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溺愛と承認欲求

溺愛系の漫画やノベルが増えているのはなぜなのだろうか?


溺愛されたい願望や欲求の人が多いからだろうか?


自分はそれを現実には得られないから、読んで満たされるとか、代償行為のようなものなのかな?


愛されないよりは、愛された方が良いのは誰でもそうだと思いますけど。


虐げられた○○、捨てられ○○


とかのタイトルが多いのは、単に流行りだからとか、売れ筋だからなのでしょうか?


その反対に、悪役令嬢(悪女ではない)、暴君(暴君ではない)、冷徹(冷徹ではない)


というタイトルもそう。


なぜ普通の設定が無いのだろう?



昭和の漫画のヒロインやヒーローは、極めて普通の人だったような気がする。


家族関係も友人関係も悪くない普通の家庭です。


そこからタイムスリップなり異世界なり、非日常の世界に巻き込まれて行くわけです。


なぜ現代の、昨今のヒロインやヒーローはそうでは無いのだろうか?



これは批判とかではなくて、単純に浮かんだ疑問です。



最近、昭和の長編漫画(25巻越え)をリアタイでは未読だったものをいくつかを読んでそう思いました。



溺愛を好むのは、本当に読者のニーズ(作者のニーズ?)なのでしょうか?


現代の漫画やラノベを読む世代の置かれた環境が、昭和のような平凡な家庭では育っていない人が多いということなのだろうか?


それとも、平凡とか普通では自分を受け入れることができない自意識なのかな?


虐げられたという設定が好まれるのはなぜ?


それは自己憐憫から来るものなのか?


無自覚な自己投影?


昭和、平成、令和それぞれに生まれて生きている人は、確かに感覚は同じではないのでしょうけれど。


虐げられていないと、溺愛を受けてはいけないの?


ダメな自分、ポンコツな自分が溺愛されるには、そういう設定がないと他者から受け入れられることができないと感じているから?


男女に関係なくシンデレラストーリー、ドアマット主人公ものを好むのは、現実世界に満たされていないから?


主人公のように誰かに溺愛されたら、自己肯定できると思えるからかな?


それは自分で自己肯定できない人が多い裏返しなのだろうか?



と、色々とおばさんは疑問に思ったわけです。



そして、それって弱者や被害者の体を取って誰かの関心や同情を引く、あるいは承認を得ようとするのと同じでは?



そんな風に思えてしまったわけです。


なろう系の小説を毛嫌いする人達は、そこが透けて見えるからなのかもしれないなあと。



私は新参者なので、なろうの世界にはまだ馴染んではいませんが、そうではない物語もちゃんとあることはわかっています。



時代は変わっても、ヒロインやヒーローは基本的には普通の子ですよね。


その普通の定義が世代によって違うのでしょうか?


可哀想な主人公を書かないと共感やウケを得られないとしたら、個人的にはやりにくいなあと。


個人的には都合の良いストーリーはあまり好みではないからです。


私は普通の主人公が自分の努力や成長によって成功なり幸福を得るストーリーの方が好きです。


マイナススタートから溺愛ゴールというのは、あまりにも極端な気がしてしまうのですよね。


普通では幸せを感じられない


普通では満足できない


それは何でなのだろう?



特別な何者かにならないと自分は愛されない、自分は認めてもらえないという強迫観念かな?


それはどこから仕入れてきたのだろうか?


それも知らぬ間に身につけた間違った思い込みや洗脳ではないのかな?



普通でいい


普通でも愛され、普通でも認めてもらえる方が良くない?


そして自分も普通の誰かを愛し、普通の誰かを認めてあげれば良いだけなのでは?



私はそう思うのですけどね。

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