侵入要求
戦闘指揮所(CIC)の前面モニターが、海上の映像へ切り替わる。
荒れた波の向こう、黒い海面が――不自然に盛り上がっていた。
盛り上がりは「波」ではない。
海そのものが、持ち上がっている。
そこから、巨大な影がゆっくりと姿を現す。
黒い体躯。長い尾。水と空の境目を滑るように、揺らめきながら“浮く”。
湊は言葉を失い、次の瞬間、声が漏れた。
「……何だ、あれ」
「船……じゃない。生き物、か?」
ツクヨミは、仁王立ちのまま、視線を前へ向けたまま答える。
「レヴィアタンじゃ。わしらはそう呼んでおる」
湊は息を飲む。
「レヴィアタン……?」
「目的は、何だ。あいつ、何をしに来た」
ツクヨミの銀の瞳が細まる。
声は静かだが、内容は短く、はっきりしていた。
「コクヨウを奪う」
「そして、お主の心を乗っ取るつもりじゃ」
湊の喉が鳴った。
「……心を、乗っ取る?」
「そうじゃ。お主を“従う箱”にするためじゃ」
「だから、その前に奴を倒す」
ツクヨミは宣言する。
「今からレヴィアタンと戦い、落とす!」
「誰一人、取らせはせぬ」
その言葉と同時に、前面モニターの黒い巨体が、滑らかに形を変えていく。
――コクヨウが客船の姿を脱ぎ捨て、戦闘形態へ移行していくのが、はっきり分かった。
前面モニターに映る黒い巨体が、滑らかに形を変えていく。
客室区画は分厚い防護装甲がせり上がって覆い尽くし、優雅な窓という窓が消失していく。
煙突部は船体内部に格納され、代わりに船腹からは複数の放熱フィンが、サメのエラのように鋭く展開した。
メインブリッジには重層防御シールドが被さり、衝撃に合わせて淡く波打つ。
そして――黒い船体に、血管のような光る赤いラインが浮かび上がった。
灯ではない。装飾でもない。
“モードが切り替わった”という事実だけが、赤い輝線になって世界へ刻まれていた。
戦闘指揮所(CIC)の空気が、もう一段締まる。
八角形の床。半球ドーム。全周囲モニター。
立ったまま戦うための手すりが、それぞれの位置に合わせてせり上がる。
中心に湊。 左にダスラ。右にエティン。
そして前――湊の正面に、小さなツクヨミが仁王立ちしている。
鉄の首輪。断ち切れた鎖が、切断面を晒したままぶら下がる。
じゃらり、と鈍い音がしただけで、場が整列した。
「ダスラ……そなたに託す」
ツクヨミの声は落ち着いているのに、絶対的な命令として脊髄に落ちる。
「火線と防御を預ける。……できるな?」
ダスラの肩が、わずかに震えた。
涙の余韻は残っている。だが次の瞬間、彼女の目は冷徹な戦場の光を宿す。
彼女は真紅のナース服を翻し、艶然と微笑んだ。
「――承知ですわ。お任せください!」
敬意と絶対の自信が同居する声。
彼女が前のコンソールへ指を滑らせると、紅色の承認ログが走った。
《FIRE CONTROL AUTH:TRANSFER [DASRA]》
《DEFENSE AUTH:TRANSFER [DASRA]》
《OPERATOR:DASRA - READY》
ダスラの声が船内全域へ流れ、部署ごとに、的確な短文が刺さっていく。
「全区画、第一種戦闘配置。隔壁閉鎖、二重確認。ダメコン班、A・Cブロックへ待機!」
「シールド・リソース再配分。前面に極厚く。左右は最低限。背面は切り捨てなさい」
「迎撃具展開、準備。飛来体は近接で落とす。射界は自動最適化!」
「偏向鏡装、展開。照射と誘導を外しなさい。鉄霧界、濃度を上げて敵の“目”を潰しますわ!」
大声ではない。けれど逆らえない。
その声は艶を帯び、戦う女の“格好よさ”が、色気になって滲み出ている。
湊の右側。エティンの前にもサポート用コンソールが立ち上がっている。
彼女は手すりを掴みつつ、湊の呼吸と脈拍の揺れをモニタリングし、戦闘サポートに回しながら、同時に“湊を今に固定する”役目を離さない。
「宵祷様。視線は前へ。肩の力を抜いてくださいませ。……息を合わせます」
エティンはそう言って、湊の手の上に、そっと自分の手を重ねた。
温度が伝わる。
今ここにいる、と身体が理解する。
湊の前。ツクヨミが操舵に集中する。
小さな背中が、揺れない。
操舵というより、空間の“傾き”を直すような感覚で、コクヨウが応える。
コクヨウは砲を持たない。
海中の鉄分――砂鉄を凝縮し、武器そのものを現地生成して戦う。
それは神話のようで、同時に、過剰なほど合理的だった。
「玄磁帷――前面に展開ッ!」
ダスラのコールが落ちる。
前面モニターで、コクヨウの前方に鉄の“幕”が瞬間展開した。
海中から吸い上げた砂鉄が凝縮して形を取り、数秒後には霧散する使い捨ての鉄盾。
ドォォォォン!!
直後、レヴィアタンの光弾が叩きつけられる。
衝撃が波のように広がり、玄磁帷は砕け、霧散する。
だが、その“数秒”で致命打だけを逸らし、本体のシールドが耐えきる。
「被害軽微!――次、迎鏃陣!」
コクヨウの周囲に、無数の黒い鏃が現れた。
空中の砂鉄が凝縮し、鋭利な刃の形に固まる。
それは近接迎撃用の鉄の弾幕。
飛来する小型の攻撃体が、次々に空中で砕かれていく。
迎鏃陣が回り続ける。
飛来体が空中で砕け、白い火花みたいに散った。
――防ぐだけなら、いつまでも続く。
ダスラが、冷たく言い切った。
「防御は十分。今度はこちらの番ですわ」
「ツクヨミ様。火線、通します」
ツクヨミは短くうなずく。
「うむ、やるのじゃ」
ダスラの指が走る。
「外壁、錬成ポイント展開!」
「迎撃具を“散らす”のではなく、“束ねて”撃ちなさい!」
「一点に集めて、叩き込むのよ!」
コクヨウの腹が、赤いラインを脈打たせた。
次の瞬間、迎鏃陣の一部が、矢の雨ではなく――一本の黒い流れになって前へ走った。
砂鉄が凝縮し、まとまって、槍みたいな形になる。
「――鋼尖穂槍、小型。前方へ!」
ズドン!
水面がはねた。
黒い穂先が、レヴィアタンの“肩”のあたりへ食い込む。
レヴィアタンが、はっきりと怯んだ。
体が揺れる。動きが一拍遅れる。
「効いた……!」
湊の声が漏れる。
だが、ダスラは止めない。
「もう一発。足を止めますわ」
「次は――沈める角度で!」
ダスラが、短く命じる。
「操舵、半拍だけ下げて」
「玄磁帷、前面に“踏み台”を一枚」
「――反動を受けて、槍を押し込みますわ!」
前面に鉄の幕が一瞬だけ張られた。
コクヨウがそこを蹴るみたいに、ほんの一歩だけ踏み込む。
「鋼尖穂槍、小型――二射!」
ドン!
二本目の黒い穂先が、今度は“腹の下”をえぐるように走った。
海と空の境目にある、逃げ道のラインを切り裂く角度。
レヴィアタンが、声にならない音を出した。
影が大きくうねり、体をひねって距離を取ろうとする。
ツクヨミが、冷たく言った。
「今じゃ。奴が逃げるぞ」
レヴィアタンが揺らぐ。
追い詰められた巨大な影が、距離を取りにかかる。
潜空――海と空の境界を滑るように逃げようとする。
「あら、逃がしませんわ!……天輪鎖、起動!」
海面から巨大な“鎖”が現れ、コクヨウの周囲を衛星のように旋回する。 防御にも、攻撃にも、軌道変更にも使える、万能の鉄鎖。
鎖は旋回しながら慣性を稼ぎ―― 次の瞬間、一本が鞭のように打ち出された。
パァァァン!!
当たらない。 レヴィアタンは潜空で“決定打”を避ける。
だが狙いは命中ではない。
鎖が空間を区切り、逃走軌道を物理的に塞ぎ、回避方向を誘導する。
「偏向鏡装、展開!」
コクヨウの周囲に鏡面処理された鋼板が多数展開し、ミラー・アーマーとなり敵のレーザー照射と誘導が乱反射して逸れる。
ロックが外れる。
「鉄霧界、撒きます!」
微細な金属粉が空間に満ち、視認とレーダー認識が崩れる、チャフだ。
見えないだけではない。
熱が奪われ、放電の道が書き換わる。
――形勢が、逆転し始めた。
押されていた波形が落ち着く。
防戦ではなく、“主導権を握る防御”に変わる。
ダスラが、ほんの少しだけ口角を上げた。
勝ち筋を掴んだ者の、艶のある、嗜虐的な笑み。
「……追い詰めましたわ。ここからよ」
コクヨウがさらに踏み込む。
水上から沈み、角度を変えて浮上し、海中も海上も自在に使う。
三次元の超機動。
逃げ道だったはずの潜空が、逆に“角”になる。
「鋼尖穂槍――前面、現出! 最大出力!」
船体前面に、ビルほどもある巨大な槍の穂先が現れる。
砂鉄が凝縮し、黒光りする鉄塊が“槍”の形へと急速錬成されていく。
そして――それは打ち出された。
ズドォォォォォン!!
海が割れ、衝撃が水面を跳ねる。
穂先は潜空で躱した“次の位置”へ喰いつくように角度を変え、レヴィアタンの逃げ場を削り取る。
レヴィアタンが焦った。
追撃は可能でも決定打を与えづらいはずの均衡が、崩れ始めている。
逃げれば逃げるほど、死の軌道が絞られる。
追い詰められた敵は――物理ではなく精神で、最も脆い“湊”を狙ってきた。
前面モニターの映像が、一瞬だけ乱れた。
ノイズではない。
CICの中空――湊の目の前だけでなく、ダスラやエティンからも見える位置に、
嫌なほど見慣れた白地のウインドウが強制ポップアップした。
《秩序干渉:侵入要求》
《対象:MINATO》
《承認プロトコル:YES/NO》
全員に見せつけるように浮かんだその選択肢を見て、湊の内側で、
骨の髄まで染みついた社畜の習性が、条件反射的に暴れた。
承認、確認、同意
――従えば角が立たない。逆らえば仕事が増える。
昨日まで嫌というほど繰り返してきたその隷属の思考を利用されている、と直感でわかるのに、身体だけが先に縮こまる。
“押してしまえ”という気持ちが、勝手にYESへ傾きかける。
指先が動きたくなるほど、決定の衝動が強い。
エティンが、湊の手に重ねた手を、少しだけ強くした。
「宵祷様。大丈夫です。私がここにいます。
……私の声だけ聞いて。息、合わせましょう」」
それでも、ウインドウは消えない。
YES/NOの二択が、静かに、執拗に脅迫してくる。
ツクヨミが言った。落ち着いた声で、先に仕組み(タネ)を明かす。
「それは“敵の言葉”を、そのまま見せておるのではない。
レヴィアタンが打ち込んだ楔を、わしが翻訳して表示しておる」
湊は目を逸らしかけて、踏みとどまる。
「……なんで、わざわざこんな表示をするんだ?」
ツクヨミは仁王立ちのまま、淡々と言った。
「理解して選べるように、じゃ。
レヴィアタンはお主の頭へ直接『YESと言え』と書き込もうとするが、
――お主が馴染んだ器に注ぎ直しておいたぞ。
パソコンの画面の“ウインドウ”というやつじゃ」
湊の喉が鳴る。
見慣れたUIだからこそ、逆に効く。
レヴィアタンは、湊の「断れない癖」を“穴”みたいに見つけて、そこを突いてきている。
左で、ダスラが火線を切らさない。
声は艶を帯びたまま、船内を支配し続ける。
「視認を潰して、誘導を外しなさい。――逃げ道は残さない!」
「玄磁帷、次の貼り替え! 迎撃は一瞬たりとも切らさないで!」
「操舵は固定。……私が火線を通しますわ」
コクヨウは応える。 赤いラインが脈打ち、海と空の境界を裂くように機動する。
レヴィアタンは追い詰められた。 だからこそ、湊の頭の中へ、もう一段深く潜ってくる。
《秩序干渉:侵入要求》
《対象:MINATO》
《承認プロトコル:YES/NO》
《再送:YES/NO》
《再送:YES/NO》
《再送:YES/NO》
――
――
選択を迫るふりをして、選択そのものを消耗させるDDoS攻撃のような飽和攻撃。
断り続ければ疲れる。
疲れた瞬間に、“いつもの反射”でYESが出る。
湊の肩が、わずかに震えた。
ツクヨミの断ち切れた鎖が、じゃらり、と鳴った。
その音は――湊が覚醒するための、合図だった。
「面白かった」
「続きが気になる」
と思ってくれましたら
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