テーブルの下からフォーク
扉が破壊され、飛び出してきたのは浅葱色の鳥。形は大型の猛禽類によく似ているが、禍々しいオーラを纏っているからこれは魔物だ。
「皆さん伏せて!」
私はエプロンから、小型魔導散弾銃を取り出し、即座に撃つ。しかし、動きが早すぎて当たらない。
得物の杖を構えていたアザレアさんだったが、
「ごめん。私の魔法じゃ追いつけない。無理だ」
そう言うや、テーブルの下に潜り、ラーメンすすりを再開した。
ハシダさんが刀を抜いて叫んだ。
「拙者が!」
素早すぎてかすりもしない。
カウンターの下ではテオバルトさんが大切そうにマーヤさんを抱きよせている。
腕の中のマーヤさんは興味深げに、鳥を見つめていた。
私は全裸男に向かって、怒鳴るように叫んだ。
「ちょっとゼンラ! あんたが捕まえなさいよ! あいつに世界を崩壊させる力があったらどうするの?」
やつは魔物を一瞥してから、
「そんな雑魚を相手にしたら、僕の名誉に傷がつく」
私は心のなかで舌打ちをした。
全裸の分際で偉そうなことを抜かしやがって。
私は戦闘補助用の特殊眼鏡をかけ、カウンターを飛び越え、魔物と対峙する。
この眼鏡と銃は魔導科学文明世界スクランブルの技術により開発されたものだ。
「戦闘補助モード! フルオート!」
人工知能搭載の眼鏡が私の神経に介入し、私の体を意のままに操る。はずだったのだが、バッテリーが枯渇しましたという音声を最後に動かなくなった。
「……は?」
私は目を見開き、クソ眼鏡に怒鳴っていた。
「ふざけんなよ! 壊すぞ!」
アザレアさんが私を指差し、馬鹿にしながら笑った。
「アハハハハ! 大事な時に使えないでやんのー!」
「なんですか! 本来なら非戦闘員の私が戦おうとしただけで褒められるべきですよ! 戦闘が専門のあなたが最初に、放棄したじゃないですか!」
「だって、私じゃあいつに追いつけないもん。魔力消費を抑えるためにも、無駄な戦いはしないのだ!」
鳥の魔物は見た所、術か何かで混乱しているだけのようだ。だから、混乱から覚めたら、外に出ていくかもしれない。
……待つしかない。
立っていても的にしかならないので、私もテーブルの下に潜りこんだ。
まるで、小学校の避難訓練みたいだ。
「テーブルの下にいれば安全でござろう」
魔物の動きを観察していたハシダさんが言った。
魔物は上や大きく動くものに意識が向くようだ。確かにテーブルの下なら安全だ。
そういうわけで、客たちは、メシに全集中。魔物の存在なんて、これっぽちも気にかけていない。
魔物は依然として正気を取り戻すことなく、店内を飛び回っている。
ふと、マーヤさんが残念そうに、
「……マヨネーズ足りない」
「ちょっと待ってて」
テオバルトさんはマーヤさんのために立ち上がった。
いくら愛する奥さんのためとはいえ、なんで、こんな時に立ち上がれるのだろう。
危ないけど?
案の定、鳥はテオバルトさんに接近した。
ハシダさんが刀を握りながら、
「危ないでござる!」
しかし、その距離からでは間に合わない。
ポーションを取りに行くのも面倒くさいから、一応、クサレシスターに確認してみた。
「アザレアさん、回復魔法使えますか?」
「もちろん。でも、半年は使ってないけどね」
あの鳥の魔物の攻撃なら、即死はしないだろう。いい具合に刺されてくれれば、鳥も動きが止まるから問題ない。
テオバルトさんは迫りくる鳥に対しても冷静沈着に、いつもの穏やかな表情を崩さない。
この時、私はなぜかひやりとした冷たさを感じた。
彼が刺される瞬間、動きが止まったのは鳥の方だった。
見ると、テオバルトさんが持っていたフォークは、いつの間にか冷気がまとわれており、鳥の眉間に突き立てられていた。
ところどころ、体が氷で覆われた鳥の動きが鈍った。
それを見逃さずに、アザレアさんが魔法を放つ。
「神の裁きを」
鳥は光の球に包まれ、跡形もなく消滅した。
テオバルトさんにも怪我はない。
「テオバルトさんもアザレアさんもお見事です」
私が言うと、彼女は事も無げに、
「でも、この魔法不便なんだよね。異端者たちの死体も消えちゃうから。残さなきゃいけないこともあるからさ」
一方のテオバルトさんは、
「魔物が目の前を通ったからたまたまだよ」
といつものクールっぷりを発揮しつつ、
「フォークを駄目にして悪かったね」
「フォークくらい大丈夫です。新しいものを用意しますね」
「ついでに、食後のデザートの大福も頼むよ」
ハシダさんが、
「テオバルト殿も魔法を使えたのでござるな」
と感心している。
テオバルトさんが使うのは、物質に魔法をまとわせて放つ魔法剣に分類されるタイプのようだ。
「魔法と言っても、この程度だから大したことはないよ」
「そうでござるな。拙者の世界では、道中の魔物に殺されて出勤できぬでござるな」
私は思わず、言ってしまった。
「職場の横にでも引っ越したらどうですか?」
「拙者の世界だと戦いながらの出勤が普通でござるからな。できるかどうか……」
マーヤさんが店内を見回しながら、
「お店の中ボロボロですね」
「大丈夫です。修復用魔道具がありますから。誰でも良いので、魔力をください」
「じゃあ、ここは私が」
「ありがとうございます」
マーヤさんから魔力をもらい、店内も無事に修復。
彼女自身の魔力の量もそんなに大したものではなさそう。
私は改めて、懐中時計型の時空歪度計を開いた。これも先程の銃と同様に、スクランブル製だ。
「かなり時空が歪んでますね。こういう時は、どうしようもないことが起きてしまうんです」
私はテオバルト夫妻に告げた。
「一ヶ月後までには収まると思うので、お二人はその頃まで来ないでください。状況によっては命の保証ができないので」
「そうか。一ヶ月もタバスコとコーラと大福を食べることができないのは寂しいな」
「私もマヨネーズ好きなのになー」
二人は残念そうに言ってくれた。
「残念ですけど、よろしくお願いします」
お客さんたちがいなくなって、店内は私と寝ているゼンラだけが残った。
「今日は誰も死にかけなかったから、楽だったね」
私はもう一度、時空歪度計を見つめた。
「歪みの大きくなったり小さくなったりしていて、乱高下ってところね」
私は後片付けを終えてから、急いで武器の準備を始めた。
何が起こるのかはその時次第なのだが、武器が必要になることが多いのだ。
とはいえ、やることは決まっている。
カップラーメンを作るのと同じくらいには。
魔物が現れたら倒す。
問題が発生したら、解消する。
たったそれだけなのに、命がけになることに納得ができない。
「次は今日みたいなお遊戯レベルじゃ済まないな」