波
時折、真っ暗な闇のように鮮やかな波に飲まれる時期が訪れる。それは清らかな海水ではなく、まるで泥沼のように私の心に纏わりつく。ゆっくりと次第に、その沼は細長い刃に変わり、じわじわと浸食し始める。
目の前は真っ暗な闇。後ろを振り返っても真っ暗な闇。いや…後ろの方がかろうじて光が見える。足を踏み出す。が、びくともしない。木の幹のように太い手が、私をそちらへ行かせない。私は進むこともできない。戻ることでさえできないのか…?
「どうしたの?」
そこで私の意識は戻された。音のした方へ目を向けると、そこにはおさげに丸眼鏡をかけた少女がいた。
「最近、いつもぼーっとしてるよ?ちゃんと寝てる?」
ガヤガヤと騒がしい雑音が耳に入る。
顔を覗き込んでそう言う少女に、私は口を開きかけた。が、そのまま閉じて首をかしげた。口元にうっすら笑みを浮かべたが、どうやら逆効果だったようだ。少女は反対に顔を少し歪めた。
…ああ、今度はお前まで私を留めるのか。足元に目を向けると、木の幹が絡みついてくる。
少女が背を向けて去って行く。何か言語を発したが、私はその音を拾えなかった。木の幹が体を伝って覆い出す。
ついに、波が幹と私を飲み込んだ。息ができない。それが心地良い。全身の力を抜いて、全てを手放した。そして、一つの木になった。その木には葉の一つもない。おそらく、これからもだろう。雲の割れ目から差す月明かりが眩しくて、私は目を手で覆った。




