成功と贄
エプスタインの例に限らず、この世で有名になるとか世界的に成功する人達、セレブという枠の人達は、
そうなるのに贄を捧げていることもあると思います。
まだ記憶に新しいジャ○ーズとかもそうです。
自身を売り込むために女性をアテンドするとかもそうですね。
自身を贄として捧げるか、家族や親族を贄とするか、仲間を捧げるかはその人によって違います。
芸能人は家族が病気であるとか、家族が早世するとか、家族に虐待を受けて育った人も多いです。
公表はしていなくても、そのような人はかなりいると思います。
マイケル·ジャクソンのように、ステージパパにスパルタ的、やり過ぎで虐待のような状態に追い込まれる人もいます。
日本にもステージママはいますし、子役の子達や、児童を商品として売る親もいるわけです。
毒親に支配や虐待を受けて来た有名人は多い筈です。
例え身内であっても、贄を捧げるというのは、悪魔崇拝と同じことです。
自覚が無くても、やっていることは同じなのです。
内外の芸能人は、本人が性的な贄、性接待要員になって来た人も大勢いると思います。
そういう世界を支持する、応援することは、そんな残酷な贄文化、悪魔的なものを支持し応援しているということでもあります。
芸能の道は厳しい世界です。
芸能人や芸術家ではなくても、アスリートなどもそうかもしれません。
仮に本人が自覚していて、覚悟の上でやっているとしても、残酷な世界がそうやって続いてしまうわけです。
芸能界には光も闇もある、煌びやかな世界には裏があるなんて、言葉で言うのは簡単ですけど、そうやって残酷な世界に気がついていてもスルー、残酷なものは存在していないかのように振る舞う人達がいる限り、残酷な世界は無くならないのです。
エプスタインのことがきっかけになって、この世の支配者層の闇と膿が明るみになって、残酷な贄など捧げるこなく、
誰もが能力や才能を活かせる、クリーンな世界になって欲しいものです。
そんなことは知らない
なかったことにすればいい
だってしょうがないじゃないか
という在り方は、残酷な世界を継続させるということです。
自分も自分以外の誰かも、誰も贄になる必要は無く、なってはいけないと思います。
贄など捧げ無くても、誰もがやりたいことを自由にやり、成功できる世界になって欲しいものです。
贄文化こそ、悪しき因習だと思います。




