第二話
梶山恵美子は内気で無口な美少女である。
と、周囲からは思われていた。
彼女は内気ではなかったが、実際無口ではあった。
だがそれも彼女の環境を鑑みれば無理ない事であった。
「恵美子、あら、どうしたの? 何か良い事あった?」
慌ただしく出社の準備をする傍ら声を掛けてきた母親の問いに、恵美子は答えずにジッと見つめ帰す。
「あら、そうなんだ。新学期早々良い事って、何かしら?」
「新学期だから、ほら、転校生じゃないのかい?」
母親の疑問に答えたのは、祖母であった。
梶山恵美子は母親と母方の祖母との三人暮らしである。
父親は数年前に病気で亡くなっていた。
元華族という典雅な家柄に相応しく、典雅な美貌の持ち主だった。
その父親にそっくりな恵美子は、従って母親とも祖母とも余り似ていなかった。
二人は「どちらかと言えば」という社交辞令を付けても尚、平凡と言って余りある程平凡な顔立ちだった。
更に母親に至っては、肩幅も広く骨太な体格で、その上一七二センチの長身に八センチ未満のヒールは履かないという主義の持ち主であった。
それは余すところなく、祖母の遺伝であった。
そんな母と祖母に囲まれると、恵美子は更に華奢で可憐に見えた。
「転校生が来たの?」
母親に尋ねられても恵美子はウンともスンとも答えない。
しかし。
「あらそう。どんな子? え? 面白そう? 仲良く慣れそう? それは分からない? 向こう次第? 仲良くしたいなら、自分から行動しなくちゃダメよ」
恵美子が一言も発しないにも係わらず、何故か会話は進んでいく。
「恵美子はちょっと人見知りなところがあるからねえ。そういう所はあんたに似てるねえ」
「もうこの年で人見知りなんかしないわよ」
「恵美子はまだこの年だから、人見知りするんでしょう? え? 人見知りじゃない? タイミングを伺ってるだけ?」
「何のタイミングよ。効果的かつ劇的なタイミング? 何それ」
「効果的かつ劇的な出会い? まるで運命の出会いみたいだねえ」
「でももう会ってるじゃない」
「あらあら、ムッとない。可愛い顔が台無しよ」
「食べ終わったら、ホラ、食器下げて」
「今日は道場があるんだったわね?」
「帰りは気をつけなさい。必ず誰かと一緒に帰るのよ」
「え? 今夜のおかず? さっき朝ご飯食べたばっかりじゃない」
「ほら、いってらっしゃい」
以上の様な会話が繰り広げられている間、恵美子がしたことと言えば、少しばかり目線を動かしたり小首を傾げたり、或いは小さく頷いたりといった事だけだった。
超人的なまでに察しの良い母親と祖母に囲まれていては、恵美子が積極的に言葉を発する必要性を感じなくなったのも、無理からざる事と言えよう。
だが一方では、人をしてそうせしめる何かが恵美子の方にもあるのだろう。
「梶川さんおはよ~」
「恵美子ちゃん、おはよ~」
クラスメート達の口々の挨拶にも、恵美子はただ小さく頷き返すだけだった。
ただ頷いているだけなのだが、端から見れば引っ込み思案の少女が彼女なりに頑張って周囲に溶け込もうとしている様に見えなくもない。そうした印象を、彼女の浮世離れした美しさが助長していた。
「恵美子ちゃん、算数の宿題やった? ウソ! やった! 問二が分かんないんだけど、ノート見せてくれる? ホント? ありがと~」
「梶川さん、今日日直だよね。あれ? 違った? あ、ゴメン、加治さんだった」
全ての会話を、頷きと首を傾げる仕草だけで乗り越えていく梶山恵美子。
引っ込み思案であるということは、本質的に弱肉強食である子供の世界にあって、得てしていじめの対象となりやすいものだが、彼女には典雅な美貌と共に生来侵しがたい気品の様なものが備わっており、それは道理の分からぬ子供ですら彼女を患わせてはいけないと思わせる程だった。
そんなものだから、何時しか彼女は誤った常識を身につけていた。
――人は喋らなくても生きていける!
彼女の美貌は浮世離れしているが、彼女の思考の方が遙かに浮世から浮いていた。
そんな彼女の目下の楽しみは、一体何日連続で喋らずに過ごせるか、という不毛極まりないゲームの新記録を樹立する事だったりするのだが、当然ながらそんな彼女の趣向を誰も知らずにいた。
(危機一髪! ひゃ~あっぶねえっ! 今日は先生に当てられちまったぜ! 国語じゃなくて算数でよかった~)
国語なら朗読しなければならないが、算数なら黒板に答えを書けばいい。
もし国語の時間に当たったら、仕方がない、朗読の代わりに黒板に書き写そう!
彼女がそんな覚悟をしている事など、当然ながら誰も知る由はなかった。
と同時に、彼女の口の悪さも、知られずにいた。