第二話
この惑星は地球と驚くほど似ている。
その分かりやすい例の一つが、時間や暦である。
一日24時間、一年が凡そ365日、うるう年があり、古来から七日を一区切りとし週末は休みとする習慣が根付いていた。
(しかも四季もあり季節の移り変わりが日本と似ているとはなんともまぁ都合のいいことだ)
桜花はそうは思ったが、そういった概念や季節が同じなのは有り難いことである。
ちなみに一週間の数え方は、光・炎・水・風・土・闇・星で、マウラ薬品店の営業日は平日8時から18時まで、闇曜日は午前中まで、星曜日と祝日は休みとしていた。
今日は6月10日、星曜日なので休みだ。
平日は店番か、薬品類を配達したりして過ごしているが、休日の過ごし方は大体決まっている。
マウラと共に新薬の開発研究に打ち込むか、店の奥にある調合室で桜花の命よりも大事な錬金竈の火の番をするか、である。
本日は、そろそろ薬品の在庫が少なくなっていたので、生産の為に火の番と相成っていた。
魔女が扱う竈なのだから、台の上に乗る鍋は成人男性が何人も入るような巨大サイズを想像していたが、実際は一般に使われる竈と変わらない大きさで、その台の上に乗る鍋も一番大きくて80リットルほどの寸胴鍋だった。
一見すると普通だが、しかし錬金と名付けられるだけあって、唯の竈ではなかった。
特殊な素材で出来た特注品で、これでなければ燃え盛る【イフリートの吐息】に耐えられないそうだ。
イフリートの吐息は、魔法耐性のない鉱物ならば如何なる素材も溶かしてしまう熱量を発することができる取り扱いの難しい魔法なのだが、この炎に晒された素材は燃え尽きなければ種類を問わず神秘の力を宿すようになる、まさにファンタジー熱源である。
この竈はイフリートの吐息の猛烈な火力に耐えるだけではなく、竈の中にある限り、そこから漏れる熱量は自然の炎と大差ないが、しかし神秘の力を宿す効果はそのままというファンタジー竈である。
トンデモ性能がゆえに、この竈は金があれば作れるという類のものではない。
桜花の命より大事と、マウラが言い放っても冗談に聞こえない程度には貴重だ。
そして竈の火種となるイフリートの吐息だが、これは精霊魔法の使い手、それも相当な実力者であることを証明する高位の名を冠する精霊師でなければ灯せない。
使用者の力量によって灯せる時間は変わってくるが、マウラは精霊魔法の達人であり、彼女が全力で灯せば一ヵ月であろうと火は絶えない。
しかしそんなことをすれば甚だ疲れるうえに強火ばかりで弱火が出来ない。
それでは作業効率が悪いので、大抵は30分ほどで鎮火する力の入れ具合で灯し、あとは定期的に【魔石】というマナの結晶体を放り込んで火力の調整をしていた。
魔石は文明社会を支える、非常に重要な素材だ。日常品から軍用まで、様々な用途に使われるが、この場合だと魔石は薪の代わりを果たし、その質と量によって火力の強弱が図れる。
桜花がマウラの店で働きだしてから一年が経ち半人前扱いされ出した頃から、錬金竈の火の管理は桜花の仕事となった。
だが火加減をじ~と眺めるだけでは、甚だ暇である。
その為に、火の番をする休日は、竈の傍で椅子に座り、火力ごとに使い分ける魔石を詰め込んだバケツを五つ用意して足元に置き、マウラが世界各地から取り寄せた秘蔵の植物学術書(どれもデカくて分厚い)を膝に乗せながら読み解いて過ごすのが常になっていた。
本に集中する余りまかり間違って火力調整を誤ったり、火を絶やしたりすると、マウラから地獄のような説教と折檻が飛んでくるが、そこは卒のない桜花である。
地獄の修練によって鍛え上げられた脳みそは記憶力抜群で、素材ごとの火の加減は一度教えられれば忘れない。それに変人的な触角は微妙な温度差も的確に感じ取るので、目で見ていなくても、火加減を誤ったことも、火を絶やしたことも皆無である。
最初は桜花の仕事ぶりを胡乱げに見て小言を言っていたマウラであったが、特に問題も発生しなかったので今では何も言わなくなった。
ファルナ商店街の裏手には本屋が軒を連ねる区画があり、マウラの店はそこに居を構えているので、ここら一帯は普段から静粛な雰囲気に包まれていて喧騒とは程遠い。
桜花が本を膝に置いて火の番をして。
もとより口数の少ないマウラが黙々とポーションを調合する。
小さな作業音と魔石が燃える音と本を捲る音が支配する、穏やかな休日。
初夏を前にした雨期とあって、今日は朝から小雨が降り続いていた。
外から聞こえる音は、しっとりとした雨音くらいで、普段よりも静かな日であった。
そんな穏やかな休日が台無しにされたのは、昼時前。
食事の用意は桜花の仕事だ。
そろそろ昼食の準備をしようか、と桜花が思い出した頃に、玄関を激しく叩く音が店内に鳴り響いた。
どのような理由があっても、火の番から離れる時はマウラの許可がいる。
桜花はマウラをちらりと見やった。
その視線を感じ取ったマウラは作業をしながら、素っ気ない声で言う。
「さっさと行ってきな」
「はい、先生」
許しが出たので素早く玄関に向かった。
マウラの怒りの導火線は驚くほど短い。
未だに玄関を叩き続ける音を前にとろとろと行動していると、いつ癇癪が破裂するか分かったものではなかった。
玄関を開くと、そこにはずぶ濡れの男性が立っていた。
「桜花! ナタリアを助けてくれ!!」
食事処はなふじ店主、花藤圭一郎(42)は顔色を真っ青にしてそう叫んだ。
彼の手には、くしゃくしゃの紙が握られていた。
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暗黒街を支配する勢力は、以下の四つによって構成されている。
共和国建国時から存在している十二の古参非合法組織。
何れかの組織の息がかかった傘下組織。
どこにも属さない無法集団。
誰にも従わない一匹狼たち。
彼らの共通点は、誰もが際立った暴力性にあるが、方向性には決定的な違いがある。
管理された暴力か否か。
組織にとっての暴力とはあくまで金儲けの手段だ。
かつて金を求めて異世界人の支配する地域に手を出し、その報復でことごとく悲惨な目に遭った組織は、鉄の掟に『異世界人のシマには手出し無用』と残すことで、構成員を管理してきた。
しかし無所属の無法者にはそんな掟はない。
個人が悲惨な目に遭ったとしても、喉元過ぎれば熱さを忘れる。
教訓を残さなければ容易く忘れてしまうのが人間という生き物だ。
ナタリアを攫ったのも、教訓を残さない――いや、残せない類の人種だった。
暗黒街の北東にある港湾の倉庫街でも一番東側。
そこには地元の不良少年で構成される無法集団【ブラッド・ストーン】がアジトにする倉庫があり、その広い倉庫には、数十人の少年と、十数人の青年がたむろしていた。
種族構成は9割が人族で、残りが獣人族であった。
揃いも揃って人相が悪く、少年組が鉄パイプや長剣などで武装していて、青年組はライフルから拳銃まで幅広い火器を手に持っている。
人殺しなど何の呵責にも思わない連中であることは一目見て分かるし、中にはドラッグをキメて目がイっている者も少なくなかった。
そんな危険な集団の、奥に陣取っている幹部の青年たちの傍に、ナタリアはいた。
粗末な椅子に座らされ、手は後ろ手に椅子に縛られている。
どうしてこんなことになったのか。
理由は、桜花に報復する為だ。
ナタリアを拉致して自分たちの自陣に桜花を誘き出す。
古典的だが、それゆえに有効な手段であった。
ナタリアも両親も、異能も魔法も扱えない普通の人間だ。
買い出しの為に外出したところを数人の男に襲われ、黒色のワゴン車に拉致された時、抵抗する術はなかった。
車内でも碌に抵抗も出来ず、倉庫についても手荒に連行され椅子に縛り付けられ、普通の女の子なら泣き叫んでいる状況だが、気丈なナタリアは泣き言を一切洩らさなかった。
震える体を叱咤して、助けが来るのを黙々と耐える。
そんなナタリアをじっと見つめている二十代後半の男。
名をエルウィンといい、彼がこの集団のリーダーであった。
そのエルウィンの傍にいた、幹部の男が話し掛ける。
「エルウィンさん」
「何だ」
「この娘、ヤッちまわないんですか?」
それを聞いて、ナタリアはびくりと体を震わせる。
「駄目だ」
「どうしてっすか? こんな上玉、早々いないっすよ」
男の言う通り、ナタリアは綺麗な娘だ。
金髪緑眼で整った顔立ち、体型もすらりとして出ている所は出ている。
無法者の集団を団結させるのに女を、それも別嬪を強姦させるのは有効な手段だ。
だがそれをさせない理由がエルウィンにはあった。
ナタリアの美しい緑眼にかんばせと、笹の葉のように長い耳だ。
それを見たエルウィンは『お前は純血のエルフか』と静かにだが恫喝した。
気丈なナタリアは小さく震えながらも『混血よ』とだけ答え、それ以降は何を言われても口を閉ざした。
周りにいた部下はその態度にいきり立ったが、エルウィンはそれが知れただけで十分だった。
「こいつは唯の美人とは訳が違う。混血とはいえ、純血並に耳が長いエルフだぞ。傷物になったら安く買い叩かれる」
ナタリアの母親、メアリは混血エルフだ。
純血エルフは透き通るように白い肌と美しい緑眼とかんばせ、笹の葉のような長い耳、千年を超える寿命と成年期のまま老いることのない身体的特徴を持つ長命種である。
だがエルフを含め長い寿命を持つ妖精族の多くが、混血となると、その途端に長い寿命を失い人間よりも少し長い程度となり、その身体的特徴も代を重ねるにつれ失っていく。
遠い昔に先祖が純血エルフだったメリアは長い混血の末、青味の強い緑眼に小さく尖った耳と、エルフの特徴は大分薄れてしまっている。しかしそれでもエルフの血を引いている影響で、四十代だが未だに二十代後半の見た目と若々しい。
だがナタリアは、純血エルフのような美しい緑眼と長い耳を持って生まれてきた。
それは即ち、寿命は人族と大差ないだろうが、若々しい姿が相当長く続くということの証明に他ならなかった。
純血エルフは森林の民で滅多に人里には現れない。そのうえ純血に連なる者は総じて精霊魔法を得意とし非常に高い戦闘力を誇る。
それを考えれば、ナタリアは非常に物珍しい容姿をしたうえに非力な娘となる。
エルウィンにとって、これだけ都合の良い女は早々いない。
ナタリアを娼館に売り飛ばせば、今まで手にしたことのない大金を得るだろう。
「こいつは金の卵だ。手ぇ出したらぶっ殺すぞ」
「う、うっす。すんませんっした」
「それと、桜花ってガキも駄目だ。アレは先生の獲物だ。上手くさばけば縄張りの件も含め大金が手に入る。それで我慢しろ」
男は【先生】という台詞を聞いて、震えながら納得した。
大金が手に入る算段が付いたのは久方ぶりで、分配される金額も期待できる。
それで質のいい女がいる娼館にいこう、と思い直した。
エルウィンは物静かな男だが、無法集団の頭を張るだけあって本性は凶暴だ。下手に抗議して怒りを買うと、見せしめに殺され兼ねない。
そして何よりも、先生と呼ばれた四十代の男――ケイラーの不評を買うのが恐ろしかった。
エルウィンが半年前に突然雇い入れた素性不明の用心棒。
一見すれば、腹の突き出た冴えないハゲ親父だが、その正体は相当な実力を持った魔法使いだった。
ケイラーは凶悪で残虐な魔法を惜しげもなく披露し、ここら一帯の敵対集団を駆逐して回った。半年前まで構成員18名だったのが、今では86名まで膨れ上がったのも、ケイラーの力があったからだ。
大手の組織でしかお目にかかれないであろう魔法の腕と凶暴性を兼ね備えた男。
これだけの腕を持っているケイラーがブラッド・ストーンの元にいるのは、今まで彼の好みの女性を宛がっていたからだ。
ケイラーは生粋のロリコン野郎だ。
12~16歳まで、それも線の細い少女にしか性的興奮を覚えないこのド変態を満足させる為に、変態御用達のロリコン専門娼館に連日連れて行き、時として潰して回った敵対集団の家族を襲ってケイラーに与えてきた。
そのケイラーの獲物だという桜花に手を出せば、エルウィンに殺されるよりも一層酷い殺され方をするだろう。
冗談じゃない、と男は震えあがった。
要らない不評を買う前に、自分の役目を果たそう、と突っ立つ事にする。
エルウィンはそんな部下を眺めながら、人質を取ったうえに全メンバー武装という大仰な作戦を立てる原因となった、桜花なる人物について考えを巡らせていた。
全メンバーに召集を掛ける三日前。
エルウィンと幹部たちは、飲食店で遭遇した桜花について聞き及んでいた。
情報源は、桜花に二の腕を砕かれた下っ端だ。
彼はどさくさに紛れて逃げることに成功し、這う這うの体でアジトまで戻ると、エルウィンに泣きついた。
『桜花とか呼ばれていたクソみてぇに強えクソガキに兄貴もバッカもぶちのめされた。俺は逃げ切れたが、二人は【あそこ】の守衛隊に捕まったから豚箱行きは免れねぇ』
暗黒街を筆頭に反社会シンジゲートの支配地域にいる守衛隊など飾りだ。
どいつもこいつも組織の影響で悪徳に染まっている。
賄賂なり何なりで助け出せるが……
異世界人たちの管轄内はその限りではない。たとえ潤沢な資金や後ろ盾があろうと、コネも賄賂も一切受け付けず、むしろ罪を重くするだけの、非常に優秀な治安機能が働いていると伝え聞いていた。
強大な力を持つ古参組織であっても、その有様なのだ。
どの組織にも所属していないただの荒くれ物の集まりである自分たちなど、手助けする手段など皆無だった。
いきり立つ幹部たちを余所に、エルウィンは冷徹な表情だった。
周りにいる馬鹿よりも、エルウィンは少しだけマシだった。
本来では、軽く脅しをかけ、そこから徐々に嫌がらせなどで追い詰めるという計画だったのだ。異世界人が息のかかる地域は治安がいいのだから慎重にやれといったのに、それが守衛隊に捕まる状況になったのだから、現地に向かわせた幹部が匙加減もできない阿呆だったと呆れるしかない。
そしてもう一つ、重要なことがある。
それはこの世には人知が及びもしない化け物がいる、ということだ。
そのことをエルウィンは身を持って知っていた。
エルウィンがまだ洟垂れの十代前半の頃。
古参組織と新興組織の抗争を目撃して、それを思い知った。
百人以上はいた新興組織の戦闘員を、たった一人の古参組織の魔術師が蹂躙する。
古参組織の魔術師が繰り出す数々の魔法の前に、魔法使いがいなかった新興組織の者たちは成す術がなく、また銃弾の嵐で反撃しても、魔術師が繰り出した障壁魔法の前に悉く弾かれ傷一つ付けることも敵わなかった。
文字通りの蹂躙。ものの数分で、新興組織の戦闘員は皆殺しにされた。
最高位魔術師――それが化け物の正体だった。
魔術師・精霊師・召喚師はその力に応じて最高位・高位・中位・下位と位階が定められ、使徒は神階一位~七位と位階が定められている。
最高位を冠する魔法使いはまさに一騎当千に偽りなし、使徒の神階一位に至ってはお伽話か経典で記されるような正真正銘の神の代理人であるのだとか。
その抗争はたまたま目撃したものだったが、小便を漏らすほど恐ろしいものだった。
エルウィンはその数年後、ブラッド・ストーンを立ち上げ、地元では新進気鋭の無法集団の頭と知られ出したが、それでも過去の光景から、絶対に古参組織に目をつけられないように生きてきた。
古参組織には、その末端の小さな傘下組織であっても、高位魔術師が一名はいる。
彼らの勘気に触れれば、俺たちカス集団など数分とかからずに壊滅する。
成り上がる野望を燻らせながらも、そう強く自戒していた。
だがその転機が訪れたのが、半年前である。
地元の酒場で酔っぱらっていた魔術師――ケイラーとの出会いだ。
彼は本島出身者で、高位を名乗ることを許された実力者であったが、年端もいかない少女を多数強姦していたことが世間にばれ、守衛隊に捕まる前に本島から逃げ出した、という典型的な身持ちの崩し方をした犯罪者であった。
この偶然の出会いを、エルウィンは見逃さなかった。
ケイラーは暗黒街に転がり込んで日が浅く、まだどの組織もその存在に気付いていなかったが、フリーの魔術師、それも高位魔術師を見逃す理由などない。すぐさま取り込まれるのは目に見えていた。
エルウィンはケイラーに一等良い酒を奢り、更に強か酔っぱらわせて転落人生の切っ掛けとなった性癖を聞き出し、自分の持てるすべての資金とコネを使って、年端もいかないガキばかりを集めた暗黒街きっての変態ご用達の娼館に連日連れ回し、ケイラーを籠絡した。
結果は上々、ブラッド・ストーンは快進撃を続け順調に大きくなっていった。
だがそろそろ限界を迎えていた。
これ以上、勢力を拡大させるには地元の古参組織の利権に食い込む必要がある。
しかしそんな真似をすれば、如何にケイラーがいようとも、叩き潰されて終わりだ。
そんな時に思い付いたのが、隣の大都市ガロナの存在だ。
あれだけ繁栄するシノギの場所なのに、どの古参組織も手を出したという話を聞いたことがない。
これを好機と見て、部下を様子見に向かわせたのだが――結果は散々だった。
当初は『うちでも3丁しかない貴重な拳銃を持たせておいてガキの使いもできねぇのか』と悪態をついたが、三人組をぶちのめした桜花という少女の話を聞いて、眉を顰めだした。
異世界人は常識では測れない人物で溢れているというのは有名な話だ。
その中には強大な力を行使する、魔法使いどもに引けを取らない猛者もいるという噂がある。
更に詳しい話を聞き出し、どうやらその噂は本当らしい、と確信した。
見た目は別嬪なガキでも、中身は化け物だ。
近接戦に特化した魔法使いを彷彿とさせる実力があるのは明白だった。
蹴りと投げ技だけしか見せなかったようだが、他にどんな隠し玉を持っているか知れたものではなかった。
これ以上手を出せば火傷では済まない可能性が高い。
引くのもまた、一手だろう。
しかしどんな理由があれ、部下がぶちのめされた以上は、何かしらの行動を起こさと下に示しがつかない。
暴力を糧に生きる者は、舐められたらそれで終わりだ。
例えどんなリスクを払おうとも、時として報復を行わなければならない。
それにこれは好機とも言えた。
悪徳と暴力が渦巻く暗黒街でもあるまい、桜花のような化け物が早々いるとは思えない。今まで大都市ガロナが手出しを敬遠されいたのも、賄賂を受け取らない優秀な守備隊が組織されていたからだろう。こちらには大手組織のようなコネや資金や人材はいないが、その代わりフットワークの軽さがある。目立たぬよう悪辣に働き、やばくなれば逃げればいいだけだ。
それに聞く限り、目をつけた飲食店の従業員は相当な別嬪だという。
その娘を攫い、人質とする。
如何に強大な力の持ち主でも、人質を前にすれば軽率な行動は取れなくなる。
だが人質を物ともしない戦闘狂を想定しての、このメンツだった。
下っ端に持たせている獲物はブラフだ。
連中の役目は肉壁となっての足止めである。
その隙に、倉庫二階の居住区で待機しているケイラーが不意打ちで魔法を喰らわせる。
本命はケイラーが最も得意とする魔法【上級:元素魔法:雷撃の矢】だ。
数ある元素系攻勢魔法でも雷系は最速を誇り、狙撃銃から放たれる弾丸以上の速度で飛来する。一度放たれたそれを、気付いてから避けるのは不可能である。
まして不意打ちとなったら確実に食らうだろう。
更に雷系の優秀な所は、熟練者となると微妙な威力調整が可能となることだ。
麻痺から感電死まで任意で変更できるという捕獲用には最高の魔法と言えた。
人質を売り飛ばして大金を得て。
別嬪の化け物をケイラーに差し出して満足させ。
悶着を起こした飲食店を起点に縄張りを作る。
一石三鳥を狙ったこの報復はメンツの回復だけを目的に起こした訳ではない。
最重要は縄張り作りにある。ブラッド・ストーンがただの集団から組織へと成り上がる足掛かりを得られるかどうかの分水嶺だ。
これがエルウィン含めた魔法の心得のない部下だけなら、人質を取ろうとリスクが高すぎる。部下が騒ごうが、報復は諦める。
しかしこちらには高位魔術師という切り札がある。
エルウィンは失敗するはずがないと確信していた。
桜花が大暴れするまでは。