第三話
二学期の始業式の次の朝。
時刻は、七時半。
八時二十分までに登校すればよいはずなのに、既に教室にはほぼ全員が揃っていた。
彼らは行儀良く前を向いて席に着き、教卓に着いている人物の言葉を待っているらしかった。
といっても、そこに立つのは教師ではない。
学級委員長の山路彩花である。
背が高く、厚めの前髪と赤い縁のメガネが、彼女のトレードマークだ。
彼女自身には際だった個性というものはないが、彼女の傍らには常に個性的な人物が付き従っていた。
彼女の直ぐ隣に控えている副委員長早坂亘である。
柔らかそうな茶色の髪と柔和な顔立ちをした、なかなかの美少年だ。
成績も良くスポーツ万能で、教師からの覚えもいい、絵に描いたような優等生で、女子達はあからさまな程姦しく彼の事を「王子」と呼んでいた。
山路彩花は、全員が席に着いた事を確認するように教室を見回した。
教室にいるクラスメイトは全員席に着いてはいるが、幾つかのの空席もあった。
そのうちの一つは、何時もギリギリに登校してくる学校一の美少女梶川恵美子の席。
そして、今ひとつは転校生宮本澄香の席である。
他にも空席はあるが、山路彩花はその事については気に留めなかった。
「それでは、今から臨時学級会を開きたいと思います」
六年二組は、時々生徒達が自主的に学級会を開く。
教師も閉め出したそれを全て取り仕切っているのが、学級委員長の山路彩花と副委員長の早坂亘である。
彼らは普段は控えめすぎるくらいに控えめだが、クラスが一丸となって何かに取り組む時には必ず先頭に立つのが習わしだった。
「今回の議題は、転校生宮本澄香さんの取り扱いについてです」
臨時学級委員会の開催は、夕べの内に宮本澄香を除く全員にメールで通達していた。
「早速ですが、意見のある人は挙手してください」
山路彩花の言葉に、教室のあちこちで手が上がる。
「はいっ」
「ハイ」
「はい」
「ハーイ」
積極的なクラスメイト達に満足げに微笑みながら、山路彩花は一人の生徒に視線を当てた。
「じゃあ、佐伯健太君」
「オレ、手ぇ上げてないじゃん!」
「挙手した人を当てるとは言っていません」
「普通は手を上げたヤツを当てるもんだろっ」
「普通って何ですか?」
「へっ? そ、そんなの、ジョーシキってヤツだろっ」
「常識って何ですか」
「それは、みんなが普通だって思ってる事だよ」
「みんなって誰ですか?」
「みんなはみんなだろ! お前とか、阿部とか、吉田とかっ」
佐伯健太の小学生らしい言い分に、山路彩花は頷いた。
「なるほど」
「そうだよっ」
彩花のまるで納得したかのような言葉に、健太は安堵して腰を下ろす。
が。
「では、ここに緊急動議を提案します。佐伯君の常識に関する意見に賛成の人、手を上げてください」
「おい! ちょっと! なんでそうなるんだよ」
「委員長権限です」
「オーボーだぞ!」
「では更に緊急動議を。私六年二組学級委員長山路彩花が横暴だと」
「分かったよ! 分かったから! オレの意見に賛成のヤツ、手ぇ上げろ!」
佐伯健太は威圧的に怒鳴り散らしたが、誰もその声に応える者はいなかった。
シ――――――――ン。
「なっ! なんで誰も手を上げないんだよっ」
確かに佐伯健太はガキ大将気質で乱暴な所もあるが、決して恐れられている存在ではなかった。何故なら彼らは、既にその歳にして、決して逆らってはいけない人間とはどういうものかという事を知っているからだ。
「阿部っ!」
「健太っ、スマンッ。オレはまだ死にたくないっ」
「吉田っ!」
「ふがいないオレを許してくれっ」
「そんなっ」
「佐伯君の意見は受理されませんでした。というわけで、佐伯君、宮本澄香さんの取り扱いについて意見を述べてください」
佐伯健太は不満気に舌打ちした。
阿部隼人も吉田雄馬も、普段は健太と一緒に悪ふざけに興じる悪ガキ仲間だ。
二人とも大抵の場合健太に同調するのだが。
事、委員長が絡んでくるとなると、決して健太の側には立とうとはしなかった。
「……………」
「佐伯君、意見はありませんか?」
「ねえよっ」
佐伯健太はすっかり拗ねたらしく、そっぽを向いたまま言い放つ。
それを山路彩花は咎めることもなく、ただ冷静に言葉を継いだ。
「では佐伯君は今回の学級会の決定に関して、抗議する権利を失います」
「なんでそうなんだよっ」
再びいきり立つ健太に対して、山路彩花は何処までも冷静だった。
「意見のない人間には、誰かの意見について文句を述べる資格がないからです」
「何だよソレ!! オーボーだぞ! おい! 早坂! お前も黙ってないで何か言えよ!」
健太がそう言った瞬間、一瞬空気が凍った。
だが健太はそれには気づかずに。
「お前が山路を後ろであやつってるんだろうっ。お前みたいなのをな! くろまくって言うんだぞ!」
名指しで非難された早坂亘は、しかし柔和な笑顔を浮かべて言った。
「やだなあ、健太。僕が彩花ちゃんに何か指図するわけないじゃないか。何せ僕は、彩花ちゃんの言う事は、どんな無茶な事でも従うと決めているからね」
もし少女漫画なら間違いなくバックに花が咲き乱れているだろう。
だが実際に少年が背負っているのは、ドス黒い暗雲だった。
(健太! 頼むから黙ってくれ!)
(これ以上、早坂を刺激すんなっ)
クラスメイト達の心の声は、残念ながら健太には届かなかった。
健太は早坂亘の迫力に内心で怖じ気づきながら、持ち前の負けん気の強さでどうにか耐えた。
「へっ! 女の言うなりってか!」
「うんそうだよ。だからね。彩花ちゃんの行く手を阻む者は、ミジンコほどにも容赦しないのさ」
「格好いい! 早坂君!」
「ステキ!」
「こっち向いて笑って!」
教室のあちこちから黄色い声が上がる。
けれど早坂亘は、それら全てをムシするように、山路彩花だけに更に輝く笑顔を向けた。
「ね、彩花ちゃん」
キャ~~~~!
廊下にまで響き渡る勢いで、女子達の歓声声が上がる。
しかし、笑みを向けられた当の本人はと言えば。
「ああ、分かってる」
と、微塵の感動もなくただ頷いただけだった。
「何が『ステキ!』だっ。女の言いなりになってるだけじゃねえかっ」
「うっさいわね!! 早坂君は美少年だから、何をしても許されるのよっ」
「なよなよしてるだけだろうっ」
「ハン! ガキのアンタには、早坂君のよさが分かんないのよっ」
「けっ。バッカじゃねえのっ。言っとくけどなっ、早坂は山路が好きなんだ。お前なんか見向きもしてねえんだからなっ」
佐伯健太は痛手を与えるつもりで言ったのだが。
「当たり前でしょ!」
「アンタこそ、バッカじゃないの!」
「早坂君は観賞用って決まってんのよ!」
「そうよそうよ!」
「あんな危ない性格の美少年、好かれたら逆に迷惑なのよっ!!」
「早坂君て、殆どストーカーよっ」
「変質者って言ってもいいわ!」
「相手が山路さんじゃなけりゃ、とっくに訴えられてるわよ!」
マシンガンの様な勢いで、女子からの反撃を受けてしまった。
佐伯健太はダメージを与えるどころか、逆に自分の方がダメージを被ってしまった。
それは単純に言葉の暴力云々というものではなく、何か理解しがたい畏れ故だった。
女子達は、早坂亘の本性を十二分に理解していた。
理解して尚、「王子」と呼んで騒いでいるのだ。
それは健太には、いや恐らく同年代の男子には、全く意味が分からなかった。
「女ってワケ分かんねえっ」
誰が言ったのかその言葉は、、静まりかえった教室にやけに響いた。
そんな中、早坂亘が静かに言った。
「そこまで言われると、流石に照れるね」
「照れる所じゃねえ!」
健太の渾身のツッコミは、勇敢な行為だと後に賞賛を受ける事となる。
そのせいか、中学には行ってから佐伯健太は早坂亘の無二の親友と見なされる事になり、生涯の殆どに於いて多大な迷惑を被る様になるのだが、それはまた別の話である。
今回この話にしては長めなんですが。
あれ? 澄香も恵美も出てきてない?
因みに、山路彩花ちゃんは、IQ160の天才です。