◇偽りの再会②
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そろり、そろり、と、侍女によって慎重に上げられた黒いヴェールの奥にあったのは、強い意志が宿ったアメジストの瞳と、血の様な赤き口唇だった。
「陛下、如何なさいましたか?」
響く声は、氷の女神も従わざるを得ない凍てついた声。
(我ながら、可愛くないな・・・。)
貧民街で生き抜いて行く為には、甘えた声を出すのは命取りで、女と知られれば、犯される危険性もあった。
事実、私も犯されたのは一度や二度ではない。
国王の舐めるような視線に、僅かに眉間に不快感を表せば、国王はハッとしたように取り繕った。
ゴホン、と、軽く咳払いをし、口を開いた。
「いや、なに。そなたの顔が一時期だけだが、余の腹違いの弟に仕えていた侍女に何所か似ていてな。弟もそなたに逢えれば良かっただろうに。弟はとことん運が悪い。今日も今日とて、何を考えているのやら、貧民街に出向いているようだし・・・。のぅ、宰相」
「・・・っ、」
国王に呼びかけられた、どうやらこの国の宰相らしい男は、私の顔から眼を逸らし、蒼褪めた表情で顔を伏せた。
そんな宰相の様子を窺いながらも、私は私で冷たい汗を背中に感じていた。
(あり得ない、まさか、でも・・・)
名前を聞いても、いつも穏やかに微笑んでは、結局は名前を教えてはくれなかった人。
(嘘だ・・・、嘘だ・・・、偶然だ・・・っ、)
無意識の内に、耳で涼やかな音を立て揺れている耳飾りに、そっと、触れれば、その仕草に気付いた国王は、スゥーっと、目を細め、そして何を思ったのか、国王は寄り添う様に座っていた王妃を退け、立ち上がるなり、至高の玉座から離れ、私の目の前に立ち、耳飾りに触れていた左手首を強い力で拘束した。
「個人的に聞きたい事がある。逆らわなければ手荒な事をしないと誓おう。従ってくれるな?魔女伯殿」
その国王の声に含まれた感情は、紛れもなく強い憤りと怒り、そして、ある種の困惑と侮蔑だった。
「すまぬがそなたの妻を借り受けるぞ?エディエス伯爵。ついて参れ、ガウリー。」
国王の突然の行動と、夫のいつにない表情(これは後日聞いた話)にざわついていた貴族を無視し、国王は私を連行するように手首を引いた。
そんな私を不安げに見ていたセドリックを、私は視線一つでそれを止めさせ、夫の方に顎を向け、対応を任せ、私はガイエンとシュリだけに着いてくるように、同じく眼だけで命じ、大人しく国王について行った。
◇
国王によって、半ば強引に案内され、通された部屋は、警備がしっかりとなされた、国王が日々の執務の間に休む小さな部屋だった。
「さて、聞かせて貰おうか」
そう言うなり、私の手首をまるで汚らわしいモノに触れたかのように忌々しげに離した国王は、ソファーに腰を下ろすなり、低い声で問い質してきた。
「その耳飾りはどうやって盗み出した。スウェル伯爵の娘ともあろうものが・・・。」
冗談じゃない、これはあの人から預かったものだ、と、言葉が喉まで競り上がってきたが、何故かそれを言うのには躊躇われた。
だいたい、私が盗んだと前提のこの尋問は、甚だ遺憾であり、屈辱的でもあった。
だから、私はそれを眉間に皺を刻む事で表し、自分もソファーに腰を下ろした。
「これは知り合いの方から預かったモノですわ。これが何か?」
彼女に似ているから、貰って欲しいと懇願されたモノだけれど、この偽りの生活が終われば、恐らく喪われるだろう自分の命。
だからこそ余計、貰う訳にはいかなかった。
「貧民街で偶然お会いした方に、一年だけ預かって欲しいと頼まれたんです。ねぇ、私の可愛いシュリー?」
艶やかに笑んで、シュリに離し掛けながら思い出すのは、その時の事。
渡された時は、まだ孤児上がりの偽物の令嬢になる前だったけれど、でも、既にあの獣たる一家には何度も接触してはいた。
「下手な嘘は吐かない方が身の為だぞ・・・?」
国王の不穏な言葉。
その言葉を聞いて、瞬きした一瞬の隙に、私の喉元には鋭い切っ先が宛がわれていた。
その鋭い切っ先を向けていたのは、まだ顔色の悪い、この国の宰相だった。
国王には判らないだろうが、剣先が震えている。
それを見抜いているのか、ガイエンは静かに見守っているだけで、特に慌てている様子は見受けられなかった。
「顔色が悪いですわよ?宰相殿?」
クスリ、と、妖艶に見えるように微笑んで、国王に視線を再び戻せば、国王の瞳は怒りに燃えてはいたけれど、理性は失われてはいなかった。
(流石は賢王と言われているだけはある・・・。)
怒りとは、時には理性すらを簡単に上まる、強い感情。
それを抑える事の出来る人間は、あまりいない。
「私がそんなに信じられませんか、陛下。私は盗みを働くほどの悪党ではありませんわ?」
頼もしい王だと思いつつ、私は平気で嘘をつく。
貧民街にいた頃は盗みもしたし、殴りもした。
イルファドールにでは、働かない女を見殺しにもした。
けれど、それは全て生きていく為。
領地を守る為。
何も苦労を知らない貴族や王族どもとは違い、私の様な立場の人達は、常に明日の朝日を見られるかも判らない、不安な日々を過ごしている。
それを少しでも改善する為、そして、あの人に褒めて貰いたいが為に、私は別人を演じる事にした。
最初は生きる為だったけれど、今ではそう思っている。
――ふぅー。
溜息を一つ吐き、国王に再度問いかけようとした時、その懐かしい声は私の耳に入ってきた。
「――兄上、ただいま帰りました。」
涼やかで、それでいて穏やかな声に、ドクリ、と、胸が高鳴った。
その声は、紛れもなく私に特別なモノを与えてくれた人。
それに、ドクリ、ドクリ、と、胸の鼓動が早まり、冷や汗が自然と全身に噴き出してくる。
そして遂に。
「兄上?この方がどうかなされたのですか・・・?」
静に歩み寄ってきたあの人と、お互いの視線が絡み合い、あの人の瞳が見開かれた時、私は言い様のない恐怖に駆られ、ふつりと、意識を失ってしまった。
その直前に、ガイエンの私を心配する声に、私は無意識の内に縋って、言葉を漏らしていた。
『私の秘密を守って』
と。
◇
ふわりと、優しく、甘く薫る何かに、私の遮断されていた意識が、ゆっくりと揺り起していく。
それに従う様に、薄い瞼を何度か震わせ、ゆっくりと押し上げれば、見た事もない派手な天井が、目に入ってきた。
(ここは・・・、何処?)
そう思いながら、首を動かした私は、その瞬間に、自分の目に映り込んできたモノに、心臓が止まりかけた。
白銀の艶やかで、滑らかで、手触りの良さそうな長い髪に、女性のようにも見える美しい容貌に、紫色の瞳。
細長く、白い指は、苦労を知らない人のモノで、その声は、限りなく天上の女神をも凌ぐ美しい音色を紡ぐ。
「良かった・・・。目が覚めたみたいだね。」
目覚めたばかりの私の髪を、愛しそうに撫でた人は。
「やっと見つけた。久しぶりだね、私のアイリーン。」
悲しそうに、複雑そうに、それでも嬉しそうに、穏やかに笑ってくれ、私を抱きしめてくれた。
でも、私は何も言えなかった。
そんな私を責める事もなく、あの人は再会を喜んでくれた。
「随分と捜したんだよ?まさか、君が23歳のご令嬢に化けているとはね・・・。困った子だね、アイリーン。」
その言葉に、今まで私の心の中で張りつめていた何かが、ぷつりと音を立てて切れ、気付けば、私はあの人の胸の中で、ぽろぽろと涙を次から次へと流し、声を上げ、泣いていた。
まさかそれを複雑そうな表情で見ていた人がいたとは知らずに。
移転作業終了。
続きはゆっくりと考えます。