◇偽りの夫②
酷く寒い。
寒いだけではなく、体のあちこちは痛み、顔は燃える様に熱い。
そんな寝苦しさを覚え、やけに重い瞼を押し上げれば、眼の前には、天の使者如く美しく整った顔立ちの青年がいた。その青年は私の額に手を宛てると眉を顰め、大きな溜息を吐いた。
「風邪だな。――今日は寝てろ。」
気だるげな声は寝起きだからだろうか。
その青年は、高熱でぼんやりとしている私に何の躊躇いもなく、私の頬や首筋に触れつつ、手早く夜着を脱がせ、新しい服に着替えさせてくれる。
時折、労る様に所々口付けられ、ここがどこなのか、そしてこの青年が誰なのかと考えていた私は、不意に全てを思い出した。
ここは『ローザ・シンシア』として私が嫁いできた家であり、今私を着替えさせている人が、私が結婚した相手であるという事を。それを理解し、思い出した瞬間、私は今の状況の拙さを理解した。
目の前にいるヒトは確かに私の夫ではあるが、それはあくまで私が変装している『ローザ・シンシア』の夫であり、名前すら持ってない貧民の私の夫ではない。
その温かい手が、慈愛に満ちた瞳が向けられる相手は、私では無い。
胸の奥底から突如として湧き上がってきた不可解な感情に戸惑いながらも、私は熱で自由にならない身体をなんとか動かし、抵抗しようと足掻いた。が、しょせんは子供と大人、女と男。
呆気なく私は男に寝台の上で抑え込められ、強引に唇を塞がれ、大人になりきっていない身体を無理矢理開かれ、彼自身を受け入れさせられた。
幾ら初めてではないとはいえ、『ローザ・シンシア』の夫である彼は、私がまだ貧民街にいた頃、私の身体を無理矢理奪ったどんな男共より大きく、逞しかった。
逃げる事など出来なかった。
抵抗する事すら許されなかった。
愛しげにローザの名を呼ぶ彼の表情や眼差し。
切なげに歪められる彼の表情。
自分を見てくれと懇願する彼の声。
それらを無視する事は、私には出来なかった。
出来る筈がなかった。
私は誰よりもその願いの深さを知っていたから。
(今だけ、今だけだから。)
それは誰に対する言い訳だったのだろうか。
それでもそう思わずにはいられなかった。
ギシギシと軋む寝台の音を聞きながら、私は私を自分の妻だと信じ疑っていない偽りの夫に身体を貪られながら瞼を閉じ、静に涙を流した。