拒絶と撃退
《秩序干渉:侵入要求》
《対象:MINATO》
《承認プロトコル:YES/NO》
《再送:YES/NO》
白いウインドウが、湊の視界に貼り付いたまま離れない。
前面モニターではコクヨウが優位を取り、ダスラの火線と防御が隙なく回り、ツクヨミが操舵を握っている。――状況は勝てる。
なのに、湊の胸の内側だけが、別の戦場になっていた。
承認、確認、同意。
従えば角が立たない。逆らえば面倒が増える。
その反射が、身体に染み付いている。
分かっているのに、心が先に縮む。
《侵入要求:緊急》
《承認プロトコル:YES/NO》
《再送:YES/NO》
《再送:YES/NO》
“再送”が増えるたび、ウインドウの輪郭が硬くなる。
画面の端が、ガラスの縁のように光って見えた。
まるで本当に、ここに“ガラス板”があるみたいに。
湊の内側で、古い反射が暴れる。
(押せ。はいと言え。角が立たない方へ――)
YESの文字が、脈を打つみたいに強くなる。
指先が勝手に動きたくなる。
実際に何かを触っているわけじゃないのに、心が“押す”動作を始めてしまう。
その瞬間――
右から、温度が重なった。
エティンが湊の手の上に、そっと自分の手を重ねる。
さらにもう一枚、確かめるように。
「宵祷様。大丈夫です。いま、ここです」
声は大きくはない。だが揺らがない。
「息を……一緒に。吸って、吐いて」
湊は息を吸う。吐く。
それだけで、ほんの少しだけ“今”に戻る。
ツクヨミが、仁王立ちのまま言った。
「湊。――それは“選べ”という形をした命令じゃ。お主の癖に合わせて、心を折りに来ておる」
湊は喉の奥で唾を飲み込む。
分かっている。利用されている。
なのに、拒否すると“何かが壊れる”気がして怖い。
拒否に慣れていない。
左でダスラの声が船内に流れる。短く、正確に。
「防護、前面厚く維持。鉄霧界、濃度一段。迎鏃陣、回し続けて」
「天輪鎖、外周を締める。……逃走軌道は潰します」
艶のある声が、冷たい指揮になる。
それが湊には、ひどく頼もしい。
だがウインドウは、さらに粘着する。
《秩序干渉:侵入要求》
《対象:MINATO》
《承認プロトコル:YES/NO》
《未応答:ペナルティ》
《承認推奨:YES》
“ペナルティ”の文字が出た瞬間、湊の腹が冷える。
会社でも、システムでも、未応答は罪だ。
後で面倒が増える。怒られる。詰められる。
責任を、押し付けられる――
その記憶が、湊の背中を丸めようとする。
湊の胸の奥で、反射が叫ぶ。
(はいって言え。はいって――)
けれど。
湊の手の上の、エティンの手が温かい。
前のツクヨミが、揺れない。
左のダスラが、戦場を仕切っている。
――ここは、職場じゃない。これは、敵だ。
湊は息を吸った。
吐いた。
そして、はっきり言う。声にして。
「……拒否する」
ウインドウが一瞬、沈黙した。
まるで“想定外”を食らったみたいに。
《承認プロトコル:YES/NO》
《選択:NO》
《……》
次の瞬間――
ガラスが割れた。
パキン、と乾いた音。
白いウインドウの表面に、蜘蛛の巣状のヒビが走る。
YESの文字が、裂け目に引きずられて歪み、欠け、砕ける。
《侵入要求:再送》
《再送》
《再――》
文字列ごと、粉々になる。
ガラス片が宙に舞うように、無数の光の破片が飛び散り――
砕け散って消えた。
圧が抜ける。
冷たい針が、潮が引くように退いていく。
湊は膝が抜けそうになり、手すりを握った。
その瞬間、エティンが重ねた手を離さない。
体温が、折れかけた心を支えている。
「……できました。宵祷様」
囁きが、優しく胸に落ちる。
「いまのは、宵祷様の選択です」
湊は息を吐き、ようやく頷いた。
拒否した――
それだけで、世界が少し広がった気がした。
「……よい」
ツクヨミが小さく頷く。
「その“拒否”が、命綱じゃ」
同時に、ダスラが攻勢を完成させる。
左のコンソールに走る波形が、勝利の形に整う。
「――逃走軌道、完全に潰れましたわ」
声は艶を帯びたまま、冷たく冴える。
「迎鏃陣、撃ち漏らしゼロ。玄磁帷、貼り替え。偏向鏡装、維持。……通します」
コクヨウが応える。
赤いラインが脈打ち、海上から沈み、角度を変えて浮上する。
三次元の動きが、レヴィアタンの潜空を“角”に変える。
鉄霧界が視界を溶かし、鏡面鋼板が照射を外す。
天輪鎖が旋回し、慣性を溜め、逃げ道を締める。
「鋼尖穂槍――前面、現出」
船体前面で砂鉄が凝縮し、巨大な穂先が“生える”。
次の瞬間、それは打ち出された。
レヴィアタンが躱そうとする。
だが、鎖が“その角度”を許さず、迎撃の弾幕が“その動き”を削る。
穂先は、逃げた先へ――喰いつく。
ズン、と。
衝撃は爆発ではない。重い杭を打つ音だ。
黒い穂先が、レヴィアタンの胴へ食い込んだ。
表面は水でも霧でもない。
ねじれた影みたいな膜があり、それが一瞬ふくらんで抵抗する。
だが、次の瞬間――膜が裂けた。
穂先の先端が、さらに一段深く沈む。
刺さるというより、「引きずり込む」みたいに、影の中へ吸い込まれていく。
レヴィアタンの巨体が、ぐらりと遅れて揺れた。
潜空の“滑り”が止まり、逃げようとした角度が崩れる。
「入った……!」
湊の喉が鳴る。
穂先は止まらない。
砂鉄が後ろから後ろから継ぎ足され、槍は“伸びる”。
押し込む力が増していく。
黒い穂先が、胴の奥へ、奥へ――
まるで心臓を探すみたいに、中心へ向かって進んだ。
レヴィアタンの中で、何かがきしむ。
音じゃない。圧だ。
視界が一瞬だけ歪み、モニターの線が引きつる。
そして、穂先が“届いた”瞬間。
刺さった場所の中心が、すう、と落ちた。
レヴィアタンの中心が、突然“穴”になる。
真っ黒な点。
小さなブラックホールみたいな、ありえない暗黒。
そこへ、周囲の光が吸い込まれていく。
――その異常はホロテックの内側には届かない。
戦闘指揮所(CIC)の空気は、変わらない。
代わりに、前面モニターの“外”が狂った。
コクヨウの船体が、目に見えない力に引かれる。
黒い外板が、きしむ。
赤いラインが一瞬だけ乱れ、波形のように脈打った。
――吸い寄せられている。
海面が持ち上がり、白い飛沫が“穴”へ向かって引きずられていく。
海の闇が流れ込み、水柱が、逆方向に伸びる。
空も海も、そこへ向かって“傾く”ように見えた。
レヴィアタンが――圧縮される。
巨大な影が、ひきちぎられ、畳まれ、細く、細くなって点へ落ちる。
爆発ではない。破裂でもない。
世界が息を吸い込むみたいな、恐ろしい収縮。
爆縮。
暗黒の点が、最後に一度だけ脈を打ち――
消えた。
次の瞬間。
“ゆり戻り”が、海上に起きた。
吸い込まれていた海が、どん、と戻る。
波が押し返し、海面が跳ね上がる。
衝撃が遅れて伝わり、コクヨウの船体が大きく軋み、
モニター越しに見えるコクヨウの外板が、負荷を受けたことが分かる。
そして暗黒が消えた場所に、無数のきらめきが残った。
キラキラと、微細な光が舞い上がり、夜の海に散らばっていく。
星屑が海面から立ち上るみたいに、ゆっくり、確かに。
光はやがて四方八方へ拡散し、ひとつ、またひとつと消えていく。
解放されたのは――奪われていた“生体情報”だった。
名も顔も、声も癖も、温度も、記憶の輪郭も。
吸収されていたそれらが、元ある場所へ帰っていった。
CICの空気が、ようやく緩んだ。
「……終わったのじゃ」
ツクヨミの声は静かだった。
断ち切れた鎖が、最後に一度だけ、じゃらりと鳴る。
前面モニターで、コクヨウの船体が再び形を変え始める。
分厚い防護壁が引いていき、フィンが畳まれ、煙突が戻る。
赤いラインが薄れて消え、黒い巨体は、豪華客船の顔へ戻っていった。
ダスラが息を吐く。
勝った者の静けさが、彼女の美しさを際立たせる。
そして彼女は、湊のほうへ一度だけ視線を送った。
言葉にしない称賛が、そこにあった。
ツクヨミが振り返り、ダスラを見た。
「ダスラ。見事じゃ。火線も守りも、揺らがなんだ」
小さな顔で、堂々と労う。
「よう仕切った。誇ってよい」
ダスラは目尻に涙を溜める。
だが声は凛としていた。
「……お言葉、光栄です。最良の手順を選んだだけですわ」
そして、ほんの少しだけ、艶のある笑みを添える。
「皆が最短で動けるよう、整えました」
ツクヨミは、ふっと笑う。
「うむ。よい」
次に視線はエティンへ。
「エティン。湊を離さなんだ。良い支えじゃ」
「……ありがとうございます……!」
エティンは深く頭を下げ、湊の手に重ねた手を、最後まで離さなかった。
そしてツクヨミの視線が湊へ戻る。
ムーンライトシルバーの瞳が、優しくなる。
「湊。拒否できたの。よう折れずにおった」
褒める声が、静かに胸へ染みた。
湊は息を吐き、ようやく笑う。
勝利の笑みというより、緊張がほどけた人間の笑みだった。
「……君たちのおかげだよ。ありがとう」
エティンが小さく頷き、ダスラも同じように頷いた。
「宵祷様、こちらこそ……ありがとうございました」
「宵祷様が“拒否”してくださらなければ、相手に“入口”を渡すところでしたわ」
ツクヨミが、手を軽く振る。
「皆ご苦労じゃった。――今は、休め」
その言葉が落ちると、CICのホログラムが解除され始めた。
コンソールが光の粒になり、手すりが静かに沈み、全周囲モニターが夜の闇へ溶ける。
気づけば、再び海辺の夜空だった。
満月。一本の樹木。静かな砂浜。
さっきまでの戦いが嘘みたいに、波音が穏やかに戻ってくる。
ツクヨミは三人を見渡し、優しく諭すように言った。
「怖かったじゃろ。疲れたじゃろ」
声は小さいのに、よく届く。
「今夜はよく眠れ。……わしが、見張っておる」
断ち切れた鎖が、風に揺れて、じゃらりと鳴った。
それはもう、合図ではない。
子守歌みたいな音だった。
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