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白く眩しい、何もない世界。
暖かいような寒いようなどこか浮足立った心地。
長く体が自分のものでなくなっていたような感覚の後、それがじりじりと自分の命の重さで実体を持っていく過程を俺は全て他人事のように感じていた。
やがてどこか柔らかいところに着地する鮮明な触感で俺ははっきりと五感を取り戻した。
起きなくてはならない、と理性が訴えた。
ゆっくりと重たい瞼を持ち上げると、目に飛び込んだのは見慣れない天井と目の端で揺らめくカーテンだった。
「おはようございます、ユーゴさん。」
「…セレナ嬢。」
思ったよりかすれた自分の声に内心ぎょっとする。
「丸2日寝ていらしたんですよ。もう3日目に入ってしまうかと思ってベッドを移したところでした。」
「そうか、看病をしてくれたのか…。手間を掛けさせて申し訳ない。貴女も眠れただろうか。」
「ええ、仲間と休み休み診ていたので。わたし達の役目ですので、お気になさらず。」
「そうか、ありがとう。」
「いえ。……ロメル様が、とてもご心配なさっていました。」
その名前にハッとした。
「そうだ…!ロメルさん、彼は…!?」
俺の勢いに気おされたようにセレナ嬢がのけぞった。
「か、彼はと言うと…?」
「いや、俺、倒れる前に襲撃者をみた気がして、ロメルさんの宿舎は訓練場のすぐ先だし枢密院の連中だったらと思って…!」
セレナ嬢は眉根を寄せて困ったような顔をした。
「ユーゴ様、お倒れになる前の記憶はございますか?」
「倒れる前…?」
「光の束や白い空間に覚えはありますか?」
……いや、知っている。
確かあの時の男は言っていた。
『ルス・リベラレ』
―光、放たれよ
「あれは、ロメルさんと貴女だったのか…。」
セレナ嬢はスツールに座り直すと裾を叩いてから深い呼吸をした。
「ユーゴ様。今この場には、わたし達以外に誰もいません。わたし達ヒーラーは如何なる患者様の訴えに関して守秘義務を誓っているので、他言もしません。…ここまで貴方を追い詰めたものを教えていただけはしませんか。」
「別に、聞かれたら、誰に話してしまっても良い。…少しだけ、時間をくれ。」
これについて、人に話すのは初めてだった。
でもいずれは抱えきれなくなっていたことだ。
*
俺を突き動かしてきたのは憧れだけだった。
先代国王は好色漢で何人も妃を娶っていたらしい。当然妃の実家同士での争いは絶えず、上位貴族の火遊びのような権力闘争、領地の取り合いで真っ先に火の粉を被るのは俺たち農民だった。父が一生懸命育てた作物は度重なる内乱で何度も荒らされ、収穫が全くなくなった年もあった。幼い頃から繰り返された搾取され恐喝に怯える日々は、慣れてしまえば恨みを向ける相手すらも作らずに済んだ。あるいは、恨むことを諦めてもいたのだと思う。
ある日、父と母はいつものように収穫した果物を売りに街まで出ていた。普段、日の傾く頃になると彼らは店を締めて帰ってくる。しかしその日、彼らは夕方になって市場が閉まる頃になっても一向に帰ってこなかった。年端もいかない妹と待ちながら夜を越し、それでも親は帰ってこなくて、朝を迎えてから俺は街へ歩いていった。
街が近づくほどに濃くなる焦げた苦い匂いと金属の錆びたきつい匂い。饐えた空気に顔をしかめながら、俺は進んだ。
着いた街は、死体だらけだった。
信じたくないほどの死屍累々。探しても探しても親の姿は見つからず、建物の壁という壁に血がこびりついている。地獄とはきっとこのような場所なのだろう、と他人事に考えている自分に嫌気が差した。親を失って悲しいはずなのに、俺は泣けなかった。無造作に転がされた死の真ん中に棒立ちになっても、10才の俺はまだ死を理解できないでいた。
しかしそんな光景の中どれだけ佇んでいたのだろう、俺は大人に肩を叩かれたのを感じて無気力に振り返った。あぁ俺も殺されるんだな、と思って全てを投げ出そうとした。
その大人は、近衛兵は、言った。『こんなところで何をしているんだい、そろそろ暗くなるからお帰りなさい』と。俺は答えた。『帰っても食べ物がない。ここから無事に帰れるかも分かんないし。』兵は苦笑いしてから、服の中をまさぐって白パンを1つ取り出した。『兵舎に行けばたくさんあるのに、これしかあげられなくてごめん。あと、君の家の街まで安全に送り届けるよ。』そう言って俺を抱きかかえ、大きな手で俺の視界を覆った。
いつの間にか寝てしまっていて、起きた時にはもう家のすぐ近くだった。兵は明らかに先ほどより負傷していた。『ごめんね、髪色から火属性だと思ってこの辺りの農家の人に聞いたら、この街のこの家しか分からなかったよ。あっているかい?』『うん。』『そうか、良かった。』兵はゆっくりと俺を降ろすと、傷の痛みも感じさせない颯爽とした様でどこかへ消えてしまった。
やがて生計を立てるために働くに従って、俺は俺と妹は人に好かれる外見なのだと気がついた。物を乞う時、一晩の宿を探す時、俺達の顔は便利だった。
そう、羨望と嫉妬の対象になるくらいには。
奴隷として他国に売られないようにするため。妹を野蛮な奴らに奪われないため。俺達は剣技を磨こうとギルドの門をくぐった。
そこで出会ったのが、リタ・ジュステだった。
『あなた、すごく力があるのね!』
表と裏の世界の間で鍛えられた俺の腕っぷしは毎日ギルドの中庭で繰り広げられるリタの訓練によって一流へと磨かれた。そこら辺で野垂れ死ぬしかない孤児だったのはずの俺は、周りの大人から借りた力でいつの間にか『将来有望の若手冒険者』という肩書を手に入れていた。
*
「別に、俺が強かったわけじゃない。パーティーの皆のお陰なんだ。」
「でも、ユーゴ様も頑張ったんでしょう?」
「正直、無茶はしてきた。でもあの日見た近衛騎士みたいになりたかった。妹を、守れる兄でありたかった。」
「そう言ってもらえる妹さんは幸せですね。」
セレナ嬢はにっこりと笑った。
昔教会でみた、聖母のようだった。




