第6話 誠司の心配
ひかりが模擬店のウェイトレスをしている間、誠司は三組の前をずっと犬のようにうろうろしていた。
十二時のチャイムが鳴った。
ひかりと楓が出てくるのを今か今かと待ちわびていると、楓がウーンと伸びをしながら教室を出て来た。
「ああ、おわったー」
疲れた様子でそう言って教室から出てきた楓に続いて、ようやくひかりも出てきた。
ひかりは誠司に気付くとパッと笑顔を咲かせて駆け寄って来た。
「誠司君、お待たせ」
「お、お疲れ様。それで、それでどうだった?」
誠司は気になって仕方がない。
ひかりは眩しい笑顔を見せて、その様子を話した。
「もう大変だったよ。お客さん多くて」
「そ、そう、それで何か変わったこととかなかった?」
誠司はひかりのその刺激的なメイドっぽい姿にあらためて心配になった。自分はしっかり目に焼き付けたいと思う一方、他人の目には触れさせたくなかった。
「うん、特には。ただ忙しかっただけ。でもそういえば……」
「な、なに? 何かあったの?」
不安を顔に出しつつ、身を乗り出して誠司が訊く。
「そう言われれば、新君が写真を撮ろうとしてるお客さんにずっと注意してた」
そこに楓も話に入ってきて、先ほどの勇磨の様子を話しだした。
「そうそう、新ったらお客さんに馬鹿とか帰れとか言って怒ってたわ。そんで途中から面倒臭くなったのか、携帯取り上げて段ボール箱にゴミみたいに放り込んでたわね」
楓の説明を聞いて、誠司の頭の中に奮闘している勇磨の様子が浮かんできた。
「喧嘩腰で、帰りに持って帰れって。めちゃくちゃ感じ悪かったわ」
楓の言うとおり、客を客とも扱わずに叱り飛ばしたに違いない。どうやら義理堅く約束を実行してくれていたらしい。
誠司は心の中で勇磨に手を合わせた。
「ねえ、楓、それってヤキモチ焼いてたんじゃない? 楓のこと誰かにとられるって思ったんだよ」
ひかりはまたとんでもないフォローをいれた。
楓がとんでもない勘違いで突っ走るきっかけは、この天然美少女が原因のことが多いのではなかろうか。
「やっぱりそうか。そうよねー。もう、男のくせに嫉妬するなんてダメなやつね」
そう言いつつも、楓は眼をキラキラさせてうふふと笑う。
「だけどなんか可愛いわね。そんなに思われたらちょっとだけ心動いちゃうかも」
「わかる。楓って一途な感じに弱いよね」
楓の妄想は膨らませるのに、ひかりが一役買っているのは間違いない。
二人は一緒になって妄想をどんどん膨らませていく。
誠司は自分可愛さもあり、この件に関して何も口を挟まなかった。
「誠司君、じゃあまたあとでね」
そしてひかりは楓の肩を抱いて、何やら楽し気に盛り上がりながら着替えるために階段下へと消えていった。
すまん。勇磨。一生恩に着る。
誠司は疲れ切って教室から出てきた勇磨に、心の中で手を合わせた。
「はー、疲れた。なんなんだあいつら、写真撮りに来てる奴らばっかりだった」
勇磨は肩をほぐすように腕を回してからウーンと伸びをした。
「誠ちゃんの言ったとおり、できる限り写真は防いだぜ」
「うん。聞いた。ほんと助かったよ」
「あとしゃべりかけようとしてる奴にもしゃべるなと言っといた。ただ飲んで食って金を置いて早く出てけって」
「素晴らしい。お前は天才だよ」
「まあな。気が利くだろ」
勇磨は誠司に褒められてなんだか嬉しそうだ。
「この調子で次も頼むな」
誠司はサラリと言ってから親しみの笑みを浮かべた。
「ああ、まかせとけ。って今なんて言った?」
「頼むよ。今日と明日だけだ」
「おまえ時任が絡むと人が変わるな。恐ろしい奴だ」
勇磨はひきつった顔で誠司に不満をぶつけた。
「どんだけ大変だと思ってんだ。たこ焼き五人分じゃ割に合わねーよ」
「わかった。アイスとコーヒー牛乳もつける。な、頼むよ」
誠司は勇磨を拝むようにして手をこすり合わせた。
ここで勇磨に手を退かれたら、間違いなくひかりがどこぞの馬の骨の餌食にされる。とにかく誠司は必死だった。
あまりに必死にお願いされて、気を良くしたのか、それとも誠司が気の毒になったからなのか、勇磨は渋々ながらも最後は折れた。
「しょうがねえな」
「やってくれるか?」
「ああ、仕方ない。誠ちゃんの頼みじゃなかったら断れるのに……」
ぶつぶつ言いつつも勇磨はあきらめたようだ。
「まずたこ焼き五人前からな。おれすげえ腹減ってんだ」
「分かった。ついてこい。食ってまた頑張ってくれ」
誠司は勇磨を引き連れて、林由美の焼くたこ焼きを買いに行った。
そして午後三時過ぎ。
これは……なんか緊張するな……。
誠司は勇磨がくすねた整理券で三組のカフェのテーブルについていた。
向かいにはボーイ姿の勇磨が座っている。
入店して三十分しか席にいられない決まりだが、勇磨は整理券を二枚くすねていて、これで一時間いていいだろと、受付の男子を押し切ったのだった。
誠司は普段はきちんと決まり事を順守する性格だったが、ひかりのこととなると話は違った。背に腹は代えられないと、勇磨のやることに賛成したのだった。
朝の時と同じく、この時間も教室は満席になっていた。
誠司はピリピリしながら、アンテナを張り巡らせる。
そして大勢の客を捌くため、皆が忙しそうにしている中、ダルそうに座ったままの勇磨に、誠司は素朴な質問を投げかけた。
「おまえ、仕事しなくていいのか?」
「いい。適当に抜かないとやってられないよ。誠ちゃんのせいだからな」
本当は駄目なのだろうが、誠司も責任を感じていたのでそれ以上言わないことにした。
そこへひかりが少女漫画の世界からたった今飛び出してきたかのように、誠司のテーブルに注文を取りに来た。
「ご注文はお決まりですか?」
きっと誠司がお客さんで来たことに、嬉し恥ずかしなのだろう。
メイド風の衣装と相まって、可愛すぎるうえ刺激的なその姿に、誠司はしばらく見とれてしまう。
誠司が言葉を失ってひかりに目を奪われていると、勇磨が割って入ってさっさと注文をした。
「おれはクリームソーダとフライドポテト。あとプリンも」
面倒くさそうに注文を済ませた勇磨に、この可愛さを前にブレないすごい奴だと誠司は感心した。
「言っとくけど、誠ちゃんのおごりだからな」
「分かってるよ。あの……じゃ、ホットコーヒーと抹茶ケーキをお願いします」
ひかりは注文を繰り返して、誠司にお待ちくださいとにっこり微笑んで戻っていった。
駄目だ。あんなに無防備な姿を獣たちの前に晒すわけにいかん。
あらためてそう思い、誠司は周りを見回した。
男しかおらん。
誠司の目にはここにいる全員、盛りのついたケダモノに見えた。
他の客に呼ばれて、ひかりは愛想を振りまきながら注文を取りに行く。
「ねえ? 写真撮っていい?」
早速どこぞの馬の骨がひかりに話しかける。
予想はしていたが、想像していた10倍は嫉妬した。
「勇磨出番だぞ」
誠司は早く行けとせかした。
「はー。ゆっくりさせてくれよ」
勇磨はつかつか歩いて行くと、よこせと言って携帯を段ボール箱にゴミみたいに投げ入れた。
「なんだよ、写真禁止って書いてなかったぞ」
「やかましい!」
午前中ああいう手合いにさんざん吼えていたのだろう。手慣れた感じで一喝して勇磨は戻って来た。
「ずっとこれだよ」
腰を下ろした勇磨は、いい加減にしてくれと、うんざりした顔だ。
そして今度は漫研風の連中が、楓に携帯を向けて写真を撮り始めた。
「あ、今度は橘さんが撮られてるみたいだ」
「おいそこ! 何撮ってんだ!」
勇磨はまた席を立って、有無を言わさず携帯を取り上げて戻って来た。
そして腰を下ろしかけたときに、すかさず誠司が声を上げる。
「勇磨、今度はひかりちゃんが」
「やめろ! このクソが!」
「あ、また橘さんが」
「またお前か、いくつカメラ持ってんだ」
「そっちはいいから、ひかりちゃんを頼む」
「てめー。表に出ろ!」
次から次へとゾンビ的に湧いてくる不心得な連中に、一息つく暇もなく勇磨は噛みついていた。
「疲れた。ちょっと休憩させてくれ」
「よし交代だ」
そう言って誠司は席を立つ。
勇磨がへたり込んでいる間に教室の中を誠司は一周する。
「これどこに捨てとこうか」
誠司はその腕に携帯を何個も抱えて戻って来た。
「そこに入れといてくれ」
勇磨の指さした段ボール箱に、ゴミを捨てるように携帯を放り込む誠司を見て、勇磨は恐ろしいものを見たような顔をした。
そして一時間が経った。
「おまえ、めちゃくちゃ働いてたんだな」
ひかりと楓のシフトが終わったときには勇磨は疲れきっていた。
「分かってくれたか。もう嫌だ」
「まあ食ってくれ。結局なんも食えてないだろ」
勇磨は冷めたフライドポテトとアイスの溶けたクリームソーダとプリンをかき込んだ。
「ちょっと落ち着いたよ」
そこにひかりと楓が仕事を終えてやってきた。
「誠司君、私たち上手くウエイトレスできてた?」
ひかりはニコニコして訊いてきた。
その笑顔がケダモノたちを引き寄せていると知らずに、ひかりは無邪気に誠司の意見を伺う。
「うん。良かったよ。良すぎてかえって困るけど」
「え? どういう意味?」
ひかりは首をかしげた。
「いや、気にしないで。こっちの話だから」
つい本音を覗かせてしまった誠司は慌てて誤魔化した。
そこへ楓が手にした携帯をこちらに向けてきた。
「ねえ、高木君とひかりの写真撮ったげる」
楓の提案に、誠司はメイド服姿のひかりと並んで写真を撮ってもらった。他の客には絶対ひかりの写真を撮らせたくなかったのに、こうしてコスプレ姿のひかりと写真を撮ってもらえて内心大喜びしている自分に、皮肉なものだと心底思った。
「楓も撮ったげる」
ひかりは勇磨を楓の横に立たせて一枚撮った。
まんざらでもないのか、勇磨は柄にもなく照れているように見えた。
楓はそんな勇磨に、やはり気になっていたのか、先ほどの奇行の理由を尋ねた。
「でも、なんで新ってずっとお客さんに怒ってたの?」
楓の問いに勇磨は渋い顔をして誠司に目をやった。
「それは誠ちゃんが……」
すかさず誠司は勇磨の脇腹をドンと小突いた。
「いてて。わかったよ」
嫉妬深い男だと思われたくない誠司は、無言で勇磨に黙ってろと圧をかけたのだった。
そしてひかりは楓の耳元で何やら囁いた。
楓はひかりの囁きに何度か頷いた後、照れたような笑みを浮かべた。
そして楓は、もじもじしながら勇磨を上目遣いで見ながらこう言った。
「……あんまりヤキモチ焼かないでね」
ぽっと頬を紅くした楓は、すぐに足早に教室を出て行った。
「なんだ? いま時任、なんかあいつに囁いただろ?」
楓の反応に不気味なものを感じ取ったのか、勇磨は何かを吹き込んでいたひかりに説明を求めたのだが……。
「新君……」
ひかりは満足げに爽やかな笑みを浮かべた。
「気持ち、伝わってるよ」
ひかりはそう言って、ルンルンと軽いステップで楓の後を追いかけるように出て行った。
「誠ちゃん……」
勇磨は少しだけ色が薄くなったように見えた。
「俺もう嫌だ」
たそがれる勇磨に、誠司はなんと声をかけていいのか分からなかった。