分にとっては大きな収穫になったので、特に大きな問題にはならない。
「ここがあの【イルファドール】なのね。」
「そのようです。奥様、あちらを。」
私の独り言にシュリが相槌を打ちながら物見窓のカーテンをサッと曳けば、その窓から外の様子が窺えた。
外は冷たい雨が降り、風は葉を巻き上げ、春の嵐を予想させる天候。
「暴動ね・・・、一歩遅かったようだわ。」
「仕方がありません。この家は恨まれて当然にございますから。」
「そうね。――ここで停めて頂戴。降りるわよ、シュリ。」
そう言って私が馬車を止めさせたのは、領主館前の鉄の腐食しかけた門扉前。
その領主館前には、農具を武器とした領民衆が大挙して押し寄せていた。
「お辞め下さい、危険です。」
馬車の扉を開け、今にも降りようとしていた私とシュリを引き留めたのは、あの使えない侍女こと・マーヤ、20歳だった。
(本当に使えない。)
溜息が出てしまっても仕方がないだろう。
今、この暴動を止めなければこの先がどうなってしまうのか判らないのだろうか。
今にもこちらに襲いかかってきそうな民衆の瞳は、強い怒りと、憤り、恨みの焔で燃えているというのに。
私はこの侍女、――マーヤより民を選ぶ事に決め、恐怖で怯えている彼女を一人馬車に残し、シュリと馬車を降りた。
私が馬車から降りた途端、目を暗い闇に淀ませ、言葉にもならない奇声や雄たけびを上げ襲いかかってくる人々。
私が普通の貴族令嬢だったのならば、その気迫に怯え、腰を抜かし、そのまま殺されていただろう。
でも、私は違う。
ひた、と、襲いかかってくる人達の顔を見つめ、背筋を伸ばす。
そして。
「大変、長らくお待たせ致しました。私は本日これより、このイルファドールの新たしき領主に命じられた、エディエス家第12代伯爵夫人・ローザ・シンシアと申します。あなた方の嘆願書・願いの籠った切実な言の葉は、読まさせて頂きました。」
さほど大きくもない私の声は、雨音に負ける事無く、聖堂の鐘のように朗々と響き渡る。
私の声が、聞こえているか、届いているかは解らない。
けれど、私は止めてみせると決めていた。
「もう良いのです。耐えなくても良いのです。ひもじさに負け、子供を売る事も、殺す事もなく、ただただ普通の幸せを。今こそ、あなた方の手に戻しましょう、人としての権利と幸福を。前領主は私が裁きます。
あなた方の手やそれらを汚す事はありません。価値もありません。」
断固たる言葉は、人の胸を撃ち、時には何万もの民衆をも操る。
事実、私の演説を聞いた幾人かが武器を振りおろし、顔を寄せ合い、相談をしているかと思いきや、私の方へと、警戒しながら近づいてきた。
ここで警戒心を完全に解除したのならば、逆に救いようがなかっただろう。
元の生活を取り戻すには、多少なりの警戒心は必要だ。
(これなら大丈夫かもしれない。)
警戒心はあるが、話し合いも出来る。
理性が残っているのならば、これ以上の悲劇は起きないだろう。
私の後ろにはシュリと、有能すぎるが使えないマーヤ、そのマーヤを乗せた馬車と、『拾いモノ』が乗っている馬車が2台。
無意識の内に勝手に震えてくる心と身体を叱咤し、ゆっくりと歩みよってきた人物の顔を真正面から迎え撃つ。
こんな時、不思議と思いだされるのは、やっぱりあの人の言葉。
――良いかい?人の上に立つ時が来たのなら、私情は捨てるんだよ?政治に私情を反映させては、混乱を招く。時には血を流すのも大切だからね・・・。
君にはそうなって欲しくないけどね、と、薄く淡く微笑んだあの人。
(ごめんなさい。)
私はその人に心の中で謝罪し、覚悟を決めた。
(私は、エディエス伯爵家の嫁、ローザ・シンシア。)
もう、あの時の私はいない。
「前領主は速やかに裁きます。が、殺しはしません。」
「何故だ、あいつらのせいで俺達の家族は死んだ、苦しんだ。それなのに、」
「殺してしまっては、つまらないではないですか。」
男の言葉を途中で止め、私は残忍な笑みを浮かべ、ほほほ、と、軽く笑った。
その私の態度と言動に、私と話し合いをする為に代表で進み出てきていた、数人の男達の顔色がサッと変わった。
「殺して楽になどさせてなるものですか。苦しみには苦しみを。これが私の理念です。ですから」
手をシュリの方へと伸ばし、シュリが持って降りた、細身の長剣を受け取り、領主館からこそこそと抜け出そうとしていた、いかにも怪しげな侍女の脚に向け投げ、命中させ、更に笑みを深めてから何事もなかったかのように忠告した。
「私の理念に叛いた時は、ああなるでしょうね?」
裏切れば自分がどうなる事かを、残酷なまでの天使の微笑みでもって教え込み、未だ苦しみ呻いていた侍女へ近づき、止めを刺す為に、脚に深く入り込んでいた長剣を引き抜いた。
「奥様、私が」
「そう?ならお願いね」
私がしようとしていた事を、シュリは表情も変えずに淡々と自分から引き受け、止めを刺した。
その瞬間、ブシュッと、血が噴き出し、私とシュリは血に濡れた。
その光景を目の当たりにした男達は、腰を抜かし、その場で固まり、馬車から丁度降りてきていたマーヤは、顔色を蒼白を通り越し、土気色となり、ガタガタと震えていた。
(恨むのなら、自分の運命を恨み、呪うのね。)
私はそれに同情するでもなく、シュリを引き連れ、前領主を裁くべく、領主館の中へと入って行った。
長いなぁ~。