アッシュ、保護される。
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オレは、賢い猫だ。「痛い!」と言われれば噛むのを止めるし、飼い主がへこんでいれば近くに寄っていってこの滑らかな毛並みを撫でさせてやれる。
オレが生まれたのは2021年の3月某日。野良猫としての誕生だった。兄弟はもう一匹の白トラ猫。しばらくそいつと母親猫といたが、気がついたらよくわからないニンゲンと共に暮らしていた。オレは何せ幼かったから記憶が曖昧なんだが、一年後には野良猫としてシャバに舞い戻っていた。元々餌をくれていたニンゲンは大騒ぎしていたが、オレにはあまり関心のないことだった。
「すずちゃん! 戻ってきたの⁉」
「首輪してるわ! 電話番号書いてある! かけてみましょ……あら、繋がらないわね……。」
中途半端に人慣れしたオレは、通行人を見極めてはすり寄っていって、餌をもらったり、元々餌をくれていたニンゲンからも餌をもらったりしていた。そうして、いつの間にか首輪も取れ、自他共に認める野良猫として暮らし始めた。その縄張りには兄弟猫もまだ居て、母親猫は、よい縄張りをオレたちにくれて、どこかよそへ行ってしまった。
そうして縄張りの猫たちと気ままに暮らしていた時に、そいつはやってきた。その日は花火大会で、音に敏感なオレたち猫はみんなビビり散らかしていた。ドーン、ドーンと地面を揺らす音が響く。オレは気をつけながら、縄張りをパトロールしていた。
「あっ! 猫ちゃん! ……おいでおいで~!」
友好的なニンゲンみたいだ。いつもみたいに餌にありつけるかなと思って、近づこうとしたが……、ドーン!一際大きな音がして、オレはうっかりその場から走り去ってしまった。
「……今の子、寄ってこようとしてた……?」
ニンゲンが何か呟いていたがそれどころじゃない。でかい音は遅くまで鳴り響いていた。しくじったな。いつもより美味しいごはんにありつけたかもしれないのに。そんなことを考えていたが、意外にもそいつとの再会はすぐだった。よくわからないが、ここはニンゲンがよく通る獣道らしい。
「あら! シャムさん! この前も会ったね! おいでおいで!」
「にゃー。」
たまにはリップサービスも必要さ。野良猫界でも有数の毛並みの良さを披露する時がきた。
「毛並み、とぅるっとぅるだねぇ。ねえ、君飼われてるの? 首輪はしてないみたいだけど……。」
オレは野良猫さ。だけどニンゲンにはオレたちの言葉は伝わらない。
「シャムさんに聞いても解んないよねぇ、よし、こうなったら……!」
そのニンゲンは、すぐわきにある民家に向かうと、呼び鈴を鳴らした。そんなことしたら、オレたち猫は追い払われちゃうだろ! 焦りながらも動向を見守る。
「あっ! ごめんください。今お時間よろしいですか?」
「いいですよ。」
インターホン越しにここらじゃ猫嫌いで通ってる奥さんの声が聞こえる。
「ありがとうございます、えっと、わたし海谷と申しますけれども、そこにね、猫ちゃんが居て。お宅様、猫飼ってらっしゃいますか?」
いきなり何を聞きだすんだ。
「よく聞かれるんだけどね、うちでは飼ってないのよ。餌あげる人が居るみたいでね、庭に糞とか尿とかされて困ってるのよ。」
「なるほど! 実は私、全部の猫は無理なんですけど、一匹捕まえられそうな子が居るので保護しようと思ってるんです。」
「あら、助かります!」
「ホントですか? 良かったぁ。あっ、だけどね、捕まえるのにね、道路汚さないようにするんで、餌付けの許可を頂きたくて。大丈夫でしょうか?」
「連れてってくれるんなら何でも協力しますよ!」
「わぁ! 助かります! また進捗報告に来ますね。お邪魔しました。」
どうやらこのニンゲンはオレを保護しようとしているらしい。まっ、待遇と、うまい飯次第かな。あとはうんと可愛がってくれなきゃ。そいつはその日、ひとしきりオレのことを撫でて、餌はくれずに帰っていった。
ちょっと難しい話をすると、野良猫の所有権は餌をくれているニンゲンにあるらしく、そのニンゲンの許可が取れないと窃盗の様な扱いになるらしい。だから飼っているニンゲンがいないか、餌をくれているニンゲンがいないか、確認しなくてはならない。
「シャムさ~ん! そこに居たの?」
「にゃー。」
草むらから顔を出すと、そのニンゲンは嬉しそうな顔をした。
「今日も会えたね。」
ここのところ、こいつは毎日ここに来ている。でも餌はくれないんだ。
「ごめんねぇ、目処が立たないと餌付け開始できないんだよ。けど痩せてないし、毛の色艶もいいし、シャムさん誰かから餌はもらってるね?」
ぎくっ。確かに毎朝、毎晩、餌はもらっている。けどこいつはそれを知らない。そんなことを言いながらそのニンゲンはずっとオレを撫でていた。その時だった。
「ネコちゃん、あなたスキ?」
片言の日本語で、そのマダムは話しかけてきた。ニンゲンは物怖じもせず言う。
「ハイ、好きです!」
「コノコ人懐っこいデショ。」
「すごく人懐っこいです。この子なら捕まえられそうだから、保護したいと思ってて。それで、野良猫の所有権って餌をあげてる人にあるから、餌をあげてる人が居ないか探してるんです。」
「ソレだったら、Aさんがよく知ってる。生まれた時カラ知ってる。」
「えっ! そんな方が居るの? どうしたら会えます?」
「コノ時間帯、いつもエサやりに、くる。待ってれば会える。」
だけど、数日通っても、そいつはAさんとは会えなかった。
「ワタシも会えてない。Aさんが大丈夫か、心配。コロナもある、心配。」
マダムはそいつが待っているとたまに来て、Aさんと会えたか確認してくれていた。
「ゴメンね、連絡先、知らない。連絡できない。こうなるワカッてたら、交換してたのに。」
「いえいえ、待ちますよ。大丈夫。」
けど、マダムと話をするうちに、判ってきたこともあった様だ。
「すずちゃん、人に慣れ過ぎてる、悪いヒトに捕まらないか、Aさんもワタシも心配してた。けど私、もう三匹飼ってる。もう飼えない。Aさん、三匹飼ってた、一匹亡くなった、一匹保護したい病気のコいる、飼えない。心配してた。すずちゃん飼ってくれるなら、ありがたい。」
一週間ほどAさんを待ち続けて、そいつは覚悟を決めたみたいだった。
「シャムさん! 私の家に必要な猫グッズが揃ったから、まだAさんとは会えてないけど、餌付け始めることにしたよ! まずはタオルケット敷いた上に餌のお皿置くね。はい、どうぞ。」
そいつが用意したのは安物の餌だったが、まあ悪くない。全部食べてやった。一部他の猫にも取られたが。そうして三日ほど夕方に来てはタオルケットを敷いた上にお皿を置いて、そいつは餌をくれた。
「ふふーん。これでシャムさんの匂いがタオルケットに付いて、キャリーケースで餌付けする時にも安心させる作戦なのだ!」
それ、オレの前で言って良いのか? まあ好きにしてくれ。オレは旨いもんくれればそれで良いんだ。
次の日、そいつは何やら箱の様なものを持ってきた。ははーん。これがこの前言ってたきゃりーなんちゃらだな?
「ほぅら、シャムさん。手前の方に餌皿置いといたよ、食べられるかなぁ? 他の子達はゴメンねぇ。Aさんから餌もらってね。」
オレはいい匂いに釣られて、箱の開いた口に首を突っ込む。
「シャムさん……! いきなりだね! 警戒心ないの、君⁉」
警戒心はあるさ。だから別の通行人や自転車が通る度に箱から顔を出して周囲を警戒する。「こいつ」は、餌を食っているオレの背中撫でたりしてるけど、もう放置だ。オレの虜だからな。害はない。
「ねぇ、シャムさん。」
食いながら、耳だけ傾ける。
「あのね、シャムさんの名前考えたの。……聞いてくれる?」
聞くだけ聞いてやらん事もない。
「……アッシュ(ASH)、っていうんだけど。どう?」
どうと言われてもな。
「瞳の色、きれいなブルーでしょ? だから青の名前から取りたくて。『ブルー・アッシュ』っていう、グレーがかったブルーの名前があってね。それから取ったの。」
ふーん。シャレてんじゃねぇの? オレは餌を食うのに夢中だ。
「反応ないねぇ、まぁ、猫ちゃんなんてこんなものよね……。」
そいつはちょっと寂しそうに呟いた。そうして、そいつは、毎日少しずつ皿の位置を奥にずらしていって、オレは餌付けされていった。そして、その日は雨だった。
「(ピンポーン)あっ、すみません奥さん。私、海谷です。猫を保護しようとしている、海谷です。今とうとう捕まえられそうで、軒先お借りしてもいいですか?」
「いいわよ!」
「ありがとうございます!」
オレはいつも通り餌に夢中だった。
「ちょっとお尻はみ出してるし、しっぽ挟みそうだね。ちょっと押しますよぉ。ほいっと。しっぽも、しまって。」
ガチャン。扉が閉まって、オレは反射的に扉の方を見た。
「アッシュ~、大丈夫だからね。ちょっと待ってね、奥さんにお礼言わなきゃ……。(ピンポーン)度々失礼します、海谷です。無事捕まえられました!ありがとうございました!」
「あらぁ! おめでとう!」
「助かりました!じゃあこれから動物病院行くんで、電話だけかけたら、おいとましますので。」
「はーい。よろしく!」
オレは鳴きもせず、暴れもせずにじっとしていた。
「えっ? 今日行ったらダメなんですか? ……一週間は人の気配に慣れさせてから? はい、はい……。」
こいつは知らなかった様だが、動物病院によっても対応が違う。即日健康診断や不妊手術をしてくれるところもあれば、今回の様に、一週間慣れさせてから連れてこいという所もあるのだ。幸いにも隔離スペースがあったので、オレはでかいゲージの中に隔離されることになった。
「ゴメンね、アッシュ。ノミとか居ると、移っちゃうといけないらしくて。大人しくしててね。」
新鮮な水も、食べ慣れたごはんも出てくる。乱暴もされないし、それにここはクーラーも効いていて暑すぎない。快適だった、あの日までは。
「みゃお~ん‼」
「アッシュぅぅ! 我慢してぇぇ!」
何て事だ! オレたちは、水が身体にかかるのが一番嫌いなのに‼
「ノミ取りシャンプーさせてぇ‼」
させてたまるか!お前の肩の上に登ってまでオレは抗議するぞ‼
「痛い痛いアッシュ‼ 爪が! 食い込む‼ 背中登んないで‼」
「みゃお~ん‼」
ゴオーーーーーー。と、ゲージに逃げ込んだオレに容赦なくかけられる熱風。巷では、ドライヤーというらしい。
「アッシュ、ゴメンねぇ。でもこれで、部屋のなか自由自在だよ。」
言葉通り、オレは晴れて自由の身になった。家からは出してはもらえなかったが、この家にあるどんな場所でも行けるようになった。興味津々のオレについて回って、こいつも楽しそうだ。
「アッシュ~楽しいねぇ。」
「みゃっ!」
「よくお返事する様になってきたねぇ。」
それはお前がよく話しかけるからだ。
「明日、初めての病院だけど頑張ろうねぇ。」
今のオレには怖いものなどないぞ。
「アッシュ。大人しいね。ごめんね、洗濯ネットになんか入れて。」
「どのくらい暴れるか判んないからねぇ。最初は入れてもらってるんですよぉ。」
言っとくけど怖くなんかないからな!
「今ね、便検査してるけどね、すごいよ。何にも見えない。たぶん大丈夫。」
「ホントですか⁉ やったぁ! アッシュ、トキソプラズマも寄生虫も確率低いって!」
「えぇと、あとは、とりあえずノミ・ダニ取りの薬を首の付け根につけてっ、と。あと爪切りしておこうねぇ。」
おっとりした口調に似合わず、この男、出来る……ッ!止めろ!爪を切ったらこいつの背中に登れないじゃないか ‼
「おーっと。これは一人では切れないねぇ。しばらくはここに切りに来る方がいいねぇ。」
男がオレのことを羽交い締めにして、もう一人の女スタッフがオレの爪を切る。
パチン。パチン。シャー!
「おっと。もうちょっと押さえつけるよ~。」
「先生すごい……。これは私一人じゃ無理だわ……。」
「でしょお?」
爪切りに疲弊したオレの体力を考えて、急がない検査は後回しにした。結局、後日また動物病院に行く羽目になった。
検査の結果、猫エイズ・猫白血病は両方陰性、五種ワクチンというモノを背中に注射して、その日はおしまいになった。もちろん、注射されても大人しくしてたぞ。
「この子は、元野良猫だとは思えないほどイイコだねぇ。」
「ほんとですね。助かります。」
オレをそこら辺の野良猫と一緒にされちゃ困るぜ。
「アッシュ? どうしたの⁉ シーツが血まみれ! 病院行こう!」
それから数日経った日の事だった。
「外で怪我でもしたのかな? と思って様子見してたんです。でも、今日結構な量の血が付いてて!」
「どこも怪我してないねぇ。これは膀胱かもねぇ。おしっこの検査してみようねぇ。」
「あぁ、炎症反応出てるね。膀胱炎だね。野良猫はね、バイ菌入りやすいからね。止血剤と、抗炎症剤と、ビタミン剤も打っとこう。はぁい、アッシュくん、チクッとするよぉ。」
痛いな。でも大人しくしてるオレ偉い。
「あっ、先生! 目も! 赤い目やにが出てるんです。気になって。」
「あぁ、赤いのは結膜炎だね。目薬注せそう?」
「がっ、がんばります!」
「じゃ、出しとくねぇ。」
なに⁉ 目薬だと⁉ 嫌いなんだよなぁ。目が濡れる感じが嫌いなんだ。
「フード何あげてますか?」
「えっと、○○あげてます。」
「うーん。そのフードだと血尿と尿閉のリスクがあってねぇ。今回膀胱炎のためのフード出しますんで、元のフードはあげても一割混ぜるだけにしてください。」
「解りました。ありがとうございました。」
このフードが旨かったんだなこれが。
「ガツガツ食べるねぇ、アッシュ。」
旨いからな。身体が求めてるのかもしれねぇ。
「食べ終わったら、目薬注そうねぇ。」
げっ。ついに来たか。
「アッシュぅぅう! じっとして! 病院じゃあんなにお利口にしてたじゃん‼」
暴れまくって噛みまくって抵抗したが、注されてしまった。そのうち目薬を注されるのも慣れてくるんだが、それはまた別の話だ。
「うん、膀胱炎のほうも軽症になってきたし、去勢手術、大丈夫だと思いますよ。うちは予約がいっぱいでしてあげられないのが申し訳ないけれども……。」
「いえいえ、そんな!手術してくれる病院も見つけたんで大丈夫です。」
どうやらオレは、近々玉無しになるらしい。手術の日は、すぐに訪れた。
「アッシュ~。無事に帰ってくるんだぞ。」
大丈夫だ。何せオレだからな。無事に決まってる。安心して待ってろ。
「今、麻酔効いてますので、今夜は餌をあげなくて大丈夫です。」
朧気な意識の中で、聞き覚えのある声が聞こえる。
「アッシュ~! お帰り‼ 無事に戻ってきてくれてありがとう!」
だから大丈夫だって言ったろ?
「今日、送り出してから生きた心地がしなかったよ。アッシュが死んじゃったらどうしようって。」
野良を生き抜いてきたんだ、そう簡単に死なないよ。
「アッシュ。アッシュは私より早く死んじゃうけど。私、アッシュと出会わなければ良かったなんて絶対思わないよ。だから思い出たくさん作ろう。楽しく暮らそう。これからも、よろしくね。」
旨い飯あるんだろうな?頼むぜ?