◇偽りの夫③
最後に私が人に対し怖いと感じたのは、いつの頃だっただろうか。
記憶にある限りでは、怖いと感じた事は無かったように思う。
それが今は・・・。
(私も所詮は人の子だった訳ね・・・。)
両足首と首に嵌められた枷と鎖に、言い知れぬ恐怖心を抱いている。
嵌めた人間は推測しなくとも判る。
故に尚更あの人物を怖いと感じるのかもしれない。
私が歩く度にジャラリ、ジャラリ、と繋がれた鎖が鳴り、それがまた怖くて堪らない。
気紛れならばいい。
気紛れならばすぐに解放される可能性もある。でも、もしこれが本気ならば、本気の想いからの狂気なのならば、私はどうしたらいいのだろうか。
聖堂で初めて顔を合わせた時には、こんな事をする人だとは思いもしなかった。
「余程愛されてたのね、あのご令嬢は・・・。」
でも、これが現実。
幾ら認めたくなくてもこれが現実。
私が知らないだけで、実際のご令嬢は愛されるべき為に選ばれた人なのかもしれない。
私はそんなご令嬢の偽物。
親も誰か判らない、貧民街育ちの名無しの子供。
あの方に付けて貰った名前さえ、戸籍には載っていないだろう。
所詮は蔑まれるべき、最下層の子供。
それに約束の一年までは後八ヶ月しかない。
その間に私はなんとかあの領地だけは何とかしたい。
だったら、私に迷ってる暇なんて、時間なんてない。
(お許し下さい、院長様・・・。)
枷を嵌められても、鎖を繋がれても、私が令嬢の身代わりになる前から、そして身代わりになってからも唯一身に付けていた純銀製の十字架が、夫である青年に奪われてなかった事だけが不幸中の幸いだった。
コホンっと、咳を一つ。
喉の調子を整え、薔薇が巻き付き、薄い紅色の宝石が埋め込められた十字架を両手で握り締め、私は貧民街にあった唯一の聖堂の院長様に禁じられた歌を歌った。
その歌は、禁じられた歌。
歌えばその歌を歌っている者の命を削る。
その対価として、歌を歌っている者の願いを叶える。
(私には、迷ってる暇は無い・・・。)
歌を歌い終えた後、私の身体は薄く発光していた。
そして、その光に反応するかのように鎖と枷は外れ、次の瞬間には、私の身体はイルファドールの執務室にあった。
こうして私は、王都から一人、領地に帰還を果たしたのだった。