第5話 学園祭の始まり
とうとう学園祭が始まった。
三年の各クラスは準備も万端で、教室のあるフロアーは賑わいを見せていた。
その中でも二組の本格たこ焼きは大盛況だった。
甘辛いソースの匂い漂う教室の前には、開店早々人だかりが出来始めていた。
結局、誠司と共にたこ焼き研修に行った林由美が、たこ焼きを焼くのが上手すぎるうえ、本人も楽しんでやっていることもあり、焼くのは彼女に任せて他のクラスメートは店舗運営とサポート役に回ることになった。
その判断が大当たりだった。
楓は爪楊枝の先のアツアツのたこ焼きを一口で口の中に放り込むと、ハフハフ言いながら味わった。
「うまい。めちゃくちゃ美味い。なにこれ駅前のおいしい店に勝ってるんだけど」
楓はその美味さに目を丸くしたあと、すぐに二つ目を頬張った。
いきなりがっつこうとする楓にひかりも横から手を伸ばす。
「私も頂戴。もう楓ったら一人で食べる気? 二人分でしょ」
誠司は二人のために用意しておいた、たこ焼きを、美味しそうにひかりも味わっているのを見てガッツポーズをした。
満足げにたこ焼きを味わっている二人を、匂いにつられてやってきた勇磨は羨まし気に凝視していた。
「誠ちゃん。俺のは?」
「お前は並んで買え」
誠司は勇磨にそっけない。
「なんだよ、女だけかよ」
「冗談だよ。これ、四個入り。お前の分だ」
「くれんのか? 流石俺の親友だ。じゃあ遠慮なく」
当然勇磨も欲しがるだろうと、誠司は予め用意してあった。
勇磨は大喜びで食べ始めた。
しばらくして楓とひかりが食べ終わったタイミングを見計らって、誠司はそれとない感じでひかりに話しかけた。
「時任さん、クラスの方は忙しくない?」
きっと自分より忙しいはずだろう。誠司はひかりの手が空いている時間を先に知っておきたかった。
実行委員だった誠司は、ある程度自分で予定を決めることができたので、ひかりの予定さえ知っておけば、それに合わせることができるのだった。
こうして実行委員の特権を、誠司は最大限に活用しようとしていた。
ここで誤解のないように説明しておくが、これは断じて不正ではない。あくまでも準備の段階から頑張っていた実行委員の特権なのだ。
「私と楓は十一時から一時間と三時から一時間、お店でウエイトレスなの。シフト一緒にしてもらったんだ」
ひかりの予定をゲットして誠司は内心ガッツポーズをしていた。
これでひかりの空いている時間に、自分の予定もさりげなく合わせられる。
そして十一時までにはまだ一時間以上もある。いきなりのチャンス到来だった。
「じゃあそれまで少し一緒に回らない? 俺もちょっと時間とれそうだから」
ひかりをさりげなく誘えて、誠司は我ながら上出来だと思った。実はだいぶ緊張していた。
そこへ勇磨が横から割り込んできた。
「おー行こうぜ。早速一組から順番に食っていこう」
「あんたにはデリカシーはないんかい」
バシッと背中を叩いて楓は勇磨を窘める。
「邪魔すんじゃないわよ。ちょっとは察しなさいっての。ね、ひかり、高木君とデートしといでよ」
デートと言われて二人は硬い表情でお互いを見る。
初デート!
ひかりの頬がゆっくりと紅くなっていく。
「なんか、緊張してきちゃった……」
誠司も緊張してゴクリと生唾を飲み込んだ。
そして楓は誠司と絡みたそうにしている勇磨を強引に引っ張って行く。
「じゃあ、二人とも、水入らずで楽しんできて」
楓たちを見送って、誠司はぎこちなくひかりの様子を窺った。
「あ、あの、い、行きませんか?」
「は、はい」
誠司とひかりはぎこちなく歩き出した。
一年生は劇やコンサート、パフォーマンスなど、講堂と体育館を使って催していた。
二年生はテーマを決めて、教室で展示やゲームなどの露店。
三年生は飲食関係の模擬店だった。
そして各クラブはパフォーマンスや展示など、自由に嗜好を凝らして賑やかに人を集めていた。
講堂で催されていた一年生の劇に滑り込んで、誠司は席を探す。
「あった、行こう」
はぐれないように掴んだひかりの手の柔らかさに、誠司はドキッとしてしまう。
そんな誠司に、ひかりは赤くなってついてくる。
「座れて良かったね……」
「うん……」
間隔狭く並べられたパイプ椅子。二人の肩はずっと触れ合っていた。
劇は結構ひどいものだった。主役のセリフは飛ぶし、セットは倒れるし。
誠司の横でひかりは無邪気に笑う。
その横顔に誠司の心は揺れる。
さっき握ったひかりの手に、もう一度触れてみたい。そんな気持ちを抑えられなくなっていた。
少し前までの自分なら絶対に出来そうにないことをしようとしている。一歩退いて自分を見た誠司自身が戸惑いを覚えていた。
そっとひかりの横顔を伺いつつ、膝の上に置かれたその手に自分の手を伸ばす。
もう少し……。
息苦しさを覚えながら、少し震える指先がひかりの手に触れた時、思いがけなかったのか、ひかりの肩がビクッとなった。
ハッとしてひかりは誠司を見上げる。
「ごめん」
慌てて誠司は手を戻そうとした。
その手をひかりがもう一方の手でそっと抑える。
「いいの。私の手は誠司君専用なの……」
包まれた掌の柔らかさの上に、ひかりに初めて誠司君と呼ばれ胸がいっぱいになった。
「俺の手も……ひかりちゃん専用なんだ……」
恥ずかしそうにそう言った誠司に、ひかりは火照った顔をかくさずはにかんだ。
「うん。うれしい」
一年生の劇のフィナーレ。
舞台に立つ衣装を着た女生徒ではなく、隣に座っているこの可憐な少女がまぎれもなく誠司のヒロインだった。
こうしてまた一歩近づいた二人だった。
講堂から二人が戻って来ると、三組のカフェの前には長い行列ができていた。
ひかりは予想していなかった光景に驚きの声を上げた。
「すごい。どうなってるの?」
二人が唖然としていると、そこへ楓がバタバタと教室から出てきた。
「もう、ひかりったら着替える時間考えないとダメじゃない。交代まであと十分ないよ。早く着替えて」
楓はひかりの手を引いて更衣室に走っていった。
「誠司君またあとでね」
去り際にまた名前で呼んでもらえたことに感動しつつ、ひかりの後ろ姿に手を振って誠司は行列の最後尾を探した。
こんな後ろか……。
今から並んでもひかりのシフト時間に入れそうもなかった。
あきらめて勇磨を探す。
「勇磨! ちょっといいか!」
教室の中で何もしないで退屈そうに立っている勇磨に声をかけた。
勇磨は大きな欠伸をしながら出てきた。
「なんだ、暇そうじゃないか」
誠司はそれほど客が入っていない教室を見回して言った。
「ああ、今のところはな」
「あの行列はなんなんだ」
「十一時からの客だよ。あいつらそれまで入ろうとしないんだ。入室して三十分までしかいられない決まりだからな」
教室の前に置かれている看板には、確かにそう書かれていた。
それにしてもすごい行列だ。しかも今入店せずここで列を作っている連中はどういうわけだか男ばかりだ。
誠司は嫌な予感がした。
そしてその嫌な予感の正体を勇磨は先に説明してくれた。
「どうも時任目当てみたいだぜ。あと橘もな」
「なんだって!」
「大体わかるな。あれは時任あれも時任、あの後ろの一団は漫研の奴らだから橘か」
勇磨は行列の顔ぶれで的確に識別した。
「時任7、橘3ってとこかな。携帯持ってるとこみたら写真撮りまくるつもりだな」
「おい、なんとか俺も入れないか?」
誠司はひかりが心配で胃が痛くなってきた。
「ちょっと今回は無理だな。三時からのやつなら整理券くすねといてやるけど」
「頼む。お前は頼りになる奴だと思ってた」
「そうだろ。俺に任せとけ」
誠司に頼りにされて勇磨はなんだかご機嫌になった。
そのタイミングで誠司はすかさず手を合わせて頭を下げた。
「あのさ、もう一つ頼まれてくれないか?」
「は? まだなんかあるのか?」
「悪いんだけど、十一時から時任さんたちがシフトに入ってるときにさ、変なやつがちょっかい出さないか見ててくれないか?」
誠司はさらに手をこすり合わせて拝むように頼み込んだ。
「いや誠ちゃん、俺のシフト十一時までなんだ。色々俺だって見たり食ったりしたいんだよ」
勇磨は露骨に嫌な顔をした。
「そこを何とか頼む。お前だけが頼りなんだ」
ちょっと断り難いほどの真剣さに、勇磨はハアとため息をついて肩を落とした。
「分かったよ。次のシフトのやつと変わってもらうよ。しょうがねえな」
「悪い。恩に着る。お前のためにたこ焼き五人分用意しとく」
「ホントか! なんかやる気出てきた」
引き受けてくれそうな勇磨が誠司には神のごとく輝いて見えた。
「頼むぞ。できれば写真は全部阻止してくれ」
「無茶言うなよ」
また一つため息をついて勇磨は戻って行った。
そこへひかりと楓が着替えて戻って来た。
ウエイトレスと言うより、良くも悪くもメイドよりのコスチュームだった。
なんであんなに胸を強調してるんだ……。
ひかりは細身であったがプロポーションが良かった。普段は制服に包まれているその体の線を、その怪しげなコスチュームはわざと強調していた。
あらためてこうして見ると、まるでいけないものを目にしてしまったかのような気がして、誠司はくらくらしてしまったのだった。
ひかりと楓は誠司に手を振って、行ってくるねと言い残し教室に消えた。
誠司はこれからケダモノたちの目に晒されるであろうひかりのことが心配で、教室の前で一人立ち尽くしていた。