三人で通す
ツクヨミが指先を弾くと、夜空に細いノイズが走った。
砂浜の輪郭が一瞬だけ“粒立ち”、波の白が細い線の束にほどけて見える。
そして――足元の砂が、ふっと“透けた”。
砂の下を、黒い潮みたいなものが流れているのが見える。水ではない。影のように、砂粒の隙間をすり抜けていく“流れ”だ。
触れれば冷たい。触れれば引かれる。そう直感できる。
ダスラは湊の背後へ、半歩。
支える距離を測るように、静かに立った。
エティンは湊の横に控え、息を呑む。
ツクヨミは、静かに告げた。
「行くぞ、湊」
「――お主の中へ、“読む言葉”を通すのじゃ」
「読む言葉……?」
ツクヨミは頷く。
「ムーのソースじゃ」
湊が眉を寄せた気配だけがした。
「ムー……?」
「今の時代で言う名じゃ」
ツクヨミは淡々と言う。
「わしらは、かつて“ケシューリュ”と呼ばれた」
「世界を読むための書式。規則を記すための言葉。――そのソースじゃ」
その言い方に、湊の喉が鳴りそうになる。
だがツクヨミは先に釘を刺す。
「通し方は簡単じゃ。額を出せ」
「喋るな。考えるな。呼吸だけしろ」
「声にすると、こぼれる」
湊は一拍迷い、そして膝をついた。
ツクヨミの身長に合わせるためだ。砂が膝に冷たい。
ツクヨミが近づく。
小さな頭をそっと寄せる。――額と額が触れた。
「今から転送じゃ」
「喋るな。考えるな。呼吸だけしろ」
「声にすると、こぼれる」
湊は返事を飲み込み、目を閉じた。
吸って、吐く。波音に合わせるように、ただ呼吸する。
――来た。
意味の洪水。
見たこともない記号列が、目ではなく脳に直接滑り込む。
読める。理解できる。
――理解が追いつく前に、次が来る。
湊の肩がびくりと跳ねた。
その反射で、両手がツクヨミの胴へ伸びる。
脇腹のあたりを掴んで、離さない。
「……き、急に掴むでない」
しかし、すぐに言い直す。
「よい。離すでない」
ツクヨミが続ける。
「いま離せば、流れが散る。散れば、読む形が崩れる」
湊は頷きたいのに、頷けない。
呼吸だけを守る。
ツクヨミが冷静に言う。
「第一層。“読む形”だけを通しておる」
「意味を追うな。ただ流せ」
「そして触るな。――ケシューリュのソースは、触れば動く」
(触るなって……!)
湊の脳裏で、黒い潮が“行”として見えた。
記号列。括弧。区切り。繋がり。
読める
――読めてしまう。だから直したくなる。
湊の指に力が入る。
ツクヨミの細い体が、ほんの少しだけ沈む。
第二波が来た。
今度は“構文”だ。
分岐。条件。呼び出し。戻り。
世界が、巨大なプログラムとして組まれているのが、ほんの一瞬だけ覗く。
湊の息が詰まりかけた。
「湊様」
背後から、ダスラの声。
「息を、止めないでくださいませ」
その一言が、現実の杭みたいに刺さった。
湊は呼吸を戻す。吸って、吐く。吸って、吐く。
ツクヨミが低く言う。
「……ここからが危うい」
「読みが立ち上がるほど、人は触りたくなる」
湊の中で、修正衝動が指先までせり上がる。
直したい。整えたい。穴を埋めたい。
そして――無意識に、指が動いた。
キーボードを叩くみたいに、左右交互に、ぱちぱちと“入力”する動き。
掴んだままの指先が、ツクヨミの脇腹を小刻みに叩いてしまう。
「……っ」
ツクヨミの体がわずかに揺れた。
痛みではない。くすぐったい、という種類の反応だ。
「やめい。そこ、く……くすぐったいわい」
「……入力するな。いまは、読むだけじゃ」
湊は止めようとする。
だが止まらない。指が勝手に“修正”を打ちたがる。
「エティン」
ツクヨミが呼んだ。
「これからお主にも“手続き”を渡す」
「説明は後じゃ。今は言われた通りに動け」
「湊を支えよ。湊の“間”を揃えよ」
「……はい」
エティンが近づく。
湊の隣に膝をつく。目は揺れている。けれど逃げない。
ツクヨミは額を離さないまま、片腕を回した。
小さな腕なのに、抱き寄せる力がある。
「手を」
エティンが湊の手を探す。
湊は片手をツクヨミの胴からそっと外し、エティンへ伸ばした。
指が触れた瞬間、エティンがぎゅっと握った。
湊も握り返す。次の瞬間、二人の指が絡む。離れない。
もう片手は、湊がツクヨミの背中へ回した。
抱くように。落ちないように。守るように。
エティンも同じだった。
空いている手が、無意識にツクヨミの背中へ回っていた。
困惑しているのに、抱き寄せてしまう。自分でも理由が分からないのに。
そして三人の額が、さらに近づく。
ツクヨミは両腕で、湊とエティンの頭を胸元へ抱き寄せた。
体温が、二人のこめかみを同時に包む。
その瞬間。
洪水が、“整列”した。
暴れていた情報が、行として並ぶ。
荒れた波が、静かな潮になる。
湊の中で、読めるものが「読める速度」へ落ちる。
だが――エティンのほうは、耐える顔になった。
「……っ」
息が浅い。喉が震える。
初めて浴びる量だ。器が追いつかない。
ツクヨミが静かに告げる。
「耐えよ」
「いま刻んでおるのは“印”じゃ」
「湊の書き換えが、修復として通るための印」
「わ、たし……っ、こんな……!」
エティンの声が揺れる。
湊は指を絡めたまま、強く握った。言葉の代わりに「離れるな」を渡す。
エティンが握り返す。
そしてツクヨミの背中を抱く腕が、思わず強くなる。支えるというより、縋るみたいに。
ツクヨミはそれを拒まない。
むしろ少しだけ抱く腕に力を足した。
「よい」
「それでよい。離すでない」
第三層が来た。
辞書。
記号と意味が紐づく。単語が増える。文法が沈み込む。
湊の脳が、音もなく“書式”へ組み替わっていく。
ケシューリュのソースが――読めるようになっていく。
同時に、“触れる”回路も立ち上がりかける。
直したい。書き換えたい。今すぐに。
湊の肩がぴくりと動いた。
その瞬間、エティンの絡めた指が、強く締まる。
止まる。勝手に触らない。止まれる。
ツクヨミが淡々と告げた。
「これが制約じゃ」
「お主は読める。触れもする」
「だが“通す”には、エティンの印が要る」
湊は目を閉じたまま、ゆっくり息を吐いた。
理解ではなく、まず受け入れる。
エティンが震える声で言う。
「……私、分かりません」
「でも……私が離れたら、湊様が……危ないのは……分かります」
湊は答えたかった。
だが喋ればこぼれる。だから指を絡めたまま、もう一度だけ強く握った。
エティンも握り返す。
その反射が、妙に懐かしい。
三人の額が触れたまま、ほんの一瞬だけ――別の匂いがした。
潮風ではない。乾いた白い石と、冷たい光の匂い。
湊の脳裏に、短い断片が走った。
同じように額を合わせ、誰かが二人を抱き寄せている。――いまの形、そのまま。
エティンも同時に、小さく息を呑んだ。
「……いま」
「……見えましたか」
湊は答えられない。
ただ、指を絡めたまま頷いた。
ツクヨミが静かに締める。
「転送は終わりじゃ」
「馴染ませよ。覚えるでない。身体に落とせ」
「次に敵が来た時、お主は読む」
「――そして“通す”のは、この三人でやる」
腕の中で、湊は小さく息を吸った。
ケシューリュのソースが、黒い潮の中で“読める形”に流れている。
そして――自分の手癖を止めるために、エティンの手が必要だと、身体で分かった。
「面白かった」
「続きが気になる」
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