永い刻の果てに
船が加速するたび、床が低く唸った。
豪華客船の絨毯の下で、別の“心臓”が回り始めている――そんな気配がする。
湊は、倒れかけたエティンを抱きかかえたまま、必死に呼吸を整えた。
外は燃えている。港が崩れている。
なのに船内は、暖かく、柔らかく、香りすらある。
――同じ世界の出来事とは思えなかった。
「……エティンさん、大丈夫ですか。どこか痛みますか」
湊が問いかけると、エティンは胸元に頬が触れるほど近い距離で、小さく首を振った。
顔色はまだ青い。それでも声は、仕事の時の落ち着きを取り戻している。
「はい……大丈夫でございます。申し訳ございません。少し、足がもつれました」
「いえ。謝らないでください。……今は、まず呼吸を。ゆっくりでいいです」
「……はい」
エティンは短く応じ、湊の袖口をほんの少しだけ掴んだ。
甘えではない。支えだ。
湊の意識が、外の異常へ引っ張られないように留めるための、最低限の“固定”。
その瞬間――
頭の奥で、――キン――と、金属が鳴った。
いや、音ではない。 声でもない。
それでも“命令”だと分かる輪郭だけが、冷たく流れ込んでくる。
『……来い。 その者を、連れてくるのじゃ』
湊の背筋が凍った。
同時に、腕の中のエティンが微かに震える。掴んだ指先が、一瞬だけ強くなる。
少し離れた場所で指示を飛ばしていたダスラが、言葉を噛んだ。
「……ッ」
けれど彼女は次の瞬間には、戦場の顔に切り替えていた。
声は平静で、視線だけが鋭い。
「メイド隊、状況整理。こちらは離脱を継続。前方隔壁、二重閉鎖。
――入口区画の火線は左右に分けて。手前は抑え、奥は誘導に回しなさい」
エントランス側に残っていたメイドたちが、短い返答で応じる。
「隔壁、閉鎖!」
「左、火線を取ります」
「抑え、入ります」
迷いがない。慌てない。
“メイド”ではなく、明確に“戦闘要員”の動きだった。
湊は理解が追いつかないままだ。
しかし尋ねるより先に、ダスラがこちらへ歩み寄ってきた。
赤いナース服。艶のある素材が照明を拾って滑る。
医師の装いなのに、戦場に立つ人の気配がする。
「宵祷様。目の焦点がまだ泳いでいますわね。……脳貧血というより、信号酔いです」
「し、信号……ですか」
「ええ。説明は後ほど。今は呼吸。ゆっくり吸って、吐く。……そう」
ダスラはそう言いながら、俺のこめかみに小さな薄片 ――プレートのようなものを当てた。
ひやり、とする。次いで、薄い光。
視界の端に、見慣れない文字列が浮かぶ。
スマホでもARでもない。
目の奥に直接、刻まれているように剥がせない。
――AUTH ERROR / UNKNOWN USER
――SIGNAL: ADMIN-LIKE
「……ふうん。なるほど」
ダスラは声色を変えずに言った。
だがそれは医者の「なるほど」ではない。
“仕組み”を見抜いた者の乾いた理解だ。
「宵祷様。あなたは今から、この船の最優先護送対象になります」
「……俺が、ですか。なぜ……」
「怖がらないで。あなたが悪いのではなく――
あなたが“ルート権限に繋がる認証”だからですわ」
“権限”と“認証”。
日常語から切り離した言い方が、逆に現実味を奪って、背中が冷えた。
湊は、腕の中のエティンをそっと下ろそうとした。
「……エティンさん。立てますか。無理は――」
「はい。……失礼いたします」
エティンはすぐに自分の足で立ち上がった。
ふらり、と一瞬だけ重心が揺れる。だが次の瞬間には、背筋が通る。
メイドの“所作”だった。痛みも眩暈も、仕事の内側に押し込める動き。
ただ、湊の袖口を掴んでいた指だけは、離さない。
それも甘えではない。合図だ。
――「歩けます」と「まだ少しだけ支えが要ります」を同時に伝えるための。
ダスラが踵を返す。
「行きますわ」
「どこへ、ですか」
湊が問うと、ダスラは歩みを止めずに、しかし説明だけはきっちり与えた。
「ホロテックへ」
「ホログラム映像で仮想現実を作り出す、多用途シミュレーションルームですわ。
医療にも訓練にも、娯楽にも使えますのよ」
「……でも今は、“この船の主”が、そこで宵祷様を呼んでいる……」
「……主、ですか」
「ええ、この船…コクヨウの主ですわ」
――呼び寄せ
その言い方が、背中を冷やした。
冷たいほど合理的な言い方。
なのに不思議と、恐怖を煽るためではなく、恐怖を“管理”するために言っていると分かった。
廊下へ出ると、船はもう“客船”の顔をしていなかった。
壁面の装飾が静かに畳まれ、代わりに黒いパネルと導光が走る。
照明の色温度が変わる。空気が引き締まる。
豪華さが消えるのではない。豪華さが“機能”へ変換されていく。
遠くで号令が飛び、短い復唱が重なる。
足音は少ないのに、規律だけが増えていく。
――この船は、最初からこうなる設計だったのだ。
ダスラが、大きな扉の前で止まった。
扉は静かだ。威圧ではなく、神殿の入口のように冷たい。
ダスラが指先を触れた。 カチ、と小さな音。
鍵が外れる音ではない。 “許可”が下りる音。
扉の継ぎ目から、夜の匂いがした。 遠い、澄んだ冷気。
扉が、音もなく開いた。
潮の匂い。砂の冷たさ。
――ありえない。ここは船の中だ。
そこには――静かな海辺の砂浜が広がっていた。
波は小さく寄せては返し、濡れた砂が月光を淡く返す。
少し先に、小さな丘。丘の頂に、一本の樹木が立っている。
夜空には満月が浮かび、雲ひとつない星空。
室内のはずなのに、風の温度まで“海辺”だった。
湊は思わず足を止める。
現実が、柔らかく折り畳まれて、別の景色に差し替わったみたいだった。
「……これは……」
湊は、言葉が途切れた。
樹木の枝に、小さな少女が座っていた。
月を背に、枝に腰掛け、足先をぶらつかせている。
ムーンライトシルバーの瞳。整えられたロングヘア。
年端もいかない外見――小学生くらいの、静かな女の子。
だが決定的に異様なのは、その首だった。
鈍い鉄の首輪。装飾ではない重み。
そこから鎖が垂れている――いや、“垂れているだけ”だった。
鎖は途中で断ち切られており、切断面を晒したまま、重くぶら下がっている。
月光の中で、じゃらりと鈍い音がした。
「よく来た、宵祷 湊よ。……永い刻を……待っておったぞ」
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