第三話
物事には順序というものがある。
武勇優れる武士であっても、槍の一つもなければ『すわ鎌倉』とはいかないのだ。
圭一郎から懇願された桜花はマウラに『緊急事態です。詳しくは彼に』と圭一郎を押し付け、押っ取り刀で店を出た。
向かった先は【ガーヴァン古書店】である。
そこにいる【相棒】に助力を得る為だ。
驚異的な脚力で爆走し、商店街の一角にあるガーヴァン古書店に辿り着くと、ドアチャイムを鳴らしながら店内に入る。
雨降りということも手伝ってか、客入りは悪く、店内に客は誰もいなかった。
桜花は会計カウンターまで歩み寄ると、そこで店番をしていた少年に声を掛けた。
「ナッシュ君。すわ鎌倉ですよ!」
「いや、意味わかんねぇよ」
金髪碧眼のイケメン少年、ナッシュ・ハイドバーグ(17)は手に持っていた文庫本を下げながら突っ込みを入れる。
桜花は手に持っていた、くしゃくしゃの紙を無言で渡す。
ナッシュはそれを受け取り、書かれていた文字を読んだ。
『娘は預かった。うちの者をブチのめした女にこの手紙を見せろ。娘を返して欲しいならバロバナシティ・ペントナント区23番地12号102倉庫まで女一人で来い。期限は今日の23時まで。守衛隊には知らせるな。仲間を引き連れるな。もし破れば娘は殺す』
雨で少々濡れていたが、はっきりとそう書かれていた。
ここから指定場所まで、車を飛ばせば4時間ほどで着く場所である。
現在の時刻は11時と少し経った頃。
さほど猶予のない期限を設けたことを見るに、とにかく相手を焦らせて正常な判断をさせない思惑だろうが……だが罠満載なのは分かり切っているのに、馬鹿正直に一人で行く訳がない。
そこでこういう状況では無双の活躍を見せるナッシュを雇うことにしたのだ。
「ナッシュ君。救出作戦の協力を依頼します」
ナッシュは真剣な顔付きになった。
「詳しい状況説明をくれ」
「今から凡そ10分前に、はなふじの店内にこちらの脅迫文で包まれた石が投擲されました。そこにある通り、買い出しの為に出かけた所をナタリアが攫われました。恐らくは、三日前にぶちのめした物の道理を理解できない野良犬の仕業と思われます。私たちの恐ろしさを知らないこのような雑な犯行、十中八九、どこの組織に属さない無法集団でしょう」
「もうとっくに拠点に連れ込まれているな。で? 報酬は?」
「予算度外視、私謹製のお肉たっぷりフルコース料理などどうでしょう」
「乗った。準備するから5分待ってくれ」
「40秒で支度しな」
「お前、この状況で余裕だな!?」
超有名な台詞を吐いた桜花に、ナッシュは律儀に突っ込みを入れながら店舗の奥に消えた。
そしてきっかり5分後。
漆黒の戦闘服に身を包んだナッシュが現れた。
その背には黒色のバックパックもある。
バックパックには彼の商売道具――忍具が大量に入っていた。
そう、彼は商店街の人間なら誰もが知る、世を忍ばない金髪碧眼の凄腕忍者であった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
ナッシュの前世の名前は大実ノボル(享年27)といい、魔法も氣功も超能力もない自然科学の世界からの転生者である。
ノボルからすると超常の力は創作物の中での話だ。
物心ついた頃から、そういった娯楽物が好きで好きで大好き過ぎたゆえに、重度の厨二病を疾患し、大学卒業後も就職どころかアルバイトすら未経験で、好きな娯楽物に囲まれる生活をするうちに気付けば二十七になっていた立派なニートであった。
彼の特に好きなジャンルは格闘系である。
その中でも一番ハマっていたのが、㈱ランプがアーケード製品としてリリースした、ロード・オブ・ランペイジ(LOR)という2D格闘ゲームである。この作品、一作目はそれほどヒットしなかったが、二作目は大ヒットした。家庭用ゲームとして移植すれば爆発的ヒット作になり、その勢いで小説に漫画にアニメに映画にと、あらゆるジャンルに進出しどれもがヒットした。
一作目が生まれたのは、ノボルが小学生の頃だ。
27才になる頃にはシリーズも10作品を超え、2Dから3D格闘ゲームに進化し、世界大会も開催されるほどの人気作品となっていた。
残念なことにプロゲーマーになれるほどの腕前はなかったが、一作目からハマり全作品やりこんだ情熱は本物だった。
そんな中、家庭用に発売されたのが【大召喚世界バルバロード】である。
このゲームのジャンルはアクションRPG。㈱ランプが数々手がけた格闘ゲームの中でも特に人気の高いキャラたちが、魔法の世界バルバロードに召喚され、バルバロード出身の主人公と力を合わせ世界を混乱に導こうとする巨悪を退治するというストーリーだ。
ロールプレイングゲームならではの表現、表情豊かで美麗なムービー、お気に入りのキャラたちとの多彩な掛け合い、公式ファンブックでは語られなかった各キャラの過去、手に汗握る奥深いシナリオ設定。
更には格闘ゲームで躍進したゲーム会社だけあって、通常攻撃、コンボ、必殺技、テクニカルな防御など、プレイヤーを飽きさせない繊細で濃密な戦闘方法。
まるでLOR二作目を初めてプレイしたときのように衝撃を受け、盛大にハマった。
ゲーム雑誌のやり込み大賞に応募できるくらいやり込み、大召喚世界バルバロード関連のコンテンツなら片っ端から買い漁った。
ゲーム自体も大ヒットし、ついに映画化されることとなった。
待ちに待ったその映画の上演初日。
このゲームの大ファンであるノボルは当然の如く映画館に向かっていた。
そしてそれなりに人通りのある交差点を渡っている時、通り魔に刺殺された。
どん、とぶつかる衝撃。え、と思ったときは足に力が入らず、倒れこみ、そして脇腹から発する尋常ならざる痛み。
耳朶を打つ女性の悲鳴。
脇腹を触ると――手のひらは赤黒く染まっていた。
そんな中、ノボルは強く思った。
『映画見るまで死ねねええええええ!!』
その怨念とも呼べる強い願いが通じたのか――生まれ変わることになる。
赤子の頃は訳が分からなくてパニックになって泣き喚いたが、1才になる頃には理解し始めた。
金髪の美しい女性とナイスミドルの男性から『ナッシュ』と呼ばれるし、TVから流れる格闘番組のタイトルは【LOR格闘大会】でCGとは思えないリアルなトンデモ技乱舞だし、生まれ育ちはアメリカの架空の州だし、厳つい爺様が枕元に来てあやしながら勝手に語る昔話は滅茶苦茶強かったというご先祖様が打ち立てた忍者伝説だし。
これはどう考えてもLORの人気キャラである金髪碧眼アメリカン忍者ナッシュの設定である。つまりノボルはゲームキャラに生まれ変わったのだ。
ノボル改めナッシュは歓喜した。
歓喜し驚嘆した。
この体は恐ろしいほど才能が豊かだ。顔面偏差値は年を経るごとに上がり、その美貌で微笑めばどんな女も頬を赤く染めた。運動神経もずば抜けて高く数々の武芸もすぐさま習得し、オツムの出来も上等で、砂漠に水滴を垂らすかのように容易く忍術を覚えた。その才能の高さに周りも驚くほどで、大いなる期待もあっての厳しい修行の日々であったが、毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
ナッシュの生まれ育った町は表向き小さな田舎町だったが、その実この町は知る人ぞ知る忍びの里であった。
数多くの優秀な忍びがいたが、それを押しのけて、12才になる頃には歴代でも最高の忍者になる資質があると認められた。
そしてナッシュ15才の時に忍びの最高峰――上忍と相成った。
一廉の忍びである証を得ると同時に、ナッシュは里の長老である祖父の許しを得て、LOR格闘大会に出場することになった。
ナッシュは感謝していた。
前世の両親は冷たい人たちだった。
ノボルであった時、何を成功しても、何を失敗しても、一切興味を示さなかった。
金だけは与えられていたので、それで好き勝手に生きたらニートになっていた。
だがこの世界の人たちは違う。それこそ死ぬような厳しい修行を課すが、それだけではなかった。同じくらい優しかったのだ。
それに何より、この世界は未知の力に溢れている。
忍術という夢と希望を与えてくれたこの世界。
厳しくとも深い愛情を注いでくれた家族の存在。
尊敬する先達と共にあることを誇れる仲間たち。
才能を十全に開花させ育ててくれた環境。
ナッシュはこの溢れ出る感謝の気持ちを現すことは、LOR格闘大会で優勝することだと確信していた。
優勝賞金10億ドル。
桁違いのファイトマネーが手に入るこの大会で優勝できれば、地元を元気に出来る。
かつてはその諜報力を買われて政府に重宝されてきたが、それは今や昔だ。
様々な超能力の発現とそれの研究により、現代のアメリカでは超人――ヒーローと呼ばれる人材が溢れている。
忍者の存在意義は薄れていき、今では町は寂れる一方であった。
優勝賞金で町を再開発して、より優秀な忍者を育てる土壌を作る。
その夢を抱き、予選大会も危なげなく順調に勝ち進み、ついに迎えたLOR格闘大会本選。
運営が発表したトーナメント表にはゲームで見知った名前がずらりと並び、初戦の相手は格闘ゲームLORでも一作目から登場する人気キャラ桜花であった。
これは至極当たり前のことだが――ゲームと現実は違う。
ゲーム知識がそのまま通用しないのは自分という存在がいる時点で分かり切ったことだった。 ゲームのナッシュがLORに出場した経緯は『己の力を示したい』とそれだけで、寂れていく里など一切興味がない設定だった。しかし現実は里の為だ。そしてゲームのナッシュとは違うオリジナル技も数々編み出している。
何をしてくるのか予想もつかない。
もしかすれば、俺と同じ転生者かもしれない。
その疑念が晴れない以上、桜花を含めた本選に名を連ねる見知ったキャラ全員は一切油断ならない相手であった。
だからこそ、初戦から全力全開の本気で臨んだのだが。
結論から言おう。
桜花にぼっこぼこにされた。
当時のナッシュの身長は172センチ、桜花の身長は148センチと、相当な身長差があった。
これだけ身長差があると男女の性別の違いも相まって近接戦では勝負にもならない。
ゲームではないのだから、それはこの格闘世界でも通じる常識で、それを覆すのが超能力といった異能の力による特殊攻撃であった。
だが桜花はバリバリの近接ファイターだ。
対策の為に予選大会の動画はすべて見たが、氣功術というオーソドックスな異能の力は持っていても、ウェイト差を覆すような特殊攻撃は持ち合わせていなかった。
動画を見る限り、卓越した身体能力と技術力があるのは分かる。
全試合のすべてを速攻による急所に一撃という見事なKO勝利を果たしているからだ。
だがナッシュもまた同じように一撃必倒で勝ち上がった体術の達人だ。
お互い体術の達人なら、体格差がある以上、有効な攻撃手段がなければナッシュの勝利は揺るがないのは自明の理だ。
そのはずだったのだが。
ガチンコで掴み掛かって、何をしてもぶん投げられた。
ガチンコで殴り掛かって、何をしてもカウンターでぶん殴られた。
ガチンコで忍術を放って、すべて弾き返された。
見た目からは想像が出来ないほど桜花は、重く、早く、鋭く、硬かった。
近付こうが離れようが対処され無様に蹂躙され……見事にへし折られた右腕とプライド、本選出場のファイトマネー100万ドルを抱えて、失意のまま地元に帰った。
地元の人たちは、たとえ初戦敗退であったとしても、世界一の大会で本選出場という快挙を盛大に喜び、初戦敗退を盛大に慰めてくれたが、それでも気は晴れなかった。
役所に100万ドルをぽんと寄付して、自宅でふて寝を決め込んだ深夜のことだ。
突如襲った、得も言われぬ違和感に飛び起きると、目の前に桜花がいた。
試合では見せなかった、きょとんとした愛らしい顔であったが、ナッシュはトラウマになっていたのか悲鳴を上げて飛びずさった。
その後、すぐさま落ち着きを取り戻すと桜花と話し合い、周囲を探索すると、場所は明らかに無人島であった。
後に判明したことだが、ここは大好きだったRPG【大召喚世界バルバロード】の世界だった。
なんだろう。この節操のない波乱万丈な人生は。