第五話
バロバナシティ・ペントナント区23番地1号。
そこに反社会シンジゲートの構成の一つ古参非合法組織ガラードの傘下組織、シートン商会の営業所本店ビルがある。
ペントナント区10番地から23番地までは、その昔から倉庫街として栄えていた。
その立地条件からご禁制の物品や密輸入品を管理保管するのに重宝された地区で、そこを取り仕切ることを許されたシートン商会は傘下組織の顔役として幅を利かせていた。
傘下組織とはいえ顔役ともなると、それ相応の人物でなければ務まらない。
シートン商会の会長であるナイゲル・シートン(52)は暴力組織において一廉の人物といえる男であった。
若かりし頃は敵対組織との抗争に明け暮れ、容赦なく相手を血祭りに上げたことから【血塗れナイゲル】の異名を持つ凶暴な男で、年を食った今でも周囲からは畏れられ一目置かれていた。
そのナイゲルが、土下座をさせられていた。
彼の眼前にいる、十代前半の小さな女の子に。
少女は純血エルフを思わせる美しい金髪緑眼にかんばせ、そして笹のように長い耳をしていて、魔女が好む漆黒のとんがり帽子にローブという恰好であった。
その態度は尊大で、ナイゲルの執務室にある豪華なソファに踏ん反り返って座り、組んだ両足を豪華なテーブルの上に乗せている。
顔中を傷で埋めた厳つい男が、魔女っ娘エルフに土下座をさせられる。
写真で見れば非常にシュールな光景だが、その場に居合わせていたら理解しただろう。
少女は唯人ではないオーラを発していた。
一国の王であってもかしずかせるのでは、と思えるほどの強烈な威風で、如何に血塗れの異名で畏れられる男であっても所詮はお山の大将、抗うことなど土台無理な話であった。
ナイゲルは逆らいようもなく膝を屈し、どうしてこうなった、と内心で呟きながら額に脂汗を浮かべた。
ナイゲルが土下座する10分前。
シートン商会営業所本店ビル前のほど近くに乗り付けられた一台の乗用車。
その傍にシャツにジーパンにサングラスとラフな格好のナッシュと、明らかにこの界隈の人間とは思えない二人の人物が立っていた。
一人は白の胴着に紺の袴姿の、闘気漲らせる桜花。
もう一人が魔女っ娘エルフ――普段は年齢不詳の老婆、しかしその正体は184歳になる成年少女マウラであった。
マウラは常日頃から【下級:元素魔法:幻影】を行使して、老婆の姿で過ごしている。
理由は、自分の幼い容姿に激しいコンプレックスを抱いているからだ。
純血エルフは成年期の姿で老いることなく過ごすが、成人までの成長速度は人族と大差ない。
二十年ほどで成長が止まるのが普通である。
しかしマウラは、12才で成長が止まってしまった。
現在の身長は155センチ。体型もそれ相応のお子様体型である。
生家の里では村人総出で調べたが原因は一切不明。百年かけて判明したことは対処不能の謎の奇病である、ということだけだった。
純血エルフであるマウラが人里に、それも変人が多いことで有名な大都市ガロナにいる理由は、奇天烈だが革新的な技術が日々生み出されるその特異性に目をつけたからだ。自分や里の村人では思い付きもしないそれらの知性が、いつの日かマウラの奇病克服に繋がるかも知れないと。
ちなみにだが、人里に下りた理由はもう一つあって、それは元素魔法を学ぶ為だった。
元素魔法はもっとも万能性に富み多種多様な魔法形態を持つ。その中には自身の姿を変化させる魔法も多数あったが、故郷の里には精霊師としての勉学は出来ても、元素魔法を学ぶ場所も教えられる人もいなかったからだ。
マウラは変化形の元素魔法を学ぶ為だけに、レグラント共和国において魔法を学ぶのに最高峰とされる教育機関【レグラント魔法学術総合大学院】に入学した……のだが、己は凶悪な呪いでも掛けられているのではないかと悪態をつくほどに、姿を変化させる魔法『だけが』致命的に不得意で、妙齢の女性に変化する技術を未だに持ち合わせいなかった。
そこで著しく自尊心を傷つけつつも下した決断が、老婆の姿であった。
これなら露出する手足や顔だけの変化で済むので、マウラの技術力でも何とかなる。
それだけ己の幼い容姿を嫌って滅多なことでは少女の姿を晒さないマウラだが、本気で魔法を使うときはその限りではない。
程度の低い魔法なら老婆のままでも問題ないが、本気となるとそんな余裕はないからだ。
本気で魔法を使う場面、それは大抵、古参組織にカチコミを入れるときだった。
だがそれはお子様姿を衆目に晒すということで、必然、致命的に機嫌が悪くなる。
不機嫌も露わに近くにいるナッシュに声をかける。
「ナッシュ」
「ほい」
「あんたは手はず通り車で待機だ」
ナッシュは行き帰りの足の確保の為にいた。戦力は十分なので彼は車でお留守番である。
「ほいよ」
今度は隣にいる桜花に話し掛ける。
「桜花」
「はい、先生」
「このビルに張られている結界を今から【解除】する。雑魚の処理は任せたよ」
「はい」
返答と同時に、桜花は内氣功【鬼神門】【羅刹門】【夜叉門】を発動させる。
それを見てから、マウラは詠唱を開始した。
凄まじい魔力の奔流が周囲に伝播する。
営業所本店ということもあってビル内には魔術師が多数詰めていたので、その異常な魔力の高まりをすぐさま感じ取っていたが――遅かった。
マウラは高速詠唱の達人である。
気付いた時にはすでに【解除】の魔法は発動されていた。
「【特級:元素魔法:結界解除】」
ビルを覆っていた複数の元素系結界魔法が瞬時に無効化された。
それを確認した瞬間、桜花は全力で駈け出し、ガラス張りの大きな玄関ドアに強烈な前蹴りをかます。
ドアは粉々になって一階ロビーに飛散した。
フロアは仕切り壁のない構造で、ロビーの奥は見通しの良い事務室になっていたが、そこにいた三十人の構成員は茫然となる。
高位魔術師が十数人単位で詰めているこの営業所が襲撃されるなど50年近くなかったことで、完全に予想外の出来事だったからだ。
呆ける構成員に向かって桜花は告げる。
「罪状・監督不行き届き。判決・有罪。全員・一発以上殴打の刑に処す」
そのふざけた台詞を聞いて、全員がブチ切れた。
「ぶっ殺せええええ!!」
構成員たちは机の引き出しから拳銃を取り出し、一斉に発砲した。
ビルの周辺一帯に鳴り響く銃撃音。
雨あられと降り注ぐ弾丸だったが、一発も当たることはなかった。
射撃体勢に入った瞬間に、桜花が横っ飛びに避け、壁を走り、そこから飛び蹴りをかますという変態的機動からの攻撃を行ったからだ。
どがぁ! と派手な音を立てて人狼の構成員が吹き飛ばされる。
構成員たちには瞬間移動して攻撃されたかのように見えた。
慌てふためきながらも銃口を向けるが、そこで攻撃を躊躇する。
桜花が仲間を蹴り倒した場所は、事務所のど真ん中。
下手に銃を撃つと同士討ちの可能性が極めて高い。
その隙を桜花は見逃さなかった。
周囲にいる構成員を手当たり次第にぶん殴り蹴り飛ばし放り投げる。
獅子奮迅の大暴れに手が出しようもなかった。
「くそぉ! 高位の連中はまだかぁ!!」
このビルに詰めている高位魔術師は13名。
その全員が二階フロアにいる。
一刻も早く救援に来てくれないと10分と掛からずに一階は壊滅する。
桜花は着々と構成員をぶっ飛ばしつつ、その疑問に答えた。
「助けなら来ませんよ」
「な、なんだと……」
「二階の制圧は先生が担当しています。今日の先生の気分はすこぶる悪い。きっと今頃、二階は魔女の釜を開いた有様になっているでしょうね」
「は、ハッタリこくんじゃねえ! 上から物音は何もしていねぇだろうが!」
「先生は【魔導真王」の名乗りを許された偉大な魔法使いです。意味が分かりましたか?」
魔法使いの大多数が一つの系統魔法を操るのが精一杯である。
だが稀にだが、複数の系統魔法を高い次元で操る天才児が現れる。
魔導師――元素・精霊・召喚魔法のいずれか二つ高位レベルで操れる者。
魔道元帥――元素・精霊・召喚魔法の三つを高位レベルで操れる者。
魔導王――元素・精霊・召喚魔法のいずれか一つ最高位レベル、残る何れか一つ高位レベルで操れる者。
魔導真王――元素・精霊・召喚魔法のいずれか二つ最高位レベルで操れる者。
魔導副帝――元素・精霊・召喚魔法のいずれか二つ最高位レベル、残りを高位レベルで操れる者。
魔導正帝――元素・精霊・召喚魔法の三つを最高位レベルで操れる者。
魔導副帝や魔導正帝などはお伽話に出てくる勇者や大英雄といった伝説上の存在なので除外するが、魔導真王であれば全世界に52人ほど確認されており、事実上、魔法使いたちの頂点と呼べる存在であった。
マウラは故郷の里を出る時点で最高位精霊師に到達し、大学院を卒業する頃には最高位魔術師と認められた、紛れもない天才であった。
魔導真王など、ガラード本家でも一人しかいない、本物の化け物だ。
そして眼前の少女も得体の知れない化け物だ。
男は恐怖の余り堪らず逃げ出したが――叶わなかった。
骨が砕けるほどの打撃を、ふくらはぎに受け、猛烈な痛みに床を転げ回る。
背後を見せた瞬間、桜花が事務机に置いてあった強化ガラス製の分厚い灰皿を掴み、逃げ出そうとした男の足に投擲したからだ。
これが仇討を目的とした討ち入りとなれば、屍の山を築くことに躊躇はない。
後頭部目掛けて投げ付けていた。
というか家宝にすることが決定している業物の大身槍を持ってきて問答無用でずんばらりである。
だが今回のカチコミは『躾』である。
犬はちゃんと躾ないと飼い主の腕を噛むこともある。
まして気性の荒い大型犬ともなると、腕どころか嚙み殺される場合もある。
暗黒街にのさばっている反社会シンジゲートが調子に乗りまくって抗争を繰り広げ、ついには隣の大都市ガロナの住人にも犠牲者を出す事件が五十年前にあった。
その時、マウラを筆頭とした武闘派集団がこれでもかというくらいに報復と躾を行い、それもあってたまに迷惑をかけてきても個人的な範疇に収まる程度で、組織立った悪質なものは皆無だった。
だが近頃は、組織内の引き締めが緩くなってきて、更には地元の悪ガキに至っては統率がまったく取れていないようだ。
マウラから見るに、年々、無所属の無法者の迷惑行為が目立ってきているそうだ。
あれだけ容赦なく報復し手痛く躾てやったのに、どうやら連中は忘れてきているらしい。
例え縁もゆかりもない人間でも、地元にいるのなら、それを管理するのも反社会シンジゲートの仕事だ。
それを怠って今回の営利誘拐騒ぎである。
少々のトラブルなら大目に見ていたが、これは見逃せない。
再度、躾なければ、とこうしてカチコミを敢行した訳だ。
反社会シンジゲートに属するような鬼畜外道の人間は、言葉で理解するほど物分りの良い生き物ではない。
トラウマになるほど徹底的に痛めつけて初めて理解する。
桜花は容赦なく相手の骨と心をへし折り、痛めつけるように暴れ回った。
桜花が絶賛大暴れをして一階フロアでは冗談のように大の男が宙を舞う中。
マウラは【特級:元素魔法:飛翔】を唱えて浮かび上がると、二階の窓を吹き飛ばして押し入った。
そこは遊戯室のようでダーツやビリヤード台、酒場のようなカウンターと酒瓶が大量に並べられた棚があった。
マウラが結界を蹴散らした瞬間から、このビルの支配者はマウラだ。
特殊な条件が整わない限り、マナ同様、下位精霊はあらゆる場所に存在する。
ビルと周辺一帯に漂う下位精霊を通じて、手に取るように内部状況が分かる。
このビル内にいる魔術師の系統も質も瞬時に理解したマウラは、ふん、と鼻を鳴らした。
ここも雑魚の集まりか、と胸中で呟くと、魔法を行使する。
「【特級:《土》下位精霊ノーム:招来】。さあノームよ、阿呆どもを捕えな」
その瞬間、高位魔術師13名全員の足元から泥の手が這い出てきた。
「うおおお!?」
「せ、精霊魔法だ! 誰か解除してくれ!」
「【上級:元素魔法:土属性防御】……駄目だ! 特級で行使されている! どうにもならねぇ!!」
「くそがぁ!」
あっという間に泥の手に絡め取られる。
遊戯室に突撃しようとしていた魔術師8人の無様な声が、マウラの耳に聞こえた。
結界や状態変化など何らかの支援系魔法を解除するには、基本的に同等かそれ以上の力量がなければ対処できない。
魔導真王を名乗れるだけのマウラを前に、高位でしかない彼らでは手も足も出なかった。
ボスの部屋の前で待機していた者も含め、13人全員が10秒と経たず泥の手で簀巻きにされ床に転がった。
口もがっちり塞がれているので声も出せない。
マウラは更に魔法を行使する。
「【特級:《火》精霊王イフリート:眷属招来:黒炎の魔犬】」
空間を割きながら、漆黒の大型犬が五匹現れた。
その犬の特徴は、炎のように揺らめく瞳と、口元からチロチロと火の粉が漏れだしていることだろう。
地獄の番犬のようなおどろおどろしい魔犬にマウラは命じた。
「床に転がっている馬鹿ども連れてきな」
声は出ていないが、吠える仕草をしてから、魔犬は駈け出した。
遊戯室のドアを蹴破り、フロアに散っていく。
「まったく。骨のない連中だよ」
マウラは不機嫌も露わに吐き捨てた。
一階は死んではいないが、死にかけ多数の地獄絵図。
二階は簀巻きにされたまま一か所に集められ、外傷こそないが、眼前に凶暴で知られた魔犬が佇む生き地獄。
ビルを完全に制圧した桜花とマウラは、連れだって最上階の三階に上がった。
ビル内を支配に置いたマウラは、ボスがいる部屋を牢屋へと変貌させていた。
ドアも窓も、下位精霊を行使して開かないようにしている。
マウラにはボスが部屋の中で恐怖に震えているのが手に取るように分かった。
マウラを先導にずんずんと進み、牢屋と化した部屋の前で足を止めた。下位精霊を散らすと同時に顎でしゃくり、桜花が足を振り上げる。
どばん! と勢いよくドアが吹き飛び、それと同時に発砲音が連続で鳴り響いた。
「特殊弾丸でないと殺せませんよ」
桜花はそう言いながら、受け止めた弾丸を床にばら撒いた。
執務机を盾に銃弾を放ったナイゲルは、掠れるように言葉を発した。
「ば、化け物が……」
確かに桜花は化け物級の身体能力と氣功術を操るが、さすがに高速で飛来する弾丸をつまめるほど人間を辞めていない。
向けられる殺意と銃口から弾丸位置を予測、受け止めただけだ。
ちなみに、これが特殊弾丸を放てる大型拳銃だと手のひらに大穴が開くし、ライフル用の特殊弾丸だと手首ごと吹っ飛ぶので、その場合なら素直に避ける。
ナイゲルの構える銃が豆鉄砲だったからデモンストレーションも兼ねて受け止めたのだ。
ナッシュがいれば『いやそれ十分人間辞めてるから』と突っ込みを入れただろう。
ナイゲルの放った銃を豆鉄砲と評価したが、十分に殺傷能力がある代物だ。
格闘世界出身のナッシュでもまともに食らうと体に穴が開くので素直に避ける。
だが、あいにくだが隣にいるマウラは桜花以上の化け物だった。
マウラだとライフル用の特殊弾丸程度では小動もしない堅牢な障壁魔法を張れる。
聞きなれた台詞なので特に気にすることもなく、桜花はずかずかと室内に入る。
ナイゲルの前まで行くと胸倉を掴み上げた。
「ひ、ひいい!」
桜花は情けない声を上げるナイゲルを引きずり、部屋のソファでどっかりと座るマウラの前に投げ捨てた。
恐怖に打ち震えるナイゲルに、マウラは告げる。
「土下座しな」
「はへ?」
「土下座しろ、と言ったのさ。何だい、お前さんはこの状況でも逆らえる骨のある奴かい?」
そう言い終わると同時に、マウラはマナを体内に取り込んだ。
外部から取り入れたマナはへその下あたりにある要肝に集められ魔力に変換されるが、その際に【魔力錬磨】と呼ばれる技法を行うことで要肝に貯蔵された魔力を圧縮することができ、より大量の魔力を貯蔵することが可能となる。
小さな魔力錬磨なら、魔法の心得、それか相当勘の鋭い人物でもない限り、気付かないことが多い。
しかし、マウラの要肝でとぐろを巻く濃密な魔力は、何の心得のない者でも異様な雰囲気として精神に異常をきたし意識を失うほどの大きさだった。
どれだけ高密度の魔力を貯蔵できるかが魔法使いの力量を示す一つの指針だ。
底なしに貯蔵される濃密な魔力を前に、それだけで恐るべき魔法の使いであると断言できる。
「め、滅相もございません!」
ナイゲルは傘下組織の顔役を張れる程度には魔法の心得がある。
余りに濃密な魔力に充てられて、見事な土下座を披露した。
そして冒頭のシーンに繋がる。
「桜花」
「はい、先生」
「机にある伝達機を持っておいで」
「はい」
執務机の上には音声をはるか遠くまで届ける装置――伝達機が置かれてあった。
大都市ガロナで生計を立てる異世界人――アメリカ人技術者が生み出した、世間一般には金持ちくらしか普及していない高級品である。
見た目も性能も固定電話そのものであるそれをナイゲルの元に置いた。
そしてマウラは心底冷めた表情で告げる。
「今すぐ、クリフォードに連絡しな」
ユーロン・クリフォード。
ガラードの大幹部の名前であった。
上司も上司、雲の上の人物の名を出されたナイゲルは恐怖の余り、滂沱の如く脂汗を流した。